9/22 2008

熊野の休日

神奈川のshibata君と熊野に行きました。
恒例の奥駈秋の峰入りが9/23の吉野山だけの歩行となったためにサポートの出る幕が無
くなり、何とも物足りない思いの我々は二人だけで熊野を楽しみに行く事にしたのです。


蛍祭りでいつも宿泊させてもらう紀州松煙工房はオーナーが多忙で今回は山の作家、宇江
敏勝さん宅に泊めてもらうことになりました。 宇江さんの著作を私は20年ほど前から愛読し
ておりましたが、熊野修験を通してお知り合いになったのは10年ほど前からでした。 ここに
載せた宇江さんの著作は私の本箱からすぐ見つけ出せたものだけで、他にも宇江さんの著
作は何冊もあります。その中でも「山びとの動物誌」は動物誌としては珠玉の名作と私は思っ
ております。


和歌山県田辺市本宮町からR311を走ること15分、宇江さん宅に行く分岐に着きます。
野中の清水と一方杉は熊野古道の中でも有名な名所です。

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今から11年前、アルバトロスクラブの若い人達と二泊三日の南紀放浪の旅を計画し、
二日目にこの宇江さん宅にお邪魔したのでした。一緒した5人は素晴らしい若者たちでした。


宇江さん宅に到着
左からかつらさん、宇江夫人、えつこさん、shibata君。


敷地の離れに四阿(あずまや)が建っております。宇江さんの友人、知人たちが宴会を
する場所だそうです。天井の巨大な梁が印象深い、しっかりとした木造造りだけの建物です。


庭から見るとこんな感じの室内です。


いつもは鍋物をやるそうですが暑い日だったので食料調達係の桂さんは焼き肉を用意してくれました。
彼女は舌が肥えてますから選んで来た食材のまあ、美味しい事!
凄い美味の、熊野牛というふれこみの肉は実は近江牛とのこと。熊野に持ってきてある一定期間おい
ておくと別のブランド名を名乗れるとのこと。 「熊野に牛を放牧しているところなんか無いもんな」とみんな言います。


左から宇江敏勝さん、私、私の兄貴分の良さんです。


私には何人もの兄貴分がおりますが、良さんほど何でも甘え、無理を頼める存在は他にはいまんせん。
定年前に大島の郵便局長を最後に退職したあと、日高川の上流の山村で炭焼きを始め、現在に至っ
ております。電気も水道もトイレも無い小屋に独り住み、新宮の家にはたまにしか帰ってこないとか。
屋外に設置した五右衛門風呂は屋根が無いので雨の日は傘をさして入り、日が暮れると蝋燭の光を
たよりに本を読んだり、手紙をしたためるというまるで仙人のような生活をしているのです。
手紙も半紙を繋ぎ合わせたものに筆書きであり、まさに時代劇に出てくるような代物ですが、内容もま
さに漢詩の世界の雰囲気に満ちあふれてます。


翌朝、早く起きて熊野古道では有名な「野中の一方杉」まで散歩に行きました。
徒歩で行くと片道は30分はかかるので堀池さんに車で送ってもらい、帰りは歩いて降りてきたのです。




継桜王子境内にある杉の巨木群は樹齢800年のものもあるそうで、南向きだけに枝を
伸ばしていることから「野中の一方杉」と命名されたのです。
南の方向にある那智大社を慕って枝を伸ばしていると言われてるそうです。


継桜王子から降りていく車道から眺められる中辺路町野中の風景です。


途中、お寺の鐘楼に出くわし、その側から山道が下に降りていっているのでそこに降りていきました。


明るい杉林で、早朝の清々しさがみなぎっていて実に良い気分です。


やがて木立の間から国道が見えてきますがどうも宇江さん宅近くのようではありません。
上から降りてくるとき、車道を来た方とは 反対の方角に行って東寄りの地点に降りてきたようです。
そしたらすぐに上から降りてくる狭い車道に出ました。そしてそこに民家が一軒だけあり、若い身重
の 女性が洗濯物を干しているのです。
日には焼けた顔色をしてますが少女のようなあどけなさを浮かべた可愛らしい女性です。
こんな山の中の一軒家に住むとはちょっと思えない感じで、ひなびた家屋の中から赤ん坊の泣き声
も聞こえてくるので何か日本昔話の世界に迷い込んだような気分になりました。
「宇江敏勝さん宅に泊まりに来た者なのですが野中の一方杉を観に行き、道に迷ったようなのです。
国道を右方向に行けば宇江さん宅の方角になりますよね?」と尋ねると、そうです、と頷き、国道まで
出なくてもこの道が国道に並行して宇江さん宅の近くまで続くのでそちらを行くようにと親切に案内してくれました。


教えてもらった道はずっと樹林の中を通っており、気持ちのよい歩行ができました。
宇江さん宅に戻ってからこの女性の話をしたら宇江夫人が「過疎地のこの村に都会からやってきて
林業に励んでいる夫婦者でよく家にも遊びに来ます、と言われます。
なるほど、だからどこか垢抜けした感じなのだな、と納得の思いでした。


