9/5 2003掲載

03.05.29 森脇

昨日はお電話を頂戴し、大変懐かしく存じました。

今朝、小説の校正刷りが届きました。

出版前の本の校正刷りを見るなんて初めてのことでして、しかも翻訳のお手伝いをさせても

らうとは光栄に思っております。

昼食時間のときに33ページまで読ませてもらいましたが、面白そうでこれから読み進めていく

のが楽しみです。

とりあえず、お尋ねになった二点について現在の時点で分かったことだけお伝えいたします。

 

(1) mecanism a etrier(60ページ)

 

etrier’の単語の意味が解らないのですが(英和辞典に無し)、その前の「その大発明であ

る」と言う言葉から推測するに多分、エラール社が発明して、以後すべてのピアノメーカーがグ

ランドピアノに取り入れたレペティションレヴァー(repetition lever)機構のことと思われます。

ヨーロッパのピアノを主にオーバーホールする私の尊敬する技術者も、エラールの大発明といっ

たらそれしか思い当たらない、と言っておりましたからまず間違い無いと思います。

 

レペティションレヴァー機構とは、ピアノの鍵盤を打鍵した後、沈んだ鍵盤の深さの底から三

分の一のところまで戻った時点ですぐに次の打鍵が可能な機構のことです。

 

それまでのピアノは鍵盤をかなり上まで戻さないと次の打鍵ができなかったので、早いトリル

(同じ鍵盤の連続打鍵)が可能となったレペティションレヴァーの発明はピアノ製作史上画期

的なものとされています。

ただし、この機構はグランドピアノだけのものであり、アップライトピアノ(竪型ピアノ)は構造的

に取り付けが難しいため現在もレペティションレヴァー機構を使用しておらず、鍵盤をある程

度定位置近く戻さないと次の打鍵ができません。

この機構の語彙の適当な日本語訳ですが、ダブルスプリング、という言葉を使う人もあります

が、大多数の調律師はレペティションレバー(レヴァーではなく)という読みを使用しています。

調律師だったらその言葉で十分意味が分かります。

 

(2)ジンメルマンZimmermanグランドピアノ(102ページ)

 

>訳者が調べても、このフランス製のジンメルマン(?)というピアノは実在したのか分かりません

でした。ご存知ですか?

 

私はおぼろげに記憶しているだけの名前のピアノでしたので、先述のピアノ技術者に尋ねたと

ころ、確かにそのピアノは実在し、日本でも何台か見たことがあるそうですが旧東独製のよう

でフランス製のものがあったのかどうかは分かりませんでした。

読みはチンメルマンというそうで、これは私がインターネットで調べたのですが、旧東ドイツ製と

いうことがどのサイトでも記されておりました。先述の技術者も「あまり良いピアノではない」と

言っておりました

 

http://www.kyoto.zaq.ne.jp/piano/daisousa.htm

http://www.morita-piano.com/jp/expe/expe.html

http://homepage2.nifty.com/sakura-classic/tokusyu/piano1.htm

 

また何か分かりましたらお知らせします。

 

ところで、貴女からこの依頼(ピアノ調律師が主人公の小説の翻訳でゲラ刷りを送っていただ

き、相談を受けた)を受けたことを同窓会HPに簡単に紹介するのは差しさわりがありますで

しょうか。

もし、問題が無いようでしたら、下書きを貴女に見てもらって了解を得た上で掲載したく思い

ます。

不都合なようでしたら勿論遠慮なくお断りください。

それでは調律に関する記述で気づいた点があればチェックし、読後の感想と一緒にお送りい

たします。

 

上京は東京修猷会同窓会(11/29)のときに行く予定ですが、沙絵さんはお忙しいことでしょ

うね?ご都合がつくようでしたらお父様と一緒に同窓会に来られてはいかがですか?

 

03.05.29 安田

こんばんは。

さきほどは、わざわざお電話もどうもありがとうございました!

ちょっとバタバタとしていたので、せかせかした応対になってしまって、

申し訳ありません。

 

とても細かいご説明を、本当にどうもありがとうございました。

etrier (eの上には左下がりのアクセントがついています)はフランス語で、鐙(あぶみ)の意味

があります。ほかにはU字金具とかUボルトとか、そういう金具の意味あいです。つまりフランス

語でmecanisme a etrierをそのまま訳すと、あぶみ構造≠ンたいな感じなのですが…。

レペティションレバー、ふむふむ、なんだか当てはまるような気がします。

 

それからチンメルマン、なのですね!

