10/17 2003掲載

奥駈秋の峯入り奥駈サポートの2です。
森脇久雄
 
 
登山口に下山すると熊野方面に送って行く戸石さんとは挨拶もそこそこにして別れ、小
西さんと行者姿のAさんを車に乗せ、一路、和佐又山ヒュッテに向かった。行者還トンネ
ル口から国道までは約400メートル標高差の下り、国道から和佐又山ヒュッテまではこ
れも約400メートルの上り。途中の国道の走行を入れても絶対50分はかかるだろうな、と
思いながら、二人とも車酔いはしない方だからと言うのでくねくね曲がった山道をスピー
ドを上げて降りていく。
国道に下りてからは小西さんが携帯電話で何度か和佐又山ヒュッテを呼び出したところ
やっと繋がり、待機しているサポート隊に私たちが今国道を走っていることを伝えてもらう
ようお願いした。
「先に出発してもらうよう言いましょうか?」という小西さんに「運び上げるお茶のペットボ
トルは全部私の車のトランクの中」と私は言う。
 
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10時40分、和佐又山ヒュッテに到着。
柴田さん、中世古さん、森さんやその他見知らぬ二人に混じって松本良さんの姿を見つ
けるとわけも無くホッとする。私が遠慮なく何でも頼みごとをしたり甘えられる兄貴分であ
る。炭焼き生活で髭が伸び放題だったが、風格のある風貌になっていた。
人数が多いのでペットボトルを小分けしてあげることができ、これで少しはスピードアップ
もするだろうと見込み、すぐに手分けして出発するが記念写真だけはきちっと撮る。
途中、柴田さんと毎回奥駈に参加している新宮の森さんに彼らの健脚ぶりを当て込んで
先に急ぎ足で行ってもらうようお願いする。そうすれば万が一、1時前に奥駈隊が大普賢
岳に着いたとき、男性陣だけにでも水を供給することができるからである。女性陣は大
普賢岳から下山するのだから待ってもらえばよく、水が少々遅れても差し支えなかった。
 
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27岩ノ鼻
左側は昨日出発に遅刻した長野県からの初参加者、右側はNHKのカメラマン。二人と
もこのコースは初めてというのでこの岩場の上に案内する。
「すごい!」「絶景ですね!」
彼らのあげる嘆声を私は満足の思いで聞くのだが、実はここに来る直前から私は急激
に疲労を感じ出していたのである。
時間に遅れそう、と焦るあまり、弁当はおろか、歩行食を用意することも失念してこの急
な登りに向かっていったため、急激にスタミナが低下していったのである。しかも朝はお
にぎり一つを食べただけ。
 
途中からもう足はふらつき、ハシゴの最初の段に足を上げるのも一苦労、という有様に
なり、一番危険なハシゴ場を過ぎたところで同行の二人には先に行ってもらうよう言う。
案内人としてはなはだ無責任なことだが、この先は迷うはずも無いコースなのである。
 
それからはバテたときの典型的な症状に陥ったのである。
休憩をとっても少し歩くともう疲労で歩けなくなり、また休憩する、という繰り返しで、いた
ずらに時間が過ぎ去っていくばかり。これではいかん、ととにかく歩幅を短くしてのろりの
ろりと亀のように歩行していき、なるべく休憩を取らぬようにしていくといくらか調子に乗
れたのだが、なにしろ急激な登りが続くので有名なこの大普賢岳の登山路である。ハシ
ゴ場に来るとごまかしは一切きかず、もう一歩一歩ハシゴにしがみつくようにして登って
いくのである。途中で力尽きてしばらくハシゴ段にあごを乗せてハー、ハーと荒々しい呼
吸を吐くようなときには十字架を背負ってゴルゴタの丘に行くキリストの苦しさもかくや、
と妙な連想をしたものであり、実に久しぶりに経験する辛さだった。
昨日、皆が修行しているのに朝っぱらから酒を飲んだり温泉に入ったりと「小原庄助さ
ん」をやった罰があたったのか、とふと思ったくらい苦しかった。
後から遅れてくる良さんや中世古さんらが追いついたら何か食べ物を恵んでもらおうと
思いながら登るのだがいっこうに彼らは追いつかず、どうも彼らもばて気味のようであっ
た。
やっとの思いで山頂に着いたときの嬉しさ。しばらくへたりこんだまま動けなかった。「も
りわきさんでもバテることがあるんですか?大先達のそんな姿、初めて見ましたよ」と森
さんが驚いて言われる。
「いえいえ、日ごろの鍛錬を怠り、不摂生をすればすぐにこんなざまになります」と私は
答えるのみ。
しかし2時間と所要時間は意外とかからなかった。戸石さんらが2時間半は絶対にかか
る、と言っていたが皆勘違いをしていたようだ。
森さんがくれたおにぎりのおいしかったこと、有難かったこと。2個食べたらとたんに元気
が出てきたのである。
 
