城崎紀行 01/05/0506

森脇久雄

 

ゴールデンウイークに入った4月29日夜に、実に久しぶりに帰ってきた息子が、「出

石(いずし)の皿蕎麦が食べたい」と言います。

塾や予備校、社会人生涯教育教室を経営するベンチャー企業でかなり責任ある職務を

任せられている息子の日頃たまったストレスの蓄積も大きく、何とかその解消にでも

なればと思い、家族で出石の皿蕎麦を食べに行こうといことになったのですが、但馬

の出石町まで日帰りで行くのは大変なので、それならいっそう城崎温泉に泊まろうと

いうことになりました。

昨年夏も家族で城崎に行ったのですが、その時に泊まった旅館はかなりお値段が張る

ので、今回は民宿をということでインターネットで探したところ、幸運にも5月5日

に1泊2食付きで\10.000という廉価な宿を予約することができました。

前日の琵琶湖大橋大渋滞に懲り懲りしていた私らは、5月5日朝午前7時半に我が家

を出発しまたしたが、淀川を渡って中央環状線に入ってみると車の通行量はがら空き。

これなら何も吹田インターから入る必要は無い、とお金をけちり、近畿自動車道、中

国自動車道に並行して走る中央環状線をそのまま西に走るとほとんどノンストップで

宝塚まで来、宝塚インターに入ることなく、さらに奥の西宮北インターでやっと中国

自動車道に乗り入れたのでした。寝屋川から西宮北インターまで一般道を通ってわず

か50分はいままでの最小所要時間記録です。

中国自動車道に入っても車はほどほどの数で、100キロのスピードを保ったまま吉

川ジャンクションまで来、ここから舞鶴自動車道に入りました。

昨年は知人のアドバイスで吉川よりもまだ西の福崎インターから播但自動車道に乗り

入れて城崎に向かったのですが、九州や広島など西から来るのならいざ知らず、大阪

神戸から行く場合は絶対にこの舞鶴自動車道を利用すべきです。

舗装は傷んでいないし、片側2車線の道路幅も広く、播但自動車道より断然走りやす

く快適です。

 

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写真@(舞鶴自動車道沿いの山)

沿線の風景も全線、自然林の山々の間を縫うように走るので新緑の美しさに魅了され

っぱなしでして、素晴らしい山の光景に、「ほれっ!ユミコ、あの前方の山を写してく

れ!」「それっ!、あの山と山が重なり合うところ写してくれ!」と助手席に乗るカメ

ラマン役の娘に矢継ぎ早に指令するのですが、デジカメにまだよく慣れていない娘が

次々とシャッターチャンスを逃していくので、「チエッ、だめだなあ」と私が舌打ちす

ると「デジカメだから言われて直ぐに押してもシャッターがおりないの!私のせいに

せんといてくれる?だいたい、高速道路を走りながら写真を写す方が無理があるんだ

から」と娘は憤懣やるかたない様子で抗議しますが、確かに娘の言うとおりでした。

しかし、高速道路のそばからスーッと緩やかに高度を上げて先の方でスクッとそびえ

立つうぐいす色や草餅色の混ざり合う自然林の尾根を見ると、登山路のない山登りに

目の無い私は「もう、たまらんなあ」と溜め息をつきながらアッという間においしい

景色を横目にしてやり過ごして行くのでした。息子に運転を代わってもらったら良か

った、と後悔するのですが、息子は仕事の疲れがたまっているのでしょう、宝塚から

ずっと眠り続けております。

ここをドライブする人がありましたら、第一丹波トンネルと第二丹波トンネルの間の

山間部を特にご注目ください。

舞鶴自動車道沿線の播磨、丹波にかけて広がる山間部の景色は熊野や京都北部、近江、

伊勢、丹後半島ともまた違う風趣のものでして、険しさのない何か人の心を穏やか

にさせるものがあります。私はだいたい高速道路が嫌いなのですが、この舞鶴自動車

道だけは好きですね。名神高速の殺風景さに比べたら月とスッポンです。

 

