10/6 2001掲載

大峯奥駈秋の峰入りB
奥駈3日目


1.山上ヶ岳の宿坊

桜本坊の向かいには喜蔵院、東南院、竹林院の宿坊が並んで建っています。龍泉寺は
離れたところにあります。

2.朝食
宿坊の食事は完全な精進料理ですが、ご飯の炊き具合もみそ汁の味も大変に素晴らし
く、いくらでもお代わりができます。弥山小屋はみそ汁のお代わりは無し。

料理人も給仕する者も食する者もすべて男だけという女人禁制の世界は独特の雰囲気
があります。
弥山小屋と違って山上ヶ岳の宿坊は希望の時間に朝食を用意してくれるので、午前6
時に出発することができました。
今日は大半が下りという全コースで一番楽な行程ですが、距離は一番長い24キロの
道のりを吉野まで歩くのです。



3.4.西の覗き
宿坊を出発して5分ほど歩くと、テレビや写真週刊誌に盛んに取り上げられて広く世間に知
れわたっている有名な行場、西の覗きに着きます。
太いロープと二人の行者に左右の足を持ってもらうという確保体勢で谷の方に傾斜した小
さな滑り台のような岩の上をずるずると滑らされて、身体のへそのしたのところまで絶壁の
谷間にさらし、先達の詰問に答えるのです。
私も一度やったことがあるのですが、この時のすさまじい恐怖感はやったものでないと絶対
に解りません。私は、のど奥から心臓が飛び出してくるかと思ったくらいでした。
 
「親孝行するか!奥さんを泣かさないか!」と先達は気楽に怒鳴るのですが、吊された方は
必死の思いで、「はい!」と答える声は悲鳴に近く、私などは「はい、解りました、もうい
たしません!」と、まるで女房を泣かしたかのように言わんでもいいことまで叫んでしまっ
たものでした。
しかも最後に駄目を押すようにロープをふわっと緩めるので、体が谷のほうに向かってずる
っと滑り、このときほとんどの人が「うわぁー!」と悲鳴をあげるのです。
私の息子も奥駈のとき、これをやるのを楽しみにしていたのですが、ロープをつけて勇んで
崖の先っちょに行って谷をのぞきこんだとたん、金縛りにあったように動けなくなり、とう
とう行を拒否する始末でして、また、私の友人のこういったことが比較的苦手な男は、引っ
張りあげられたとき、よだれを垂らして眼はとろーんとし、失神一歩手前の状態だったそう
です。
英国人の青年がこの行をやったときに「私の人生で最悪の経験だった」とコメントしていた
のをテレビで見て私も心から共感したものでした。
新客7名がこの行をやりました。

5.ハシゴ段の長い下り
山上ヶ岳は、我々が昨日歩いてきた南方の尾根を除く三方はすべて険しい傾斜の崖坂
となっております。
吉野方面に向かう奥駈道も山頂から100メートル標高までは60度の傾斜に近い崖
坂であり、ここは長いハシゴ段が続きます。

右に左にと紆余曲折していなければ降りるのにかなりの恐怖感を感じる高度であり、
白居易の『長恨歌』に出てくる蜀の桟道もかくや、と思わせるようなハシゴ段です。

6.陀羅尼助茶屋

急激な崖坂が終わってゆるやかな尾根になるといくつかの茶屋が出現します。
奥駈道はこれらの茶屋の屋根の下を通っていきます。
三つ目の一番大きな洞辻茶屋ではうどんを食べさせてくれます。
ここは洞川に降りる降路と吉野へ向かう尾根道との分岐となり、我々は吉野道へ向か
うのです。

7.蛇腹
やがて吉野道唯一の岩場である蛇腹に到着。
蛇腹とは、岩の形状が蛇の腹のように縞模様の節理状をなしている岩場のことらしく、大峯
には他にもこういった地名のところがあります。

岩場の下りそのものはそう難しくはないのですが、岩場の通路が右に曲がっていると
ころがあり、上のほうで滑り落ちていったらそのまま真っすぐに谷間に落ちそうで、
その可能性に対して我々は神経質になるのです。

8.山腹の巻き道

蛇腹を過ぎると、コースは最初は自然林の尾根道、後半は植林の多い山腹の巻き道と
なっていきます。

9.離合
吉野から山上ヶ岳を目指す修験団と離合しました。

雨にあっていないのか、装束が全然汚れておりません。

10.11.五番関の女人結界門
午前8時に吉野道の女人結界・五番関に着きました。
 
昨夜、和佐又山ヒュッテに泊まった女性陣たちがサポート隊に車で送ってもらって、
すぐ下の林道から登ってきて待機してくれています。ここから女性二人が新たに参加。

12.吉野杉の樹林帯
再び、総勢60数名の人数となって一路吉野を目指しますが、大天井岳山腹の巻き道
はほとんどが吉野杉の植林帯です。


13.再び自然林の道
大天井と四寸岩山の鞍部、百丁茶屋間近は自然林の道となります。

植林と違って自然林は緑の美しさが全然違います。

14.百丁茶屋
林道がすぐそばまで来ている百丁茶屋には新宮山彦ぐるーぷの山上皓一郎さんと松本
良さんらが待ち受けていてくれ、紅茶の接待をしてくれます。

普段、コーヒー党の私ですが、このときの熱い紅茶のおいしさは格別のものがありま
した。

15.16.17.四寸岩山
四寸岩山も10年前までは山腹の巻き道を通っていたのですが、吉野蔵王堂の青年僧
侶たちによって復興させられた古道を現在多くの修験団が通るようになりました。