15分ほどして登ってきた良さん、中世古さんも相当バテていたようで、「いやー、本当に
情けないよ!こんな軽い荷物くらいで」とかつて修験団の中でもタフな行者だった良さん
の嘆くことしきりであったが、ザックの中から梨が10個も出てきたのにはびっくりした。
奥駈隊全員の分には絶対足りないからここにいるメンバーだけで片付けようと、実に薄
情な決断を私がし、みんな皮を剥かないままバリバリ、ガリガリかぶりついたのだがま
あ、その美味しかったこと!
これで私もすっかり元気になり、危険な下りも何とか大丈夫だろう、と一安心であった。
 
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時間に遅れそう、と焦って登ったのに午後1時になっても肝心の奥駈隊が近づいてくる
気配が全然しない。ほら貝の音、一つさえしないのである。
今朝の出発時からして30分遅れてはいたが尾根の上に出ていれば1時間くらいの距離
があってもほら貝の音は届くはずである。
「何かあったんだろうか」とみんなが不安になったころ、やっとヴォ〜と遠くで響くほら貝
の音がし、一同ホッと安堵する。国見岳(写真右側の山)の向こう側の厳しい登りをやっ
と登ってきてこちら側に面する山腹に出てきたのであろう。
 
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29、30
やがて奥駈隊が水太覗きのところに到着したとき、姿が上から見ることができた。
写真の矢印を拡大してみると、二人たっているのが見える。
それから奥駈隊が大普賢岳に到着するのに小1時間かかったのである。
 
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短いながらも厳しい傾斜の大普賢岳頂上直下の坂を一同は「サンーゲ、サンゲ!ロッコ
ンショージョー!」の掛け声を上げながら登ってくる。これを上から見るのはなかなかに
壮観である。
 
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「お迎え有難うございまーす」と先頭先達の花井さん、
 
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いや、足を痛めましてね」と蛍祭りの紀州松煙工房オーナー堀池さん
 
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「思ったより、辛くなかったです」と今朝、途中参加したとき、運動不足のことを不安がっ
ていた万澄さん
 
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「素晴らしかったです。楽しかったです」と元気なシモーネさん
 
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「お久しぶり!」と同じ関東にいながら滅多に会えない柴田さんと万澄さん。後方は女人
大峯といわれる稲村ヶ岳
 
花井さんの話では体調を落とした人たちがかなり一行の足を引っ張ったためにこの時間
の大幅の遅れとなったということなので、特に疲労の激しそうな年配の男性には女性陣
と一緒に下山してもらうことにした。
午後2時半、男性だけになった奥駈隊は大普賢岳を出発して女人禁制の山上ヶ岳に向
かった。まず、本堂の閉門時間には間に合わないことだろう。
 
女性13人を連れてのヒュッテまでの激しい崖坂の下山は奥駈の全サポートの中でももっ
とも緊張するガイドなのだが、去年に比べたら今年はかなり楽であった。
去年はときおり雷も鳴る雨の中を降りたのでおびえる女性もいてハシゴ場などではひど
く緊張したのである。
 
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小屋に降りて山小屋のものにしては広い木造りの風呂に入ったときはもう極楽気分。
そしてその後の岩本ご夫妻の心づくしの料理に生ビール!もう応えられない。
 
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「いや〜、足を痛めたときは、おっ、これで大普賢岳から降りれるぞ、ヒュッテでビールが
飲めるぞ、と思わずにんまりしてしまいましてねぇ。前から和佐又山ヒュッテに降りていく
女性陣が羨ましくてしょうがなかったのですよ」と堀池さんが本音を打ち明ける。
私も先達のときはそうだった。
ただ、良さんが酒をやめたのが彼の健康のためには喜ぶべきことなのだが、淋しく物足
りない気分であった。
 
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食後、我々の貸し切りとなった部屋でくつろぐ一同。
翌朝も早い起床なので午後9時には全員就寝。

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