6/17 2003掲載

森脇久雄
 
熊野行き(蛍祭り2003)
 
今年も修験団仲間による蛍祭りの季節がやってきました。
6/7(土)午前9時、京阪香里園駅でアイ・リエさんとY・美穂さんと待ち合わせ、私の車で一路熊野に
向かいます。和歌山県大塔村まで約6時間近くのドライブ。

必ず立ち寄る十津川村の谷瀬の吊り橋。
長さは日本一。風が強く、いつになく揺れました。
実はリエさんも一緒に写っているのですが、間の抜けた顔をしているので本人も嫌だろうと思い、左半
分だけにしました。

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せっかく熊野まで来てこのあたりの自然の美しさを堪能しない法は無い、と大峯山脈に深く入り込んで
行く林道へ車を乗り入れます。

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国道168から12キロ入り込んだところにある笹の滝です。
日本の滝100選の中に入っている美しい滝です。

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歓声をあげてリエさんはサンダルを脱ぎ、滑の上に乗ります。
「つかりた〜い!でも冷たそう〜!」

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美穂さんも「こんな美しい滝を見るの初めて!」と感激し、この滝を見たことによって彼女は今まで考
えもしなかった奥駈に参加することを真剣に検討しだしたのです。車道から滝のところまで行く根っこ
の這いずり回る山道も彼女に神秘的な思いを抱かせたようでして、そういえば我がmitiko姉もここに
連れてきたとき、大峯の凄みを実感すると言っておりました。
二人が予想以上に感激してくれたので私も大満足でした。
ところがその後がいけません。
 
本宮に近づいたところでカツラさんから電話が入り、「アニキ、無念!夜の取材が入って今夜行くのが
無理になりました」
と言うではないですか。田辺市勤務だったら少々遅くなろうと車をぶっ飛ばしてくる彼女ですが、今は
串本勤務、ちょっと遠すぎます。
もう、がっくりこです。

笹の滝往復で1時間も費やしたので本宮大社のお参りは省略して湯峰温泉に向かいます。
熊野界隈では人気のある温泉で、温泉街も情緒があるのですが、入浴中に大雨となり、湯船
以外の写真は全然取れませんでした。
画像は薬湯で、この湯ではシャンプー、石鹸の使用を禁じられております。
乳頭温泉のような色は付いておりませんが匂いとドロッとしたお湯の感触はなかなかのものが
あります。
湯峰温泉は小栗判官物語でも有名なところで、リエさんがそのあらすじを美穂さんに語って聞
かせるのをそばで聞いていてよく
筋を覚えているな、と感心しました。
 
湯峰温泉から大塔村に行く山間部ではもの凄い豪雨となり、視界も悪く、スピードも極力落とし
て走らなければならず、この様子では今夜の宴は外では無理だね、と私が言うと、「大丈夫です。
きっと雨は止みますよ。私は晴れ女ですから」とリエさんが言います。そしたらあ〜ら不思議、
中辺路(なかへじ)を過ぎて大塔村に入ると雨は止み、走って行くうちに道路も乾いていて降雨
の痕跡の無いところにやってくるではないですか。
そうか、リエさんも手打ち庵と一緒の強力晴れ人間か、と納得しました。
堀池さんの紀州松煙工房に着いたのは午後6時20分で、宴は始まっておりました。

右端の女性は柴田雅和さんのかつて勤務した会社の後輩で小島さんと言い、門真市に住んで
いるそうです。
柴田君の誘いで、彼女は5人の仲間+犬を連れて参加したとのこと。

おなじみ、万澄さんに中世古さん。
マスミさんは金曜日から熊野入りし、海で中世古さんと遊んだ後、こちらにやってきたとのこと。
右端は連れてこられた犬の飼い主さん。

左から松本夫人、山上夫妻。
松本良さんは郵便局長を辞めた後、山の中で備長炭の炭焼きを始めており、今日もちょっと遅
れて来るとのこと。
山上さんは美穂さんとは3年ぶりの再会。

紀州松煙工房の堀池雅夫さんです。
松の木を燃やして生じる煤のみを使って高級墨を製作しておられます。
紀州松煙工房については下記のサイトをご覧になってください。
http://www.aikis.or.jp/~horiike/

良さんを除く全員が集合したところで、それぞれ自己紹介をいたします。

左から熊野修験の早稲田さん、坂本さん、山の作家の宇江利勝さん。
立っている女性は元NHK和歌山の記者だった高橋さん。

犬と一緒にいつも行動するという大阪の夫妻。
左隣はこれも常連の柴田君

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柴田君は何と!神奈川県の大磯からオートバイでやって来たのです。
1300ccという普通車並みのエンジンを搭載する自動二輪です。

