8/1/2003掲載

M・京子様                                       2000/03/23

                                 

拝啓

いつもお世話になっております。

先日はご丁重なお電話を頂戴いたしまして有り難うございました。こちらの方からお電話

を差し上げなければならなかったですのに体調を落としておりまして失礼をばいたしました。

 

さて、今回は素晴らしいミュージカルを観劇させていただきまして心よりお礼を申し上げます。

このような素晴らしい芸術を作り上げた方々への最大のお礼は、それへの素直な感想を述

べることではないか、と信じて書き始めたこの感想記ですが、興奮のあまり饒舌過ぎてしま

い、なおかつ余計な駄弁が多く、以下のような長文になってしまいました。それもこのミュー

ジカル「リア・ファイル」が私に与えた感動を少しでも正確に知っていただきたい思いがそう

させてしまったとご理解いただき、M様をはじめとする当ミュージカルに関係された方々へ

の感謝の気持ちとしてお受け取りいただければ幸甚に存じます。

また、御崎様には別途感想文を書かせていただこうと思っていたのですが、このM様への

感想文をM様へ差し上げたものであるという断り書きをして、そのまま送らせていただくこと

にしましたのでよろしくお願いいたします。

なお、私は調律師という職業柄からくる疾患だと思うのですが、書痙という持病を抱えており

まして長文の筆記が苦手なため、かようなワープロ印刷分でお送りする非礼をどうかご寛

恕ください。

 

