ピアノ調律師の雑話 A

                                                                   森脇 久雄

 

 今回は、演奏会において私がピアノ調律師として経験してきた様々なエピソードを記すことを前回「雑話@」でお伝えしていたのですが、昨年夏、花井淳也さんが芸術についてML上で私に寄せられた質問に対して、私はその答えを書きかけたまま1年以上もほったらかしにしており、それについて書き上げたものを今回は掲載することにしましたのでご了承ください。

 花井さんが私に問いかけてこられた事の起こりは、昨年夏、和歌山で劇団フルサトキャラバンのミュージカル公演を鑑賞の後、アルバトロス・クラブメンバーでの飲み会のおりに談じられた他愛も無い芸術論からでした。私が「芸術は大衆受けしたものより、一部のエリートの共感を得たものが結果的には残っていった」といった発言をしたらしく、花井さんは「フルサトキャラバンの演じるような庶民的ミュージカルなどもやはり消えていくのでしょうか?」と尋ねてこられたのです。この花井さんの電子メールを見て、私が軽率な表現をしたことを後悔し、それを弁明するために記したのが以下の文です。当初はML宛電子メールで記したので、関係ない部分は省きました。

 

勿論、大衆受けする芸術は後世に残らない、と言うつもりはなかったのです。

ロッシーニやベルディなどのイタリア歌劇は、初演当初から絶大なる大衆の支持を得ましたし、ドイツ歌曲の至宝と言われるシューベルトの歌曲は、当時は一種の流行歌みたいなものでした。

オペラでも歌曲でも内容は歌の集合ですから、人はその中の好きな一節を日常生活で口ずさみ、その原曲が民衆に広く知られていったのだと思います。いずれも時代を超えて偉大なエンターテーメントとして残っております。

ただ、芸術の世界では時代を先取りしていく、あるいはその時代の精神と感受性を大きくはみ出した創作者達がいます。文学や思想の世界でもそうですね。

これら天才達のもつ至高性と前衛性は、だいたい、同時代の一般大衆には理解しにくいものがあり、一部の人達の中で細々と記憶が伝えられていき、やがて後世に花開くといったことが多い、という意味で私は言ったのです。(これについては後のほうでもう少し詳しく説明いたします)

音楽の父と言われるヨハン・セバスチャン・バッハは、昔から今のように多くの人達に知られていたわけではなく、カンタータやミサ曲などの宗教音楽は教会で演奏されてはいたでしょうが、バッハの膨大な作品のかなりの部分を占める器楽曲、管弦楽曲が大衆に浸透していったのはほんの前世紀末からのことでして、ランドフスカとかカザルスという卓越して感性の優れた器楽奏者達が好んで取り上げるようになったからこそ世に知られるようになっていったのです。

20世紀半ばまで生きたハンガリーの作曲家、ベラ・バルトークなどは、最後まで大衆の無理解に苦しみ、孤独の中で世を去っていきました。バルトークは前衛的な音楽家と思われがちですが、ハンガリー民謡を自ら足を使って採譜しまわり、それらから多くのヒントを得て彼独自の音楽を作っていった人です。余談ですが、シベリアのツオバ族の民族音楽を採集し続けている等々力さんにお会いしたとき、私はバルトークのことを連想いたしました。

それがどうでしょう、今ではバッハの作品のほとんどがレコード化され、鍵盤楽曲は音楽大学ピアノ科受験の必須科目になっており、カザルスが公開演奏するまではまったく世に知られていなかった無伴奏チェロ組曲集をクラシック音楽愛好家だったら知らない人はいないでしょうし、クラシックギターでも演奏されております。

また、バルトークノのピアノ曲は前衛のジャズピアニスト、セシル・テーラーや山下洋輔などに大きな影響を与えており、ヤマハ音楽教室の重要な教材としても使われております。

逆に同時代の民衆からも相当な支持を得た音楽家として、モーツアルト、ベートーベン、ショパン、ワーグナーのような超一流がぞろぞろいますが、彼らにしても、当初はその作品の中でも解りやすいものが好まれたのであって、彼らを他の芸術家とは一線を引く天才と呼ばしめるゆえんの曲はほとんどが当時の民衆の理解は得ていなかった節が感じられるのです。

たとえば、ベートーベンが生存中、発表当初から絶大な人気を得て、大衆の要望に応えて何度も演奏された「ウエリントンの勝利」(俗に戦争交響曲と言われております)の曲は、今では演奏されることはおろか、レコードを聞く人もいないような忘れられた曲となっており、ベートーベンの駄作の代表的なものというのが現在の評価です。

