3/27 2003掲載

森脇久雄

姉mitikoの嫁の川島加代子さんが体験したことを手記にしたものです。 
 
 
『私の出産体験が授業になる!?』 By 川島加代子(ピザマンマ店主の妻)
(草土文化『子どものしあわせ』2003年3月号より転載)
 
先生からの電話
 
 昨2002年2月のある日、4年生の娘の担任の先生から電話がありました。子どもたち
の前で出産のときの話をしてほしいということでした。娘のクラスでは、命を考える授業
で、自分がお腹にいたときのことを親から聞き取りをして調べていました。先生とは、わ
が子4人のお産の話をしたこともあり、私に白羽の矢が当てられたようでした。
 娘の小学校では、すでに地域のさまざまな方が、ゲストティーチャーとして子どもたち
の前で話しています。でも、まさか自分もそのひとりになるなんて・・・。
 
妊婦体験エプロンを作って
 
 思春期にさしかかった子どもたちにどう話そうか・・・。
 一番上の娘は、産婦人科医院でのお産、下3人は助産院でのお産で、二番目は超ス
ピード出産。三番目は助産院まであと少しの車の中で自分で取り上げたお産。末っ子は
引き潮で苦しかったけど、家族みんなに見守られてのお産でした。助産婦さんから、「こ
れだけ違ったお産をした人も珍しいから、お産の語り部になってね」と、言われたことも
思い出しました。
 妊娠中に私がたいへんだったことは子どもたちにも体験してもらおうと思い、妊婦体験
エプロンを作りました。エプロンの裾を折って、着たときにちょうどお腹のあたりにくるよう
にポケットを付けました。そして、お米を3キロと4キロに分けて袋に入れました。
 それと母子手帳・腹帯も持って学校に向いました。
 
たったひとりの”あなた”
 
 先生から紹介があり、子どもたちの前に立ちました。
 私の話は、「みんなが今ここにいることは、あたりまえのように感じるかもしれないけど、
実はそうではありません。両親の出会いからの偶然が重なったからですし、たとえ精子と
卵子が出会ったとしても、必ずしも”あなた”が生まれてくるわけでもないのです。だから、
一人ひとりがたったひとりの、とっても貴重な存在なの」というところから始まり、子どもた
ちはドキッとしたようです。
 それからお米の袋を出して、3キロは生まれてくるときの赤ちゃんの重さ、4キロは胎盤
や羊水のだいたいの重さ、と説明して子どもたちに回しました。一周回ったところで、前に
いた男の子にエプロンを着てもらい、ポケットにお米を入れました。男の子は少々前かが
みになり、驚いた表情で「重い」と言いました。大騒ぎの中、他の子たちにも体験できるよ
うに、妊婦体験エプロンは置いてゆくからと話を続けました。
 
4人のわが子、それぞれのお産
 
 最初の子どものとき、生まれてすぐに抱いていて、看護婦さんが連れて行こうとしたら泣
いて、生まれたばかりなのに私のことがわかる!離れたくないと思ってる!と、出産のとき
のたいへんさを忘れてしまったこと。二番目のとき、お腹から出るぞ〜という赤ちゃんの生
まれようとする力の強さと、母親は生まれてくるのを手伝うだけだなと感じたこと。三番目が
車の中で出てきたことを、助産婦さんに「一番初めにお母さんに抱いてもらいたかったんだ
ね」と言われたこと。末っ子はみんながそばにいてくれて、へその緒をパパと一番上の娘が
切ってくれたこと。つわりのこと、母子手帳のこと、腹帯のことも話しました。
 
ありがとう、先生・子どもたち
 
 最後にそうやって生まれてきた命、自分もまわりの人もだいじにしてほしい。そして、これ
から先どんなことがあっても自分の手で命を絶つようなことは絶対にしないでほしい、とつ
け加えて終わりました。
 いくつかの質問に答え、教室をあとにしました。帰りながらどうだったのか不安にもなりま
したが、子どもたちの感想文を見て安心しました。ただ、痛かった、たいへんだったで終わ
らせたくないという思いは伝わっていました。私の話から命を考え、その尊さも感じてくれて
いました。家族への感謝の気持ちもたくさんありました。エプロンのおかげで妊娠中のたい
へんさも実感したようです。
 私自身いろいろふり返ることができいい経験になりました。こんなチャンスを与えてくれた
先生と子どもたちに感謝の気持ちでいっぱいです。
 
「川島さんのお母さんのお話を聞いて」(子どもたちの感想文)
 