福知山インターで下りたのが、午前9時40分。

お手洗い休憩とコーヒも飲みたくなったので、福知山市街地をバイパスする国道9号

線沿いのスーパーの駐車場に乗り入れ、同じ敷地のマクドナルドで休憩しました。

福知山市はこの中国山間部の中ではかなり大きな町なのですが、郊外からはその町の

雰囲気を察することはできず、美しい丹波山地の新緑を見続けてきた目には大阪近郊

都市のようなありふれた光景にしか見えませんでした。

ここを出発したのが10時10分。ここから息子が運転を交代してくれました。

京都から鳥取、島根へと通ずる国道9号線を10分ほど走ってから北に延びていく国

道426号線に乗り入れるとまたもや牧歌的山村地帯を走るドライブとなります。

福知山市と但東町の境となる三国山そばの登尾峠越えが地図で見るとかなりのジグザ

グ道になっているのですが、何と、地図に無いトンネルが開通しており、アッという

間にこの境界を通過すると、そこにはのどかな山里、但東町の牧歌的光景が広がって

おりました。

 

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写真A(チューリップ畑)

途中にチューリップ畑が広がるところに小さな休憩所があり、そこではこのあたりの

農産物を即売していましたが、この店の人達の応対はとても穏やかで暖かく、素朴な

ものがあり、心に残りましたので帰りにここでコンニャクとフキ、地鶏の卵、草餅な

どを購入いたしました。

その先に平田という在所があるのですが、ここの近くにそびえる山がこれが何とも言

えず登山欲を刺激するところがあり、在所名を覚えておいて帰宅して地図で調べてみ

るとやはり郷路岳(620m)という名のある山でした。山好きな人間の目を引く山と

いうのは必ず名前が付いていることが多いのです。私はいつかこの山に登りに来るこ

とを心に決めたのでした。

人によっては何の変哲もない山村に映るかも知れませんが但東町は私の心に強い印象

を残しました。

 

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写真B(出石町手前)

R426が出石川に出くわし、川沿いに走り出すと出石町はもう目と鼻の先で、前方

の山々の向こう側に古い城下町出石町の町並みが広がります。

 

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写真C(そば庄玄関)

出石町市街という標識のある交差点を右折してR426から離れて出石町市街地に入

って、‘柳’の信号を突っ切ってまっすぐ北進し、斜めT字路交差点を右折して次の信

号(右角に町営駐車場有り)に行くまでの途中に、駐車場のある茶色の木造家屋があ

る路地の奥に我々が目指す皿蕎麦の店「そば庄」本店があります。(車道からはこの店

は見えないので、町営駐車場まで行ってしまったら後戻りして探して下さい)

店に着いたのは午前11時15分。11時からの開店にぴったしと合わせたような到

着でした。

昨年夏、偶然入ったこの店の皿蕎麦を息子がいたく気に入り、出石蕎麦に詳しい会社

の先輩にこの店のことを話したところ、出石町の蕎麦でもいちげん観光客目当てだけ

の粗雑なものを出す店もあるらしく、そのような町外れにあるような店の方が安心で

きるということを言われたので今回もこの同じ店にしたのでした。

 

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写真D(そば庄店内)

客が結構入っていたのでフラッシュをたくのが気兼ねされ、客のいない方向を写しま

した。

 

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写真E(皿蕎麦)

そば庄の皿蕎麦はつゆに卵とわさび、ネギ、とろろ芋を入れた容器に蕎麦を浸して食

するという実に簡素なものなのですが、つゆの味は非常に薄口でして、味の濃いもの

がお好きな人にはちょっと物足りなく感じるかもしれません。

しかし、一家そろって薄口好みの私たちには大変口にあっておりました。

5皿で1人前なので4人前を注文しましたが、息子はアッと言う間に5皿を平らげ、

さらに2人前追加注文しましたが、結局、息子は15皿を平らげ、私7皿、家内5皿、

娘は3皿でした。(1皿はだいたい二口で食べられる量)

