嵐山遭難・・・・・寸前記     11/18 2000掲載
横谷佳子
 よく晴れた去年の11月のある朝、私たち 一 年長の友人Mさん
(女性)、Fさん(男性)、と私は渡月橋のたもとで待ち合わせていた。
今日は嵐山生まれのFさんの案内で、嵐山から清滝を経て高雄へ抜け
るハイキングの予定である。このメンツではもう何度も地図を頼りの
里山歩きをしているので気軽なものだ。
 大河内山荘の塀に沿って裏手の山へ入ってゆくとたちまち人影はな
くなり山道がはじまる。人一人が歩ける幅の落ち葉の散り敷いたなだ
らかなのぼり道だ。少し陽が翳ってさたのも歩き続けるにはちょうど
いい。そのうち道が二またに分かれているところに出た。Fさんは迷
わず一方へ進む。それからまた分かれ道。同じく左の道へ。しばらく
するとこんどは三つに分かれている。さすがにFさんは少し考える。
どれも同じように歩きやすそうな感じのいい道だ。どれやろな、とF
さんが吟く。どれでもおんなじなんちゃう、山の中入るか迂回してく
かが違うだけで、と明るく元気なMさん。私は彼らと一緒の時の常で、
おまかせモードに入ってぼーっとしている。ま、ちょっと行ってみよ
か、とやはり一番左手の道へ行くことになった。15分ばかりも歩い
ていると、その道には要所要所の木立ちに赤い布切れもしくは赤い
テープか貼りつけてあるのがわかった。やっぱりこの道やね、と喜ぶ
三人。ところが。進めば進むほど、どうも道が消えてゆくようなのだ。
先ほどまで山の斜面に対してきっぱりとした角度を保ち我々の足元を
支えてくれていたその道が、今や斜面に迎合するかのようにおのれを
見失い、斜面に吸収されてゆく。それからいくらも行かないうちに道
は完全に消滅し、我々は急斜面をずりおちながら横切っているに過ぎ
ない状態に入った。しかも足下の地面は砂と礫の混ざったグズグズの
うえ、落ち葉が積もっているので滑るすべる。5メートル先へ進むに
もだいたいどのあたりまでその間に滑り落ちるかを予測し、そのあた
りでしがみつくべき木をしっかり見定め、それ目がけてダッシュする
ありさまだ。しがみつきそこねたらどこまで落ちてゆくかわからな
い。はるか下方からは保津川の水音。それは結構危険な風景だった。
それなのに赤い目印は続いてゆく。本当に体を維持すべきものが全くない
場所には、目印とともにポロポロの針金やナイロン紐がわた
してある。しかしそれに全体重を預ける気は誰にもない。山肌に体を
できるかぎり密着させて体重を殺し、そんな命綱などまったく頼りに
していないフリをしながらそっと手を添えてじわりじわりと進む。あ
の赤い目印は何者かのワナではないのかという考えがチラリと頭をよ
来てしまったのだ。陽はさらに翳り、不穏な雲が空を覆いはじめた。
その時先頭を歩いていたFさんが転んだ。潅木の上だったので滑り
落ちてはゆかなかったが、起きあがってこない。Fさん、Fさん、と
呼ぶと目だけあげてこちらを見る。その目つきが尋常でない。繊細で
責任感の強いFさんは、迷ったらしいと気づいた時から非常に心を痛
めていたのであろう。心配のあまり貧血を起こしたのだ。幸いじきに
回復し、とりあえずお昼にすることにする。わずかに平らなスペース
をみつけてお弁当をひろげる。料理上手のMさんがおかず、私がおに
ぎり、公民館でお菓子教室の先生までするFさんかおやつ、というい
つもの分担である。一番楽しいランチタイム。だが今日はもうひとつ盛
りあがらない。おしゃべりしながらも皆、ついこれから進むべき道を
目で探してしまう。そこへ、パラパラパラ・・・・・ 霙(みぞれ)! 頭に浮か
ぶ八甲田山のイメージを私は必死に振りはらう。気丈なMさんの顔にも
Fさんの顔にも焦りの色が浮かんでいる。地図を出して相談の結果、
ともかく保津川へ下りるしかない、下流へは行けないようだが上流へ進
めばここのガケのマークさえ越えたら保津峡だ、そこまで行けば何とか
なる。ナニ、ガケのひとつやふたつ、ここまで来た我々にとって何ほどの
ことがあろう。慌しい出発。ほとんど地面にお尻をつけて、斜面を滑りおり
てゆく。下へ下へ。運よく霙はすぐやんだ。川原におりたち、岩場をのり
こえつつ川を遡る。保津川下りの舟がやってくる。まだ元気のあった午前
中は樹間から舟に手をふったりしていたが、今となっては曇天の下、おん
なじ黒い服におんなじ黒い頭の修学旅行生がぎっしりのその舟は「舟ゆう
れい」という言葉を思い起こさせるだけだ。船頭さんが声をかけてくる。
あんたらそっちは行けんでえ。はい、ちょっと途中まで行ってみるだけで
えす。何と言われても他に道はないのだ。舟をやりすごして歩き続ける。
また舟。あかんあかん、どこ行くんやあ、この先ガケやでえ。ええ、それ
を越えて保津峡まで。越えられへんわ、あんなとこ。・・・・・実は迷って。
嵐山にもどる道もわからなくなって。それやったらトロッコ列車の線路あ
がるしかないなあ。行ってしまった。二人ながらにああ言われては本当に
この川を遡って行っても無駄なのだろう。トロッコ列車の線路。それはあ
そこに見える鉄橋によじのぼれということだ。こんなところで日が暮れた
らアウトだ。全員捨て身である。ほぼ垂直の鉄橋のたもとのガケをアクロ
バチックに登攀する。のぼりきったところは小さな草原で、可憐な草の花
がいっぱい咲いていた。そして線路との境には有刺鉄線が張りめぐらされ
てあった。やや眦(まなじり)を決したMさんがツカツカとそこへ歩みよ
り、トゲトゲの間に両手をかけてグイと上下に押し拡げる。そこからまず
リュックを抛りこみ、順々に内側へ転げこむ。あとはひたすら歩けば
よい。紅葉もコスモスも綺麗だった。列車が後ろからやって来る。あれだ
け厳重にふさいである線路内に入っているのだから見つかったら叱られる
だろう。小さな小屋の陰に隠れる。三人一度に隠れるのは無理なので、
先頭車輌が通過するのに合わせてじりじりと小屋をめぐりながら身を隠す。
最後の難関はトンネルだった。線路に耳をつけ、またさっきの列車から幾ら
も時間がたっていないことを確認しあい一気に駆け抜ける。トンネルを抜け
たところが嵐山の駅だった。線路から眉の高さのプラットホームへ這いあが
る我々を、トンネル出口上部の花壇にいた駅長らしき人がじーつと見下ろし
ていた。観光客の注目を浴びながら改札ロで言い訳をすると、係のお嬢さん
はお疲れさまでした、と微笑んですんなり通してくれた。案外よくあるケー
スなのだろうか。そのまま解散するのはあまりに心残りなので、天竜寺を見
物して帰った。庭園の中の小高い丘で、お昼にはのどを通らなかったFさん
お手製のおやつ − 沖縄の接げ菓子サーターアンタギ − をタ日を浴び
呆然としながらほおばる。あの赤い目印は何だったんだろう。