『原始仏教への誘い』 3/20 2002掲載 by リワキーノ

原始仏教という言葉をご存知だろうか。                     

 博学な方々の多いアルバトロスクラブの皆さんにこんな質問をするとひんしゅくを
かうかも知れないが、大阪でピアノ調律師を生業としていて知り合ったいろいろな人
たちのなかで仏教に強く関心を示し、それなりに勉強をしている人たちの誰もが原始
仏教という概念をご存知ないのでついお尋ねしたのである。

 もうだいぶ前から旭屋や紀伊国屋書店の店頭に、一般の社会人や女性をターゲット
とした仏教解説書やコミックなどが種類多く見かけるが、よく売れているからあれだ
け豊富に出ているのだろうけれども、気になるのはそのほとんどが大乗仏教の立場に
たつ僧侶や仏教関係者らの手によるものが多いことで、一般の人たちが仏教に関心を
よせるとき、最初に手に取る本が般若心経や法華経あるいは禅について分かりやすく
解説しているものになる率が極めて高く感じられることである。

 ここで大急ぎで申し上げなければならないのだが、私は決して大乗仏教的なものを
否定するものではなく、またそんな大それたことができるほどの知識も知能も身につ
けてはいない。私が気にかかるのは、一般の人たちが人生において精神的な疲労や行
き詰まりを感じた時にふと、宗教というものに心引かれることが起きたとき、原始仏
教に描かれている釈尊の姿を知ったら、もしかしたら私のように仏教というものを深
く身近に感じ、それを人生を生きていく上での心の拠り所とするようになる方も結構
出てこられるのではないかと思って原始仏教のことを持ちだしたのである。

 ただ限られた紙数のなかで原始仏教の概念を要領よくお伝えする能力は私にはまった
く無いので、ここは原始仏教を学んだとき私自身が意外に思ったいくつかのエピソー
ドを無作為に羅列することによって少しでも皆さんの興味を喚起することができたら
幸いだと思っている。

 最初に原始仏教と大乗仏教の区別はどこでするのかということについてだが、乱暴
なくらい大雑把な説明で申し訳ないが、現在タイやカンボジア、ビルマ、セイロンに
伝わっている南伝仏教(日本では未だにこれを小乗仏教と呼ぶ仏教者がいるそうだが、
大乗仏教の立場からの蔑称である)がこの原始仏教の姿に近く、要するに華厳経、法
華経、般若関係の諸経その他の大乗仏教経典が存在しないのが原始仏教と思っていた
だいたらそんなにはずれていないと思う。

 原始仏教の経典は、前記の大乗諸経典ができる前に存在していた経典が後世の拡大
解釈や付加がされて膨大な量のものとなった経典、パーリー五部(漢訳では阿含経)
として現在に残っている。その中身には大乗仏教経典発生よりも後世のアショカ王に
関する記述があったりするという具合に明らかに後世に付加されたと思われる記事も
あり、後世の拡大解釈、付加がされているという認識を持つことは大切である。
  したがって一部の新興宗教のようにパーリー五部(阿含経)の内容全部が原始仏教
時代のものと決めてかかり、そこにのみ仏教の真実が存在するという主張は科学的な
ものとは言えないのである。

  このように様々な後世の手が入っているにもかかわらず、私が原始仏典に深く惹か
れるようになったのは、そこには大乗仏教で慣れ親しんでいた釈尊のイメージや教理
とはかなり異なるものが描かれており、また、全体を通して釈尊の言葉として説かれ
る思想は非常に合理的で脱神秘主義的であることであった。以下、このような立場か
ら私が原始仏教について述べていくことをご承知いただければ幸いである。

 まず、原始仏典で我々現代人の目を引くのは、釈尊の姿というものが大乗仏教でイ
メージされている神格化とか絶対的な存在とはおよそほど遠い人間的な存在として描
かれていることである。釈尊が八十才まで生きたことをご存知の方は多いと思うが、
直接の死因が食中毒によるものであることを知っている方は少ないのではなかろうか。
チュンダという在家信者が釈尊の接待のために出した料理の中のきのこ(原語を豚肉
と解釈する説もある)の一種によるもので、激しい下痢が続き、結局これがもとで伝
道中の旅先で亡くなられたのである。この様子は原始仏典「大パリニツバーナ経」に
一部始終がくわしく記述されているが、同経典のなかに、食中毒後に体調をすっかり
悪くしてしまった釈尊が水を飲みたがって、再三、弟子のアーナンダに水を手に入れ
てきて欲しいと訴える記述があったり、疲労を訴えて布を地面にしいて自分をそこに
横にならせてくれるようにアーナンダに頼む記述は大乗仏教で神格化された釈尊像と
はずいぶん違う人間くさいものである。
私自身、原典を直接眼にした記述ではないが、
原始仏教学者の話では、釈尊は決して頑健な体質ではなかったらしく、医者の治療な
どもよく受けられたことが原始仏典「阿含経」のなかに記されているとこのことであ
る。