でもドイツとは・・・訳者の単純な間違いでしょうか。確認してみます。

 

HPに掲載とのこと、もちろん、わたしは構いません(ちょっと恥かしいですが)。

下書きチェックなんて無用です。

本ができあがった際にはぜひ、みなさんにも読んでいただきたいですし。

なんといっても調律師のお話ですし!

読書家の森脇さんにこの本を読んでいただけるのは、ほんとうにとっても嬉しいのです。

ちなみにタイトルはまだ仮ですが、ずばり『調律師』になりそうな気配です。

 

11月に同窓会があるのですね。

修父がいやがらなければ、(こっそり)参加させていただきたいな…。

 

ではでは、お忙しいところ本当に恐縮ですが、休憩にでも物語を楽しんでいただければ幸い

です。

不明点がありましたら、なんなりとおっしゃってください。

どうぞ宜しくお願い致します。

 

03.06.12 森脇

『調律師の恋』を読み終わりました。

ゲラ刷り原稿を頂戴してから多忙な毎日が続きまして読み終わるのに日数がかかってしまい

ました。

 

まず、感想ですが、大変面白かった、興味深かった、著者も述べてますが映画化するに実

に適した作品である、調律師が主人公の小説がついに出たか、等等、色々感じました。

ビルマの自然と風俗の描写が素晴らしく、今までさほどでなかった彼の地への深い関心を引

きたてられ、実際に私もビルマの奥地、シャン地方へ行きたくなりました。マラリアに罹る恐怖

心はありますが。

特にナッシュ=バーナム大尉に案内されてプウェを観にいき、踊り子の長い舞踊に魅了され

るシーンは英国人たちの感きわまった表情とその光景が目に浮かぶような気がいたしました。

私もそのようなものに深く耽溺する面があるのです。エキゾチックなものに惹かれるというのとは

一寸違う感覚なのですが。

 

それとキャロル少佐の、現地に着くまで開封を禁じたピアノ移送の記録文はファンタジーとで

も言いたくなるような素晴らしいものです。著者、それも医学生が実際にそんな体験(グラン

ドピアノを未開の地で移送すること)をしていなくてあのような状況を想像することに驚嘆の思

いです。ピアノの重さ、その移動の大変さをよく知る調律師が読んでいて圧倒されたのですか

ら。

エラールのグランドピアノという近代ヨーロッパの文明を象徴する楽器が思いっきり土俗的な南

方の未開地を運ばれて行くそのシーンはもうそれだけで幻想的であり、映像化すればどのよ

うな効果があることだろうか、実際に見てみたいものだ、と思いました。

ナッシュ=バーナム大尉、キャロル少佐。この二人のキャラクター設定はなかなかに味のある

ものですね。

バーナム大尉と調律師、そしてキャロル少佐と調律師の会話は私なんかがひどく惹かれるト

ーンが全部にわたって流れています。英国人らしく節度がありながら、また、魅了されるもの、

共感するものにはとことん耽溺していくというタイプの男の性分がよく描かれていると思いまし

た。このあたりの会話の雰囲気が素晴らしく感じるのは翻訳者の功績によるところも大きいの

でしょうね。

ピアノの蓋を大開きにすると窓の外を流れる川が鏡面のような蓋の裏側に映るのを見て、こ

れもキャロル少佐が意識してその位置を選んだのか、という調律師の想像するシーンも印象

深かったですね。

高い美意識を持った男たち同士が感じあうシンパシーとでもいうべきものが常に醸し出されて

いるような雰囲気があります。

そういう意味で安田さんはこの本を男性的小説と仰ったのでしょうか。

 

調律師のキャラクターについてですが(私とはかなり性分の違うタイプの人ですが)、実際に

このような夢想家的要素を持った調律師は結構います。

私の大好きな一人の変わり者の調律師が滋賀県の長浜市にいるのですが、彼が古いエラ

ール製ピアノ(エラール製といえばすべて古いに決まってますが)を手に入れたということを昨夜

の会合で仲間たちから聞きましたので今、電話したところ不在でした。

クララ・ハスキルという女流ピアニスト(マリー・ローランサンの描く婦人画像のように美しい女性

ですが今、生きていたら108歳!)に永遠の思いを捧げ、生涯独身で通しているロマンチスト

ですが、やはりエラール製ピアノにも深い思いを抱いているようで、このエドガーという調律師

はその男のことを思い出させるところがあります。多分、彼は今夜帰宅して私から電話があっ

たことを聴いたらきっとかけてくることでしょう。

彼ならこの本を読んでどんな思いになるだろう、と興味津々です。

調律師はピアノのことだけでなく、あらゆることに通じてなくてはいけないのだ、と主人公の師

匠が言ったという言葉、私は心底共感いたします。

 

調律師の作業についての記述は大半がごく自然に描かれており、特に工具類の日本語訳

は完璧でした。翻訳者はどなたか調律師からアドバイスをもらわれたのでしょうか?