実は、私は蕎麦の良し悪しがあまり解らず、そば庄の皿蕎麦はおいしいとは思うので

すが、このためにわざわざ3時間もかけて来る気持ちが今ひとつ解らず、食べ物の嗜

好が私によく似ている娘も「私は、いろいろ具が入った汁物の蕎麦の方がいい」と、

あまり食欲が進まなかったようでした。もっとも娘の場合は福知山で慣れぬコーヒー

を飲んだのが食欲を落とさせた原因でもあったのですが。

 

満腹した息子は気分も大満足のようでして、後はゴロッと横になりたいような雰囲気

でしたが、我が家の旅行は行き先々で必ず歩くこと、小高い丘陵や高台があればなる

べく登ることをモットーとしており、そば庄を出ると町営駐車場(3時間¥300!)

に車を置いて出石町市街地の散策に出かけました。昨年夏は城崎の裏山登山を目的と

しておりましたので、出石町はろくすっぽ歩いていなかったのです。

古事記や日本書紀にもその存在を記されているという古い歴史を持つ出石町は、多く

の名所旧跡を持ち、観光マップに記されたそれら多くの名所を全部回る時間は無いの

で、今回はお城と明治館だけを見ようと最初から限定しました。

 

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写真F(大手前通り)

出石町のメインストリート。この奥に出石城跡があります。

若者が意外に多く、ちょっとリゾート地のような雰囲気があり、本来のひなびたであ

ろう城下町にそぐわないような感じがしないでもありませんでした。

津和野に似たような感じです。

 

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写真G(辰鼓楼)

毎朝、藩士の登城の時間、辰の刻(午前8時)を告げる太鼓を打ち鳴らしていた見張

り櫓で、明治以降は大時計に付け替えられたそうで、出石城の大手門のところに位置

するようです。本丸は向こう側の山の中腹あたりになります。

出石町のシンボルとも言うべき塔で、この当たりが一番観光客が多かったです。

本丸の城門前まで来て、町役場前の町営駐車場に入ろうとして並ぶ車の長い列に我々

はびっくり仰天。町の北はずれの駐車場に車を入れたことが大正解でした。これもそ

ば庄を偶然見つけたおかげでした。

 

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写真H(本丸への城門の橋で)

本丸への城門です。山腹にある本丸まで登ることにややうんざり気味な息子の表情で

す。

 

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写真I(シャガの花と石垣)

本丸の石垣の下一面に群生していたシャガは私の大好きな花でして、苔むした石垣と

の取り合わせが素晴らしかったです。

 

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写真J(シャガと石垣と樹木)

先ほどのシャガの群生を本丸に登る階段のところから写したものです。

石垣と樹木とシャガの花の取り合わせ。武骨さと忠実さと慎ましさを表すような光景

とは思われませんでしょうか。

 

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写真K(城郭と桜の古木)

 

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写真L(本丸跡)

桜やカエデ科の樹木が茂る非常に緑の美しいところでした。

 

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写真M(出石町全景)

本丸よりもう一つ上の高台から見た出石町市街です。

 

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写真N(明治館)

