6/29 2001

熊野修験団・蛍見の会       H13.06.910

6月9日、熊野修験団恒例のホタル見の会に参加のため、和歌山県西牟婁郡大塔村に
行ってきました。
修験団の一人、堀池雅夫氏は書道の墨を制作する人でして、昭和30年代に絶えた松
煙墨の技法を蘇らせ、日本でただ一人、松煙墨を作り続けている存在なのですが、彼
の工房がある熊野の山奥の在所はホタルの里としても有名なところでして、彼の工房
兼別荘を提供してもらって我々は毎年6月初旬にはホタルを見ながらの宴、12月に
は忘年会を楽しませてもらっているのです。
堀池さんのことは、「書斎の極上品」(小学館文庫)に載っておりますので、興味のあ
る方は本を読んで下さい。

9日朝8時、京阪香里園駅でM.リエさんと待ち合わせ、私達は一路熊野を目指しました。
リエさんは世界7大陸最高峰を制覇した石川直樹君の講演会の準備で連日忙しく、昨
夜は一睡もしていないとのこと。
それじゃ、夜の宴会まで持たないからドライブ中、寝ていなさい、と勧めるのですが、
そこは久しぶりに会い、彼女の大峯籠もり行の詳細を聞くなど(これがまた大変面白
く、凄いのです)積もる話に花が咲き、十津川村に入っても彼女は全然眠たくなる気
配がありませんでした。


日本一長い十津川村谷瀬の吊り橋です。長さ297m、高さ54m


何度も十津川村に来ているリエさんが渡ったことが無いと言うので、それではと私達
は渡りました。
高所恐怖症気味の私は初めてこの吊り橋を渡ったとき、4分の1のところでもの凄い
恐怖感に襲われ、顔面蒼白になりながら渡ったのですが、彼女は橋に近づくと「うわ
ー、楽しそう!」と叫びながら浮き浮きするようにさっさと渡っていくのです。とこ
ろが、4分の1のところまで行くと「うん?ちょっと怖いかな・・・」とつぶやき、
やがて真ん中辺りで橋の揺れが大きくなってきたとき、「やっぱり、怖い!」と言い出
したので私もホッとしましたが(なにがホッとしなきゃいけないのでしょう)、それで
も止めることなく、向こう側まで渡りきったのです。とにかく肝っ玉の座った女性です。


午後2時半、本宮町に着きました。
十津川村を出る時点からリエさんはやっと眠りだしたのですが、本宮大社には絶対に
お参りしたいので起こして欲しい、と頼まれていたので、1時間ほどしか寝ていない
彼女を起こすのはひどくためらわれたのですが起こしました。


本殿には左右4つの社があり、リエさんは一つ一つの社に4分ほどの時間をかけて祈
念し続けるのです。3つ目から私は時計を見ながら時間を計ったのですが、二つとも
きっちり4分でした。多分、いずれの社に対しても同じ祈願を捧げていたのでしょう。
彼女は生まれも育ちも横浜なのですが、一度も行ったことのない父祖の地、九州の筑
紫耶馬渓近くの村に一人で訪ねていき、父祖たちが氏子であったその村の神社で祖先
供養をしたことがあるというほどの神社に強い思い入れを持った女性なのです。その
思いがひしひしとつわたってくるような祈念姿でした。

この後、本宮大社から車ですぐのところの川湯温泉に行き、村営の温泉に入りました。
この温泉は、以前4月の奥駈前夜、ぬるい湯に40分も浸かった後、季節外れの小雪
がチラチラ舞うキャンプ場で仲間たちと宴会をしたとき、全然寒くならなかったので
す。その折りの、テントそば近くの木に咲く桜の花と舞う雪が素晴らしい風情を醸し
出してくれたことが印象深く残っています。
こんな経験をしているのでそれ以来、本宮町に来るといつもこの村営温泉を利用する
のです。(入浴料も¥200と安値)
しかし、今回は時間も早かったせいで誰も入っていなかったためか湯が熱く、私は2
0分ほどで出てきてしまいましたが、リエさんは打ち合わせていた40分間、きっち
りと浸かっておりました。
よう、そんなに長いこと入っておれるものだ、と思ったら、ジャンジャン水を入れて
ぬるめたとのこと。そんな簡単なことを思いつかなかった私はバカじゃなかろうか、
と自分でも思いました。