ただ記述にかなり疑問に思う点もありました。それについては別のところで述べさせてもらいま

す。

mecanisme a etrierですが、その後小説を読んでいくうちに私が推測したレペティションレバ

ー機構のこととは違う、別個の仕組みのようにも思えてきました。

しかも、私がメールで教えて差し上げたレペティションレバー機構についてはこの主人公の口

から説明されている箇所があります。お気づきにならなかったですか?

そのことについても別のところで述べます。

 

読み終わるまで著者がどんな人か知らなかったのですが、調律師としての描き方とその心理

描写があまりにもリアルなので途中、読みながら著者は調律師なのか、と思ったくらいです。2

6歳の医学生と知って驚きました。

 

最後に、キンミョーという女性のことで一言。

私が2年前に淡い恋心に近いものを感じた女性に雰囲気がそっくりです。その女性も私より

17歳年下です。井倉里枝さんのことではありませんよ。念のために。

エドガーの淡い思い、恥じらい、戸惑いの気持ちがよく解ります。

 

さて、別のところで述べる、というのは、安田さんからお尋ね受けた点がはっきりと解明できな

かったので日本ピアノ調律師協会本部の事務局に今メールで問い合わせをしているその内

容をそのまま安田さんに転送することですので、それをご覧になっていただけますでしょうか。

別便で転送いたします。

私の尋ねごとメールについては協会本部の事務局員から返事メールが来、ヨーロッパのピアノ

の歴史について調べているプロジェクトチームが協会内に存在しているのでそこのリーダーとな

っている人に私のメールを回した、という内容でした。

何らかの対応があると思いますのでしばらくお待ちいただけますか。

 

>HPに掲載とのこと、もちろん、わたしは構いません(ちょっと恥かしいですが)。

>下書きチェックなんて無用です。

 

有り難うございます。

全部読み終えたことですし、今夜でも早速掲載させてもらいます。

 

>本ができあがった際にはぜひ、みなさんにも読んでいただきたいですし。

>なんといっても調律師のお話ですし!

 

自信を持って皆さんに推薦します。

 

>ちなみにタイトルはまだ仮ですが、ずばり『調律師』になりそうな気配です。

 

昨日、調律師協会の会合がありましたのでみんなにこの小説のことを話したのですが、仮題

の「調律師の恋」というタイトルは止めて欲しいな、という意見が大半でした。

 

>11月に同窓会があるのですね。

>修父がいやがらなければ、(こっそり)参加させていただきたいな…。

 

是非、是非、是非、参加してください!

お父上のことは何とでも説得いたします。

 

03.06.12 森脇

日本ピアノ調律師協会本部に送ったメールの写しです。

ご参照ください。

述べている絶対音感を持つから音叉無しで調律する、ということについての疑念は私の拙文

「ピアノ調律師の雑話」の1ページのところをご参照してくだされば幸甚です。(ワードファイル

を添付しておきます)

 

********************************************************************

 

事務局の渋谷様

 

関西支部所属の森脇久雄と申します。

先ほどは突然のお電話を失礼いたしました。

 

お電話で申し上げましたように、ピアノ調律師を主人公にしたアメリカの小説が角川書店か

ら出版されることになりました。

その編集担当に私の友人の娘が当たっており、調律についての専門知識で分からないことを

尋ねてきましたが、私にも判明のつかないことがらがあり、それを協会事務局の皆様のお力で

調べていただけたらと思いましてゲラ刷り原稿の一部をまる写しして送らせてもらいました。

ご多忙ななか恐れ入りますが、よろしくお取り計らいいただけましたら幸甚に存じます。

 

ストリーは19世紀後半のビルマの奥地にあるエラール製グランドピアノの修復作業に向かうイ

ギリス人調律師の物語です。

編集者が尋ねてきたことがらが二つほどあるのでその質問と関連のある箇所の文章と肝心な

語彙を青色をつけて記します。

 

質問1

エラールの大発明と言われるメカニズム・ア・エトリエとはどんな仕組みなのでしょうか。

 

(小説の文章)