城を下りた後、明治館を目指しましたが、当初は明治25年に建てられた郡役所の西

洋風木造建築を見たくて訪れたのに、建築木材を保護するためにこのような処置を取

るのでしょうが、何と薄いブルーのペンキで塗りたくられており、けばけばしい雰囲

気にはガッカリしたものでした。

しかし、せっかく来たのだし、出石町の生んだ偉人達の資料館ということなので、一

応、中に入ったところ、これが思いもかけぬ感銘を受けることになったのです。

私が感銘を受けたのは館内にズラッと掲げられている明治時代に活躍した人物のレリ

ーフ像とその経歴、功績の解説でして、その掲げられた11人の名前を私はほとんど

知らなかったのですが、その解説を読んでいくうちに、いずれの人物も明治国家に多

大なる貢献をしてきた人ばかりであるのに深い感動を覚えました。

初代東大総長になった加藤弘之、天気予報の創始者・桜井勉、北海道林業の先覚者・

田中譲、日本財界の巨頭と言われた池田謙三なども立派な偉人だったのでしょうが、

私が特に印象深く思ったのは下記の偉人達のことでした。

二・二・六事件のおりに帝国議会において激しく軍部を弾劾したために軍部の激怒を

買い、謝罪と発言の撤回を強く求められても遂に応じず、そのために国会議員を辞め

させられた硬骨漢がいたことを私はその名前は忘れても強く記憶していたのですが、

それがこの出石町の出身の斉藤隆夫だったのです。

また、明治時代の初期に女子教育に強い関心を示してその啓蒙をやり続けてき、女性

地位の向上に尽くしたフェミニズムの先覚者とも言うべき人が二人(巖本善治、木村

熊二)もこの出石町から出ているのです。

生い立ちは男尊女卑の封建時代に武士として育ったこの二人が、女子教育と女性の地

位向上に己の青春の情熱を傾けたと言うことに私は深い感動を覚えずにはおれません

でした。花も実もある本当のサムライというのはこういう人達ではないでしょうか。

 

そして、異色的な存在として、「ローレライ」やシューベルトの「菩提樹」、ウエルナ

ーの「野バラ」などの西洋歌曲の日本語訳詞をやった近藤逸五郎が出石出身者であり、

実に多士済々の偉人が出石町から出ているのです。

仕事柄、教育に深い関心を持っている息子もこれらの解説文を詳細に読み、感銘を受

けたようでして、「こんな小さな城下町からこれだけの多彩な人材が出るなんて人口比

率からいうと凄い人数だ」と言ったのですが、後の方で、文芸評論家の小林秀雄がこ

の出石町出身と言うことが解ったとき、私たち親子は唖然として、いったい、出石町

のどんな気風、仙石藩の家風がこのような際だった偉人達を生み出す原動力となった

のだろう、と怪しみだしたものでした。

藩校修猷館を有する黒田藩は五十二万石という大藩ですが、かたや出石の仙石藩は三

万石。果たして出石町に劣らぬような数の人材を我が福岡市は輩出してきたのでしょ

うか。思わず、明治以来の福岡出身の有名人達の数を数えだしてしまいました。

いえ、これは我が郷里を卑下するのではなく、出石や津和野のような人口の少ないと

ころから多くの人材が輩出したことのほうが異様な現象であり、これは何に起因する

のかということへ皆さんの注意を喚起したかったために敢えて記しました。

 

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写真O(古い造り酒屋)

写真P(古い酒蔵)

出石市街地北東部の端っこにある古い造り酒屋と酒蔵です。

このあたりではほとんど観光客を見ません。

年を経た古い土蔵が沈黙の中にも何かを訴えかけているように感じたのは酒好きな私

だけが感じる感傷でしょうか。

西洋の画家の絵にこのような家屋を描いた絵がありましたね。

 

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写真Q(民家)

酒蔵の通りに面した民家の門から中を写させてもらいました。

 

出石町を出発したのが午後1時20分。

出石川を渡って再びR426に入り、出石川沿いに北上し、丸山川と合流するところ

で豊岡市の市街地に入ります。

豊岡は大石内蔵助の妻りくの郷里ですが、国道から観察する限り、何の変哲もない地

方の町といった感じで、どうも情緒ある風情を保つ‘町’に比べて‘市’になると散

文的な雰囲気になってしまうのはどうしようもないことなのでしょうね。

大石内蔵助は歴史上、有名な人物ですが、この人が妻りくに示した細やかな夫婦愛と

いうものは意外と知られていないようです。

討ち入りを志した時、離縁した豊岡の妻りく宛ての、息子主税と一緒に行った京都の

花見の模様を事細かに記した手紙を読んだとき、妻に示す細やかな愛情の表れに内蔵

助も花も実もある武士だったと私は実感したものでした。

 