  4年女子 N.Y
 今日、川島さんのお母さんに来てもらって、いろんなことがわかりました。わたしが知らな
いことがたくさんわかりました。わたしは赤ちゃんが生まれる時、うれしいという気持ちだけ
じゃなくてことばに表せないくらい、うれしいことがわかりました。
 赤ちゃんがおなかにいるとき、たくさんのてんてきとか、ちゅうしゃとか、うつのは、たいへ
んなんだなと思いました。
 赤ちゃんが生まれる時は、病院だけじゃないんだなと思いました。赤ちゃんの名前は、た
くさんのお母さんの気持ちや元気にそだってほしい気持ちがこめられているんだなと思い
ました。
 赤ちゃんは、おなかの中でずっとねむっているのかな?と思いました。
 赤ちゃんが生まれてくる時元気に生まれてくるのがいちばん大切なんだなと思いました。
赤ちゃんが生まれてきて、すぐに、うぶごえをあげて、元気に生まれてきてくれたら、それが
いちばんお母さんたちにとっては、ことばに表されないくらい、うれしいことなんだなと思い
ました。
 赤ちゃんは、お母さんのおなかの中から、お母さんに早くあいたいという気持とか、たくさ
んあって、自分から、でてくる赤ちゃんもいることがわかりました。
 わたしは、ぼしてちょうは、ただのてちょうと思っていたけど、お母さんたちの思い出や、わ
たしが小さい時の体重とか、たくさんかいてあるんだなと思いました。
 
  4年男子 K.K
 さいしょぼくは、男でよかったとおもいました。なぜかは、きつくて、いやなおもいをしなくて
すむと、おもったからです。
 けど、かわしまさんのおかあさんのはなしをきいていると、おかあさんのたいけんがだんだ
んしたくなってきました。そして、もし、おかあさんと、おとうさんがあわなかったら、ぼくは、
ここにいないというのがわかりました。そして、ぐうぜんぼくがうまれてきたので、ぼくは、ほ
んとうにうれしいです。
 それから、ぼくは、中やすみに、おかあさんのたいけんをしました。そのときにぼくは、お
なかにやく7きろぐらむはいっていたら、そうじをしているときに、たおれそうになってるかもし
れないくらい、おなかにふたんがかかってきました。
 そのときぼくは、また、女のひとじゃなくてよかったとおもいました。わけは、また、さっきと
いっしょです。そして、かわしまさんのおかあさんのはなしをきいていると、だんだん、せんせ
いのようにかんどうしてきました。そして、そのときぼくは、みんながせんせいがかんどうして
いることにわらっているのがふしぎでした。あかちゃんがうまれて、いいはなしで、かんどうを
しているのに・・・とおもいながら、かわしまさんのおかあさんのはなしをきいていると、だんだ
んなみだがでてきました。
 そして、おかあさんは、ぼくやおねえちゃんのために、苦しみながら頑張ってぼくたちをうん
でくれたんだなあ、とおもい、いままでの、おかあさんへのたいどを、あらためて、はんせいし
ていきたいです。
 そして、ぼくがわかってよかったとおもうことがなんこかあります。ひとつめは、おなかのふく
らみかたがひとりずつちがうということです。わけは、ぼくは、いつもおねえちゃんのほうがさ
きにうまれてきているから、おねえちゃんのほうがおなかがおおきいと、ずっとおもっていたけ
ど、ほんとうは、ぎゃくに、あとからうまれてきたほうが、おなかがおおきくなっているというこ
とです。
 二つめは、ぼくのおかあさんもそうだったけど、あかちゃんの、けんこうのためをおもって、
きらいなレバーやいろいろなものをたべてくれてるとわかると、ふたたびかんどうをしてしまい
ました。
 
  4年 川島めい
 わたしは、まさか自分の母親がくるとは、おどろきました。けれど、あたしが生まれてくるまで、
いろいろなぐうぜんやくろうがかさなっていたりしたけど、おなかの中の小さな赤ちゃんでも、
あたしのように心があってきもちがわかるんだなと思いました。
 だから、命は、大切であり、そまつにしたりしたらいけないと思いました。赤ちゃんとお母さん
のきもちは、つながっていて、いろんなくるしみやかなしみをいっしょにのりこえたりしながらい
きている。
 だから、お父さんやお母さんを大切にして自分も大切にしていきたいです。そして、うまれて
くる赤ちゃんたちも大切に命を守っていきたいです。
 さいきん、じことかさつじんとかふえているけれど、そんなことをしている人たちは、命の大切
さもわからないで育ったと思います。だから、さつじんなどに手をさしのべてしまい人をころした
りしてしまうんだと思います。だから命が大切だと思います。