まず、冒頭に記したいのですが、あの二日間で経験したことで私は芸術の偉大さを改めて

思い知らされました。過去、多くの音楽会、舞台芸術(オペラ、バレー、ミュージカル、能楽、

歌舞伎)を観てきましたが、あのように感動して余韻がいつまでも残ったことはそうざらにあ

ることではございませんでした。散文的な日常生活の中に突如としてポエジーの世界が出

現という感じでした。

M様の出演される舞台を初めて拝見したのは5年前の12月に泉ホールで開催された相愛

大学の演奏会のときでした。家族4人で参上したのですが、あのときのプリモーラ女性合唱

団の演奏が深く私たちの心の中に感動をもたらせてくれ、クリスマス間近の雰囲気も影響し

てその後、私たち家族はどんなに心に充たされた思いで京橋で夕食を共にすることができ

たことでしょうか。今でもあの時のロマンティックな気持ちをまざまざと思い出します。

それ以来、私はプリモーラの皆さんが出演される音楽会には絶対に行こう、と心に決めて

いたのですが、それが実現したのは2年前の(これも12月の寒いときでした)川西市みつな

かホールでの私にとって初めてのプリモーラによるミュージカルでした。あの時の印象は本

当に強烈でして、あんなに少ない出演者が次から次へと役柄を変えて舞台に現れ、それほ

ど多くもない楽器編成でどうしてあんなに素晴らしい舞踊を、美しい音楽を演ずることができ

るのか、コミカルな面を見せながらも夢のようなメルヒェンティックな雰囲気をかもしだすそ

の技量に驚嘆の思いでただただ観るだけでした。後でM様にそれらの演出、作曲すべてを

御崎惠様がされているということをお聞きしてからは、何という素晴らしい才能の方であろう

と、俄然、この若い女性指揮者に興味を抱くようになったのでもありました。

みちなかホールは狭い小ホールなのにもかかわらず当日の観客の入りは少なく、こんな素

晴らしいミュージカルをこれだけ僅かな人達にしか観てもらえないとは何てもったいないこ

と、と家内と語り合い、次回、同じ催しがあるときは是非にも誘いたい友人、知人のことが

脳裏を去来しました。このミュージカルの素晴らしさを心底解ってくれるような人にこそ観て

もらわなければと思ったのです。まさに「君ならで 誰にか見せん梅の花 色をも香をも知る

人ぞ知る」と詠んだ古今集の歌人、紀友則の心境でした。

そして、今回のアルカイックオクトホールにおける「リア・ファイル」の公演に臨むことになっ

たのです。

M様からお聞きしたときはすでにチケットが少なくなっていてM様が出演されるステージは

土曜日の昼の部しか無いと言うことでして、私は僅かな友人にしか誘いかけができません

でした。卒業式と重なってしまった家内は無念の思いの中にも断念せざるを得ず、私がもっ

とも観て欲しかった4人ほどの若者たちのうち3人が都合が着かず、その公演の前日にな

るまで休日がとれるかどうか解らなかった残り一人のため、無駄券になることを覚悟で2枚

のチケットを申し込んだのでした。結局、その友人は駄目になりましたが、当初、先約があ

って無理と思っていた娘が約束ごとが夜となったため、急遽一緒に行けるようになり、チケ

ットは無駄とはならなかったのです。

以上のようなことがありましたので、厚かましいお願いではございますが、次回、公演があ

るときはそれが日程が決まった時点でお知らせいただければ本当に有り難く存じます。

さて、公演初日の当日ですが、何と私たちは開演に遅れてしまったのです。これほど思い入

れをしていた観劇ですし、娘と二人きりのデートも久しぶりであり、うんと早めに阪神尼崎駅

まで行ってどこかしゃれた店でゆっくり昼食でもと目論んでいたのですが、急な用事が娘に

入って私たちは寄り道しなくてはならなくなり、十分間に合うと思っていたのに結局ホールに

着いたのは開演時間の5分後だったのです。

2階のロビーに駆け上がったときはすでにホールの入り口は閉じられ、見られるのは遅れ

た人達が20人ほど三々五々にたむろしている光景とテレビに映されている薄暗い舞台の

模様だけでした。10分ほど待たされた後、客席に着かないことを条件に中に入れてもらい

ましたが、舞台そでの壁際で観たことと、それまでのストーリー進行を知らないために今一

つ物語の展開が実感として伝わって来ないこと、みちなかホールのときとくらべて大人数で

大規模な仕掛けのミュージカルに変貌していることへの戸惑いなどがあって、最初のうちは

何か今ひとつ舞台への感情移入ができにくかったのに、奏でられる音楽の素晴らしさに自

然と魅了されていき、やがてM様が登場されてからは完全に舞台劇への虜となってしまい

ました。

最初は、出演者が多いことからM様を識別できるかなと不安に思っていたのですが、声を

お聞きしたときからもうすぐに判りました。本当に癖の無いいかにもM様らしい素直な優しい

お声で美しく、立ち居振る舞いも役柄にぴったりの上品で優雅なものでした。でもM様の本

当の演技力を堪能できたのは二日目の公演の時でしたが。