「そこから列車でパリに行った。もちろんセバスチャン・エラールが第二の故郷とした町で、一度

は行きたい夢に見たパリだったが、着いたとたんに南行きの列車に乗っていた。なるほどフランスの国土は美しい。車窓から見ても、光り輝く牧草地に、ブドウ園、ラヴェンダーの畑もある(フランスといえば香水だからねー帰りにはお土産に買っていここう)。しかしフランス人については、あまり誉めたいとは思わない。たまたま出会ったフランス人は、誰もセバスチャン・エラールの名前さえ知らないのだ。その大発明であるmecanisme a etrierのことも知らない。そんな話をしたら、へんなやつだという眼で見られた。」

 

私(森脇)はエラールの画期的な発明と聞かれたら調律師の大半はまず、レベティションレバー機構を思い浮かべると答え、その仕組みを分かりやすく説明してすぐにメールを送ったのですが、その後、原稿を読み進めるうちに下記のいくつかの文章に出会い、mecanisme a etrierがレペティション機構のことを指してはいないのではないか、と思いだしたのです。

なお、フランス語が堪能な編集者からの返事メールに記されていたのですが、etrierとは、

「etrier (eの上には左下がりのアクセントがついています)はフランス語で、鐙(あぶみ)の意味があります。ほかにはU字金具とかUボルトとか、そういう金具の意味あいです。つまりフランス語でmecanisme a etrierをそのまま訳すと、あぶみ構造≠ンたいな感じなのですが…。」

だそうです。

 

(小説の文章)

「エラールの発明はピアノの構造に革命をもたらした。ダブルエスケープメント・レペティション・ア

クション、メカニスム・ア・エトリエ、ハンマーを一つずつレールに取り付ける方法(ブロードウッドの製品では六個単位で取りつけられる)、アグラフ、ハーモニック・バー、いずれもエラールの創意による機構である。」

「彼はピアノに手をすべらせた。『1840年製エラールのグランドピアノ。これはセバスチャン・エラールのパリの工房で製作されたもので、めずらしい、と言えましょう。ロンドンに出回っているエラールは、たいていロンドンの工房で作られています。仕上げはマホガニー材ですね。内部にはダブルエスケープメント・レペティション・アクションという構造がありまして、これはハンマーを持ち上げて弦を打たせるレバーの組み合わせを言います。打弦したハンマーが、すぐに戻れる、つまり逃げられる、のです。この構造はエラールが特許をとったものですよ。』

 

質問2

フランス製ジンメルマン(?)Zimmermanというピアノは実在したのでしょうか?訳者が調べてもこのピアノの実在を確認できなかったそうです。

 

私(森脇)が知っているのは東ドイツ製で同名のピアノだけで、調律師は普通チンメルマンと発音する、と答えておきました。インターネット検索で随分探したのですが、フランス製のZimmermanピアノのことについての記述はついに発見できませんでした。

以下、少しでも手がかりになるものがあるかも知れないと思いまして、文章を長く引用しました。

 

(小説の文章)

「何千というブルジョア階級の人間が国外に逃げ、あるいはギロチン台の露と消えた。だが知られざる事実が一つある。逃げた者も殺された者も、あまたの工芸品を残していた。その中には楽器も含まれる。フランス趣味について議論は多々あるとしても、学者や音楽家が首を斬られて阿鼻叫喚の革命のさなかに、音楽を守ろうと考えた人間がいたことは記憶にとどめられるべきだろう。臨時の芸術委員会が設立され、<コメディ・イタリアン>で二流のバイオリニストだったアントニオ・バルトロメオ・ブルーニが、収集管理の責任者となった。十四ヶ月にわたって彼は罪に問われた人々の旧蔵品をさがし求め、三百を越える品を回収した。いずれにも悲劇の物語がある。たとえば偉大なる化学者アントワーヌ・ラヴォワジェは、生命とフランス製ジメルマングランドピアノを恐怖政治のために失った。そのほか現存して演奏される無数のピアノに、似たような曰く因縁がついている。その中に六十四点のピアノフォルテを数える。それをフランス製にかぎると、エラールが最も多く、十二点である。これがブルーニの好みと犠牲者たちの好みのどちらを映すものなのかはともかく、この暗闇に光る実績こそ、第一等のピアノ製作者たるエラールの名声を後世にまで残すこととなった所以だろう。」

 

次にこれは編集者から質問はされていないのですが、読んでいて解せない部分がありましたのでその箇所を青文字化して文章を記し、私の疑問を記させてもらいます。これについて協会の皆様がたのご意見をお聞きいただけると有り難いのですが。編集者もこの本を調律師が読んでどう思うかということにかなり強い関心を持っております。

