9/26 2003掲載 

森脇久雄
 
 
奥駈秋の峯入りのサポート(’03.09.12〜14)
 
9/11(木)奥駈の前線基地、蕎麦屋「まるいち」に今年も集合。
土、日と仕事が休めない堂田さんが金曜日のみサポートに参加。
ご両親も「まるいち」にお見えになり、堂田さんのお父さんとは初めてお会いする。
 
朝4時起床、4時半奥駈参加の古賀野さんと初参加の彼の知人二人を乗せて堂田さん
の運転で一路大峯に向かう。途中のコンビニで買ったおにぎりをめいめい車中で食べる。
大塔村の国道から旭の登山口までの林道は大峯でも有数の険しい谷の崖中腹を通り、
狭い道を延々14キロも走るのである。
奥駈隊を送った後に一人でこの道を戻るのはかなり憂鬱なものがあるのだが、今年は堂田
さんが一緒なので非常に気が楽である。何しろ少々の車のトラブルなら彼は何とか治すし、
運転は抜群に上手く、この千尋の谷の上を走る林道でも私は安心して景色を楽しめるの
である。
 
途中は雨も降らず、晴れ間さえ見えていたのに登山口に着くなりザーッと降り出してき、雨
中の出発支度となる。
 
第一回のときに参加したイタリア人シモーネさんが参加。日本と日本文化に憧れ、上手な
日本語を話す彼に、前回と違って今回は自然林の尾根ばかりを行くから日本の山の良さ
を味わうことができると話すと「たいへん、期待しています」との返事。
 
「いや〜、堂田さんやわ〜、懐かしい!」と新宮山彦ぐるーぷの小西君子さんが堂田さんの
ところに駆け寄ってくる。
「覚えていてくれました?嬉しいなぁ!」と堂田さんもニコニコ顔。
山彦ぐるーぷの万年最年少(彼のあと、若者がとんと入ってこない)の彼を忘れる女性はい
ない。
 
降りしきる雨の中を出発していく一行を見送りながら、自分が先達だったときは雨中の出発
も気合が入り、全然苦にならなかったのに、こうして送る側となると「たいへんだなぁ。よく行く
よなぁ」なんて思ってしまうのだから人間の心理とは不思議なものである。
天気が良かったら堂田さんと一緒に釈迦ヶ岳の頂上までついて行くつもりだったのだが、落
伍者が出たときに連れておりるサポーターが2人もいるので私らは有難く遠慮させてもらい、
車の回送の方を手伝う。
 
国道に近い旭発電所の広い駐車場まで車を回送したら私たち二人の昼間のサポートの
お役目は終わりである。
大塔村の新しくできた温泉にでも浸かろう、と行ってみると入浴は午前10時から。それでは
それまでの1時間を喫茶室で待つか、ということで入ってみると有難いことにビールも日本酒
も売っているのである。
「皆さんが修行しているときにいいんですかね」と言いながら堂田さんはビールを飲み、
「な〜に、これがサポーターの特権さ」と私は冷酒を飲む。
 
いつの間にか空は晴れてき、この調子だったら奥駈隊も一日中、雨に打たれることも無いだ
ろう、いや、尾根の上は別かな、と色々憶測する。
 
10時になると同時に温泉へ。
誰もおらず、私たち二人だけの専用である。
湯質はあまり期待していなかったのに意外といいのである。さらっとしていながら体にジンジン
としみいり、あがってから気がついたのだが、乾いた肌がすべすべして実に気持ちが良い。
露天風呂の堂田さんがタオルを頭に巻いており、「雲助みたいだからやめたら」と言う。
 
公徳心の強い堂田さんは普通はタオルを湯船につけることはしないのだが、そこは乳頭温
泉とは違って透明な湯ゆえ、撮影するときに一部を隠すようせざるを得なかった。
 
遅れて湯から出てくると休憩室で堂田さんが缶ビールを既に用意していた。
 
いやー、温上がりのビールの美味いこと!
やがてゴロリと横になり、座布団を枕に私は高いびきでグーグー寝てしまった(そうだ)。何しろ
昨夜4時間しか寝ていないのである。
目が覚めたのは午後2時。なんと3時間も寝ていたのだ。
堂田さんは途中から起きて、図書室(一般図書、コミック、ビデオをそろえてなかなかに充
実している)で本を読んでいたそうである。
ここは温泉というよりも大塔村の保養所兼カルチャーセンターという感じである。職員たちも
親切で結局5時間もここにいたのに温かい対応をしてくれた。
 