休憩後、初めて席に着けて観た後半はただこれ圧巻の連続でした。ストーリーもドラマティ

ックですが、舞踊、特に群舞の素晴らしさに圧倒され、舞台狭しとばかりに大勢が踊りめく

る中を一人のダンサーがターンを繰り返しながら真横に突き抜けていくところのスリリング

な様、これを眼が点のようになる、というのでしょうか、ただただ呆然と見果てておりました。

一部の方々を除いて出演者の多くは音楽家ではあってもプロのダンサーでは無かったでし

ょうに、どうしてここまで完璧な踊りができるようになるのだろうと、驚き呆れるばかりです。

どれだけ多くの厳しい特訓と涙のにじむような出演者たちの努力があったことだろう、と推

察いたしました。

そして何よりも素晴らしかったのが全場を流れる音楽でした。私の乏しいボキャブラリーで

はちょっと表現に困るのですが、無調音階的な面がありながら、秩序を計っていくように和

声的な美しさを伴う和音へとスーっと変化していくその絶妙さと単純ではない音楽構造に、

通常の聴きやすい音楽では得られぬリリシズムと何とも言えぬ人の魂を揺すぶるような重

さが感じられるといった音楽でした。それらが物語の進行に沿って交互に姿を現すといった

ようなその変幻自在さが不思議な感動を呼ぶ、といった具合でして、最後の方のモル・ロウ

教の巣窟でサラとレティシアの二人が歌うところでは涙があふれてきてしかたなかったで

す。

マニアックに音楽好きの娘が後で、「音楽というものは、それが奏でられるバックの情景な

どの助けを借りなくても、音楽の美しさだけで涙が出てくるものだよね」と申しておりまして、

娘も私と同じ様な感動を受けたのだな、と親子で同じものを共有する深い喜びを感じたもの

でした。娘はまた、かがみの「音楽はいい。言葉では表現できない心の動きを表現してくれ

る」のセリフを「何でも無いセリフのようにみえるけれど、あの場面ではとても心に染みいる

いいセリフだね」、と言っておりました。

娘も、二日目を観た家内も同じように「あれらの曲を全部、御崎さんが作曲されたの?」と

口にしたくらいでしたから、いかに二人が強い感銘を受けたことかお解りだろうと思います。

また御崎さんの作られた曲はプロとはいえども歌い手の人にとっては難しい曲だったので

はないかと思いましたが、どなたも本当に素晴らしく上手に歌われましたね。

勿論、歌唱力、演技力にそれぞれ多少の技量の差はあったとは思われますが、どなたにも

共通しているのは役柄に徹しておられてそれぞれの個性をはっきりと際立たせておられた

ことでして、しかも各皆さん、これは偶然でしょうが歌唱の声質までそれぞれ違っていて、こ

れには深い感銘を受けました。サラ役のSAKAIさん、モル・ロウ役のMORyさんはプロです

から当然としても、役者としてはプロではなかったと思われるM様をはじめとするその他の

人達が何と見事にキャラクターを鮮明にして歌い、演じられたことでしょう。ジャック役の江

村三貴子さんは素顔の写真を見ますと信じられないほど男役に変身しておられましたね。

「かがみ」役の中山康さんは役者としてプロなのではないでしょうか。

舞台のこしらえ(とでも言うのでしょうか、適切な用語を知りません)も文句無しに素晴らしか

ったです。本当に無駄なく効果的に、しかも効率よく一場一場を設定されていると思いまし

た。今年になって大阪芸術大学関係者による「魔笛」を観劇したとき、非常にモダンな舞台

こしらえに感銘を受けたものでしたが、「リア・ファイル」の舞台こしらえもそれとは全然趣は

違っておりますが勝るとも劣らぬ素晴らしいものでした。

生のオーケストラがあるというのも全然雰囲気が違いますね。あのような小ホールでオーケ

ストラボックスのスペースを用意するとは大変だったことでしょう。二日目の時は前から5列

目でしたので、音楽にあまりにも心が奪われたときは何度も真横を見てオーケストラの演奏

者達に視線がいったものでした。

そして指導者でもあり主役でもある御崎さんなのですが、作曲家としても素晴らしく、宝塚歌

劇の音楽指揮者としての地位を占めるくらいの指揮者としての力量をお持ちでいながら、役

者としてもまあ何と凄い歌唱力と演技力の持ち主でしょうか。おまけに声もスタイルも宝塚

歌劇の男役そのままで、まさにミュージカルの申し子とでもいうべき女性です。演技力とは

そう関係は無いのかも知れませんが、初日の時の最後の方でマイケルを抱くようにして泣

き崩れるビルのあの号泣は今までに私は舞台劇では見たことがないくらい迫力のあるもの

でして、打ちのめされるような圧倒感を感じました。御崎さんのこの「リア・ファイル」というミ

ュージカル作品へというよりも芸術に対する限り無いひたむきさがあのような演技とはとて

も思えぬ号泣となって表れるのでしょうね。ただ、日曜日のステージの時はいくらかトーンが

落ちておりましたが。

このような優れた芸術家を関西の音楽大学の作曲科から輩出したということに、別に私は

東京に対抗意識を持つタイプではありませんが、関西の人間として本当に誇らしく思いまし

た。

 