 

(小説の文章)

「『商売道具はこんなものです』と、エドガーは鞄をあけて、中のものをベンチにならべた。『基本セットだけを持ってきました。これがチューニングハンマー。こういう先の細いドライバーは何かと便利に使えます。ええっと・・・あとは、そうですね、キーを緩めるプライヤー、キースペーサー、ベンディングプライヤー。ダンパー調整の鏝が二つ、スプリング調整フック、パラレルプライヤー。薄型のキャプスタンスクルー調整ドライバー、エラールの専用です。これがないとハンマーの高さを合わせられません。音叉は持ってきていませんが、私の絶対音感で代用します。

 

パラレルプライヤーとは私は聞いたことが無い名前の工具ですが、どなたかご存知でしょうか。

 

「音叉は持ってきていませんが、私の絶対音感で代用します」の記述は私がひどく抵抗感を感じたところでして、こんな調律師がいるでしょうか。確かに、最相葉月の『絶対音感』という本には1ヘルツの誤差を聞き分ける能力の子がいることが記されていたような気がしますが、代用する、と断っているところを見ると英国では音叉を使っているようにも見受けられるし、第一、修復のために様々の工具を持ってはるばるビルマあたりまで行く調律師が音叉を持参しないなんてあまりにも不自然です。

調律師がこの小説のこの記述を読んだとき、うそ臭く感じないだろうか、また、一般の人が読むと音叉無しで調律できるのかと思い込むのでは、という不安があります。編集者は私の親しい友人のお嬢さんであり、相談された手前、少しでもこの本のダメージになるようなことは取り除きたく思いますので、他の調律師の皆様がたのご感想をお聞きしたく思ってます。

色々、記しましたが、お調べのうえ、お応えいただけたら大変有難く存じます。

 

03.06.21 森脇

小説『調律師の恋』でお尋ね受けた件ですが、今日、ヨーロッパのクラシックピアノを専門に修復している有名なピアノ技術者にアドバイスをもらいましたので、お知らせいたします。

その調律師の名前は山本宣夫さんといい、大阪府堺市在住でクラシックピアノに関しての第一人者であることは業界で誰一人知らない者がいないほどの技術者です。

日本におけるピアノフォルテ(ベートーベンやモーツアルトの時代のピアノを一般にそう呼ぶ)の演奏会が開催されるときはたいてい山本氏所蔵のピアノが提供されております。彼のコレクションにエラールのピアノも数台あるそうです。

 

以下は、調律師協会本部に送ったメールを彼にも転送したことへの彼の返事です。彼は長いこと大阪を留守にしており、また明日から大阪を離れますので忙しく、コメントのすべては電話で私が聞いたことの再現です。

 

まず、

 

質問1

エラールの大発明と言われるメカニズム・ア・エトリエとはどんな仕組みなのでしょうか。

 

小説の文章と’鐙’の訳を考慮して検討したところ、メカニズム・ア・エトリエはレペティション機構の中に使われているL字ジャックのこと以外、該当するものが無い、というのが山本氏の意見です。そう言われてみればL字ジャックは鐙の形に似ております。

つまりレペティション機構の中の一機能、ということです。

 

質問2

フランス製ジンメルマン(?)Zimmermanというピアノは実在したのでしょうか?訳者が調べてもこのピアノの実在を確認できなかったそうです。

 

山本氏によれば、フランス製Zimmermanは歴史的に実在したそうです。

アメリカで出版されたピアノの歴史を記した本に、フランスでZimmermanというピアノメーカーが1789年に創立されたことが記されているそうです。フランス革命が1793年ですから小説の記述と時代的に合致します。同名の東独製(1880年創立)よりも歴史が古いとのこと。

読みについてはフランス語でどう言うのか知らないそうです。

 

パラレルプライヤーとは私は聞いたことが無い名前の工具ですが、どなたかご存知でしょうか。(森脇質問)

 

これも山本氏によればエラール製グランドピアノの独特の仕組みを調整する工具で、彼は自分でこれを調整する工具を作ったとのこと。

一般の調律師がその名前を知らないのは当然、だそうです。

 