本宮町から熊野川河畔沿いを走ってきた国道168に別れを告げ、紀伊半島を横に突
っ切って紀伊田辺につながる国道311をぶっ飛ばします。果無山脈の南側を走るこ
の国道沿線は山また山の連続で、4年前までは離合するにも困難な細い所が随所にあ
る悪路だったのですが、全線広い2車線の道が開通してからは、もう快適以外の何も
のでもないドライブを楽しめる国道となりました。信号がほとんど無く、時速80キ
ロで走れるなんて阪神高速と何ら変わるところがありません。


本宮から1時間で日置川沿いに所在する大塔村役場のところに着き、そこから山の中
へのドライブ10分ほどで堀池さんの紀州松煙工房に辿り着いたのは午後5時半。
宿所には作家の宇江敏勝さん、絵本作家の松下千恵さん、そして新婚ほやほやのハナ
イさん夫妻がおりました。ハナイ夫人のアケミさんは身重な体なんですが、この集ま
りはどうしても参加したかったのでついて来たとのことで、吉村ミホさんと姉妹のよ
うに仲のよい彼女の存在は私にとっても大変嬉しいことでした。
ただ一つひどくがっかりしたのは田辺市の辻カツラさんが不参加という報でして、な
んと今日、明日と用事ができて京都に行っているとのこと。
ふだん遠くにいるので滅多に会えないのに、よりよって私が熊野に来ているときに京
都とは!
今回は佐藤マホさんも吉村ミホさんも来られないことを知っていたので、昨年、彼女
らと楽しく飲んだことが忘れられなかった私はわずかな間でしたが意気消沈してしま
いました。
ただでさえ少ない女性軍に3人も欠員ができ、ま、よくもリエさんが来てくれたこと
よ、と改めて彼女の参加を有り難く思ったのでした。
宇江敏勝さんは若き日から40歳のころまで父親と一緒に炭焼きで生計をたてて来た
人で、人里離れた山の中の小屋のなかでぽちぽちと書いてきた山人としてのエセーが
次第に多くのファンを得るようになり、今では、岩波書店、福音館、中央公論社など
のメジャーな出版社からも色々その作品が出版されおります。10数年前に初めてこ
の人の著書「山に棲むなり」を読んでから私はいっぺんに魅了され、それ以降、彼の
本はすべて読んできたのですが、その著者と8年後に奥駈で知り合うことになり、こ
のように宴を頻繁に共にするようになろうとは当時、夢にも思いませんでした。
2年前に出版された「熊野修験の森・大峯山脈奥駈け記」(岩波書店)には熊野修験団
の奥駈の話が主となっていて私のこともわずかですが載っており、岩波書店の出版物
にまさか自分の名が載ろうとは、とずいぶん感激したものでした。

堀池さんを初めとする他の人達は近くの温泉乙女の湯に行ったとのこと。
それだったらその間にでも一寝入りしておくようにとリエさんに勧め、離れの家屋に
行って寝てもらったのでした。


1時間ほどして温泉組が帰ってきてから下ごしらえのできている宴会の準備に取りか
かります。

中央の坊主頭の男性はカヤックカヌーの世界では有名な佐藤一男さん。昨日、川崎市
からやって来て、40人分のソバを一人で作ったそうで、彼の手打ちソバは宴会の目
玉メニューなのです。
ま、妹尾君いわゆる、自分を犠牲に仲間の幸せを第一に考えるRasaの重鎮、西村
君みたいな人ですな。

宴会を始めて日が暮れたころになって熊野修験団の導師、高木亮英師がやってこられ
ました。西国33ヶ所巡り第一番寺である那智山青岸渡寺の渉外関係を一手に引き受
けている(テレビで那智の滝が映されるとき、同師がよくインタビューを受けており
ます)という超多忙な身でありながら、まったくお酒を飲めないのに車に日本酒を何
本も載せてやってこれるとは本当にいつも頭が下がります。
そのちょっと前に我らが修験道のマスコットガール、マスミさんが友達を連れて到着
したときも場は大いに沸きました。彼女は、午後に東京を新幹線で発って神戸の友達、
金井ヨウコさんと待ち合わせ、用事があって大阪に車で来ていたアルバトロス・クラ
ブの中世古さん(高木師の左側の男性)に乗せてもらってやってきたのです。
右端の辻田さんは、沢遡行ハイグレードの谷が数多くある大峯のすべての谷を遡行し
たという大峯の猛者です。つい1年前に修験団に入ってきたばかりの人ですが、奥
駈中、ばてた人達の荷物を持ったり、色々サポートに気を配ってくれ、今では熊野修
験には無くてはならない存在となっております。