ミュージカルが終わった後、何ともやるせないような想いの心をアルカイックホールに残して

いき、娘と阪神尼崎駅についたのですが、そこから友人達との飲み会に参加するために垂

水に行く私は大阪に戻る娘と別れがたい気持ち、つまり、あの感動をもうちょっと語り合い

たい、という想いに駆られて二人して駅の喫茶店に入り、コーヒを飲みながら熱っぽい感想

を語り合いました。先述の娘の感想もこのときに話してくれたのですが、次の娘の言葉を聞

いて私は本当に我が娘、と思いました。

「御崎さんの音楽はありきたりの音楽ではない。でも誰もが解るような大衆的なものではな

いし、多くの人は何となくいいな、という程度で聴いているぐらいかも知れず、お父さんのよう

に深く感動する人の方が少ないと思う。また、お父さんが私に聴かせたがった気持も良く解

るし、今日は来て本当に良かったと思っている。お父さんは御崎さんにとって最良のファンじ

ゃない?」

自分の娘のことをこう申すのは何ですが、娘、裕美子は頭の中の九割以上を音楽に対する

思い入れに占められており、あらゆるジャンルの洋楽に興味を示し、社会人になっても休日

には心斎橋や難波、梅田の中古レコード店あさりに出かけていき、インターネットを通じて

海外のマイナーレーベル所属のミュージッシャンたちにファンレターを送ったりしておりま

す。その娘の感想文に感激するのでしょうか、海外のミュージッシャンたちから熱い感謝の

メールが届くくらい音楽三昧の人生を送っているのです。ロックやジャズについては人一倍

熱中する息子や、クラシック、ジャズには相当長い年月親しんだ私でも、いつも妹や娘の評

価を気にするくらい生まれつきの優れた音楽的感性を持っていると父と兄は裕美子のこと

を高く買っているのです。垂水で遅くまで飲んで帰宅したのが午前様でしたが、翌日10時

半ころ起きた私は昨日の興奮が収まらず、どうしてももう一度「リア・ファイル」を観たく、ま

た、家内にも観せてやりたいという思いをもだしがたく、立ち見席は許可してくれないだろう

なと思いながらも駄目で元々とアルカイックホールに電話したところ、何と当日券が10枚ほ

ど用意されているということを聞いたのです。発売は午後1時からということ。夢かと疑いな

がら、即座に私と家内は身支度をし、日曜日ならアルカイックホールまで1時間足らずで行

けると思ったので車で11時に出発しました。僅か10枚の枚数では少し並ばれたもうおしま

い、と思いましたので、1時間前なら大丈夫だろうと考えたのです。

走り慣れた抜け道を行ったのですが通常の休日よりは込んでいて、きっかり1時間後の12

時にアルカイックホールの駐車場に着きました。小走りに走りながらオクトホールの方に駆

けつけますと、勿論ホール入り口は閉まっておりましたが、ガラス張りの向こう側では赤い

服を着た場内係りの女性達が打ち合わせをやっております。そして嬉しいことにガラス張り

のこちら側には誰も立っておりませんでした。

ガラス戸をノックすると一人の係員が近づいてきましたので、ガラス越しに当日券の発売場

所を尋ねたところ、「発売は1時からです」と答えるのです。「いや、発売の場所を知りたい

のです」と言うと「でも、発売は1時からですよ」と再度言うので、「発売時間のことは知ってま

す。ただ、当日券が10枚しか無いと聞いたので今から並びたいのです」と答えると、呆れた

ような表情で時計を見、それから他の係員たちの群の中に引き返して戻って来、直ぐそば

のテーブルが置いている場所を指してそこだと教えてくれました。やれやれ一安心、とばか

り、私たち夫婦はそこに立ち並びました。

そうやって私たち以外には誰も来ない状況で30分ほど過ぎたころ、私たちと同年輩の夫婦

らしきアベックがやってき、あちこちをのぞき見しておりますので、当日券をお求めでしたら

ここに並ぶんですよ、と教えてあげますとお礼を言われて私たちの後に並びました。

感じの良いご夫婦でして、昨日もこのミュージカルを観たこと、あまりにも素晴らしかったの

で今日家内を連れてまた来たこと、当日券が10枚しかないことを話したところ大変びっくり

され、「指揮者の酒井先生に誘われて何気なく来たのですがこれは思いもかけぬ素晴らし

いミュージカルを観られそうで楽しみです」と言われるのです。色々お話を聞くと、お名前をF

さんといい、酒井氏が指導する芦屋室内アンサンブルに夫婦でバイオリニストとして参加し

ているとのこと、二人ともオペラは好きで何度も観たことはあるがミュージカルは初めてとの

ことでした。話しているうちに主人の方が「宝塚歌劇も一度観たいと思っているのですが、な

かなか勇気が出ませんでしてね」と言われるので、「それは絶対に観られるべきです、あん

な素晴らしくゴージャスな世界を知らないのは絶対に損ですよ」、と大いにけしかけ、「だい

