10/3 2001掲載

大峯奥駈秋の峰入り  森脇久雄

9月7日に大峯奥駈の第3回目、秋の峰入りに行ってまいりました。
今回は奥駈コースのちょうど中間地点にある釈迦ヶ岳に登り、3日かけて吉野まで目
指すのです。
3回に分けてそのレポートを記します。

奥駈前日
(1) 蕎麦屋「 まるいち」
6日夕方、奥駈の前線基地とでも言うべき奈良県大淀町の蕎麦屋「まるいち」に仲間
たちが集合しました。

前列左から橘寺の古賀野さん、「まるいち」の芳谷夫人、山でも海でも強者である佐藤
さん(川崎市)。
後列左から「まるいち」の芳谷さん、我が腹心の舎弟・堂田さん(橿原市)、武道の猛
者・小田さん(橿原市)。
堂田さんは今回の奥駈には不参加なのですが、激励に駆けつけてくれたのです。
今晩はこの「まるいち」の2階に泊めてもらい、翌朝早く、芳谷さんに車で集合場所
の釈迦ヶ岳登山口まで送ってもらうのです。
芳谷さんは2回目の奥駈に参加されるほど大峯と修験に深い思い入れを持っておられ、
奥様ともども献身的に我々熊野修験団に尽くして下さることは『修験道の旅』をご覧
になった方はご存知だと思います。

奥駈初日
A釈迦ヶ岳登山口
大淀町から車で十津川村旭口まで来ると釈迦ヶ岳登山口への林道の走行となり、最奥
部の登山口まで千尋の谷を見下ろすガードレールも無い悪路を40分も走るのです。
大雨の予報が流されていて、この崖っぷちを走る林道が崩れてしまわないか、という
ことが最大の懸念でした。もし、この林道が通行止めとなったら3日間の奥駈そのも
のを中止しなければならないからです。幸い前夜の雨量は少なく、我々は無事登山口
まで行くことができました。

集合場所には新宮からの仲間たちも次々と到着し、総勢64名がそろいます。
小雨の振る中、高木導師の指導のもと、結団式をやり各自自己紹介をいたします。
私も峰中先頭先達として峯中における歩行上の注意を語り、特に下りで膝を痛めないようくどいくらい皆さんの注意を喚起しました。
午前7時45分、修験団は出発いたしました。

(3)深い樹林帯の登り
しばらくは山腹のジグザグ登りが続きます。

雨天の中、大峯でも有数の10時間の難
コースを控えて、普段は温厚な高木導師の表情もいつになく厳しいものがあります。

(4)尾根に出る

40分ほど登ってブナ林の尾根に到達しました。

(5) (6)
 


まだ歩行のリズムに乗れずに遅れているのか、隊列がかなり間延びしてしまったので
ここで小休止。

(7)ブナの大木

ブナの木が適当な間隔で植生し、左右に大峯の山々を見渡せ、正面には釈迦ヶ岳がす
くっと立ち上がるのが見えるこの古田尾根はお天気が良ければ大峯有数のプロムナー
ド尾根と言えるところです。

(8)

釈迦ヶ岳の急登が始まる古田の森に到着。
ここにはどんな渇水期にも涸れることのない水場があります。
真ん中の女性、和田さんの職業は看護婦さんで、歩行中、足腰を痛めた人、怪我をし
た人が出てくるといつも献身的にその治療に当たってくれる修験団の頼もしい救護係
りです。人柄も素晴らしい方です。

(9)
「六根清浄!」のかけ声をあげながらの急激な登りの後、釈迦ヶ岳頂上に到着しました。

ここで本宮から続く奥駈道に合流するのです。

(10)釈迦ヶ岳頂上(標高1799m)
釈迦ケ岳は、都はおろか吉野や熊野からもはるか遠く離れたなところにあるにも
かかわらず、古来、修験者以外の者にもよく知られていたようで、源平の昔、源義経
が鎌倉の追討を逃れて奥州に落ちていくときに山伏姿に変装するとき、もし途中で他
の山伏に出会って山伏問答で葛城、山上ケ岳、釈迦ケ岳の様子などを聞かれたらどう
返事するのだ、と義経が心配するくだりが『義経記』に載っており、江戸時代の上田
秋成の紀行文に、大峯詣でしたときに話に聞く釈迦ケ岳や三重の滝までも分け入りた
く思ったが一人では心細いのであきらめたと書いてあることが歌人・前登志夫氏の『吉
野紀行』に記されております。