また、ナポレオンを讃えて作曲された「英雄交響楽」はベートーベン在世のおりにはあまり人気がなく、ベートーベンをひどく苛立たせました。ただ、現代において大物の葬儀のときによく演奏される第二楽章だけは当時からも大衆に人気があったようですが、「英雄交響楽」の偉大さは、全楽章を通して聴いてこそ評価され得るものと私は思ってます。因みにベートーベンは自作の9つの交響曲の中で、この「英雄交響楽」を一番愛していたそうです。

CDが発売される前のLPレコード全盛時代、クラシックレコードの売上ベストワンは「運命交響楽」と「未完成交響楽」の組み合わせでしたが、通俗的名曲の代表のように思われているこの「運命」が当時の聴衆にはあまりも異端的に思えて、現在ほどの人気は得ていなかったのです。

亀山久恵さんが大好きなピアノソナタ「悲愴」は、ベートーベンの時代、あまりにも異端的であるという理由で、音楽学校の一部の教師達から、生徒達は弾くことも聞くことも禁じられたそうで、こんなに旋律的にも美しくロマンティックな解りやすい名曲でも受け入れられなかったのです。現代のクラシックファンの中にはこの名曲を通俗的と言って軽んじる人もいるくらい(馬鹿げたことだと思いますが)ポピュラーな存在なのに、当時は異端的、前衛的存在だったのです。

バイエルンの狂王といわれたルードヴィッヒ2世は、バイロイト祝祭劇場というワーグナーの楽劇を公演するだけのための劇場を作るほど、熱狂的なワーグナーファンであり、パトロンでもあった人ですが、彼が好んだのはワーグナーの演出するニーベルンゲン伝説の世界であって、ワーグナーの音楽を理解はしていなかったと言われております。

ワーグナーは生存時から大衆の支持を得た作曲家で、そのファンは現代に至るまで増え続けてきており、熱狂的なファンが多いのが特徴ですが、現代の醒めた評論家の中には、彼らが本当にワーグナーの難解な音楽を理解しているのか疑問に思う、と発言する人もいます。

実は私はワーグナーが解らない方なのですが、私の尊敬する音楽評論家、たとえば吉田秀和氏、あるいはプロではなくとも、その音楽への造詣が本物と信じられるある友人の話を読んだり聞いたりしているため、ワーグナーが西洋音楽史上画期的な存在であるという彼らの主張は正当なものだろうと思っております。

「ワルキューレの騎行」や「ローエングリン」の結婚行進曲などのように非常に解りやすい音楽と、「トリスタンとイゾルデ」の間奏曲のような無調音楽が同居しているワーグナーの作品群を知ると、何となくワーグナーの底知れぬ力量、独創性の存在を感じます。ただ、その作品を私が理解できないだけなのです。

ここでいう大衆というのは音楽の素人ばかりではありません。歌曲の王といわれるフランツ・シューベルトですが、彼の作品の中で最も有名なのは「未完成交響楽」だと思います。ところが、この不朽の名曲は何とシューベルト死後43年間も世に知られること無く、彼の友人である‘作曲家’の書庫の中で埋もれ続けていたのです。シューベルトの未発表の交響曲が存在するらしいという噂を聞きつけたメンデルスゾーンが、まだ生存していたこのシューベルトの友人に目をつけて訪問し、「未完成交響楽」を探し当てたのでした。楽譜を見たメンデルスゾーンはその素晴らしさにひどく興奮し、彼自らの指揮によってライプチッヒで初演されました。死後半世紀近くたったシューベルトの未発表のシンフォニーが奏でる甘美な音楽に接した聴衆は身震いするほどの感動を覚えたそうです。

このエピソードで私が非常に印象深く感じたのは、シューベルトの友人であり、作曲家でもある人間がこの類稀なる名曲の真価に気がつかなかったということで、メンデルスゾーンの努力がなかったらもしかしたら「未完成交響楽」は永遠に失われていたかもしれない、ということでした。シューベルトの歌曲はかなりの数が失われていると言われておりますし、バッハの作品も同じように散逸したものが多いらしく、20世紀になってからでもヨーロッパの古い図書館などで知られざる作品が発見されるということが時折ニュースで報道されております。

友人は、第3楽章の冒頭部で中断されて未完成のままの作品は発表するにふさわしくないと判断したのかもしれませんが、曲の素晴らしさに形式云々なんかまったく問題なし、と判断したメンデルスゾーンの優れた感性がこのクラシック音楽の中でもポピュラー中のポピュラーな名曲として多くの人に愛された作品を後世の人たちに伝えてくれたのでした。