水平道が続く巻き道にくらべて登り降りのある尾根コースは楽ではありませんが、自
然林の中も行くのでその快適さはやはり値打ちがあると思います。

18.19.足摺茶屋
古道の復興で多くの人たちが知るようになった由緒ある足摺茶屋です。



古道復興記念式典のおり、この岩場のそばに法華経の経典がカプセルに入れて埋蔵されました。
ここで昼食をとります。

20.四寸岩山からの急激な下り
四寸岩山から1時間に及ぶ急激な下りが続きます。
山慣れない人はここで足がガクガクしてくるのです。

降り立ったところは舗装された林道で、奥駈道最後のピーク青根ヶ峰まで歩くと後は
再び山道に入り、この春、よいよい会メンバーで訪れた西行庵の分岐を経て吉野の領
域に入っていきます。

21.22.金峰神社
実質的山道歩行が終わる吉野奥千本の金峰神社に到着しました。
 
今年起きた火事によって社務所は跡形もなく消滅しており、本殿も何か荒んだような
気配を漂わせておりましたが、それでも吉野に着いた、という実感を感じさせてくれ
ます。

23.松本良さんと辻桂さん

十数人の熊野修験団関係者が出迎えてくれ、その中には紀伊民報社の辻桂さんの姿も
ありました。彼女は取材も兼ねて駆けつけてくれたのです。

24.無言の行

金峰神社における勤行をすませてしばしの休憩の後、再び隊列を組んで吉野の街に向
けて出発いたします。

「いよいよこれから吉野の街に入っていきますが、ここ金峰神社を出発してから蔵王
堂まで無言の行を課します。不必要な歩行中の私語を一切禁じます。舗装道路が続き
ますので杖で絶対に地面をつかないこと。隊列は一列を守り、はみ出さず、間隔を開
けないこと、乱す人は容赦なく注意します。吉野は大峯修験道の各寺院の本拠地、多
くの目が一行の歩行に注がれます。お疲れだとは思いますが、最後まで熊野修験団と
しての誇りを持続してください」

と、私が大口舌を述べた後、団旗をかかげる山上さんを先頭に金峰神社から合流した
人たちを含めて総勢70数名の熊野修験団は最後の歩行を始めました。
3日間歩き続けてきた足に舗装道路の急な下りはとても応えます。
特に私にとっては今回は今までになく辛いものがあり、途中から膝裏の筋がひどく痛
み、びっこを引かないよう歩くのが大変でした。
軍足を履かなかったせいではないか、と思いました。薄い木綿の軍足でもわずかなク
ッションになるのでしょうね。

25.蔵王堂への階段(辻桂さん撮影)

金峰神社を発って、途中の水分神社、桜本坊、喜蔵院、東南院で勤行し、1時間半の
歩行の後、午後4時ついに蔵王堂に到着いたしました。

26.蔵王堂(辻桂さん撮影)


蔵王堂における勤行は奥駈のクライマックスです。
大峯修験道のメッカである蔵王堂には有名な修験者たちが堂守として本堂内に待機し
ております。
その中で行われる吉野から遠く離れた地から来た熊野修験団の勤行はいささかも乱れ
たものがあってはならないのです。
大峯修験の歴史としては古い熊野修験も明治の神仏分離令の後、100年近くも途絶
えていて、高木亮英師が10年前に復興させたといういわば新参者に近い存在なので
す。
一同が3列となって整列する蔵王堂内部の息苦しいほどの緊張感の中、高木亮英師の
しばしの瞑想が行われた後、懺悔文が導師の口をついて出てきます。
「がしゃくしょぞう〜、しょあくご〜かいゆ〜、むしとんじんち〜」
すぐさま一同、これに唱和します。
再び、導師の懺悔文の声。
続いて一同の唱和。
そして三度目。
やがて般若心経の大唱和となり、興奮状態の中で我々は錫杖を振るのです。
修験道が理屈を越えた実践の宗教であることをこのときほど感じることはありません。
人間としての釈尊の教えにしか従わないという信条を持つ私でさえ、忘我の境地にな
るのです。
宗教、それはある意味ではやはり怖いものだと実感します。

27.柳の宿(辻桂さん撮影)

ほとんどの修験団が奥駈の最終地を蔵王堂としておりますが、大峯奥駈75靡きの最
後は吉野川のほとりの柳の宿であり、熊野修験はこの柳の宿での勤行をもって最後に
するというポリシーで来ております。
蔵王堂から車に分乗して柳の宿に向かい、ここで最後の勤行をやりました。
勤行の準備を待つ私の目は腫れぼったく、修験団の面々たちも如何にも疲れ切った表
情をしております。
しかし、桂さんに言わせると、声をかけるのもはばかれるほどの張りつめた緊張感は
持続していたそうです。

勤行終了をもって今年の大峯奥駈修行は終わりました。
熊野修験団はここで解団し、また来年の再会を誓ってそれぞれ別れて行ったのです。
(了)
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