12/15 2001掲載

東京・仙台の旅A by 森脇久雄

 

友人宅を辞して仙台行きの新幹線やまびこ号に乗ったのは午前11時8分でした。

東京から北に行くのは初めてのことと思い込んでいたのですが、2年前に行った茨城

県の土浦も東京より北になるのですね。東側とばかし思ってました。

それでも東北に行くのは初めてのこと、東京駅を電車が出発してから私はもうずっと

窓の外の景色に釘付けになっておりました。

 

関東平野の風景は関西とはだいぶ違いますね。

防風林なのでしょうか、田園風景に点在する在所にはどこにもこんもりとした樹木の

塊があり、広々したところにその風景が散在する様は関西、東海では見られないもの

でした。

それと関東平野はさすがに広いなと思わせるのが、新幹線が猛スピードで走り続ける

のに山が全然見えてこないことで、小一時間してやっと低い山々が姿を現わしたとい

うのには驚かされました。関東平野以外にこんなところどこにも無いでしょう。

新幹線のスピードが速すぎて途中通過する駅の名や河川の名が全然読みとれなく、時

刻表と東北の地図を持ってくれば良かったな、と思ったものでした。

途中、沿線から離れたところに古河とか白河とか言う文字が記された標識や看板を見

ると、おお、あれは古河公方の古河のことだな、白川関はこのあたりか、と想像を巡

らすのでした。

福島に着いたときはさすがに陸奥の国に来たのだなと言う感慨深い思いに駆られ、会

津磐梯山はどのあたりに位置するのだろう、と遠くの山に視線を漂わせます。

そこから山形方面へと新幹線の軌道が左の方に枝分かれしていくのを見ると、ああ、

あの線は出羽の国に行くのか、と出羽三山や鳥海山を思い浮かべるのでした。

 

そして東京を出てから2時間後、仙台に到着しました。

東京を出てからどの町よりも大きな都会のようで、仙台駅に近づくにつれて沢山のビ

ル群が見えてきたとき、伊達藩六十二万石の城下町であることを実感いたしました。

改札口を出たところに奥様が待っていて下さり、初対面にも関わらず、すぐに打ち解

けられそうな親しみをもった柔和な表情で長旅を労って下さいます。

 

明るい内に仙台市内を案内してくるようにM&Sさんに頼まれているそうで、青葉城

址のある青葉山に先ず行き、次に伊達政宗の廟所を見学し、そして仙台市内の代表的

な目抜きストリートを幾つかドライブして病院に行きましょう、と奥様は仰有って車

を走らせてくださいます。

 

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@A青葉通り

仙台駅から青葉城や東北大学が所在する青葉山まで真っ直ぐに貫く大通りが青葉通り

です。非常にすっきりした感じでビルの佇まいが何とも品が良いです。

 

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B西公園を過ぎた所

この西公園横から青葉山にかけての一帯の景色がとても好きであることを奥様が仰有

いますが、確かにヨーロッパの景色を思わせるような緑多き美しい都市の景色でした。

 

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C大橋

広瀬川にかかる橋を越えると青葉山の麓に入っていき、そこから東北大学のキャンパ

スが広がります。(広がると言うよりは点在していると言うべきか)

山間部のドライブウエイを走らせながら、「ここにお連れするとたいていの方がこんな

山の中に入っていくのですか、と驚かれるのですよ」と奥様が可笑しそうに言われま

す。

 

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D展望台からの眺め E伊達政宗像

青葉山へのドライブウエイをくねくね曲がって登っていくと展望台に出ます。

展望台からは仙台市が一望の下でして、奥様は丁寧に有名なビルや名所旧跡がある方

角を指指しては案内をして下さいます。

ここに伊達政宗の銅像が建っています。

 

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F東北大学工学部

展望台から樹林帯の中の車道を走らせると東北大学理工系のキャンパスに入っていき

ます。広々としており、ここが街の中でなく山の尾根の上だとはとても思えません。

 

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G山道

再び山間部の道を通って下へ降りて行きますが、百万都市の中心部近くにこんな山林

が存在するなんて本当に信じられないことです。

 

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H経済学部

M&Sさんが勤める学部です。大橋から近く、平坦なところです。山に登る必要はありません。

 

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IJ

キャンパス外に出、大橋を渡るときにずいぶんクラシックなバスとすれ違いました。

青葉山の西南西、広瀬川が蛇行するところに小高い丘、経ヶ峰があります。

この経ヶ峰の丘には伊達家三代の廟所があります。

 