 また、釈尊の十人の弟子の中でも筆頭格であり、釈尊がご自分の代理までさせたほ
ど高く評価し信頼していたサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)が同時期
に亡くなったときの釈尊の嘆きは深く、生涯釈尊の付き人として釈尊の身のまわりの
世話をしてきたアーナンダ(阿難)に「あの二人がいなくなった今、教えを説くこと
も何か空しく感じられる」と漏らされているのである。このエピソードに弟子、顔回
を失ったときの孔子を思いおこす方も多いのではないだろうか。

  次に、前出のモッガラーナ(目連)の釈尊への質問にこんなのがある。釈尊が自ら
導かれた弟子達のすべてがその無上安穏の境地(悟り)に達したのであろうかという
問いに釈尊は‘否’と答えられ、その理由として、私は確かに無上安穏の地があるこ
とを知っており、そこに至る道を弟子に教えることはできる、しかし弟子達がその道
を間違えずに正しく行くか、途中迷って違う方向に行ってしまうかまでは責任もてる
ものではない、私はただ道を教えるだけである、と明言されている。これは人間の自
由意志を重んじるという
立場に立っていると解釈するよりも、釈尊自らの人間として
の能力の限界を告白されたと私はとっている。

  仏教用語のなかに「無記」という言葉がある。無記の意味づけはいろいろあるよう
だが、私がたいへん感銘を受けたのは、釈尊がある種の質問についてはまったくのノ
ーコメントで終始されたその対応を無記という場合である。ある種の質問とは、「こ
の世界は有限であるか無限であるか」「霊魂と身体は同一のものであるか、あるいは
別のものなのか」「人間は死後も存在するのか、しないのか」といった現代人でも誰
もが関心をもち、また現代の科学でもっても確認することのできないことがらである。

  前記の質問類に一切答えない師匠にすっかり業を煮やした弟子の一人は、これ以上
そのような態度をとりつづけて質問に答えてもらえないのなら師のもとから去ってい
く、と釈尊にせまったとき、釈尊は次のようなたとえ話をされた。「もし、今お前が
毒矢を射られて瀕死の状態にあるとしよう。そしてお前が傷の手当を受けようとする
ときに、この矢を射たのは誰だ、その者はどのような素性の者か、また、この矢に塗
られた毒はどんな種類の毒か、それらがすべて判るまで私は治療を一切受けない」と
お前は言うであろうか。それらのことはお前の受けた傷を治療することにはまったく
関係のないことがらであり、しかもそれらにこだわっている間に毒が全身に回ってお
前は死んでしまうのである。無記のことがらもそれらと一緒である。死んだこともな
い人間がいくら議論し、憶測しても死後のことは判りようがなく、魂と身体の同一に
ついても同じこと、いつまで議論しようとも結論は出ず、いたずらに無駄な時間を費
やし、修行の妨げにもなり、しかもそれらは無上安穏の境地へ達するための修行には
まったく必要のないことがらであるから私は答えないし禁ずるのである」と。有名な
毒矢の喩えである。

  釈尊はまた「一切(いっさい)」という用語、これは文字どおり「すべて」「オー
ルマイティ」という意味なのだが、それを説明されるのに人間に与えられたもの、つ
まり眼・鼻・舌・耳・身・意(意識)などの諸器官によって認識されるものがすべて
なのであると言っておられ、それ以外の、たとえば超能力とか霊的なものを媒体とし
て道を説こうとする者については警戒するよう弟子達を戒めておられる。前述の無記
への対応と照らし合わせても釈尊が現実主義者、非神秘主義者の面を持っておられる
ことが堆察できるのではないだろうか。

