7/19 2002掲載

心に残る人 豊川爺さんのこと by リワキーノ

「豊川爺さんのこと覚えてる?」

「何?豊川爺さんって」

「30年前の御影でのこと」

「ああ、あのお爺さんね」


アルバトロスクラブで「心に残る人」というタイトルでリレーエッセイを書くことを勧められたと
き、家内と取り交わした会話です。

そして私は30数年前にたった一度しか会ったことの無い行きずりの人のことを、しかも私

の口を通してしか知らない家内が覚えていたことに感銘を受けました。

 

今から30数年前、私たちが結婚する前のことでした。

家内が大学時代の恩師の命日に焼香に行くのに私は阪急御影の駅まで一緒に行き、

家内の恩師宅訪問の間、駅前の喫茶店で待つことにしたのです。

阪神大震災で最も被害甚大だった御影駅周辺はかつての落ち着いたお屋敷町の風格
のある景色
を完全に失ってしまい、その喫茶店も今は無いですが木造作りに床は石畳と
いうような
ヨーロッパ風の雰囲気を帯びたなかなかにお洒落な店でした。


店内は満席でウエイターに「申し訳ありませんが・・・」と断られかけたとき、すぐ傍らの2

人掛けテーブルに座っていた男性が「よろしかったらどうぞ相席を」と声をかけてくれた

のです。

見ると歳のころはもう70歳は過ぎているようなかなりの年輩で、アインシュタインのような

髭を生やし、夏というのに蝶ネクタイにジャケットを着込み、テーブルの上に置かれたパ

ナバ帽や反り返るような姿勢の良さなどが大変印象的なダンディな老紳士といった感じ

でした。

 

丁重にお礼を言って腰掛け、私がコーヒを注文し終えるとその紳士は「しばらく貴方とお

話させてもらってもよろしいですかな」と尋ねます。

私は家内を待つ間、持参してきた本を読むつもりだったのですが、どことなくエキゾチック

な雰囲気を持つこの老紳士に何か惹かれるものがあり、「ええ、結構ですよ」と応えました。

何か世間話みたいなことをしばらく話したと思うのですが、やがて名刺の交換をしたとき

に私がピアノ調律師であることを知ったその紳士は驚きの声をあげ、この御影にやってき

た目的を話し始めたのです。


その紳士の話によると、彼は画家であり、若いころから絵の勉強のためにヨーロッパに渡

り、やがて画家として食べていけるようになってからアメリカに行き、現在に至るまで生活

の根拠地はアメリカにあるが、時々帰国して友人たちと会っていること、そして今日はこの

御影に住む古い友人夫妻を訪ねていったこと、そこで友人の奥さんが弾くピアノを伴奏に

3人が思い出を共有した懐かしい歌などを一緒に歌ったりして大変良い気分で友人宅を

後にしたとのこと、電車に乗る前にこの気分をゆっくり噛み締めたく、ふと喫茶店に入った

ことなどを語るのでした。

 

当時まだ20代前半だった若僧の私ですが、この完全に老境に入ったと思われる年輩の

男性が語る話に何かオー・ヘンリーの短編小説の世界のような雰囲気を感じ、映画の素

敵な情景を見るかのようなロマンティックさを感じたのでした。

 

話し終えると「貴方の貴重な時間を取らせたようですな。それでは私はこれで」と言ってそ

の紳士は席を立ったのでしたが、勘定を済ませて出口を出るときに私の方を振り向いてパ

ナマ帽をちょっと脱いで挨拶する仕草は実に堂に入った絵になる姿でした。

 

恩師宅から戻ってきた家内にその老紳士のことを話したところ家内も惹きつけられたようで、

「私も会いたかったなぁ」と言いまして、その後、私たち夫婦の間では結婚後もしばらくの期

間「豊川爺さん」という呼び名でこの老紳士のことを話題にするようになったのでした。

ですからそれがやがて途絶えて何十年たった今、唐突にこの老紳士のことを思い出したと

き、その名がふと口をついて出てき、家内も御影と聞いたとき思い出したのでしょう。

 

豊川、画家、日本人、アメリカなどのキーワードを使ってインターネットで検索をしましたが、

何の情報も得られませんでした。恐らくもうこの世にはおられないでしょう。

豊川爺さんについては何も詳しいことは知りませんが、私にとって忘れえぬ人であります。