12/5 2003掲載

森脇久雄
 
「東京の休日」
 
東京よいよい会忘年会出席の上京でついにほんまもののYokoさんと会うことが実現しました。
思えばYokoさんのHPデビュー以来待つことまる3年。
同じく、日ごろやり取りをしていながらもYokoさんと会ったことの無い駄才さんも交えて忘年会
出席前にランチを一緒しようということになりました。
11/29午前11時26分に東京駅に着いたらプラットフォームにYokoさんが出迎えてくれてました。
 
駄才さんとの会食までまだ時間があるのでYokoさんは新橋の汐留カレッタに私を案内してくだ
さいました。
高層ビルからの銀座界隈の眺めを楽しみにしていたのですが、あいにくの雨と霧のために視界は
イマイチでした。でもその後の喫茶店での会話は本当に話が弾みました。
 
Yokoさんが予約してくれていた割烹「あさみ」に着いたら既に駄才さんが先着しておりました。
 
個室の落ち着いた雰囲気に美味しい料理。
真昼間から私は酒が進むことしきり。
あまり飲むと顔が赤くなるから、と駄才さんはほどほどに。
蕁麻疹が出ているので酒を自粛している、というYokoさんはビールをちょっぴりと。
 
初対面の人の前では寡黙になりがち、と言われている駄才さんも今日は何故か舌はなめらか。
Yokoさんもあの旅行記で推察される奥ゆかしく上品なお人柄がそのまま自然に語り口に出て
こられ、3人の会話は節度ある中で盛り上がりました。
YokoさんのHP上の情報に詳しいこと、そして記憶力のいいことには改めて驚かされました。
私達がとっくに忘れているエピソードも皆覚えておられるのです。
そう言えば「重箱の隅」とういあだ名をつけられたこともありましたね。
セクハラ以外にアカハラという言葉もあることを駄才さんから教わりました。
 
長居して午後3時前に「あさみ」を出た私達は、偶然にも今日同じ銀座で私の’うふふの会’
仲間の世茂さんがパステル画展をやっている画廊に行きました。
世茂さんは歌人としてもそれなりの世間的評価を受けている人ですが、パステル画の分野でも
1991年・2000年と東京都知事賞受賞、1996年にはオリンピック文化事業国際パステル展入
賞などと輝かしい業績を挙げています。
「まさか、今日リワさんが銀座にいらっしゃるとは!何でも案内はしてみるものですね!」と世茂
さんは感激しきり。
 
3時半に画廊を出た後、私たちは銀座を散策し、Yokoさんお勧めのクラシックな喫茶店に入
り、そこで2時間ほど語り合いました。
そして忘年会場ウスケボーに向かう途中の地下鉄線の乗り換え駅でYokoさんと別れました。
ウスケボーまで来て玄関でらんらんさんやふさふさ先生はじめHP上で馴染みの人たちに会いま
せんか、と勧めたのですがYokoさんは遠慮して帰って行かれました。
 
ウスケボーでの忘年会の様子は編集長の詳しいレポートがありますのでここでは記しませんが、
修之助どんのお嬢さんの紗絵さんに再会できたのは嬉しいことでした。
彼女の編集担当した翻訳小説『調律師の恋』の紹介文を載せた調律師協会の会報が発刊
が送れ、このときに手渡しできなかったことが残念でした。
(会報11月号は昨日届きましたので明日あたり紗絵さんに送る予定です)
 
午後8時15分、解凍パルンさんがウスケボーにやってこられました。
忘年会場は携帯電話の電波が弱いのでその時間帯を見計らって私は会場を抜け出て骨董
通りで焼酎お湯割を片手にたたずんでいたのですが、向こうの方からゆったりと近づいてくる恰
幅のいい男性があの解凍パルンさんだと気づいたとき、流石に感激しました。
私を迎えに八王子から車ではるばるやってこられたのです。
思えば解凍パルンさんと知り合えたのもこのHPの存在無くしては絶対に有り得なかったこと。本
当に有難く思ってます。
 
駄才さんがパルンさんに挨拶をしたいと望んでおりましたのでまず、彼を呼びに行き、せっかくのチ
ャンスなのだからと編集長、らんらんさん等にも声をかけました。
 
そしたらいつの間にかに何人ものよいよい会メンバーがやってきました。
パルンさんはHPでもそうそうたる人たちに会えたことにひどく感激しておられ、特に児玉氏に会え
たことが思いもかけない出来事だったようでした。
右のお二方はパルンさんのことを多分、遅れてやってきたよいよい会メンバーと思っておられるの
では。
パルンさんはパルンさんで右側の美人が高官夫人であることに後で気がついてびっくりされたの
では。
 
パルンさんの運転で甲州街道を突っ走ること約2時間。
(渋滞が無ければ1時間半とのこと)
11時にパルンさん宅に着いた私を奥様と次男の方が暖かく迎え入れてくださいました。
パルン夫人は知的風貌の美しい方ですが、固く掲載お断り、ということですので、ご紹介できな
いのがとても残念です。
二日に渡ってパルンご夫妻と色々語り合ったのですが、パルンさんが大変なナルシストであるこ
とを奥様からお聞きしました。
Y.O嬢さんとの再会のときは家族中が首尾は如何に興味津々だったそうで、Y.O嬢さんがパ
ルンさんだけ全然覚えていなかったことを知ると最初は爆笑し、やがてしょんぼりしているパルンさ
んに奥様も二人の息子さんたちも同情されたそうです。
 


パルンさん宅の居間に飾られているこれらの作品のうち、刺繍は奥様のご祖母さまの手による
もの、水墨画は奥様のお母様の手によるものだとのことです。
そばの琴は奥様がたしなまれるとか。
 
朝起きてカーテンを開けて外を見ると素晴らしいお庭でした。
そのすぐ裏から山林が始まるのです。
 
朝食をいただいてからパルンさんと愛嬢のクレアちゃんの3人で散歩に出かけます。
 
ゆるやかな道は樹林の中に入って行き
 
ちょっと高台の広いところを通るときには播州上月城の山城の上で見たようなこんもりとした樹
林を左手に眺め、
 
やがて本当の山道へと入っていくのです。
 
一番高いところの山腹の斜面に墓場があり、遠くには近郊の新しい住宅地が見えます。
 

そして下り坂を降りてきたところはこのような落ち葉が敷き詰める広々としたところ。
 
クレアちゃんは母はポインター、父はラブ  レトリバーだとのこと。
 
パルン邸が見えてきました。
パルンさんの住んでいるところは私のもっとも好む樹木と起伏に囲まれた素晴らしい自然環境
に恵まれたところでした。
 
午後3時半、パルンさんに駅まで送ってもらい、私は江戸川区に向かいました。
パルンさんご夫妻には本当に至れり尽くせりの心のこもった接待をお受けいたしまして私は感謝
の言葉が見つからないくらいでした。
 
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