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写真R(丸山川)

城崎近くの丸山川です。豊かな水量は阪神京奈和では見受けられないものです。

川の中に植物の茂った砂州のような島がいくつも現れてき、「お父さん、あの島を撮っ

て!」という娘の声にあわててカメラを構えるのですが、シャッターが下りず、取り

損ねてしまいました。「ドジ!人のことをよう言うわ!」と娘に言われて私はシュン太

郎となりました。

 

城崎の市街地に入る前、山陰本線の踏切を渡る直前で線路の向こう側の道路沿いにい

きなり私らが予約した民宿○○が目に入ってきました。

値段からしてあまり期待はしておりませんでしたが、まさかこんな城崎温泉街から離

れた淋しいところにあるとは予想もしておりませんでしたから、エエッ?!という感

じでしたね。

線路沿いの道路に面した田舎の風景のようなところに家屋がチラホラと建っていると

いう具合で、その民宿の建物も古ぼけた洋風のものでしたから、余計侘びしくなるよ

うな光景でした。

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写真S(昨年東公園から写した城崎市街)

(山の向こう、丸山川に架かっている橋のたもとにその民宿があります。)

とりあえず、車をそこの駐車場に乗り入れ、私一人で玄関の方に行くと中は薄暗く、

戸を開けて入って見ると一応は旅館らしい内装はしておりましたが、照明は消えてお

り、誰もいる気配がありません。

「ごめんくださ〜い」と二度ほど呼ぶと、さえない声の返事とともに横の部屋からも

そもそと顔色の悪い、かなりの年輩のご婦人が出てきました。

私たちが到着したのは午後2時かっきりだったのですが、チェクインは午後3時から

だと申し訳なさそうに言います。

車は駐車しておいて良いかと尋ねるとそれはまったくかまわないとのこと。

そこで、荷物類はすべて車のトランクに入れて、私ら家族は歩いて城崎市街地に散歩

に出かけることにしました。

線路沿いの道を歩きながら、「あんなに侘びしい雰囲気だとは思わなかった。しかも温

泉街からだいぶ離れているし、こんなところから浴衣姿で外湯巡りに行くのも気が滅

入るな。やっぱり宿代をケチったのはまずかったかしら」といつもゴージャスな妹尾

君の姿をチラッと思い浮かべながら私が言うと、家内が「案内パンフとはえらい違い

ね。でもしょうがないじゃない。今回はノリオに皿蕎麦を食べさせるのが主目的なの

だから後は城崎の温泉に入れたらいいとしなきゃ」と言い、「泊まれたらそれでいいん

じゃない?」と娘も言ってくれます。「しかし、あれじゃ、料理もかなりお粗末だろう

な」と息子が言うと、私も家内もうなずきながら黙々と歩くので、「食中毒になったり

して」と娘が冗談を言ってみんなを笑わせようとします。

しかし8分ほど歩いて市街地に入り、やがてJR城崎駅前あたりのいかにも温泉街ら

しい賑やかで華やかな雰囲気のところに来ると我々の気分もそれに影響され、浮き浮

きとした気分になってきました。

 

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写真21(地ビール屋で)

地ビールを飲ませる店があり、息子がビールを飲みたい、というのでそこの店に入り、

私と息子が地ビールを注文し、2階の明るいフロアで飲みました。綺麗でとても感じ

の良いお姉さんが一人で切り盛りしているのですが、家内も好印象を抱いたのか、他

にお客もいなかったので、やがてカウンターのところまで行ってその女性と話し込み、

安くて良い民宿の情報を色々収集してきたようでした。(もう来年のことを考えてい

る)

 

その店を出てから家内の強い要望で、昨年登った温泉寺の裏山に登ることにし、私た

ちは温泉街を歩き出しました。

 

