2001年1月

旧友のピアノ調律師・松下和生君の「音の匠」受賞

 

松下和生君は熊本県人吉市の出身です。

私が高校を卒業して福岡のコンサートチューナー、松本雄二郎氏に弟子入りし、その

指示で浜松に修業に行った後に彼は弟子入りしてきました。

私と違って1年間ほど松本氏のそばで研修を重ねたのですが、修業の合間に使い走り

のようなことを色々させられ、松本氏は芸儒家肌のなかなかに気むずかしい人でした

から、大変辛い思いを色々したようでした。

後、同じく師匠の指示で東京に出、個人経営の小さなピアノ工房に弟子入りしたので

すが、親の援助を受けられなかったので経済的に大変苦しかったようで、その修業生

活はかなり厳しいものでした。窮乏して2週間ほどインスタントラーメンだけの食生

活が続いたとき、体がむくんでき、血尿さえ出たということを話してくれたことがあ

ります。新宿近くの安アパートを宿としておりましたが、彼の部屋はガレージを改造

したもので、壁がブロックで重ねられているそのままにむき出しになっており、訪ね

ていったとき、その殺風景さとみすぼらしさに胸が痛んだものでした。

見かねて本郷の長君宅での集まりに連れていったのですが、長君は彼を温かく迎え入

れてくれ、私が上京しないときでも何度も彼を家に招待し、食事などの接待をしてく

れたとのこと。そのときに山城君とも知り合ったのです。

修業終了後は福岡の松本氏のもとで我々は一緒に働く予定だったのですが、その後、

色々事情があってまず私が松本雄二郎氏のもとから去って大阪の楽器店に就職し、松

下君も師匠と袂を分かち、東京の有名な調律事務所に就職し、やがてスタインウエイ

の日本総代理店、松尾楽器商会に勤めるようになりました。

師匠のもとを去った我々はその後何度か会いましたが、昭和52年に東京で会って以

来会うことが無く、10数年前にスタインウエイのことでアドバイスをもらいたく電

話で話したのが最後にその後音信は途絶えておりました。

業界の人の噂で彼が一流のコンサートチューナーになっていることは知っておりまし

たが、それが今年の調律師協会の会報で彼の得た輝かしい栄誉を知ったときほど、私

は嬉しかったことはありません。

調律師として常日頃感じていることなのですが、我々の仕事はジャーナリズムや文芸

評論の世界で言及されたり、技術者の発言を引用されることのほとんどない職種であ

ることに私はいつも淋しさを感じ続けておりました。

最相葉月さんの「絶対音感」(小学館)という名著(音感に関する素晴らしい書物だと私

は思ってます)にも演奏家をはじめとする関連する色々な業種の人達へのインタビュー記

事が載っている中でピアノ調律師へのそれが無かったとき、何とも言えぬ侘びしさを感じ

たものでした。絶対音感に関する多くの人の体験談を執拗に取材しまわった最相さんが音

感に深く関わりのあるピアノ調律師にインタビューをしなかったなんて考えられなかっ

たからです。多分、最相さんは調律師にもインタビューをしたのでしょうけれど手応えの

あるコメントを得られなかったから載せなかったのだろうと思います。

優れた技術者集団という自負心を抱きはしますが、言葉による表現の下手な連中の集まり

である我ら調律師は社会的にあまり認識されることはないのでは、という思いがずっとあ

りました。

そこへ、松下君の「音の匠」受賞のニュース。

私にとって、してやったり!という心境になったのも無理からぬこととご理解いただける

でしょうか。。しかも、私の古き仲間、どれだけ誇らしく思ったことでしょう。

コンサートチューナーでしたらいくらでもおりますが、業界以外の団体から顕彰され

るのは叙勲者を除いて恐らく彼が始めてではないかと思います。それも「音の匠」と

いう称号をもらうとは、これはピアノ調律師冥利に尽きるのではないかと思いました。

彼の苦しく辛かった窮乏時代、そして真似のできないような修業の鬼だったことを知

っているだけに、天は努力する人間には必ず報い賜うものなんだなとしみじみ思いま

した。

電話で語り合うとき、彼も懐かしさでひどく興奮していることが伝わって来、是非、

近いうちに会いたい、2月4日に大阪のイズミホールで仕事があるから、その終わっ

た後に会えないか、と言うのでもちろん私はすぐさま承知し、4日夜、新幹線に乗る

時刻まで一緒に飲む約束をしたのでした。

「長君や山城君のことを覚えている?」と聞くと「もちろん覚えている!忘れること

なんか絶対に無い」と言ってくれるのです。嬉しかった。

山城君は慶応大学の助教授になったこと、長君は現在福岡で宝石商をやっていること、

東京にも事務所があることなどを話すと、是非、長君の事務所に訪ねていきたい、と

言い、「でも僕のこと覚えていてくれてるだろうか」と聞くので、正月に帰福したとき

に会った折り、「松下君、どうしとうと?」と長君から尋ねられたことを話しました。

長君や山城君と一緒に写った写真を4日に持っていくことを約束し、電話を切ったの

ですが、私はしばらく興奮がおさまらず、会報の記事を見せながら家内にとうとうと

松下君のことを話したのでした。

 関東支部 松下和生氏、第4回「音の匠」を受賞
(社)日本ピアノ調律師協会会報2001.1より

 