全員揃ったところで初めて乾杯。
左前の青いズボンをはいたのが堀池さんです。
今回は体調を崩した人達が多かったらしく、去年ほどの人数は集まりませんでしたが、
それでも18人そろいました。


宇江敏勝さんです。
宇江さんはビールはほとんど、日本酒もわずかだけ、ひたすら焼酎を飲み続けます。
彼の著作を読んでいると、いかに焼酎を飲むシーンが多いことかに驚かされます。


マグロの頭を火であぶって肉をそぎ落として食べるその香ばしい味の美味しいこと!
たちまち無くなってしまい、後は肉をどんどん入れて食べました。
参加者が予想よりもはるかに少なかったため、一男さんの手打ち蕎麦が大量に残り、
もうみんなでせっせと食べました。
美味しい蕎麦なんですが、かといって酒を飲むみたいにはいきません。しまいころに
はもう結構、という感じでした。


女性達だけ集まってもらいました。
真ん中のご婦人は新宮山彦ぐるーぷの副リーダー山上さんの奥様、昌子さんで初参加
です。70歳近くの女性と思えます?
実に品が良く飾らない人柄で、私がハナイさん、マスミさん、マホさんなどのアル
バトロス・クラブの若者たちを初めて引き連れてご自宅に泊まりにいったときも実に
暖かく迎えて下さったのです。彼女を私は新宮山彦ぐるーぷのマドンナと呼んでおり
ます。


皆さんの熱烈な要望で、やがてリエさんがインド舞踊を踊りだしました。
立志神社で一度見たことのある山上さんは「わしは、彼女が来るということを聞いた
ときから、これが楽しみでならなかったよ」とひどくご満悦な表情で言っておりまし
た。
山上さん、マスミさん、私の3人以外は初めて見るのですが、みんな最後まで声も立
てずに見入っておりました。
リエさんも修験道世界には無くてはならない存在となりました。


8時半ころ、今宵の宴の目玉、ホタルを見にみんなてんでに懐中電灯やヘッドライト
を手にして工房を後にしました。
山中の真っ暗な車道を10分ほど下ったところに10軒ほどの民家しか無い小さな在
所があり、そこの川に無数のホタルが群生しているのです。
深いところにある川面の上を無数のホタルが点滅しながら飛翔している光景は実に幻
想的であり、デジカメで撮れないのが本当に残念でした。
ホタルの光はなんであのように見る人の心を呪縛するのでしょうか。ホタルを見るの
は初めてという金井ヨウコさんは、この世のものとは思えません、と素敵なセリフを
もらしておりました。
しかし、花より団子、とばかり、和歌山市の山田雅彦さんが一升瓶とたくさんの紙コ
ップを持参していたのには笑ってしまいました。私を上回る酒好きなお人もいるもの
です。
「ホタル見の宴なんですから、やはりお酒は必要でしょう?」
まさにそのとおりでして、私は何杯かおかわりをしました。2合くらいは飲んだと思
います。


かなり酔っぱらって工房に戻ってきたとき、工房敷地の入口近くの山裾にササユリを
見つけました。花に詳しい人がササユリと言ったのですが、帰宅して図鑑で調べたと
ころ多分間違いないと思います。
金井ヨウコさんがかなり感銘を受けたようで、写真を撮ってくださいと頼まれたので
撮りました。


工房に戻って高木師、松下知恵さん、ハナイさん夫妻、地元の人達が帰っていった後、
入れ替わるようにしてアルバトロス・クラブの事務局長柴田雅和さんがやって来ました。
(写真右端)

彼は転職のため2日前に関西に来てたまたま小田さんに電話したところ、私達がここ
に来ていることを聞き、一人車を走らせてやってきたのでした。関東でしか会えなか
った彼にこんな熊野の山中で会えるとは思いもかけぬ喜びでした。
彼は、昨年の丁度今ごろ、出張で関西に来たとき我が家に泊まってもらったのですが、
はしゃぎすぎた私が酔っぱらって、家内や娘が何とかして布団の中に入れようとする
のをいやだ〜、いやだ〜、と叫び抵抗し続ける私の姿に唖然としたそうで、それ以来、
私に対してもの凄く親愛感を感じてくれたとか。私にとっては大切な甥のような存在
です。