大阪の夫妻の愛犬です。大人しく、翌朝、テントの中でいつまでも寝ていて出てこないのが可笑しか
ったです。

高橋さんはNHKの記者だったころ松煙工房の取材に来たときに蛍祭りのことを聞き、今年3月にNH
Kを辞めたので
今夜は友人たちを連れてやってきたとのこと。
しかし、残念ながら今年は例年ほど蛍が多くなく、去年のもの凄い量の乱舞を見せてあげたかったで
す。

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蛍見から帰ってきたら屋内での宴会に切り替えました。

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やがて生熊青龍さんと田代真平君が高木亮英師の名代としてやってきました。
例年なら亮英さんも必ずやってこられるのですが明日早朝からの熊野古道を歩く行事が控えている
のでこの二人に日本酒を何本も託して送ってこられたのです。
生熊さん(右から4人目)は熊野修験団の総奉行です。
真平君(右端)は中学生のときから亮英さんに従って奥駈に参加しており、高校を卒業してからは青
岸渡寺の職員と
なって亮英さんの補佐を色々やっております。中学生のときはひょろっとしたいかにも田舎の少年とい
う感じでしたが二十歳を過ぎるとがっしりとした体躯に風格のある顔になりました。彼は高校時代、剣
道部のキャプテンをやっておりました。

ふと気がつくと可愛らしい女の子が真平君のそばにいます。
何と、真平君の彼女ですって!ヒョエー!
いかにもおぼこそうないい感じの子でした。

リワが被写体となるときはだいたい酩酊していて、ろくなポーズをしておりません。
弁解するわけじゃありませんが、皆さん、それぞれの手の行方だけはしっかりと見てくださいね。
私は彼女らを抱きかかえてはおらず、ただ、覆いかぶさっているだけなのです。
しかし、女性たちの顔が小さいからリワのデカ顔が目立つこと。

このあたりから記憶が定かでなくなります。
私が何度催促してもリエさんが踊らないので私が踊りだしたそうです。

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ついにはミホさんを引っ張り出して硬直タンゴを踊ったとか。
タンゴのことだけはかすかに覚えていました。
そしてやがてポテチン、と寝てしまったそうです。
 
しかし、そこは場数を踏んだリワにぬかりはありません。
来る途中の車の中でこの事態を予測して女性たちに念を押して頼んでおきました。
私が酔いつぶれたら1時間ほどそのままにした後、つねる、こそぐる、ひっぱたくをして起こすように、と。
後で聞くところによるとリエさんの往復ビンタと堀池さんの「ラーメン、欲しくないですか?」の声が私を
覚醒させたとか。
ビンタのことは覚えていませんが、ラーメンのことは食べた〜い!と思ったことを強烈に覚えています。
実際に「欲しい!欲しいです!」と叫んだらしい。
その後食べたインスタントラーメンの美味かったことといったら、もうどんな高級料理も及ばないもの
がありました。
大酒飲んだ後は、絶対にラーメンですね。
最終的には何時に寝たのか、トイレはどのようにして行ったのかは不明。
良さんも遅れて来たそうですが、全然、記憶にありません。

朝起きたら、半分以上の人がいません。
夕べのうちに帰った人、今朝早くに帰った人が結構いたようで中世古さんなんか、今日琵琶湖で行
われるカヤックカヌー大会に参加のために早く出発したそうです。
ここから琵琶湖まで走り、また三重県の海山町まで日帰りするのです。なんとタフなのでしょう。
炊事場で後片付けしている3人も谷川で水浴びをしてきたとか。

う〜む、皆元気ですなぁ。

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外に出てみると昨日とは打って変わったような良いお天気。

堀池さんが作ってくださる茶粥を美味しく食して私たちは工房を後にしました。
今日は友達のライブに行く約束をしているリエさんが午後5時30分までに神戸のJR住吉駅まで
行き着かなければならないので、あまり熊野でのんびりできません。
京都から新幹線に乗って帰る万澄さんも車に乗せて出発します。

前々からこの4人を断崖絶壁の地、大丹倉(おおにぐら)に連れて行きたかったので堀池さん
所から直行したかったのですが、柴田君、万澄さんが亮英さんにお会いして帰りたい、というの
で、ご挨拶だけでもと1時間遠回りになる那智の青岸渡寺に向かいます。
オートバイの後に乗っているのは万澄さん。

おいおい、柴田君、わき見運転は危ないよ!

