7/11 2001掲載
7月9日に琵琶湖最奥部に仕事に行ってきました。
もっとも、琵琶湖最奥部なんて言い方は京阪神の人間の発想でして、湖北の人たちは
大津の瀬田の大橋こそ、琵琶湖最奥部と思っているでしょうが。
私の顧客であるピアノの先生、Kさんが、滋賀県伊香郡西浅井町にセカンドハウスを
建てたのですが、家屋完成時に購入したピアノが納品調律をしてもらったまま2年間
放置状態にあり、納入楽器店もあまりの遠方ゆえにその後のアフターサービスを渋っ
ているということを聞きました。
「森脇さん、とても来てもらえないでしょうね?」
というKさんの言葉に、かねてから琵琶湖最奥部に関心を持っていた私は即座に答え
ました。
「行こうじゃありませんか」
と言うことで、9日の朝、Kさんを自宅まで迎えに行き、交野市を出発したのは朝の
8時でした。
ラッシュアワー時の渋滞に巻き込まれ、京都府八幡市で国道1号線に出たのは40分
後。しかしその後はスムーズに走ることができ、京都南ICから名神に入って京都東
ICで出てすぐに湖西有料道路に入り、大津市を迂回して走ること約1時間半で琵琶
湖西北の古い港町今津町に到着。
今津は、鯖街道を経て若狭湾から運び込まれた塩漬けの鯖を大阪に運ぶ中継地だった
所で、ここから丸子船に載せて大量の鯖が琵琶湖を渡り、淀川を下って大阪まで運ば
れ、京都にはここから陸路、朽木村(冬の三千院で温泉に入りに行ったところ)、大原
を経て運び込まれたそうです。
何かそういった歴史の古さを感じさせる町でした。(写真が無くてごめんなさい)
写真@
今津町の北に位置するマキノ町の海岸から見る海津大崎と竹生島(ちくぶしま)です。
琵琶湖八景の一つである竹生島は6世紀の雄略天皇時代の記録にも記せられている古
い由緒のある無人島であり、神社とお寺がありますが、島での宿泊は禁じられていま
す。
私にとっては平家物語における平経正が木曾義仲討伐のために北陸に向かう途次、こ
のあたりから竹生島を望見し、わずかな共まわりを伴ってこの島に渡って得意の琵琶
の演奏を奉じたところ祭神が白龍となって現れたという伝説で深く印象づけられてい
るところです。
あれが竹生島か、と感慨深い思いで眺めたものでした。
Kさんの家があるところは海津大崎の裏側になります。
写真A
同海岸から見る今津町方面。
夏は海水浴場になるようです。
写真B
国道161号から離れて海津大崎の海岸道路を走ります。
この狭い海岸道路の街路樹は全線桜の木でして、訪れる桜見客で混雑するため春には
東向けの一方通行になるそうです。
写真C
海津大崎の先端を回って10分ほど走って右手に砂浜が見えるところを左側の山間部
に入って登っていったところがK先生のセカンドハウスです。
写真D、写真E
前方には樹林越しに竹生島が見え、後方は鬱蒼とした自然林の森。
私にとっては溜め息の出るような素晴らしい環境でした。
特に家屋後方の尾根は、踏み跡程度の道しか無いけれど上まで登れ、琵琶湖が一望で
きるとか。
登りたいなぁ、としきりに言う私に、今度来るときはハイキング姿でいらっしてくだ
さい、とK先生は勧められるのでした。
調律を済ませ、冷やしうどんをご馳走になり、午後3時前、大阪に帰ることになりま
した。
同じ道を帰らずに琵琶湖の東岸回りで帰りませんか?とKさんに提案すると、東岸回
りで帰ったことのないKさんは即座に賛成して下さり、我々は海岸線を北上しました。
写真F
大浦から国道303号に出れば木之元には30分ほどで行けるそうですが、葛籠尾崎
の半島を走るパークウエイからの眺めは素晴らしいから、というKさんの勧めで迷う
ことなくそちらへの大迂回コースを選びました。
その途中からの竹生島の風景。
写真G
高度をぐんぐん上げていくパークウエイ路上からの葛籠尾崎と竹生島。
写真H
葛籠尾崎尾根上から見る海津尾崎の半島。
湖北最奥部の静寂さを感じさせる、何か心に染み入る風景でした。
写真I
葛籠尾崎尾根上から見る琵琶湖東岸の景色。
木之元から長浜市までが遠望でき、霞んでいなければ背後に伊吹山も見えるそうです。
この後、長浜から米原を経由し、彦根から国道306、307と乗り継いで八日市、
水口、信楽を経て交野市のKさん宅に着いたのは午後7時ジャスト。
290キロのドライブでした。