 トーマス・エジソンが1877126日に錫箔蓄音機で自らの声の録音・再生に成

功したことにちなんで、社団法人日本オーディオ協会では関連団体とともにこの日を

「音の日」として関連行事を行っています。その一環として、音を通じて社会や文化

に貢献している人を「音の匠」として表彰しており、第4回目の1999年にはJPTA

(社団法人日本ピアノ調律師協会)関東支部の松下和生氏がこの栄えある賞を受賞さ

れました。 以下に、日本オーディオ協会の『JAS journal』に掲載された松下氏の

紹介記事を転載いたします。

 

4回「音の匠」  松下和生さん

 ピアノという楽器はたいへんに贅沢なことに、面倒を見てくれる専属の調律師を砲

えているようなもので、多くの楽器の中でも異色の存在です。一般家庭では、あるい

は数年に一度程度の調律で済むかもしれないが、コンサートに使うものは必ず事前に

調律を行うということです。

 今年の「音の匠」はその調律の世界から選定されたが、たとえばピアノ演奏会の演

奏会評で「輝かしい音」などと書かれていてもそれが誰の手によって調律されたかな

どは紹介されません。その意味では音楽の世界を支える重要な役割を担っておられ、

オーディオ協会の「音を通じて社会・文化に貢献されている」方を表彰するという観

点からの音の匠にピツタリといえるでしょう。

 松下和生(かずお)さんは1947年熊本の生まれ。お兄さんがピアノの調律をされ

ていたこともあってこの道を選ばれたそうである。1966年に福岡にある「松本ピアノ」

に調律見習として入社し、調律の仕事をスタートしたとのことでキャリアは30年を

越えておられ、いまやピアニストに厚く信頼される存在です。その松下さんはその後

「杵渕ピアノ」、スタインウェイを扱っていることでよく知られている「松尾楽器商会」

等を経て1998年に独立。以降フリーの調律師として幅広く活踵されています。なお

現在、社団法人日本ピアノ調律師協会の会員とのことです。

 わずかな道具だけで一流ピアニストの要求に応える高度な技の持ち主、というイメ

ージから調律師は研ぎすまされ、繊細で、取りつきにくいという先入観をつい持って

しまいがちです。ところが松下さんは写真を見ても、実際にお会いしてみるといっそ

う温厚なかたでした。しかし裡に秘めたものはやはり九州男児なのでしょうか、激し

いものがあるいはあるように思えます。

 たとえば若い頃、演奏の最初から最後まで、とにかく音が狂わないピアノ調律を目

指してそれこそ爪から血が噴き出すまでトライしたこと。通常の調律時間では納得で

きず、守衡さんをだましだまし、朝早くからそっとホールに入って仕事をしたなどの

エピソードが松下さんの人柄をよく表しているようです。

 さて、ピアノはご承知のように低音弦を除いて、3本の鋼鉄線が一組になっていま

す。つまりハンマーが叩くのは3本の弦であり、同一音階に対して3つの発音源を持

つわけです。ピアノの表現力の豊かさの秘密はあるいはここにあるかもしれませんし、

調律による妙と難しさがあります。

 では実際の調律はというと、器具としては極端にいえば弦を締めたりゆるめたりす

るハンマー(チューニングハンマー)のみともいえます。その他には基準になる音階

を確認する音叉、それにピッチメーターなどを携帯するとのことです。

 仮にピアノが88鍵とすると、計算上ではその3倍の二百数十本の弦を11本調

律してゆくとのことですから、この仕事の難しさは容易に想像できます。しかも3

1組の弦のそれぞれを、まったく同じように整えることは、計測器のメーターの上で

は可能でも、実際には不可能に近く、またこうした調律では音に伸びが感じられない

とのことです。

 こうしてそれぞれの鍵に対応する弦を調律してゆくのですが、もうひとつ、これも

凡人には及ばないことがあります。それはピアニストとの連携で、たとえば「柔らか

い音に」「深みのある音に」「輝かしい音に」などといった要望に応えてチューニング

をすることになります。その意味では調律師は長い経験とピアニストとの緊密な関係

から得た各自各様のノウハウを持っていること、しかもそれをレシピの形で、たとえ

ば弟子に伝えることが難しいことになります。

 ところで松下さんはオーディオ装置による再生音楽を聴かれるのでしょうか?

 

「タンノイのスピーカーを使っています。またコンデンサー型のイヤスピーカーでも

聴いてます。イヤスピーカーはきれいな音ですが、皆同じような音になるように聴き

とれます。ピアノ音楽はよく聴きますが、やはり関心はどんな調律をしているか?と

いうほうに傾きますね」とのことでした。また仕事の上での摂生は?に対しては街中

の音がうるさいので、耳栓を携帯しているとのお答え。

 今回の表彰については、日頃は音楽の裏方をしている人間なのに表に引っぱり出さ

れ、もぐらが地上に出てきて、しまった!という心境です、と語って下さいました。

この弁にも松下さんのお人柄が現れていました。

     (UAS journal 199912月号より転載)