 このように現在、私達が優れた芸術作品と信じて疑わない作品の多くは作曲された当時は今のようにほど正当な評価や扱いを受けていたわけではなかったのです。

ただ、例外的なのが、モーツアルトとショパンでした。

この二人の作曲家は、その作品群が全体的に偏ることなく大衆に好まれてきたようで、高度な芸術性を持ちながら、そのまま大衆に受け入れられるという希有な天才です。ショパンはその時代性(市民階級の音楽意識がベートーベンの時代よりもはるかに高かった)も幸運したのですが、この二人の特殊性について話しだしますと長くなりますので、ここでは省きます。

さて、ここで、「大衆にウケたものでなく一部のエリートの共感を得たものが結果的には残っている」と私が語った本意を説明いたします。上記の言葉通り言ったのなら、それは私の失言でした。それはこう訂正させてください。「芸術作品がある年月の淘汰を受けたときに、大衆にウケたものより、エリートの共感を得たものが残っていく確率がはるかに高い」と。

エリートと言う言葉にカチンとくる人もあるかも知れませんが、しばらくご辛抱いただけますでしょうか。私が定義するエリートとは、皆さんがイメージするような意味でのエリートではありません。

まず、私の体験的な話からさせていただきます。

作家ロマン・ロランは小説『ジャン・クリストフ』の中で、ベートーベンを模したと思われる主人公、クリストフに、「私はベートーベンの最後の作品、弦楽四重奏曲作品135を理解するようになるのに長い年月がかかった」と言わしめておりますが、これは作者ロランの実体験から来る本音であったと思われます。

しかし、私はこの地味な曲を好きになるのに別に長い時間を必要とはしませんでした。難解なことで知られるベートーベンの後期弦楽四重奏曲集の中では一番、素直な曲の展開、聞きやすい旋律を持つ曲だと思ってます。私に言わせれば、現在の音楽学者たちの間で、曲の構成、完成度においてはベートーベンのシンフォニー中、最大傑作と評価の高い、第7シンフォニーの方がはるかに難解のように思えます。少なくとも私は好きではありません。

件の後期弦楽四重奏曲集の中でも、作品135よりも規模の大きな作品131の方が遙かにしぶく、一般には難解のように私には思えるのですが、一種の濁った響きを持つこの作品131の方が私は好きで、若い頃気まぐれに書いた創作の中にもこの曲のことを記したくらいです。ちなみに、ベートーベンの死後、作品131の初演を聴いたフランツ・シューベルトが大変興奮したということを彼の友人が書き残しております。

それでは、ロマン・ロランでさえ理解するのに長い期間を必要とした作品を私は短期間で理解し受容した、こんなことを記す私は、ロマン・ロランを上回る音楽的感受性のエリートなのでしょうか?

いえいえ、とんでもないことです。ロマン・ロランの感受性の卓越性は小説『ジャン・クリストフ』を読み、彼が終生敬愛して止まなかったベートーベンへの思いを考慮すれば、常人のものではなかったことは直ぐさま理解されるもので、私ごとき凡人の及ぶところではありません。

それじゃ、ロランが受け入れるのに長い年月を要した難解な曲を私が短期間に理解したのに私は恐らくロランの感受性にはかなわないと確信を持って発言する根拠は何かと言いますと、それは19世紀から20世紀前半に生きたロランと20世紀まっただ中の時代に生きた私の享受できた情報量の違いなのです。

それはどういうことかと言うと、まずその一つに、レコードで音楽を聴くという恩恵をロランは受けず、私は受けたと言うことなのです。エジソンによって蓄音機が発明されたのは1877年ですから、1866年生まれで1944年まで生きたロランは蓄音機を知っておりますし、間違いなくクラシック音楽のレコードを聴いたでしょうが、ロランが小説で触れているベートーベンの後期弦楽四重奏曲への理解を深めた若き日には、現代のように手軽にレコードが手に入る時代ではなく、また、レコードが手に入ったとしてもその曲目はごく限られたものであり、後期弦楽四重奏曲のような曲はまず、録音されたはずはないと思うのです。ロランは、この作品135の四重奏曲を演奏会で聴くか、楽譜を見て理解するしかなかったわけで、この曲を音楽として鑑賞する機会は、レコードを毎夜のように聴き続けた私に比べてはるかに少なかったに違いなく、そのために理解するのに長い年月がかかったのだろうと推察するわけです。

クラシックファンに限らず、音楽愛好家は、最初あまり馴染めなかった曲が聴き続けているうちにだんだん好きになり、やがては熱狂的にその曲のファンになり、以後なかなか飽きることが無い、という経験をされた方は多いかと思いますが、難解でありながら名曲の誉れの高い曲というのはこのように繰り返し聞いているうちに好きになっていくというものが多いようです。