大塔村の道の駅で遅い昼食をすませた後、時間はたっぷりあるので、日ごろ看板は見なが
ら一度も訪れたことが無い大塔村天辻トンネル近くにある天誅組本陣跡を見に行くことに
する。国道から細い舗装道路を上がっていくと大塔村が背景に広がる。
 
本陣跡には建物は残っておらず、記念碑と立て看板があるのみ。
罪の無い人たちにも簡単に天誅を加えるならず者集団ぐらいにしか認識していなかった天
誅組だが、その趣旨に共感して邸宅を提供した大塔村村民もいたようである。
中里介山の大河小説『大菩薩峠』の主人公、机龍之介がこの天誅組と行動を共にして
失明するのを知る方も多いと思う。
天誅組について興味のある方は下記のサイトを。
 
http://bakumatu.727.net/bakumatu/tuushi-b3-yamatoikuno.htm
 
 
午後6時に橿原神宮前駅に到着する万澄さんを迎えに行くため、橿原市に戻る。
万澄さんは仕事がたいへん多忙なのだが、どうしても大峯の自然林の中を歩きたくてたまら
なくなり、急遽参加を言ってきたのである。
 
万澄さんが到着すると堂田さん宅に連れて行き、シャワーを浴びさせ、午後6時30分、堂
田さん宅を後にする。
 
見送ってくれる堂田夫妻。なに?堂田さんのその目つき。どこ見てるの?
 
スピードを出せる309号線を飛ばし、約2時間で大峯の行者還トンネル西口に到着する。
数分遅れて三重県海山町から中世古さんが到着。
中世古さんは明日大普賢岳への水上げ作業から手伝うはずだったのだが、万澄さんの急
な奥駈参加のために今夜からの参加を要請したところ、野営地に駆けつけてくれたのであ
る。いつも頼りになる仲間である。
テントを張って寝る準備をすますと3人で宴会である。いずれもお酒の好きな面々であり
(万澄さんは量は飲まないが宴の雰囲気が大好きな娘)、アルバトラスクラブの親しき仲
間。飲むわ、語るわ、で10時就寝の予定だったのに12時半まで夜更かししてしまい、缶ビ
ール数本と一升瓶一本を空けてしまった。
 
しかし、翌朝、6時には皆ちゃんと起き、中世古さんのたててくれるコーヒを飲み、夕べ買い
置きのコンビニのおにぎりを食べる。
 
後片付け一切を中世古さんに任せ、私は万澄さんを伴って奥駈尾根に向かう。中世古さ
んには先に和佐又山まで行ってもらい、関東から今朝着く柴田さんや新宮からやってくるサ
ポート隊に私が着くまで大普賢岳への出発を待つように伝えてもらう。
 
ここの登山口からのコースは弥山や近畿地方の最高峰八経ヶ岳への最短距離である。約
2時間半で弥山に、3時間で八経ヶ岳に行ける。
 
その代わり、尾根にいたる坂道は急であり、連続の登りが小1時間続き、楽ではない。先
達をやめてから運動不足気味になった私は今回、この登りがかなり応えたが、それでもまだ
ここでは余裕はあった
 
奥駈尾根に上がると、それまで空を覆う曇天だったのに急に晴れ間が雲現れ、あたり一面
輝かしい朝の陽光が射し出したのである。
何とも言えずさわやかであり、万澄さんの奥駈参加を祝福するようであった。
 
予定を30分も遅れて花井先達を先頭に奥駈隊が到着したのは8時30分だった。弥山小
屋の出発が遅れたとのこと。
膝を痛めた男性が3人、そして小西君子さんが体調を落としたので一緒にここから下山する
ことになった。熊野方面から来た二人を車で送るために戸石さんも一緒に降りてくれることに
なった。私が先達のときもここで落伍者に付き添って降りていくのはいつも戸石さんだった。
山彦ぐるーぷの猛者である。
 
足を痛めた人を連れて降りるので下りも登りと同じような時間がかかり、しかも奥駈隊到着
の時間が30分も遅れたので10時はおろか、10時半に和佐又山に行き着けるかもかなりあ
やしくなってきて私は焦りだしたのである。奥駈隊が大普賢岳に到着するのは早ければ午
後1時頃になることもあり、どんなに遅くとも10時半に和佐又山ヒュッテを出発しなければ水
補給が間に合わないからである。この焦りが私の判断を狂わせ、大普賢岳を上るときに地
獄の苦しみを味わうことになったのである。

(続く)

TopPage