10/29 2003掲載

山陰の旅 その三

森脇久雄
 
ついにやってきました、兵庫県城崎郡香住町餘部の地。
ちょうどお昼ごろ、1時間に一本しか走らない普通列車の時刻表とにらみ合いながら手打
ち庵さんが事前に調べていた釜飯の店「空海」で食事します。
 
駐車場からも店内からも餘部の鉄橋が見えます。
 
色々な種類の釜飯ができ、めいめい違うものを注文しましたが、たるみ夫人の注文した栗
入りは単なる栗ご飯で白飯。夫人がなんかがっかりしたような表情をされるので、皆でめい
めいのご飯を少しずつ栗ご飯と交換し合いました。
刺身が美味しく、別途注文したはたはたの焼いたのも大変美味でした。サザエの壷焼きは
普通。
お酒が欲しくなるような料理でしたが、ここから手打ち庵さんに代わって私が城崎まで運転
することになったのでここからは一滴もアルコールは口にしませんでした。手打ち庵さんにはや
っと昼間に飲んでもらうことができたのです。
 
さあ、食事を終えて餘部駅に向かいます。
国道を右折して在所の中に入ったら道が狭く、いくつか離合のできないような狭い路地があ
ってどれが駅に通じる道かわからず、公民館らしき建物の前が広い敷地になっていたのでそ
こに車を止め、歩いて探すことにしました。
鉄橋の下で待機して下から列車が通過するのを写す役割のたるみ教授とさすさらさんとは
別れ、手打ち庵さんと一緒に駅への道を探します。
 
すぐに案内板を見つけましたが駅への案内はこの看板のみ。
 
駅に通じる路地はリヤカーも通れないような狭さ。
 
段々畑に出るとあぜ道みたいになっており、しかも左右に別れているので農作業をしている
おじいさんに教えてもらった道を行くと、ほら、こんな裏山に登っていくような道になるのです。
いや、まさに裏山であることは間違いないのですが。
 
以下は手打ち庵さんとたるみ教授の撮影した写真を組み合わせて並べたものです。
登っていくに従って姿を変えていく餘部鉄橋の骨組みをとくとご覧ください。
 
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手打ち庵さん撮影
 
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たるみ教授撮影
 
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手打ち庵さん撮影
 
鉄橋の仕様を記した看板です。
 
少し歩調を早めにして歩いたためか、登りつめて駅に到着したときは息があがりましたが、私
はすぐさま、ホームページで見た上方から鉄橋を渡る列車を撮影した地点を探しに行き、ち
ゃんと見晴らしの利く地点があるのを確かめてから駅まで戻ってきました。
 
餘部駅の標識を撮り、
 
鉄橋側と
 
鳥取方面側の駅の光景を撮影してもらいます。バックの自然林の山が美しく、これは列車
入ってくるときに山を背後にした写真を絶対に撮らなければと心に決めます。
 
列車が来るまでに「餘部鉄橋を同窓生仲間が列車に乗って手を振りながら渡るシーンを
撮影する」という大変長い名前のプロジェクトチームの自称、ディレクターのリワキーノは、皆
に指示します。
「手打ち庵さんは上方からの撮影に行っていただこう」(私がやろうかと思ったのですが、この
ところピンボケ写真を撮ることが多いので一番大切なポイントは腕も確か、カメラも最新の
手打ち庵さんのほうが安全と思ったのです)
「何だ、たるみ君たち、今頃こんなところに居て。急いで橋の下に行かないともうすぐ列車が
来るよ!」(いつのまにかにのこのこ上がってきたたるみ教授&さすさらさんを見て大急ぎで
追い返しました)
「女性たちは乗り込んだらすぐに右側の窓を開けて手を振ること。そして列車が鉄橋に差し
掛かったら急いで左側に移り同じように窓を開けて手を振ること。勢いあまって窓から落っこ
ちないように、とまでは言わなかったですが」(もう、夢千代日記もかくや、と思うような感動
的場面を想像して私はワクワクランドです)
 
さあ、いよいよそのときが来ました。(NHK番組’そのとき歴史が動いた’調で)
列車が近づいてきました。
 
後方の美しい山を背景に列車がバッチリと納まっているシーンを撮る予定でカメラを構えた
ら・・・何と電車が異常に近すぎる!山がでかすぎる!
ありゃ、ありゃ、なんでや!と思ったらレンズを望遠にしたままだったのです。
ひぇー!とあわてるうちに列車はぐわ〜ん、と近づいてき、うわ〜、と思ってシャッターを切った
らもう思いっきり目の前。
これが第一の見込み違い。
 
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さあ、女性陣が乗り込み、列車が出発するときのお別れのシーン。
静々と動き出した列車の窓から手を振る女性たち。これは何とか予測どおりいきました。
ところが、私が駅を出発するときは右側の窓、そして鉄橋の上に行ったらすぐさま海側の方
の窓に移動して手を振るように、と指図したのが、裏目と出ました。
 
なぜなら下から写した列車は澄み切った秋晴れの青空をバックにするために黒っぽくなって
窓から手をふる女性たちの姿は判別できず、
 
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列車の日なた側を撮影できる手打ち庵さんがいる高所からの撮影時には誰も窓から手を
振っていないということになってしまったのです。
手打ち庵ポイントがメインだったのに!!
 
