2/7 2003掲載
森脇久雄
ピアノ工房『KYOTO PIANO ART』
昨年の12月に画像系伝言板「リニューアルされたピアノ」で紹介した調律師のことを覚え
ていらっしゃるでしょうか。
私のピアノ調律修行時代、浜松のピアノメーカーで苦労を共にした修行仲間のその調律
師が京都市北部に新しいピアノ工房を建てました。
そのピアノ工房の名は『KYOTO PIANO ART』
その調律師の名前は新井浪男。京都生まれの京都育ちです。
年は私より2歳上ですが、自動車のセールスマンを辞めて研修にやってきたので私たち
は同期の研修生という間柄ですが、研修を終えてからの30数年間の歳月は彼と私の技
術力の格差をどうしようも無いくらい広がせており、私は仕事の技術上のことで困難な目
に遭うといつも彼に助けを求め、彼はいつも完璧にその求めに応じてくれるのです。
私は彼のことをピアノのブラックジャックと渾名しております。
一年後に入ってきた倉敷市の山本秀実君(写真左・私より1歳下)を入れて私たち3人は
兄弟のように仲良くなり、研修終了後もずっと絶えることなく現在に至るまで親しい付き合
いを続けてきております。
たまたま、4日は京都市で仕事がありましたので、ついでに彼の工房を見学取材してくる
ことにしました。
地下鉄に乗って終点「国際会館前」で降りて工房に電話するとすぐさま、従業員の鈴木里
絵さんが車で迎えに来てくれます。彼女は新井さんのたった一人の弟子なのです。後で
彼女のことは詳しく触れますが、とにかく凄い女性です。
.
工房は駅前の広い通りを数分走ったところの右手にありました。
綺麗な建物ですが、看板らしきものは何も掲げておらず、普通のやや大きい民家という感
じです。聞けば、注文している看板がまだ出来上がってないとのこと。
広い道路の向かいは雑木林、こちら側は閑静な住宅街と環境はとてもよいところで、後を
振向けば比叡山が間近に見られます。
それまでに彼が工房としていたところは出町柳から琵琶湖の方に抜ける国道が山間部に
入った場所にあり、飯場みたいなところにあるプレハブ家屋といった感じでしたから、月と
スッポンくらいの違いの環境です。
車を降りて、入り口と横の窓ガラスから伺える中の洒落た光景に私は浮き浮きしてきまし
た。私にとって兄同然の新井さんがこんな綺麗な工房を構えたことが嬉しくてならないの
です。素晴らしいピアノを作るのに前の工房は雰囲気が悪くてダメージを客に抱かせやす
かったことに心を痛めていたのです。
よ〜し、絶対にHPに掲載だ!ばんばん写真を撮るぞ、と私は張り切りました。
中に入ると新井さんとの挨拶もそこそこに私は手当たり次第、という感じでデジカメを撮り
まくりました。
入り口を入ったすぐ右手です。
左手奥、階段すぐ下のピアノの拡大写真にご注目下さい。
燭台がついているでしょう?
ドイツ・イーバッハ社の製品です。
ルノアールの絵「ピアノを弾く娘たち」に使われたようなピアノではありませんか。
1893年製ですからルノアール52歳のときですね。
何ともクラシックな形のピアノです。
鍵盤蓋裏に記されるコペンハーゲンの文字からこのピアノはデンマーク製ということが判
ります。19世紀前半のものというのが新井さんの推定。
同業者が置かせてくれと頼み込んだので置いているとのこと。
300万円のお値段だそうですが、このピアノだけは我が顧客に買っていただきたくないで
すね。なぜなら、調律はじめ、メンテナンスが大変そう!
よく、見てください。
チューニングピンは普通のグランドピアノだったらこちら側にあるのにこのピアノは向こう側
にあるのです。調律がやりにくいと思うし、弦が切れたら張るのも一苦労ってな感じです。
いずれのピアノもかなりの年代物。
それらを完全にオーバーホールしてここに陳列しているのです。
キータッチ、機能の俊敏性は新品商品と比べて何らの遜色ありません。
「母の形見なのです」「父が無理して買ってくれたのです」「祖母が愛用してたのです」「私の
汗と涙の結晶がこもっているのです」と様々な思い入れがあるためにひどく老朽化してもピ
アノを手放すことができない、という人達にとって新井さんは救世主なのです。
2階に上がる階段から見た1階です。
2階にもこのように4台のピアノが。
いずれも新井&鈴木の師弟による力作です。
天上から吊り下げてあるのはピアノの鉄骨をピアノ本体から引き離すときに吊り上げる機械
です。
二つのスタインウエイピアノです。
向こう側が1898年製ニューヨークSW・Aモデル
手前が1935年製のハンブルクSW・Mモデル
1898年と言ったら鉄血宰相ビスマルクが死去し、ハプスブルク家のエリザベート皇后が暗殺
された年です。
ニューヨーク・スタインウエイを引き取るときの65万円の価格はスタインウエイの中古品として
は捨て値のような価格だそうです。
大屋根(グランドピアノの上を覆う蓋)のまくり蓋(譜面台のちょうど上に位置する蓋の部分)が
真っ二つに割れ、ピアノケース本体のあっちこっちが破損しているぽんこつ同然の状態から
新井&鈴木の両職人は接木をし、響板の傷に埋め木をし、駒板の斜めに刻み込まれた表面
が100年以上にわたってこびりついた汚れで凸凹しているのを一つ一つノミで削り、このように
