10/4 2001掲載
大峯奥駈秋の峰入りA
奥駈2日目
まだ真っ暗な未明のころ、「星が出てる!」と誰かの弾むような声で目が醒めました。
急いで飛び起き、同じように飛び起きてきた仲間たちと窓の所に行って見ると、夜空
に星がいくつも瞬いているではないですか。
今日も悪天を覚悟していた我々は喜びはしゃぎ、その騒々しさに時間はまだ4時だと
いうのにみんな起きてきました。
いかに昨日の雨天の歩行が辛かったことかが想像されますでしょう。
1. 天河弁財天奥宮
日本の四大弁財天社の一つ天河弁財天の山頂にある奥宮です。
朝食前にここで勤行し、導師の説法があります。
6時半に朝食を済ませ、出発準備をします。
何度も経験していることですが、寒い中、濡れた装束を着るのはいつも辛いものです。
濡れた軍足を履くと足がどうしても地下足袋に入りません。軍足を履くのを諦めて素
足のまま地下足袋を履きました。
小屋前の広場に整列した一行に道行きの注意を告げるとき、「昨日、膝を痛めないよう
にと、やかましく言った先達の私が足を痛めてしまいました」と言うと一同ドッと笑
いました。先達だって生身の人間であり、足を痛めることだってあるのです。
2. 3聖宝の下り
午前7時に弥山(みせん)山頂を出発しました。
弥山からの下りは朝の陽光を受けた樹木の緑が輝くように美しく、心も晴れ晴れとし
てきます。
ところが、聖宝の下りをしばらく降りてから私は頭巾(ときん・山伏が額にあてがう
黒いカップ状の法具)を小屋に忘れてきたことに気がつき、先頭を他の者に代わって
もらって急いで小屋に駆け戻りました。まあ、おっちょこちょいの先達であることよ、
とすれ違う皆が笑い顔を私に向けます。
4.ブナの尾根
聖宝の急坂を降りると尾根は多少の上り下りはありますが、平坦な歩行が続きます。
このあたりから霧が発生しだしました。
やがて、行者還トンネル口への分岐に着くと、昨日、かなりへばってしまった女性の
下山を命じました。本人は大丈夫だと言いますが、この聖宝の下りを降りるときも腰
がふらついているという、彼女に付き添ったサポーターたちの話を聞いても、今日も
一行の足をひっぱることは必定と思われ、酷ではありますが、下山を命じざるを得な
かったのです。
熊野修験は極力全員引き連れて行くことをモットーとしておりますが、それにも限度があります。
過去にも膝を痛めたアルバトロス・クラブの女性を本人が嫌がるのをここから無理に
降りてもらい、その女性の恨みを買ったことがありますが、峰中先達の辛いところです。
昨夜のうちに弥山小屋から電話でサポート隊にトンネル口まで車を回すよう手配して
おり、新宮山彦ぐるーぷの戸石さんが付き添って一緒に下山します。
能楽に「谷行」という曲がありますが、奥駈の途中、怪我や病気で動けなくなった者
を谷に突き落として殺したという言い伝えからできた曲だそうです。
5.トリカブト
例年ですと、奥駈コース上の至るところでトリカブトが群生しているのを見かけるの
ですが、今年の猛暑のせいでしょうか、今回は極めて少ない数であり、しかも色もも
う一つ鮮やかでは無かったです。
6.ブナの尾根
弥山から行者還(ぎょうじゃがえり)岳までの尾根はブナ林の宝庫です。
]7.九字の印
行場で九字の印を切る高木導師。この後、勤行が始まります。
8.倒木
昨年の台風で倒れたのでしょう。大木が倒れるとむき出しになるその根っ子は四畳半
くらいの広さがあります。