そしてもう一つは、現代の私たちは、通信機能の飛躍的発展のおかげで、ロランの時代に比べてはるかに多様な音楽を享受することができたということです。

ロランの時代は、現代のようなグローバルなマスメディアの時代ではなく、西洋音楽とは異質のものであるアジア、アフリカの民族音楽(ジャズの原型である黒人音楽も含みます)を聴く機会はほとんど無かったと思われます。シャンソンのように当時でもポップスは存在したでしょうが、それは現代における多様な音楽を包含するポップスとは異なり、あくまで西洋音楽の旋法と和声を基調としたものであり、構造的にはクラシック音楽の響きだったと思います。

ところが、現代では、私のような50代の世代の人間でも、かなり若い時代からジャズやロックというジャンルを介して、西洋音楽とは異質のものを孕む、多様な音楽を聴く機会があり、また、レコードというメディアを通して、それらの音楽に短期間のうちに馴染むという恩恵を受けてきております。

それはどういうことかと言うと、ジャズやロックを愛聴することによって不協和音とか、変則リズムとか、クラシックの音楽理論に反する旋律進行とかに馴染んでいるため、正統的なクラシック音楽しか知らない人達に比べて音楽様式の受け入れの幅が大きいことを意味

するのです。ですから、西洋音楽史上、初の無調音楽と言われるワーグナーの「トリスタンとイゾルデ・間奏曲」や、後に現代音楽の走りとなるシェーンベルグクやベルク、ウエーベルンなどの音楽を私が聴いてもそこに違和感はなく、現代の前衛音楽に比べたらはるかにまともで聴きやすい音楽だと受け入れられるわけです。

西洋音楽にも経過和音としての濁った不協和音が曲の中に出てくるのはバッハの時代からありましたが、モダンジャズのようにまともな(これはあくまでクラシック音楽の立場からの表現ですが)主要三和音がほとんど無く、テンションコードの連続というようなスタイルは西洋音楽には無かったのです。ですから、クラシック音楽しか知らないロラン以前の愛好家にとってワーグナーのトリスタンとイゾルデは言うまでもなく、遙か以前のベートーベンの後期四重奏曲でさえ非常に聞きにくく、濁った和音の汚らしい曲だとぐらいにしか認識できなかったのではないでしょうか。

ところが、私のように現代の不協和音、無調旋律になれた耳には、逆に和声的にも旋律的にも美しく整ったクラシックの曲ばかりを聴き続けた後に聞いたこの後期四重奏の曲はその濁った音の響きゆえに強く惹かれるものを感じるのだ、と思うわけです。

この二つの情報量の違いがロランを筆頭とするそれまでの時代の愛好家との決定的違いであり、私のような凡人でも短期間に多様な音楽を理解することができる感受性を身につけることができたのではないかと考えるわけです。そして私のような音楽愛好家はこの20世紀末の現代には掃いて捨てるほどいると推察しております。だが、これらの愛好家をエリートとはとてもいえないでしょう。私を含む現代の音楽愛好家の多くが、情報量の乏しかった18世紀の時代に生まれていたら、恐らくただの大衆的な音楽しかわからない存在だったに違いないと想像するわけです。

そして、私らのような恵まれた(必ずしもそう言えないよな気もしますが)状況になかったにもかかわらず、ロランのように限定された状況下で難解な芸術を理解する感受性というのを私は音楽におけるエリートの感受性というわけなのです。

 こういった音楽のエリートは、作曲家や演奏家、文学者だけではありません。ベートーベンを当時のウイーンの貴族達が多く擁護したことは有名な話ですが、経済的裕福さをも持ち合わせている彼ら貴族が、演奏会ホールでは滅多に演奏されない室内楽曲などを自邸のお抱え演奏家によって繰り返し演奏させたことにより、その私的サロンコンサートに招かれた人たちにベートーベンの地味でいて芸術性高い作品群の記憶を刻印付け、それによってそれらの作品が埋もれることなく細々と記憶され続けていったと思います。庇護した貴族達のなかには見栄や世間の評価を基準にこの天才に援助の手を差し伸べた者も勿論いたでしょうが、やはりある程度、音楽的感性を生まれつきの恵まれた環境によって磨かれていなかったらこのような貢献はできなかっただろうと思うのです。

 これらのエリート達のおかげで本来失われていくべきだったかもしれない芸術作品が現在も残り、正当な評価を得るようになったではないでしょうか。

 以上、非常にまとまりのない説明になりましたが、私の「芸術作品がある年月の淘汰を受けたときに、大衆にウケたものより、エリートの共感を得たものが残っていく確率がはるかに高い」という言説の根拠を述べさせていただきました。