さあ、宴会の続きだ、となったのですが、二日に渡ってそば粉を練ってきた一男さん
はさすがに疲れたのでしょう。マスミさんが肩をもんであげます。
53歳になっても独身を通す一男さんにとってマスミさんは娘のような存在であり、
さぞかし嬉しいことでしょう。
「マスミちゃんは俺の娘だからな。もりさん、盗るなよ」と彼に言われたことがあり
ました。誰も盗らないって。
私も奥駈中に山小屋で30分に渡って足を指圧してもらったことがありますが、彼女
の指圧はツボをよく心得ており、大変効き目がありました。

12時を過ぎるとさすがに一人一人と宿舎に引き上げていき、最後まで残ったのは私
を含む6人ほどでした。いつもなら一番につぶれてしまう私は、この素晴らしい宴会
に途中で寝てしまってたまるか、とばかり、本宮町でカフェイン入りのドリンク剤を
飲んでいたのですが(せこいことを考えるものです)、普段、薬を全然飲まない私には
強烈に効き、最後まで目はパッチリコでした。


睡眠不足でひどく肩がこっているリエさんの腕と肩をたけちゃん(田中健君)がマッ
サージしています。
実はこの写真、帰宅して見て、「おっ!なんと、これはまるで2人が抱き合っているよ
うではないか!」と小躍りした私はリエさんにメールで写真をすぐ送るからそれを見
た上で、下記のコメントをつけてHPに掲載して良いか了解を欲しいと頼みました。

===================================
最後まで残ったのは若い女性たちとたけちゃん、大峯の猛者辻田さん、それに私の6
人でした。
奥駈のサポートという地味な役割に徹し続けるたけちゃんの年来の活躍のことを話し
たところ、飲み過ぎた酒の勢いもあって普段になく舞い上がっていたM.リエさんは、
よしよし、と言わんばかりにたけちゃんを抱きしめたのです。
「貴男は立派!」
「有り難うございます!お姉さま」(ウルウル涙顔)
===================================

メールを見て彼女は吹き出したらしく、すぐさま返事を寄こしてくれました。
「よくもそんなもっともらしいでっちあげを思いつきますね。その写真は現場ですぐ
に見せてもらいました。森脇さんは酔っぱらっていてマッサージの最中だったことも
すっかり忘れていらっしゃるようだから、誤解を招かないようにマッサージしていた
ところ、とキチッと断り書きをつけて下さいよ。私だってまだ独身なのですからね」
と言う次第でOKでした。
朝7時紀伊田辺発の特急で近江八幡まで行かなければならないリエさんの今日の行動
予定もあるので午前2時に私が言い渡して宴会をお開きとしました。


朝5時半に起きてみるとお嬢さん達はごらんのとおりグッスリ。
寝ぼけ眼のリエさんを起こし、山上さんがたててくれたコーヒを飲ませ、これも山上
さんが夕べの残りで作った弁当を持たせてにわか弟となったたけちゃんに車で彼女を
紀伊田辺駅に送ってもらいました。


朝食風景です。


朝食を終えた後、昨晩の夜更かしの影響が急に出てきて、私は部屋の中でしばらく仮
眠をとりました。そして小一時間ほど寝た後にざわめく物音でフッと目が醒めたら、
テラスのところで山田さんが下の川を眺めています。そばに行って私も崖の下を覗き
込むと何と一男さん、辻田さん、マスミさん、柴田君らが川の中に入って遊んでいる
ではないですか。
6月とは言え、山の中の温度は暑いというにはほど遠く、水も冷たいでしょうに元気
なものだ、と呆れます。


昨夜飲んだ缶ビールの空き缶を使って缶つぶしコンクールをいたしました。
これはカヌー遊びをする中世古さんたちがカヌー大会の催しなどで大勢の人達が集ま
るとき、空き缶を収納しやすくするためにやるそうで、ちゃんとしたルールがあり、
ボードの足の位置に両足を置いて踏みつぶした缶の直径と厚さをボード右そばの器具
で計って合計点を出し、点数の低い者から順位が決まるのです。
直径は長い方が採択され、厚さも斜めにひしゃげるとアッという間に点数が高くなっ
てしまい、なるべく正円に完全につぶすほど高順位になるのです。
私は7位でして賞品は日本酒一升瓶。私にふさわしい順位でした。ブランデーとかワ
イン、缶ビール10ヶ入りとか全員に賞品が用意されており、要するに残った物の処
分でした。
すべての缶をつぶした後、片づけをやり、楽しい一晩を過ごした紀州松煙工房を出発
いたしました。