撤去作業で木の幹をチェンソーで切るとき、切った瞬間、大木の重みの押さえを失っ
た根っ子は一挙に元の位置に叩きつけられるように戻るので作業は大変危険なのです。
新宮山彦ぐるーぷの面々はこういった作業もやるのです。
9.鉄山
霧が晴れてきて、今回の奥駈で初めて周囲の山が見えてきました。
尖ったピークは今朝降りてきた弥山から北に降りていく尾根の途中にある鉄山です。
お天気が良いと昨日とは打って変わったように皆さんも口が軽くなり、談笑するなか
一行はのどかな尾根を進みます。
10.行者還小屋への下り
行者還岳は役ノ行者があまりの険しさに諦めて引き返したためその山名がついたそう
です。
このピークの麓に無人小屋があります。
「汚い小屋!」
これは大峯をあまり知らない人のセリフ、
「いや、立派な屋根と扉もしっかりとしているし、雨風を防げるのだから立派な小屋だ」
これは大峯をよく知る人のセリフです。
11.行者還岳直下の行場
無人小屋を過ぎて、狭い山腹の道を行くと行者還岳の行場があります。
二つの大岩がもたれあうようにしてできたこの行場は大峯の様々な行場の中でも私が
最も好きなものです。
12.行者還岳への登り
役ノ行者が諦めたという伝説が頷けるような厳しい登りで、幾つかのハシゴ場が無か
ったら登れない難所です。
13.やせ尾根の通過
行者還岳から大普賢岳までは痩せた岩尾根が随所にある今日のコースの山場です。
切り立った山腹に付けられたハシゴや木の根っこに乗っかって歩行し、アップダウン
の繰り返しが続くという厳しいコースです。
14.七曜岳の絶壁
尾根の右も左も垂直に近く切れ落ちている七曜岳の岩峰です。10人も乗ったらいっ
ぱいになるほど狭い頂上ですので、隊列はこのピークを中心に前後の尾根に長く広が
って勤行をするのです。
15.弥山の全貌 16.大普賢岳
この七曜岳からの眺めは素晴らしく、後方に弥山の大きな山塊(左端にちょこっと隆
起している小さなピークが八経ヶ岳)が見え、前方には従属ピークをいくつか従えた
大普賢岳の特徴ある山塊が見えます。
イノウエ君がハイキングに行った和佐又山はこの大普賢岳の尾根を右にぐーんと下が
ったところにあります。
和佐又山から大普賢岳への登路はブナやヒメシャラのプロムナード尾根あり、ハシゴ
場ややせた岩尾根あり、大岩窟あり、と大峯の様々な特徴を凝縮したエッセンスコー
スです。(登り2時間半、下り1時間半)
奥駈道は一番高い大普賢岳を越えて向こう側に延びていきます。
17.18.やせ尾根の通過
やせ尾根はずっと続き、クサリや木の根っこを便りに登っていきます。
樹木が茂っているので高所恐怖症を脅かされることはそうありませんが、随所で木の
枝の間からかなり真下の谷まで見下ろせるところもあり、慎重な歩行が強いられます。
19.薩摩転び
薩摩の殿様が転けたためにこの名がついたそうです。
急激な崖を登る途中にあるせまいテラスの様なところでは大普賢岳が上から下まで見
渡せます。大普賢岳もかなり近づいてきました。
20.やせ尾根の通過
薩摩転びの難所を乗り越えるとちゃんとした道も出てき、これをしばらく行くと後は
急な登り降りはありますが安全な尾根通しの道となります。
21.勤行
どんなに疲れていても勤行だけは気力を出して勤めなければなりません。
峰中の歩行に関してはあまりうるさいことを言わない熊野修験ですが、勤行中は私語
を一切禁止し、写真を撮る者以外は皆、合掌を強います。
22.キノコ
何のキノコでしょう?