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写真22(城崎風景)

城崎の観光写真に必ず使われる有名な風景です。

温泉街はこの川に沿って東西に広がっています。

 

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写真23(鴨)

川の水もきれいで、鴨がエサを突っついていました。

 

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写真24(王橋)

温泉街のちょうど中央に位置する橋で、ここから温泉街のメインストリートは川の左

岸に移ります。右側の建物は外湯の一つ、「一の湯」です。

 

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写真25(ゆとう屋)

昨年泊まった「ゆとう屋」です。城崎でも古い旅館の一つと言われており、庭が大変

広く、王橋のすぐそばにあります。

奈良ホテルもそうでしたが、木造建物はだいぶ古く、現代的な明るく清潔な雰囲気の

ホテルや旅館の内装に慣れている人達には、何でこれが一流旅館なの、と思ってしま

われるかも知れません。

 

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写真26(ゆとう屋の庭・昨年)

しかし私らが泊まった部屋に面した庭は最高でして、部屋から眺める風景は高洞院の

庭を連想させるものがありました。

 

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写真27(三木屋)

志賀直哉にゆかりの旅館三木屋です。

「城崎にて」を執筆した部屋は今もそのままあるそうです。そりゃそうでしょう、志

賀直哉はつい最近(1971)まで生きていた現代人なのですから。

創業260年だそうで、いかにもそれらしさを感じさせる風格のある木造建築でした。

 

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写真2829(西村屋)

三木屋の斜め前にある西村屋です。

城崎で一番格式の高い旅館のように思っていたのですが、創業150年とか。

昨年はここに泊まろうかと思ったのですが、城崎を良く知る知人が、西村屋はそれな

りの高額料金で泊まらないとかえって侘びしくなるので、リーズナブルな料金だった

らゆとう屋の方がはるかに良いというのでその忠告に従いました。

右隣の建物は外湯の一つ、御所湯です。ここの湯の雰囲気は私にとってイマイチな感

じでした。

 

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写真30(温泉寺)31(薬師堂)

温泉街の一番奥に位置する温泉寺です。

ここから裏山の大師山の中腹にある温泉寺本堂のところまで家内は登りたいというの

です。

 

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写真32(大師山の階段)

中腹の本堂を経て大師山の頂上までロープウエイがあるのですが、我々はエッチラコ、

オッチラコと階段を登っていきました。この参詣路が続く巨木の森は素晴らしいもの

で、昨日、今日と長距離の運転が続いていささか疲れ気味の私でしたが、やはりやっ

てきて良かったと思いました。

ただ、息子はかなり疲労しているようで、途中から、ここで待つからと言うので娘が

付き合い、私たち夫婦だけでその先を登りました。

 

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写真33(温泉寺本堂の所)

ロープウエイ中継地点である本堂のところに来ました。

城崎が一望できます。

 

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写真34(杉の巨木と塔頭)

何の塔か知りません。

 

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写真35(ツツジの庭園)

写真245(ロープウエイ)

昨年はここからさらに上の大師山頂上まで登ったのですが、今日は夜の外湯巡りに体

力を温存するため、ここで引き返しました。

 

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写真36(兄妹)

待っていた息子と娘は音楽の趣味が共通しているので話に熱中しておりました。

 