美味しい秋刀魚の焼いたのとえつこさんが作った漬け物でいただいた茶がゆの朝食は本当に
素晴らしいものでした。食後もコーヒー を飲みながら色んな話題で場が賑わい、もうしょっちゅ
う笑い転げたりして時間があっという間に過ぎ去ったのですが10時過ぎに皆さんと名残を惜
しみながら 私とshibata君は宇江さん宅を後にしました。
本宮町、新宮経由で那智山青岸渡寺を目指したのです。
画像は、以前濁った水だったのに綺麗になっている熊野川です。上流に採石場があって緑色
はしてますが濁っていた川がこんなに澄み切っているのを見て、何度もこの辺りをカヌーで上
がり下りしたshibata君もびっくりしてました。


新宮市から那智勝浦までこのような新しいバイパス道路が出来ていました。
海岸線を避け、信号なしで一直線に内陸部を那智山青岸渡寺近くまで延びたこのバイパスは
本当に有り難い存在で半分の時間で青岸渡寺に着きました。


高木亮英師はいつも変わらぬ暖かさで我々を迎えてくれ、宿坊に通されて昼食やコーヒーまで
ご馳走してもらいました。


写っているのは熊野修験の写真展のポスターです。


実はこの熊野市における写真展の後、2月にフランスのパリでも同写真展が開かれたのです。


パリでの写真展は熊野町市の三重日仏協会が企画したそうで、熊野修験団からも生熊先達を始め
3人がパリに赴き、修験者姿でパリの街中も宣伝のために練り歩いたとのこと。 
「玉岡さん、山上さん、良さん、先日亡くなられた小田七郎さん、森脇さんの4人で再興した熊野修験が20年
の年月を経てこのようにフランスのパリにまで進出したことを思うと感無量です」と高木師は言われました。


私の後を継いで先頭先達となり、今では高木師に次いで熊野修験団の代表のような存在になった
ハナイさんのことが載った新聞記事も高木師は嬉しくてならない、という表情で見せてくれます。
私が引退するとき、多くの先輩を差し置いて私の独断で後釜をハナイさんと決めた私の決断は間違
っていなかったと私も本当に嬉しい思いです。


青岸渡寺を辞去してshibata君が高木師に次いで会いたかったという紫帆りん夫妻を尋ねて天女座を目指します。
2年前に泊まったときに生まれて初めて見たムーンリバーの現れた海岸線が見えてくると心が躍りました。


「リワさんと今から行きますから」というメールを受け取った紫帆りん夫妻は「shibataさんとリワさんはいったい
どこで接点があったのだろう?」と私らが知りあいであることにひどく驚いたそうですが、紀州松煙工房の忘
年会で私らと初めて会った事をコロッと忘れていたのでした。
それほど、shibata君は一人で頻繁に天女座に来ていたことが判ります。
夫妻は大歓迎してくれ、今日は泊まらずに大阪に帰る事を話すとひどく残念がってくれました。


KYOTO PIANO ART工房で再生させた日東ピアノはちゃんと機能しておりました。
「二度とこの手の修理はしたくない」と新井さんを手こずらせたみたいですが、紫帆さんはとても感謝しておりました。




これをホームページの画像で見たshibata君が是非実物を見たいと思っていたチェンバロです。


製作を注文するとき、大屋根の裏側は紫帆りんが自分の手で絵を描くことを条件とし、そして彼女の凄いところは
それからアクリル画の手法を一から学んで習得し、この絵柄を描いたことです。
もう実物は目の覚めるようなあでやかさと言うのか、華麗さを発散しております。


そして夫君のとんちゃんが是非、見せたいと言って我々を案内してくれたのが崖の上に立つ天女座の
床下部分に作った露天風呂です。星空が見れ、塀から覗けば遙か下に熊野の海岸線が見えるのです。


夏はこの桶に水をためて入るとか。


そしてその横にこのような憩いの部屋まで用意してあるのです。
風呂からあがったらここで飲酒するも仮眠するも思いのままなのです。実に贅沢な露天風呂施設でした。
「リワさんやshibataさんと今夜は混浴したかったのに」と紫帆りんが言うので「それはちょっと・・・・裸を見
られるのは恥ずかしいです」と答えると 「明かりは蝋燭の灯火だけだから薄暗くて大丈夫」とのたまいます。
紫帆りんは京都に住んでいるときにも庭先に桶風呂を作って仲間達5、6人で混浴した写真を年賀状か
暑中見舞いで配布し、みんなを仰天させた実績のある女性です。
紫帆りん夫妻のグループが9/21に大阪でライブをやるのでそれには必ず行く約束をして、僅か30分の
滞在で私たちは天女座を後にしました。奈良県大和八木の居酒屋でロンドの会の仲間達が待っていて
くれるのでゆっくりはしておられなかったのです。


大和八木の居酒屋には約束の時間に少し遅れて午後6時前に到着。


ツル姫さんとK-O-B-U-Nさんは地元ですが、他のメンバーはshibata君会いたさだけのために遠くからやって
きたのです。K-O-B-U-Nさん横の香里園なでしこさんはハンドルネームの示すとおり、私の住む香里園から
はるばる電車を乗り継いで来られたのです。


ルーメイさんなんか、兵庫県西宮市からなのです。 如何にshibata君がみんなに愛されているか判りますでしょう?


9時にお開きし、shibata君のジープで麻里さんは奈良市まで送り、香里園なでしこさんは寝屋川市まで一緒
しましたが、車中での話題がまた湧いた事。
香里園なでしこさんはジープにも初めて乗せてもらったし、最近、こんなに笑ったことはなく、本当に楽しいひ
とときでした、と言ってました。
かくして私とshibata君の熊野ツアーは終わったのです。
彼は翌日、神奈川に帰っていきました。

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