チューニングピンを打ち込んで絃を張り、ピアノとしての、スタインウエイとしての音色を出しうる、
いわゆる生命を蘇らせ、魂を吹き込んでいく作業をやっていくのです。
鍵盤には新井さんが取って置きの象牙を貼っております。
「もりさん、どんなに苦労をしたことか!どんなに金をかけたことか!」
過去30年間、一緒に酒を飲んだときに吐く新井さんの言葉には血を吐くようなものを感じること
がしばしでした。
ちなみに出来上がったこのニューヨークSWの販売価格を尋ねると490万円から500万円ぐらい
とのこと。
ウオールナット塗装のハンブルク・スタインウエイ
外枠の塗装と新品の象牙を貼った鍵盤という状態で引取り値が250万円
まだ、チューニングピンも打っておらず、弦も張っていない状態です。
ここから新井さんは鉄骨に金粉を塗り、アクション部の磨耗部品は総取替えにするのです。
ピカピカに磨き上げた響板と駒
ニューヨークSWの調整にいそしむ新井さん。
人間的には非常に心暖かく、義侠心に富んだ男ですが、仕事に対する姿勢はそれはそれは
厳しく、典型的な職人気質の人です。
感情の起伏も激しく、若い頃は、取り付けたハンマー(弦を叩くフェルト製の部品)が全然いい
音を発しないのに頭に来て全部折って捨ててしまう、と言うこともよくありました。
取り付けたハンマーが鍵盤を弾くと弦を二度打ちすることの原因が分からず、徹夜で原因追
求を続けたことなど、彼の苦労談を私は随分多く聞いてきております。
それだけに弟子にも技術力を磨くことへの要求度は大変厳しく、思うように伸びない人間には
ぼろんのちょんのと怒鳴りまくるものですから、今までに弟子入りした何人の若者が彼の所か
ら逃げ去ったことでしょうか。
そして新井さんは50代も半ばを過ぎてから一人の優れた弟子に恵まれることになったのです。
その弟子が先に紹介した鈴木里絵さん。
新井さんのところに弟子入りして3年半になります。
ようあの新井さんところで辛抱できるな、と新井さんを知る同業者たちは皆感心します。
2年ほどしたころでしょうか。私は彼女がチューニングピン打ちをし、弦を張り、アクション交換の
すべてを一人でやったグランドピアノを見たとき、驚嘆しました。
チューニングピン打ちなんて男性でも大変な重労働で、長い年月やりつけていない私なんか
低音部が終わらないうちに右腕がなまってしまうようなしんどさなのです。
弦張りも真ん中や高音部の細い弦だったら慣れれば別に張ることが難しいものでは無いので
すが、最低音部あたりは1ミリ以上という太さの鋼鉄線に銅線をぐるぐる巻きにしたものを張る
のですからチューニングピンに隙間の無いコイル状で巻きつけるには並大抵の力では出来な
いのです。
小柄な女性がそれらを全部自力でやったということに私はショックに近い驚きを感じました。
口の悪い新井さんは最初は、「だめだ、だめだ。ぐずだ。とんまだ」としきりにぼやいておりまし
たが、段々と悪口が減ってき、「あいつは根性がある」とつぶやくようになり、やがて「後継者とし
て考えている」と言い出すようになりました。
そして昨年末、新井さんが大借金までして工房を新しくしたのは任すことのできる後継者ができ
たことも大きな理由だったのです。
鈴木里絵さんは関東で生まれ、関東で育ったのですが、彼女のユニークなところは東京芸
大作曲科を出ながら作曲家、音楽家の道には進まず、ピアノ作りの方に入っていったことです。
東京芸大作曲科卒なんてこれは凄いステータスなのです。私の顧客のピアノの先生たちは
その経歴を聞いただけで彼女に会いたがります。いったいどんな女性なんんだろう!とひどい
好奇心に駆られるみたいです。
どうして作曲家の道を捨てたの?と尋ねると彼女は「才能が無いのに気がついたからです」
というだけで他は一切喋りたがりません。
不思議な女性ですが、一緒にお酒を飲むととても楽しく、くつろげる人なのです。
この日も工房を早めに閉めて3人で飲みにいきましたが、
「おい、鈴木!」
「何です!」
「こら、アホ!」
「アホじゃありません!」
「だからお前は頓珍漢やと言うんや」
「いい加減馴れましたけれど、人の前でけなすのは止めてください!」
と口の悪い師匠とその弟子がやり取りするのを聞きながら酒を飲むのは本当に楽しいもの
があります。
毎日毎日顔をつき合わせて仕事していたら色々衝突もあるでしょうし、うんざりするときもあ
るでしょうに、このようにポンポン言い合う師弟を見ていると何かホッとするものを感じます。
北海道に長期出張したときに愛犬が死んだ報を聞いたら仕事をほったらかして帰ってき、
「犬が死んだからって仕事途中で帰ってくる人います?」と奥さんをぼやかせた師匠の底抜
けの情の深さを里絵さんは知っているからついていくのでしょうね。
私はこの若い女性調律師に師匠の持つあらゆる技術を身につけて将来、全国的に名前が
知れ渡る技術者となって欲しく願っております。
工房のことをHPに掲載することについては喜んでくれた鈴木里絵さんですが、残念なことに
彼女自身の写真はとうとう撮らせてくれませんでした。
自分の容貌が好きじゃないんだそうです。私はとても好きなのですがね。
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