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K参道

駐車場に車を置いて肌寒さを感じる空気の中、参道を登っていくのはたいへん清々し

いものを感じます。しかもこの季節に仙台で紅葉が見られようとは思ってなかったの

でとてもいい気分です。

 

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LM

伊達政宗が葬られている廟所の瑞宝殿です。

国法級の建物だったそうですが、昭和20年に空襲で焼失し、現在の建物は昭和五四

年再建のものだそうです。

再建に先立って行われた墓室調査で伊達政宗の保存の良い遺骨や太刀、ヨーロッパ伝

来品のブローチなどが発見されたとか。

資料館には正宗の骨片や頭髪が陳列されておりました。

 

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N瑞宝殿横の墓標群

正宗が死んだときに殉死した家臣達の墓標です。(再建されたもの)

 

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O奇妙な墓石群

経ヶ峰を降りてきた駐車場近くの墓場に奇妙な墓石群がありました。

真ん中のこんもりとした茂みを囲むように古い墓石群が並ぶのです。

そしてそばに近寄って見ると、その茂みの中にも幾つかの墓石が建っておりました。

M&Sさんの奥様も由来をご存知ないそうです。

 

経ヶ峰を後にして、M&Sさんの入院する東北大学付属病院に到着したのは何と仙台

着から2時間後のことでした。

M&Sさんはパジャマ姿でベッドの上で点滴を受けており、いくらか痩せてはいまし

たが、すこぶるお元気そうでした。

HPの書き込みで謎の5人衆のキャラクターを使い分けてきたことなどを奥様は全然

ご存知無く、それらのM&Sさんの書き込み分をプリントアウトしてきた用紙をお見

せすると、しばらく読みふけった後に、主人は大学の教官室でこんなことばかりをし

ていたのでしょうか、と奥様は半ば呆れ顔で笑いながら仰有いました。

奥様は東京生まれの東京育ちだそうで、丁寧語尊敬語などの言葉遣いの完璧なことは

驚くべきものがあります。

それでいて、決して人を窮屈にさせない、どこかのどかで大らかな雰囲気をかもし出

して、人をゆったりとリラックスさせてくれるという素敵なご婦人でした。

30分ほどして、M&Sさんは駅まで送るから、と点滴を外してもらい、服を着替え

て今度は彼の運転で奥様ともども仙台市内を案内してくれるのでした。

 

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PQ

仙台市内の各ストリートはどれも広く、どの通りにも並ぶケヤキ並木が素晴らしいで

す。初夏の新緑時、秋の紅葉時、そして冬は電球のイルミネーションで飾られて四季

を通じて美しい景観を見せてくれるのでしょうね。

今回仙台に来て初めて知ったのですが、仙台も第二次大戦で大がかりな空襲を受けて

市街地が焼失したために戦後の区画整理でこのような広いストリートを作りやすかっ

たのでしょう。

その空襲によって武家屋敷があった辺り一帯が焼失し、戦前の森の都のイメージを作

りあげていた屋敷町の樹木類も失われたそうです。

戦争末期に大空襲を受けたドレスデンのことを思い出しました。

しかし、仙台市がもし無傷で残っていたら原子爆弾の目標にもなっていたかも知れず、

何が良いのか悪いのか一概に言えない面もあるのではと思ってしまいました。

 

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R七夕祭りの飾り付けで有名な商店街です。

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S土井晩翠の邸宅跡

滝廉太郎の『荒城の月』は、豊後竹田の岡城址をモデルとしていますが、その詩の作

者、土井晩翠はこの仙台の青葉城址を思いながらこの詩を作ったそうです。

この極め付きの名曲は今、学校音楽教材から完全に姿を消したそうですね。

今日日の若者に受けないから教材から外すとは何たる短絡的な発想でしょうか。千人

中一人でもこの旋律、この歌詞に接して感動する者がいるかもしれないじゃないです

か。たったそれだけのためにも残す価値はあるというのに。

 

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M&Sさんご夫妻は色々なお土産の品まで用意して、仙台駅まで送って下さいました。

私はお見舞いに来たのか、遊びに来たのか我を怪しみながらもご夫妻のご厚意に感謝

しながら電車に乗り込みました。

 

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ドアが閉まるまで見送ってくださったご夫妻、何だか映画のシーンを見るようでした。

生まれて初めて訪れた東北の地、それも憧れの地だった仙台に入り、そこに住まわれ

る清々しいご夫妻との心の交流もできてリワキーノは本当に充たされる思いで車中の

人となったのでした。