「音叉は持ってきていませんが、私の絶対音感で代用します」の記述は私がひどく抵抗感を感じたところでして、こんな調律師がいるでしょうか。確かに、最相葉月の『絶対音感』という本には1ヘルツの誤差を聞き分ける能力の子がいることが記されていたような気がしますが、代用する、と断っているところを見ると英国では音叉を使っているようにも見受けられるし、第一、修復のために様々の工具を持ってはるばるビルマあたりまで行く調律師が音叉を持参しないなんてあまりにも不自然です。

調律師がこの小説のこの記述を読んだとき、うそ臭く感じないだろうか、また、一般の人が読むと音叉無しで調律できるのかと思い込むのでは、という不安があります。編集者は私の親しい友人のお嬢さんであり、相談された手前、少しでもこの本のダメージになるようなことは取り除きたく思いますので、他の調律師の皆様がたのご感想をお聞きしたく思ってます。

 

これについては、山本氏は次のように述べております。

 

19世紀の時代には今ほどピッチ(音高の基準)の正確さに神経質ではなく、今、考えられているほど平均率調律が行き渡っていたわけではない。

逆に音感のずば抜けて鋭い調律師は平均率にこだわることなく己の耳に心地よい調律法を自分の聴覚に刻み込み、施した可能性は十分に有り得ることであり、19世紀半ばに生きる調律師の物語にそのような自分の絶対音感を頼りに調律するが描かれているというのは決して不自然ではなく、自分は(山本氏)むしろ、そのように描かれている方が時代性を表していると思う、とのこと。

 

「その小説、楽しみですねぇ!絶対に読ませてもらいます」と山本氏は自身、エラールを深く愛する調律師ゆえに、このような小説が出版されることに大変な興味と期待を抱いております。

 

以上です。

 

03.06.23 安田

先週は丁寧なメールをどうもありがとうございました!

金曜から北海道に行っておりまして、

お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。

 

どれも、すばらしい答えで感動しています。

すでに絶対音感の部分などはトルにしようかと

訳者と話していたのですが、(彼もここは不自然だと感じていたようなので)

でも今回の山本さんの新しいご意見を伺って、

とても参考になりました。

なるほどなるほど、という感じですね。

 

しかもエラールをお持ちだということ。

わたしも一度は見てみたいです。

インターネットで写真は検索してみたのですが、本物のオーラというか、それを生で感じてみた

いですね。

 

これだけ調律師の方の目を通していただければ、もう怖いものなしですね、と訳者と力こぶを

立てています。

本当にありがとうございます。

 

じつは刊行が8月には入りそうなのですが、見本ができましたら何冊か送らせていただきま

す。

今回のお礼の代わりですので、受けとって頂ければ嬉しいです。

 

それから余談ですが実は今日、

父の中学校からの同窓生である、江口展之さんにお会いしました。

同僚の編集者と仕事をされるということで、来社されていて。

わたしは初対面だったのですが、お話を伺って、ほんとうにびっくり。

修猷館サイトの威力はすごいですね…。

 

じっとりとした日が続きますが、(梅雨時のピアノって、どんなふうなのでしょうか?)どうぞお身

体をご自愛のうえ、お過しください。

 

03.06.23 森脇

ご丁重なメールを有り難うございます。

 

>すでに絶対音感の部分などはトルにしようかと

>訳者と話していたのですが、(彼もここは不自然だと感じていたようなので)

>でも今回の山本さんの新しいご意見を伺って、

>とても参考になりました。

>なるほどなるほど、という感じですね。

 

ただ、お断りしておきますが、山本氏のはかなりマイナーな意見だと思います。大多数の調

律師は私と同じような反応を抱くと想像されます。

でも、調律師を対象に出版する本じゃないのですから、このあたりは著者の文章に忠実であ

ってもよろしいのではないか、と思います。

少なくとも古典ピアノの専門家が肯定しているのですから。

 

>しかもエラールをお持ちだということ。

>わたしも一度は見てみたいです。

>インターネットで写真は検索してみたのですが、

>本物のオーラというか、それを生で感じてみたいですね。

 

それを見に関西にいらっしゃいませんか?

山本さんも多忙でしょっちゅう出張しているみたいですが、前もってわかれば時間を空けてくれ

ることと思います。

 

>じつは刊行が8月には入りそうなのですが、

>見本ができましたら何冊か送らせていただきます。

>今回のお礼の代わりですので、受けとって頂ければ嬉しいです。

 

変に辞退するとかえってお気を遣わせるかもしれませんのでお言葉に甘えて、それでは2冊だ

けお送りいただけるでしょうか。

1冊は山本氏に進呈したく思います。

刊行が8月とは、調律師協会会報へのこの本の紹介を急がなければなりません。