まあ、リハーサルなしでやったのですから、このくらいは仕方ないでしょう。
迷ディレクター、リワキーノの苦い処女作というところでしょうか。
 
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それにしても列車が鉄橋の真ん中あたりをわたるシーンを撮りそこなった私に比べて
その後のたるみ教授のズームを駆使しての連続撮影や(おかげでかすかに手を振っていると
ころが識別できる写真も入手)
 
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手打ち庵さんの列車が遠ざかっていくのを一定間隔で4枚もきれいに撮っているのには脱帽
でした。
 
で、この間、さすさらさんはどこにいたかというと、ほれ、こんな遠くからのポイントで撮ってくれ
ていたのです。これは指示しておりませんでしたのでさすさらさんの機転でした。
あかんたれディレクターに比べてスタッフは皆それぞれ優秀でした。
 
これは私の撮影です。らんらんさんたちの乗った列車が去っていった7分後にやってきた下り
列車です。
 
こうして一番の目的であった餘部鉄橋の撮影は終わり、まずまずの満足な思いで私たちは
女性陣たちが列車で到着する城崎を目指します。
手打ち庵さんに代わって運転手となった私は生まれて初めて外車を運転しました。
それもBMWの新しい車。
最初は少し緊張しましたが、慣れてくるにつれて実に運転しやすいのと快適なのにしびれま
した。
急カーブを回るときのスムーズな感じからサスペッションは相当固いはずなのに乗り心地が良
いのは高級車の証だろうと思います。それと低速でも高速でもエンジン音やその他の騒音
が全然変わらないのには魅了されます。私のカペラだと70キロ以上出すとオーディオのボリ
ュームを上げないことには音楽を楽しめません。
後ろからついてくるたるみ教授が「最初はゆっくり走っていたのに段々飛ばしだして」と言って
おりましたが、城崎手前の鋳物師戻峠越えの急カーブの連続は楽しかったですなぁ。
う〜む、高いお金を払ってまでもみんながドイツ車を買う気持ちが少しわかるような気がしま
した。
しかも手打ち庵さんは2年間で6万キロ走るというまるでタクシー運転手なみの走行距離。
そして大半が高速道路だとか。これは当然、BMWを利用する価値がありますね。
城崎までの予定でしたが、高速運転も試したくなり、舞鶴自動車道の西紀SAまで運転さ
せてもらいました。
 
城崎に着いたのは午後2時でした。先に着いた女性陣たちは駅そばのさとの湯の足湯に浸
かっておりました。らんらんさんは今後、どこの温泉に行っても「足湯は無いの?足湯は?」
と探し回るのではないでしょうか。
 

みんなを乗せて大師山近くの駐車場まで車を置きにいき、そこから城崎の温泉街を歩いて
行ってゆとう屋前の一の湯に入ります。午後4時前には城崎を出発したいという手打ち庵さ
んの指令で温泉に浸かる時間はわずか20分。
 
風呂上りに地ビールを飲むさすさらさん。
運転役の私とたるみ教授は外湯を出るとすぐに駐車場に車をとりに行きます。
 
午後4時、ここで岡山勢とお別れです。
たった二日間でしたが、随分長いこと一緒だったような気がし、別れがたいものがありました。
たるみ夫人もきっと今後もこの集まりに参加してくださるものと思います。
 
帰りは播但自動車道ではなく舞鶴自動車道経由で帰ることにし、一路丸山川沿いに車
を走らせます。川沿いに葦とその後ろの陸地にすすきらしきものが生えているのがとても美し
く見えます。
 
空は雲ひとつ無い快晴で、横日が但馬の景色をたいそう美しいものにしてくれてます。
この二日間の旅行はHPに記されたらんらんさんの下記の文章が一番その印象を表現して
くれているように思いました。
 
山陰には東北信州と並んで
美しい日本のふるさとの風景が手付かずのまま残っていました。
途中で見かけた小さな漁港
きちんと干された烏賊や鯵の干物
つつましく丁寧な人々の営みに
心をうたれました。
 
伊丹空港に着いたのは午後7時過ぎでした。
空港のレストランで食事を一緒にした後、午後8時10分の飛行機でらんらんさんは帰って
行きました。
 
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