 原始仏典にこういうエピソードがある。重病にふせていた弟子を見舞った釈尊を目
の当たりにして喜んで拝もうとするその弟子に、釈尊は「私の姿をいくら拝んでもそ
れは意味の無いことである。私の説いた法(教え)を守ってこそ意味があり、そなた
は救われるのである」と説かれている。これは釈尊自身を超能力者としてその霊力に
頼ろうとしても無駄なことである、ということを表明されているのではないだろうか。
また別のところで釈尊は、ご自身の説く法(教え)を守ること以外に、修行者は常に
自分自身を拠り所として生きていくようにとも強い口調で説かれている。これは釈尊
が、ご自身のいなくなった後、霊的なもので誘惑してこようとする邪宗の徒から弟子
を守るために、釈尊の説いた教えで鍛えられた己の理性を判断の根拠とするようにと
言っておられるように思われるのである。事実、仏典の中には釈尊が繰り返し弟子達
に質問をし、その答えを聞いてどの程度弟子達が釈尊の教えを理解しているか試して
いる記述が大変多い。仏教学者、増谷文雄氏によれば、弟子達は「色は常であろうか、
無常であろうか」とか「無常であればそれは苦であろうか、楽であろうか」という単
純な質問にはいつも正しく答えられたが、それらのいくつかを組み合わせた応用問題
に対しては弟子達は弱かったようでいつも答えられなかった、とユーモラスに著書「
原初経典阿含経」で述べられている。

 ただ、お断りしておくが、このように釈尊の教えの理性主義的、現実主義的、非神
秘主義的面ばかりを私が強調しているから私を超自然的なことや霊的なことがらに対
して否定的な人間であると思われたらそれはとんでもない誤解である。私自身、釈尊
がおっしやっておられるようにそれらのことの正邪の判断がつく存在ではないし、ま
た、この世には過去から現在まで様々な不思議なことが起きていることも知っており、
それらが科学の発展ですべて解明される時代がくると信じ込むような、人間の能力に
天を恐れぬ過信を抱くほど傲慢ではないと自負しているゆえ、不可知論者で通すだけ
である。これは私個人の推測でしかないが、釈尊は恐らく、無記の事柄への解答はご
存じなのだろうと思う。それへの詮索を禁じた釈尊の言葉を信じるが故に私は同じく
詮索しない態度を貫こうと思っており、信仰とはこのようなものではないか、と考え
ているのである。

 釈尊はいよいよ臨終を迎えたとき、周りにいた弟子達に釈尊が説いてきた教えのこ
とで、まだ解らないことがらがあったら質問するようにと促しておられるが、そのと
きの釈尊の言われる「自分を師匠と意識してではなく、友達に尋ねるように尋ねなさ
い。私がいなくなったあとで後悔することがないよう、何でもよいから質問しなさい」
という口ぶりは宗教者というよりも教育者のような雰囲気を感じさせる。釈尊の最後
の言葉は、「この世は壊れる法である(うつろいゆくものである)、怠ること無く修
行に励むように」というものであり、有名な諸行無常の教えである。
  諸行無常という言葉は平家物語の冒頭に出てくるため、栄枯盛衰や人生のはかなさ
を表現する言葉のように思われがちだが、本来の意味は、この世に存在するものはす
べてすがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえどもその変化を止める
ことができない、その事実を指す言葉である。
 

 これらのいくつかのエピソードから見られる釈尊の態度から、釈尊は自立と理性を
保った修行を弟子達に要求されていたように私は推測され、そこに何となく孔子のよ
うなイメ−ジが連想され、現代科学の洗礼を受けた我々現代人にも抵抗無く釈尊の仏
教に従っていけそうな気がしないではないだろうか。

原始仏教にもし関心を抱いた方がいらっしたら次に記す本をお進めします。 

仏陀のおしえ(友松圓諦・講談社学術文庫)/阿含経入門(友松圓諦・講談社学術文
/原初経典阿含経(増谷文雄・筑摩書房)/仏教百話(増谷文雄・筑摩文庫)/ブッ
ダの言葉=スッタニパータ(中村元・岩波文庫)/ブッダ最後の旅=大バリニッバー
ナ(中村元・岩波文庫) なお、手塚修虫の長編コミック「ブッダ」は、人間として
生きた釈尊を描いており、おおむね原始仏典に根拠をおいた内容で、釈尊の悟りにつ
いての手塚治虫の解釈は論議の余地があるでしょうが、すぐれた作品だと思いますの
で是非一読をお進めします。ちなみに潮出版社発行(全
14巻)のものが割安です。 

 

※今日(2002/03/19)の時点で紀伊国屋ウエブで検索したところ、『阿含経入門』、『原初経典
阿含経』の2冊は絶版になっていました。どちらも素晴らしい阿含経の解説書であるのに大変残
念に思います。