頂上に建つ釈迦の銅像は大正時代に建てられたものです。
台座だけで130キロの重さだそうで、いくつかに解体して一人の強力の肩によって
何回かに分けて麓から運びあげられたもので、この大峯始まって以来の怪力の持ち主
は「オニ雅」と呼ばれて修験の世界では有名な存在です。

(11) (12) (13)
釈迦ヶ岳の北面の下りです。



 

ゆるやかな傾斜を持つ古田の尾根とは対照的な厳しい下り、そしてその先には大峯で
も有数な岩場の痩せ尾根が続きます。
ここは隊列を後ろから撮影したかったので私はしんがりになりました。



(14)
向こう側のピークの上に人が何人か居るのが解りますでしょうか?

あそこから切り立った岩場の通過が始まるのです。
(15)(16)
 
樹木の茂ったところを行くのは平気なのですが・・・

(17)
樹木の無いむき出しの岩場を通過する地点は皆慎重になってしまうのでこのように停
滞してしまいます。

霧が無かったらかなり下まで見下ろすところで、初めてここを通過したときは本当に
怖かったですね。

(18)
 
痩せ尾根が続くコースには到底乗り越えることのできない岩峰もあります。
こんな所に限って山腹を巻いて行けるくらいの廣い斜面があるのです。
私はここを通過するとき、こちら側も切り立っていたらここはどうやって通過したの
だろう、といつも思うのです。

(20)
阿吽の狛犬と呼ばれている岩場です。

この岩場と手前の岩場との間は左側が急斜面のガレ場となっており、その先は崖とな
っているようでポッカリとした空間が岩場の隙間から見えるのです。
しっかりとした道がついているのですが、スリップして転げ落ちようものなら大変危
険な所であり、雨の降っているこの日は特に緊張しました。

(21)
やせ尾根の岩場を全員無事に通過し、孔雀岳のところで昼食も取り(濡れた体に風が
吹くのでとにかく寒かった!)、大きな山塊である仏生ヶ岳の巻き道を行くと、思いも
かけぬ山崩れの現場に遭遇しました。

写真後方の急斜面の向こう側はポッカリと山が抜けてしまって奥駈道が無くなってい
るのです。山崩れの上方の草の生える急斜面を恐る恐る這いつくばって行くのですが、
このときは全員無事に通過できるだろうか、と本当に心配しました。
今回の奥駈で一番危険だった個所です。

(22)
楊子の森あたりまで来るともう危険なところはありません。
しかし、ずっと雨の中の歩行が続いた一行の中にはかなり疲労がたまってきた者たち
も出てきました。

特に一人の女性はかなりへばっているようでとても一行のペースに付いていけるよう
な状態ではなかったので、ついにサポーターを4人付き添わせて後から来るように、
と命じました。弥山小屋の主人は6時を過ぎて到着すると非常に機嫌が悪くなるので
何としてでもそれまでに到着しなければならないのです。
私も右足の筋肉痛に苦しめられ、びっこを引いて歩く始末でした。

(23)八経ヶ岳(1940m)
ついに目的地すぐそばの八経ヶ岳に到着しました。
近畿地方の最高峰です。
今夜の宿泊地、弥山小屋まで後30分の距離です。

薄暗くなってきてヘッドライトが必要になる直前、午後5時45分に弥山小屋に到着
しました。10時間の歩行でした。
一日中雨に降られ下着までずくずくに濡れた我々は更衣室で着替え、換えの衣類を着
たときは本当に生き返るような思いがしたものでした。
後続の4人はかっきり1時間後に無事到着しました。