たい、宝塚歌劇は女性の専売特許のように思いこんでいる人が多いですが、私に言わせて

もらえば宝塚歌劇の素晴らしさを味わえるのに男女の差なんかありません。お宅のように

舞台劇が好きで感受性豊かな男性がもっと多く観客層を占めるべきだと思いますよ」とまあ

たいした大見得を切って後で家内に戒められたくらいでした。

そのうちに一人の目を見張るようなハンサムな青年がやってきて、当日券を並んでいるの

ですか?と尋ねるので、そうです、と答えて10枚しか無いことも話しますと、お宅らは何枚

ほど買われるのですか、と不安そうに聞くのです。私たちは今並んでいる人数分だけしか求

めませんからお宅の分は大丈夫ですよ、と言うとその青年はホッとしたように後ろに並びま

した(いつの間にかに関係者然として振る舞っている自分に私は苦笑する思いですが)。後

で家内が、あの青年はきっとどこかの劇団の人じゃないかしら、と言っておりましたが、確か

にちょっとそこらでは見かけぬ際立った美形と独特の雰囲気を持った若者でした。

チケット売場のガラス戸はきっちり1時に開き、チケット2枚を手に入れた私たちは喜々とし

て食事に行き、芦屋の夫妻に教えられたアルカイックホールの21階の和風レストランで

少々高価ではありましたが美味しい昼食をいただき、食後コーヒも飲んで、昨日とは打って

変わった悠々たる気持ちで開演15分前にホールの自分たちの席に着きました。芦屋の夫

妻も隣席でした。

そして胸がわくわくするような中で待っているのに、5分過ぎてもオーケストラ団員達さえま

だ入場してこないのにいささかの不安を感じ、何かトラブルでも起きたのかしらと思い、これ

が昨日だったら良かったのに、とも思っているとやっとオーケストラの人達が入場してきまし

た。一人一人入ってくるのを凝視していてコントラバスの女性がどこかで見たことがあると思

い、もしかしたらと思って急いでパンフレットに目を通すと何と私の顧客である長谷川順子さ

んでした。奇遇でした。

いよいよオーケストラの演奏が始まり、期待感あふれる中、ミュージカル「リア・ファイル」は

始まりましたが、開演直後すぐに私は昨日遅刻して見逃した最初の10分間がいかに大切

なものであったかを痛感したのでした。ああ、何と夢のように素晴らしい出だしだったことで

しょうか。舞台中央に立つ二人に目を奪われているところに別のところからすっと人が照明

によって浮かび上がり、それに追い打ちをかけるように舞台横の踊り場に数人の人影がす

っと現れる、それはもう生の舞台劇でしか味わえない醍醐味で、スリリングで刺激的な演出

でした。

特に舞台横のグループが爆発の閃光の瞬間、突如姿を消した早業は驚くべきものがあり、

「あっ、消えた!」と叫ぶ後席の子供の声と同時に振り向いた私もそこに何も無い空間しか

見出せず、しばらくしてもぞもぞとそのグループが起きあがったとき、初めて床に伏せてい

たことに気がついたくらいの早業でした。開幕してから現代のリアルタイムの場面になるま

での僅か10分間で主人公ビルの生い立ちから現在に至るまでの状況が実に効率よく物語

られていることに感銘を受けました。

物語が本番に入ってきてからは、ストーリーの展開も出演者の歌う歌も演ずる演技も全部

知っているわけですから、昨日とは格段に違うドラマへの入れ込みと期待感が私にはある

わけでして、何もかもが心を躍らせる連続でした。

M様が出てこられたとき、前から5列目のところで見聞きしているのですから、その表情、

仕草の細かいところまでの動きもよく解り、その受けるインパクトの大きさは前日と比べると

格段のものがありました。椅子に腰掛けて夫と娘を見守るときの気遣わしげな目つきや顔

の動きは、M様も本当に役者だな、と思わせ、また、舞台中央に出てきて重唱をされたとき

のしゃんと胸を張って堂々とされているお姿を見ますと、これがあのおしとやかで古風な雰

囲気をいつも漂わせているM様かしらと、思わずお宅でのお姿とだぶらせてしまったもので

した。

家内は私のようにウエットなところが無いものですから、もうとにかくサミュエル教授が大の

お気に入りだったようで、教授が出てくるともうそれだけでケラケラ笑って、特にカーニバル

のシーンなんか始終笑い転げておりました。確かにカーニバルは笑いさざめく中での踊りで

あり、楽しいものという設定ではありますが、あんな素晴らしく迫力のある群舞を見て笑い笑

い転げられるものでしょうか。皆さんがどうとっただろうとハラハラする思いでした。でもサミ

ュエル教授もジャックも二人の女学生も素晴らしい演技でした。

私が今回のミュージカルの役柄の中で一番心に深い印象を残したのはサラという女性でし

た。爆弾テロという無差別大量殺人をしでかす憎むべきテロリストの役でありながら、その

悲しみ、絶望、愛への飢えをSAKAIさんは実に見事に演じきっており、それをお膳立てた