今日は午後、現在本宮町で20日間に渡って行われているNHKのテレビドラマ撮影
に、我々熊野修験団も山伏装束でエキストラとして参加するのです。
今年の10月から放映される朝の連続ドラマだそうで、本宮町で育ち、大阪に出てい
って活躍する少女の祖父が山伏という設定であり、その祖父が奥駈するときに同行す
る山伏として参加協力して欲しい、とNHKから熊野修験団に要請があったのです。

途中、宇江敏勝さんの家に寄ってそこで山伏装束に着替え、その日のうちに東京へ帰
らなければならないマスミさんを奈良に帰る柴田君に送ってもらうことにし、撮影の
見学を希望する金井さんは私の車で一緒に帰ることにして、ここでマスミさん、柴田
君たちと別れて我々は本宮町役場に向かいました。


本宮町役場前での撮影です。
NHKから要請されたのは赤梵天2人、紺梵天2人、緑梵天7人、総数11名という
ものでしたが、熊野修験団レギュラーメンバーのうち、小田さん、松本さんが都合が
悪くて不参加だったので、新宮山彦ぐるーぷのサポート隊メンバー3人に急遽参加し
てもらい、生まれて初めて着るであろう山伏装束を着せたのでした。
昨夜、いったん和歌山市に帰ったハナイさんは出発ギリギリになりましたが、もちろ
んまた奥さんを連れてやってきてくれました。夫婦で撮影をとても楽しみにしている
そうです。
午後3時、全員集合した時点で本宮町役場の職員が運転するバスに乗って我らエキス
トラ隊は大峯山中の山在峠に向いました。女性達は山上夫人の運転する車で後につい
てきます。
運転しながら語る役場職員の話によると、NHKの朝レンに取り上げられることは町
の大変なPRになるというので役場あげて撮影をバックアップしているそうで、その
職員は撮影が始まってから20日間、仕事はそっちのけでずっとこの撮影隊につきっ
きりになっているとのこと。

狭い道をくねくね曲がりながら徐々に高度を上げていき、約30分ほどで尾根の上に
ある山在峠に着きましたが、車でここに来たのは初めてのことです。
NHK関係の車が所狭しと停まっており、スタッフたちが霧雨模様の中を忙しく行き
来しております。山伏装束の人が一人いるな、と思ったらそれが祖父役の俳優、佐藤
慶さんでした。
撮影は車道から20メートル山の中に入った宝篋印塔の立ち並ぶ広場で行われている
ようで、40分ほど待たされた後、我々の出番となりました。
現場に行ってみると、たった今撮影を終わった主役の少女が山伏装束でおり、小学生
高学年か中学生ぐらいの歳かと思いますが、さすがに華やかで可愛らしい子で「やは
り主役に抜擢される子はどこか違うねぇ」とご婦人達が囁いておりました。
我々の撮影場所はさらにここから80メートルほど奥に入った所で、山の斜面を駆け
下りてくるシーンを撮るとのことです。樹木を掻き分けて現場に行ってみてビックリ
しましたね。樹木のまばらに生える斜面の道をはさんで上下のあちらこちらにおびた
だしい数のスタッフ達が這いつくばっており、中には木にしがみついて体制を保って
いるスタッフもいるのです。この中を、木の根っこや岩がむき出しになっている道と
言うにはあまりにもお粗末な急坂を駆け足で降りていくなんて無茶だと思いましたが、
協力を引き受けた熊野修験団としては断るわけには行きません。10メートルの距離
を3回駆け下りました。1回目は本当の駆け足で(濡れているので滑りそうになりま
した)、2回目は「並足で歩行していたが、急に急がなければならない状況が生じて駆
け足になりつつある、いう感じで」という注文をリハーサルも無しにやり、3回目は
「今度は、ゆっくり降りてもらいますが、画像は早送りして駆け足のように加工する
ので、そのようなイメージを抱いて駆け足をスローモーションでやるような感じで降
りて欲しい」と素人のにわか役者に難しい注文をつけてくるので一同戸惑ってしまい
ました。「要するに跳躍するような感じで歩いたらいいのですね?」と私が声をあげる
と、「そうです、そうです。その感じで」と振り付けの人は言いました。これは今回、
俳優の佐藤慶さんが列に加わるため、万が一転んで怪我をしないように配慮したもの
と思われます。(我々は転げ落ちて怪我してもよいのか、という思いがチラッとよぎり
ましたが・・・)
佐藤慶さんはハナイ君のすぐ後ろにつきましたので、見栄えのよいハナイ君がテレビ
に映るぞ、と私は内心小躍りしました。
スローモーションで降りていくときに「この中にあの子はいるのだ」とナレーション
の一部なのでしょう、スタッフの一人がマイク越しに独白しておりました。
たったこれだけの撮影のために40分も費やしたのです。各シーンを撮る間の待ち時
間が長いためで結構疲れました。こんな経験はもう一回でけっこう、という感じで
した。