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青岸渡寺に着いたら何と、亮英さんはたった今しがた勤行に入ったとのこと。お寺の受付の人は20分
後に来てください、だって。
そんな時間の余裕は無いので私たちは紙に昨夜のお酒の差し入れのお礼を記し、みんな署名して受
付の人に渡し、境内で記念撮影して辞去することにしました。

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下の五重塔近くの駐車場まで降りて、車のところで柴田君と大丹倉までのコースを地図で検討してい
たら、「もりわきさ〜ん」と上の方から声がし、見上げると、亮英さんが日本酒と果物を入れた袋を持っ
て駈けて来られ、石段を走り降りてこられるのです。
「いや〜、書置きを見たときは、もう出られた後かなと思いましたが間に合ってよかった!」と言われ
る亮英さんに
私たちがどれだけ感激したことでしょう。
「柴田君、元気か?ますみさん、りえさん、また奥駈に来てな」と嬉しそうに声をかける亮英さんを見て
いるとこの
お坊さんに接する多くの若者がすぐに慕ってしまうことが納得できるのです。
 
青岸渡寺を出てからは新宮市、紀宝町と通過し、熊野市に入る手前の御浜町から内陸部に入って行
きます。
大丹倉の標識が現われたとき14キロの表示。狭い山道を延々と行くこの14キロの長かったこと。
離合できないところばかりなのですが、幸い行きかった車はたったの2台だけ。いかに人の寄り付か
ない場所ということがお解りでしょう。

大丹倉より3キロ手前にある丹倉神社に着きます。
参道が山の斜面の樹林の中を下に降りて行くという変わった様式の神社です。

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石垣と大岩があるだけですが、その静寂な雰囲気は一度訪れたら忘れられません。
「もりわきさんはよくこんなところをご存知ですね」とりえさんが驚きますが、いえ、熊野に友人知人を
多く持った賜物ですよ、と答えます。
時間に余裕がないので、わずか5分で皆を促し車に戻ります。

大丹倉の駐車場に着いたのがもう午後の1時30分。奈良県の池原から橿原市までが2時間、橿原市
から神戸の住吉まで1時間半の所要時間だから、どんなに遅くとも2時までには池原にたどりつかな
ければなりません。
みんなを急がせて大丹倉への樹林の中の道を急がせるのですが、途中の原っぱがとても素敵だと柴
田君が言うのでここで記念撮影。
(そんなことしている場合じゃないのですが)

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ついに着きました。大丹倉の絶壁の上。

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みんな歓声をあげて景色に見とれます。
柴田君、そんな崖そばに寄ったら危ないよ!

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ほら、こんなに谷は深いのです。
踏み外したら絶対に一巻の終わりです。

「僕は平気ですけれど・・・」
あんたが平気でも見ているこちらの方が怖いの!
 
実に名残惜しいのですが先を急ぐ身、7分ほどで大丹倉を後にしました。
それでも車のところまで戻ってきたときは午後1時45分。
ここから池原まで30分は絶対にかかるだろうな、もう少し早く行けるということは無いよな、と自問自
答しながら焦り気味の気持ちで山道をどんどん車を下降させていきます。

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赤倉川のところまで降りると大丹倉の絶壁が見えますが、車も降りずに車内から撮影するのみ。
赤倉川の清流もそばで見ずに通過していくのみです。
ここから七色ダムを経由して池原に至る道の沿線はいかにも熊野の奥地といった大変風光明媚なと
ころなのですが、とにかく車をひたすらに走らせるだけでして写真を撮る暇もありません。

池原に着くのが予想を大きく上回って遅れ(50分もかかった)、もう、とても間に合わないということが
判明した時点で柴田君のバイクにリエさんを乗せて先に行ってもらうことにしました。そうすれば途中
の遅い車をどんどん抜いてもっと早い時間で橿原市に着くだろうと思ったのです。

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シュラーフなどの入ったバッグは肩から背中にかけさせ、柴田君がゴムロープで後部座席の金具に縛
り付けて固定させます。

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「ちょっと、もりわきさん、こんな光景もHPに載せるんですか?」
「載せるよ。悪い?」

二人は出発していきました。
そのあと私たち3人はホッとしてあせらずにゆっくりとドライブすることができたのでした。

橿原市に着いたのが午後5時45分。途中吉野から渋滞があってかなりのろのろ運転した上でのこの
時間帯についたことに、これだったらリエさんは橿原神宮前駅発の予定していた特急電車に乗れた
ことだろう、とみんなで喜んでいたら、何と、柴田君から携帯に電話が入り、間に合わなかったとのこ
とです。吉野の渋滞は追い越しの連続で行けたけれど橿原市手前から上車線どちらも渋滞して追越
が全然できず、特急はおろか、次の急行にも乗り遅れたとのことでした。私の計算があまく、リエさん
には悪いことをしました。
 
堂田さんの新居で柴田君と待ち合わせ、堂田夫妻も一緒にみんなで近くのレストランで会食しました。
私を除く全員が堂田夫人とは初対面ですが、堂田夫人もすぐに打ち解け、和気藹々と会食を楽しみました。
 
7時過ぎに橿原神宮前駅で一同解散となりました。
京都から新幹線に乗る万澄さんは美穂さんと一緒の電車で京都に向かいます。
柴田君は明日も休暇を取っているそうで、信州回りでゆっくりとライダーしながら大磯に帰るとのこと。
本当に楽しく、充実した二日間でした。
 
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