脚本も実に素晴らしいと思いました。

サラがフランクから愛を告白されたとき、呆然としてしまった後に吐く「とうとう、私は一人に

なってしまった」というセリフは本当に凄いです。この一言はサラのテロリストとしての救いよ

うのない孤独感をこれ以上無く言い表しているように思います。テロリスとして生きてきたこ

とで大きく傷つき、やり場のない悲しみを持った己の孤独感を共有できる唯一の仲間と思っ

ていたその相手が男女の愛ゆえにサラと行動を共にしていたということが解ったときのサラ

の絶望、私はサラのその後の運命を知っているだけにこのあたりからもう涙が出て止まり

ませんでした。そしてモル・ロウ教団内でレティシアを見いだしてからは彼女を魔の牙から救

おうとすることに必死となり、駆けつけたビルも巻き込んでカタスロフィーを迎えた局面でモ

ル・ロウ教団を道連れにして爆死する決意をする雄々しいサラ、サラを何とかして救おうと

説得するビルとのやりとり、テロリストとして生きてきた自分にはこれ以外の選択は無い、と

拒否し、ビルを救うために死ぬという意義を持てるこの幸せを知って欲しいと訴えるところな

ど、この間のシーンの迫力は音楽の美しさに相乗効果を得、それはもう瞬きもできないくら

いの圧倒さで迫ってきました。

私自身読んだのではないのですが、カミユの作品にロシア皇帝を暗殺したテロリストを扱っ

た小説があるそうで、友人から聞いたその物語のことをなぜか強く連想いたしました。

友人から聞いたその内容は、ロシア皇帝を狙ったその主人公は最初、そのチャンスが訪れ

たとき、そばにまだ子供である皇太子がいるのを見て道連れにするのを恐れて未遂のまま

引き返すのですが、それを軟弱だといって非難する仲間達に彼は「罪のない人間、しかも

子供などを巻き添えにして遂行するテロは正義に反する」と反論し、また、「どんな崇高な目

的であろうとも人間一人を殺しておいて自分の命は惜しむのは卑劣である」と信じて、結局

は爆弾を抱えて皇帝にぶつかっていき共に爆死する運命を選ぶのです。

サラに代表される無差別爆弾テロに対しての私の嫌悪感は強いものがありますが、このよ

うにテロリストとなっていく運命に陥る人間達の、特に強い良心を持った魂への深い痛まし

さというものをサラやカミユの主人公のような人間は強く感じさせてくれます。

新オペラ座は「音楽とストーリーとダンスとが完全に対等な存在としてある」ということを目指

してきているそうですが、この「リア・ファイル」のストーリーが問いかけてくる人間性の深淵

に関する単純ではない問いを受けるとき、そのかかげる理念は額面通りだと素直に納得さ

せてくれます。

言葉には言い表されないような様々な深い感動を与え続けてくれたこの「リア・フィアル」が

終わったとき、昨日にも増して(それは当然ですが)私は魂が抜かれてしまったような放心

状態に陥り、しばらく座席から身動きできませんでした。その後何日もその余韻は続き、日

常生活の随所において「リア・ファイル」の世界が脳裏に到来する状況は一週間以上過ぎ

た現在も続いております。予約したCステージのビデオが届いたならばさらに追体験がリア

ルなものとなることでしょう。音楽をまた聴けることもとても楽しみにしております。間違いなく

「リア・ファイル」は私にとって生涯の思い出に残る舞台芸術でした。

このような素晴らしい心の感動を与えて下さったことをM様や御崎様を初めとする新オペラ

座のすべての関係者の方々に深く感謝いたします。

そして最後にこれは非常に不躾なことを記しますが、新オペラ座をかけがえのないものと思

う一ファンの気持ちとしてどうかお心に留めて置いていただきたいことがございます。

新オペラ座の素晴らしさは今後ますます世の中に認められていき、より大きく発展して世間

の賞賛を多く得るようになっていくことと確信するのですが、それにともなってどのような組

織、団体も必ず陥りやすい運営上や人間関係での内訌にもしかしたら遭遇することがある

かも知れないことを私はひどく危惧します。M様もクラシックオペラの世界でその苦い経験

をなさったことを私に吐露してくださったことがございましたね。新オペラ座もいずれは団員

のふるいわけ、グレードアップを強いられてくる事態がやってこないでもありません。その

時、どうか皆様方が冷静に事に当たっていただき、この新オペラ座の素晴らしさを失わない

で欲しい、というのが私の願いでございます。M様のお言葉の端々から御崎さんへの深い

信頼感を感じ取っている私はこの気持ちをM様には伝えずにはおれませんでした。

草創期の現時点での皆さまのこの団結、心の結びつき無しではこの二日間私が味わった

深い感動を得ることは無かったでしょう。そのことをどうかM様から皆さまにお伝えをお願い

したく思ってます。とりとめのない長い手記、失礼いたしました。              敬具