宿に帰ってきたのは午後4時。

玄関の間に照明が煌々と照らされ、若い仲居さんがにこやかな笑顔で迎え入れてくれ

たとき、これが昼間のあの陰鬱な民宿か、と一瞬我が目を疑うくらい雰囲気は様変わ

りしておりまして、部屋もそうひどく、いえ、予想外に清潔そうで明るく、やれやれ、

という思いで私たちは座り込んでお茶を飲み、くつろいだのでした。

夕食まで2時間ありましたので、その間、眠るという息子を置いて私と家内、娘は宿

の風呂に入りましたが誰も入っておらず、一人念入りに身体を洗い、湯船に使ったと

きは鼻歌も出てきそうなリラックスした気持ちになりました。

そして心配していた料理は、ゆとう屋のような洗練されたものでは無かったですが、

予想外に豪華で、お刺身も天ぷらもおいしく、季節外れのカニは私は食べなかったの

で解りませんが食した料理はすべて私にとって満足感を感じるものでした。

何よりも嬉しかったのは、熱燗を注文したところ、これがなかなかにいけるお酒でし

て、出されたお酒がイマイチだった奈良ホテルに比べてこの民宿は非常にポイントを

稼いだものでした。奈良ホテルに差をつけるとはたいしたものです。

 

食事を終えて満腹になった後はかなりの眠気と疲れで横になりたくなりましたが、去

年、あの情趣あふれる夜の外湯巡りに病みつきとなった私たちは気力を奮い起こし、

浴衣姿に丹前をはおって、下駄の音をカランコロン言わせながら午後7時半、温泉街

に繰り出したのでした。

 

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写真37(川のそばで)

 

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写真38(土産物店の前で)、39(街路で)

外湯に入る前、入った後、土産物店で物色しながら次の外湯を物色するのが城崎温泉

の醍醐味なのでしょうが、温泉のハシゴはいたずらに体力を消耗するので、私たちは、

城崎温泉発祥の湯「鴻池湯」とつい最近オープンした「さと湯」の二箇所だけに浸か

りました。

いずれも最高!

特に温泉寺そばにある鴻池湯の岩風呂は露天であり、岩にもたれかかるようにして寝

そべって顔を中天に向けると、おぼろ月が樹木の枝木の間から見受けられ、それはま

さに蘇東坡の漢詩「春宵一刻値千金」の風流を感じさせるものでした。

 

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写真40(酒屋の前で)

鴻池湯からの帰り、店前の路上にテーブルと椅子を並べている酒屋の前を通ったとき、

詩情あふれる雰囲気に浸されていた私は酒仙・李白のような心境でして、ここを通り

過ごすことが出来ませんでした。

「ノリオ、喉が乾いているだろう?ビールを飲みたくないか?」

「ええよ」

それで決まり。あきらめ顔の家内と娘の表情を後目に私は酒屋に入り、但馬大吟醸300

m瓶と地ビールを一杯求めて、路上のテーブルで息子と祝杯を挙げたのでした。

通行客も私たちの如何にもうまそうに酒を飲んでいる風情に惹かれるのでしょうか、

次々と店に入って来、やがて路上は立ち飲みのコーナーと化しました。

私たちは客寄せパンダの役割を演じたようです。

 

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写真41(さと湯の足湯)

酒屋で腰を落ち着けて飲んでいたら、息子が身体が冷えてきた、と言うので、それな

ら駅前のさと湯に入ろう、と我々はつい最近できたばかりの駅そばのでっかい温泉施設・さと湯に行きました。

建物屋上の浴場は丸山川を見渡せる展望のところとか。

他の外湯に比べて一般料金は割高と聞いていたこのさと湯でも民宿の発行する無料入

浴券は有効でして、私たちは入浴にもっともふさわしい身体の冷えた状態で湯船に浸

かってジンジンと身に染みてお湯の温もりを満喫するという贅沢を楽しめたのでした。

ここのさと湯で感銘を受けたのが、宿の発行する入浴無料券を持たない者でもなんの

制約も無く、履いている靴を脱いだら足だけ暖めることの出来る施設外に設けられた

足湯の設備でして、若いアベックたち、親子連れが並んで足を湯に浸けながら団らん

している光景はとてもほのぼのとするもので、城崎温泉のおおらかさを強く感じさせ

るものでした。

この大らかさは宝塚歌劇場に漂うものと共通するものがありました。

 

こうして湯に酔い、酒に酔った私たち(厳密に言うと酒に酔ったのは私と息子だけ)