撮影を終えて、広場に戻ってくると女性達が拍手で迎えてくれます。彼女たちは撮影
現場に行くことを制止されていたのです。
ハナイ夫人アケミさんに「佐藤慶さんはハナイさんのすぐ後ろについたのですよ。ハナ
イさんは間違いなくテレビに映りますよ」と言うと「えっ、本当ですか!嬉しい!」

と有頂天になっておりました。
しかし間近で見る佐藤慶さんはただのオッサンという感じでしたね。他の人達もみな
同感だったようです。もう20年以上も昔になるでしょうか、NHKの大河ドラマ
「太閤記」か「国盗り物語」だったかで明智光秀役をやったときのことが強烈に印象に
残っている私には意外な感じでした。役者に徹するととたんに強烈な個性を発揮する、

それが本当の役者なんでしょうね。

時間はもう5時、大阪まで帰らなければならない私と金井さんのことを心配して、山
上さんが彼の車で役場まで送るからと言うので、私達は他のみんなにお別れをして一
足先に山在峠を出発しました。

役場で衣装を着替え、午後5時半、本宮町を出発しました。
帰りは一人の長いドライブになることを覚悟していたのに思いもかけぬ金井さんが一
緒してくれ、本当に有り難かったです。
昨夜、金井さんと一緒に帰ることが決まった時点で、リエさん、マスミさんが「良か
った!これで森脇さんが居眠り運転する心配が無くなった」と言ってくれたときは嬉
しかったですね。彼女らのことを我が娘のように思ってしまう私の心情がご理解いた
だけるでしょう?

金井さんは控えめなお嬢さんですが、結構話し好きのようで、彼女の方からいろいろ
問いかけしてくるので話が途切れることなくそれこそ色々な話に花が咲きました。
外資系の化粧品会社で企画の仕事をしている彼女は、仕事は楽しくやりがいもあるの
だけれど忙しすぎて彼氏もできないこんな生活でいいのか、と悩んでいるとのこと。
それはいけない、絶対に多くの若い男性に会う機会を作るべき。ボディーサーフィン
やスキーにうつつを抜かしている場合ではなく、土日の休みは若い男性がいる所に積
極的に行きなさい、とえらい説教臭いことを話しました。でも真剣に聞いてくれまし
たよ。
「あんな山の中で宴会したのも初めてだし、ホタルを見るのも初めて、ササユリを見
るのも、山伏装束を見るのも、テレビのロケを目撃したのも初めて、ととにかく2日
間の出来事とは思えないくらいの様々な初体験をし、夢のように楽しかったです。誘
ってくれたマスミちゃん、そして新参者の私を暖かく迎え入れて下さった皆さんに心
から感謝の気持ちでいっぱいでした」と言っておりました。


それならその初体験の一つにと谷瀬の吊り橋に案内したところ、さすがに彼女は怖か
ったようで、4分の1のところで引き返してきました。

その後も会話は途切れることなく、5時間のドライブはアッという間に過ぎ去ったよ
うな感じでした。
マスミさんと一緒に過ごした横浜フェリス女学院中高の6年間がとても楽しかったと
言うので、大学はどこ?と尋ねたところ、慶応大学藤沢学舎というのには驚きました。
「エーッ!ということはマスミさんも慶応の総合政策出なの?」と聞くと、そうだと
のこと。姉は東大、妹は慶応総合政策、そろって才媛でありながら、あの素晴らしく
脳天気な姉妹のキャラクターに私は改めて思いを馳せました。
私の息子が2年アタックして涙を呑んだことを話すと、私達はフェリスの推薦枠で論
文だけの試験で入ったのですから、息子さんとは次元が違います、と答えます。
それにしても金井さんやマスミさんのような気だての良く素敵な女性を見てると、フ
ェリス女学院という学校がとても素晴らしい学校のように思え、そのことを話すと、
「そんな風に言われますと母校の名誉に貢献できたようでとても嬉しいです」と言っ
ておりました。

近いうちの再会を約束してJR茨木駅に彼女を送ったのは夜の10時半でした。