「鉄道事故と京阪電車」 8/20 2003掲載
 

ニュースでご存知のとおり、昨日の夕方、京阪電車が寝屋川市駅と香里園駅の間の踏

み切りで乗用車と接触事故を起こしました。

淀屋橋行き特急電車が脱線、寝屋川市駅より一つ大阪よりの駅、萱島と香里園より三つ

京都よりの枚方市駅間が不通となって昨夜中の復旧は難しいとのこと。

急遽、大阪市内の会社に勤務する娘に携帯電話へのメールで事故のことを知らせ、こち

らから連絡するまで会社で待機するよう指示し、娘を困難なく帰宅させる方策を検討しま

した。

萱島駅前に住まわれる親しい顧客に電話したところ、萱島駅界隈は迎えに殺到した車で

大混雑。近づかないほうがよいとのこと。

車で近づけないのなら自転車で萱島駅まで迎えに行こうかと思いましたが、40分近くも

かかる距離(以前一度自転車で行ったことがある)、しかも帰りは二人乗りか自転車を押

して帰らなければならず、それならいっそうのこと京橋からJR学研都市線経由で星田駅

まで来させ、そこから私たちがかつて住んでいた寝屋川団地までの路線バスを利用させ

て寝屋川団地まで来させ、それを私が車で迎えに行くほうがいい、ということで娘にその

方法を伝えました。

私の住居から寝屋川団地までは部外者の知らない複雑な裏道があり、周辺道路でどん

な突発的な渋滞が起ころうと関係なしに行き来できるのです。

最悪、JR星田駅周辺が同じ思惑を持った人たちの車で大渋滞となっていた場合は、私

は寝屋川団地内に車を置いて、往復小一時間ほどの徒歩で星田駅まで娘を迎えに行く

ことができるのです。

この策は大正解でした。

娘は予測よりもはるかに早く星田駅に到着、すぐにバスに乗り込むことができた、と電話

してき、15分後には私は寝屋川団地バス停で娘を迎えることができたのでした。それは

午後9時半でした。

 

今から20年ほど前に枚方公園駅近くで置き石のために京阪電車が脱線転覆するという

大事故が起き、大勢のけが人が出たことがありました。京阪電車は置き石をした中学生

たちの親に損害賠償の訴えを起こしたそうですが、それぞれの家庭の生活を壊す可能性

を考慮し、かなりの減額をし、しかもかなりの長期に渡る分割払いということで落ち着いた、
ということを記憶しております。私はこの京阪電車の温情的措置に深い感銘を受け大変

高く評価したものであり、当時京阪沿線に住んでいた多くの人たちがこのことを記憶して

いることと思われます。

多分、今回も京阪電車は同じようなやり方を踏むのではないかと思います。

 

私は昭和44年6月に関西に来、そのときから住居は何度か代われどもずっと京阪沿線に

暮らしてき、京阪電車を利用してきていますが、ただの一度として京阪電車で不愉快な思

いをしたことがないのです。たまにしか利用しない他の会社線では駅員の対応に何度か

いやな思いをした経験があるのに生活に仕事にと34年間利用し続けた京阪電車で一度

として不愉快な経験をしたことがないというのはこれは凄いことだと思われませんか。

私も娘も財布を忘れて京阪電車の駅でお金を一時借りた経験がありますが、いずれのと

きも対応はとても丁寧なものでした。こういう長年の経験から私たちは京阪電車を深く信

頼し、愛着さえ抱いているのです。

娘も同じような思いを抱くのでしょう、京橋駅で駅員に詰め寄る人たちを目撃して激しい義

憤を感じたようでした。