が暗い夜道の街はずれの民宿に戻ると、部屋には夜具がキチッと敷かれており、私ら

一家はたちまちにしてバタンキューとなったのであります。

 

城崎温泉は昨年初めて来訪して以来、私ら家族は強烈にこの温泉街に魅了されました。

その要因は何かと言うと、怪しげな歓楽街、怪しげな店がほとんど無い温泉街の清潔

で良俗的な雰囲気が第一に挙げられます。(そりゃ、ゲームセンターのような店も、カ

ラオケ喫茶の店もわずかにありますが、それは低俗とは言えない類のものでしょう)

女子供と一緒に夜の温泉街を徘徊してもまったく戸惑うことがない、不安感を感じる

ことがない、というのが城崎温泉の最大の魅力ではないか、と私は思いました。

明治時代、大正時代の建物はすっかり姿を消してしまっても、城崎温泉はひなびた日

本の温泉の旅情を色濃く残している所だと思います。

ただ、一つ難点を言えば、夜のメインストリートは歩行者天国にしてくれたらもっと

リラックスして闊歩できるだろう、ということで、外湯巡りの人達のカランコロンと

いう下駄の音ももっと風情あるものに聞こえるだろうに、と思いました。

 

翌日、朝の7時に目ざめた私は、息子と娘がぐっすりと寝ている中に家内のふとんが

空になっているのを発見し、またもや、早朝の大師山登山に行ったのだな、と思い当

たりました。昨年もそうでした。

7時半ころに戻ってきた家内の話では、6時半に宿を出、昨日と同じように温泉寺本

堂のところまで往復したとのこと。昨日に比べて今朝の方が、中腹まで登る人が多か

ったそうです。あの巨木の林立する樹林帯の大師山を早朝に私も歩きたかったな、と

残念な思いでした。

 

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写真42(喫茶店で)

大型連休最終日に思いもかけぬ渋滞に巻き込まれることを恐れた私たちは、朝8時3

0分に城崎を出発しました。

1時間ちょっとのドライブを続けた私たちは、コーヒーが飲みたくなり、福知山市内

に入ってから喫茶店を探し続けたのですが、飯屋&喫茶のような店は息子達の了解を

得られず、さらに皿蕎麦&喫茶と表示される店となると「どういう取り合わせの店か

店内の内装まで想像つくようや」という息子の厳しい審美眼に絶え得ず、この調子で

はまともなコーヒーを飲める店は決して見つけることは無いのでは、と思いだしたと

きに、国道9号線バイパスに面したところで、「ここや!」という息子のひらめきで見

つけた喫茶店がこれが予測もしなかったような私ら家族好みの店だったのです。

山小屋風建築の店の入口そばに、陶製の大きな犬の置物があり、犬の首からぶら下が

っている札に「ビル・エバンス2世」と記されているのを見出した息子と娘は、「やっ

たね!」と凱歌をあげます。そう、ジャズ喫茶の店でした。

店内は誰も客はおらず、私たちは窓際のテーブルに席を占めてコーヒーと紅茶を注文

したのですが、店内の写真を撮ってもいいですか、という私の言葉に「どうぞ、どう

ぞ」と答えてくれた若いウエートレスさんの笑顔、遠くのカウンターから笑顔でこち

らを見やる品のいい中年のマスターの表情、そして、私と息子が注文したコーヒーの

うまかったこと等々に我々は然るべくしてこの店にやってきたのだ、という思いを抱

いたのでした。

 

福知山からもなんらの渋滞にも遭わず、舞鶴自動車道、中国自動車道と乗り継ぎ、寝

屋川の我が家に帰ってきたのはお昼の12時でした。

年に一度あるか無いかの家族旅行、もっとお金をかけてもいいのでしょうが、ま、私

たち一家にはこんなところが分相応なもので、中味は充実したものでしたから大満足

です。ゴージャスにはおよそほど遠い雰囲気の民宿○○も懐かしく思われました。