椎茸に似ているけれど毒キノコだ、と誰かが言っておりました。
23.水太覗き
水太覗きの地に来るともう大普賢岳は目と鼻の先です。
覗きというのは断崖絶壁がオーバーハングしているところを言うようで、この下の水
太谷の底から見上げると、手前の草地のところはすぐ下がえぐられたように引っ込ん
でいるのです。
大峯には他にも孔雀覗き、伯母谷覗きという場所があり、いずれも絶景の地です。
大普賢岳頂上の写真はありませんが、サポート隊の中世古さん(アルバトロス・クラ
ブ)と清水さん(新宮山彦ぐるーぷ)が和佐又山から頂上まで水を運び上げてくれて
待機しておりました。
今日の宿泊地、山上ヶ岳は女人禁制のため、8人の女性達はここからサポート隊に付
き添われて和佐又山に下山します。
我々男性だけになった奥駈隊が先に出発後、彼女らは頂上に留まって何度もエールを
送ってくれました。
24.脇の宿
大普賢岳を降りに降りてたどり着いた最低鞍部(尾根の一番低い所)が脇の宿の行場
です。
キャンプ場のような広々としたところの真ん中にそそり立つ大木を囲んで行う勤行は
厳粛なものがあり、般若心経の誦経も力が入ります。
25.阿弥陀森の女人結界門
脇の宿から10分ほど登ると阿弥陀森の女人結界門に到達します。
女人禁制の山上ヶ岳に至る道に設けられた4つの結界門の一つで、一つは洞川の登山
口近くの清浄大橋結界門、一つは女人大峯と言われる稲村ヶ岳との分岐に設けられた
レンゲ辻結界門、一つは吉野から来る道の大天井岳の北側に設けられた五番関結界門
で、大普賢岳から下山していった女性陣は明日、この五番関結界門のところで奥駈隊
に合流するのです。
いろいろ批判もある女人禁制ですが、今でも厳然と守られており、私は、18年間こ
の域内で女性を見たことは一度もありません。
ここから山上ヶ岳までは1時間半の行程です。
26.山上ヶ岳の蔵王堂
午後4時40分、ついに山上ヶ岳に着きました。9時間40分の歩行でした。
大峯山寺の本堂がある山上ヶ岳は実質的な大峯の盟主であり、吉野の蔵王堂に対して
こちらの本堂は山上の蔵王堂とでも言えるでしょう。日本一高いところにある重要文
化財指定建築物です。
本堂に控える僧侶たちが見守る中での勤行は緊張もし、気合いが入るものです。
「がしゃくしょぞう〜、しょあくご〜かいゆ〜、むしとんじんち〜」の懺悔文は普通
の行場では一回しかあげないのですが、高木導師はここでは三回繰り返すのです。
それも徐々に声音が高く、大きくなり、3回目は絶叫するかのような響きとなり、そ
れは3日間をかけて長躯し、ついに無事、山上の本堂にたどり着いた感動がそのまま
発露されているような感じでした。一緒に唱和する我々一同も心の内側から揺り動か
されるような興奮に浸され、初参加の人たちの中には涙ぐむ人もいたそうです。
27.宿坊への道
本堂での勤行を終えた後、隊列は解かれ、めいめい自由に宿坊に向かって歩いていき
ます。このときの三々五々とまばらに歩いていく光景はとても印象深く感じます。
歩行中は規律のもとに隊列を崩さなかった40数名の人たちが初めて自分のペースで
てんでばらばらの歩調で歩いている姿は、規制と自由の両方があってこそ人間の心は
一つの安定感を得ることを感じた、と言ったら大袈裟に思われるでしょうか。
28.桜本坊
熊野修験団が常宿としている桜本坊です。
山上ヶ岳には他にも東南院、喜蔵院、竹林院、龍泉寺の各宿坊がありますが、いずれ
も立派な本建築造りの建物です。
各宿坊には風呂があり、峰中唯一入浴できる宿なのですが、小さな五右衛門風呂に1
00人近くの人間が浸かるのでどうしても湯の汚れは避けられなく、私は大きな水瓶
に溜められた天水を利用して体をタオルで拭くことですませました。
水瓶の前に集まった人たちはすべて一糸まとわぬ姿で体を洗い、男だけの世界である
ことを実感いたします。
女人禁制の賜物でしょうね。