『大峯の山小屋維持作業レポート2編』 森脇久雄 

 アルバトロス・クラブの会報やメーリングリストにときおり話題に出てくる大峯は、

紀伊半島のど真ん中を南北90キロにわたって連なる山脈の総称で、この山脈を北は

奈良県吉野から、南は熊野の本宮まで修験道の修行の道、奥駈道が千三百年前から存

在している。

 そして私が所属している新宮山彦ぐるーぷ(世話役代表・玉岡憲明氏)という山グ

ループは、和歌山県新宮市に本拠をかまえる関係上、大峯山脈をそのホームグランド

とし、登山だけでなく、山道の整備、無人小屋の建設、管理、維持や修験道団体の奥

駈修行のサポートなど広範囲な活動を展開してきているのだが、その中でも、従走路

に茂ってくる草やスズタケなどを定期的に刈り取る作業や、嵐や大雨で崩れた道や無

人小屋の基礎の修復などが多大な人手と労力を必要とし、同グループのかなりの人た

ちが入れ替わり立ち替わりその作業に従事してきているのである。

 これらの作業は逐一、玉岡氏によって記録に記されており、本当はそれらの記録文

をアルバトロス・クラブの皆さんに紹介できたらよいのだが、何しろ膨大な量であり、

また手書きの文章でもあるので、いつかそれらをワープロ文に打ち直して別の機会に

発表することとして、ここは私自身が参加し、書いた記録文のなかからアルバトロス・

クラブ関西支局のメンバーには馴染み深い小田敏郎さん、同クラブの古くからのメン

バーでついこの前、単独往復奥駈修行を果たされた佐藤一男さん、関西支局の海上英

冶さん、坂田信子さん、西野良子さん、そしてつい最近アルバトロス・クラブに入会

した私の片腕とでも言うべき山仲間の堂田弘文さんたちが参加した維持作業のレポー

を載せさせていただく次第である。

 

大峯の山小屋維持作業その1

行仙宿小屋への資材荷上げ             実施日 1996.6.22〜23

 

 関西支部は、個人的に精力的に参加されている小田さんを除いてここ数年、山彦の

刈り開けや山小屋維持などの作業のお手伝いをする機会がほとんど無く、いつも後ろ

めたい気持ちに捕らわれていたのだが、この週末午後から翌日日曜にかけて仕事の暇

ができたので、一人でも何らかの実績を作ろうと土曜日午後から行仙宿小屋に行くこ

とに決めたところ、堂田さんがその週の土日は休みだからと同行を言ってくれ、また、

日曜日にお母さんの三回忌の法事があるにもかかわらず、水場道の薮の繁殖が気にな

るので刈り開けに土曜日だけでも、と小田さんも一緒に行っていただけることになり、

曲がりなりにも関西支部の取り組みとして荷上げ山行が実現したのである

 二十二日午前中、大阪市内で一件仕事を終え、そのまま高速を使って橿原市の堂田

さん宅に寄り、そこでスーツを登山着に着替えて小田さんを迎えに行き、私の車で

一路、奈良県下北山村に向かった。登山口に着いたのは四時頃で、背負い子の無い我々

は登山口のバラス袋は明日荷上げすることにし、六本の鉄筋だけを交代で持つことに

して登って行く。小屋着は五時前くらいで、一服休憩した後、小田さんは水場の茂っ

てきた笹の刈り払いに行き、私と堂田さんは肩のところに置いてあるブロック三枚を

取りに行く。堂田さんが二枚、私が一枚をかついで戻ってきたが楽な作業であつた。

 その後、堂田さんは小屋の鎌を手にして水場の小田さんの手伝いに出かけていき、

私はすこし遅れて水汲みに水場に降りていく。各種の桟道や梯子のかかる水場への道

は何度来ても立派なものだなと感銘を受ける。一見に値する水場道だが、行仙宿の山

小屋を利用する人達の何割がこの水場の道を見てくれるのだろう。

 六時三十分に作業を終える。夕食は、今や関西支部の料理室長の感のある小田さん

が用意されたいつものごとく豪華なメニューで、話に花を咲かせながら酒の進むこと

限り無しで、持参した日本酒も飲み尽くし、前川さんがお堂に供えておられた太平洋

を小田さんが引き下げてき、供養させていただいた。つまり飲んだわけである。寝る

前に外に出てみると満天下素晴らしい星空であり、堂田さんが感激して、娘を是非、

ここに連れてきたいとしきりに言っていた。

 

23日朝、7時30分に新宮での法事に参[するため池原で奥様と待ち合わせの約

束をしている小田さんを送るために六時半、山小屋を出発する。早起きが苦手で疲労

がたまっている堂田さんは起こさないようにしていたのに、気配に気づいて起あがっ

てきて我々を見送る。「見送りしないのは失礼ですから」と言う彼の律儀さに感心する

が、眼はまだ完全に夢の世界にいるようであった。

三十分ほどで登山口に降り、林道を走って七時半ちょうどに池原到着。奥様とお嬢

さんがすでに車の中で待っておられた。お嬢さんは初めてお会いするが、お母さまに

似られてほっそりとした美しい方である。

「お化粧してこなかったのか?」と小田さんが不満そうに言われるのを聞いて、娘の

父親というのは何処も一緒だなと思ってしまう。小田さん達を見送って、登山口に戻

ってきたのは八時であつた。

 車が到着するのと同時にはしご段を堂甘さんが降りてきた。さあ荷上げである。バ

ラスのぎっしり入った袋は背負い子にくくりつける前からその重さの尋常でないこと

に気がついていたが、背負ってみるとものすごい重さである。先月、荷上げした砂袋

とは格段の差のある重量で、堂田さんを先頭にはしご段を登りだしたときは背中、足

腰にかかる重圧感のすさまじさに、「うわ−」と声が出てしまったくらいで、これは容

易では無いぞと心に言い聞かせる。急坂の段差を一歩一歩確かめるように極力ゆっく

りと登っていくが、見る間に呼吸は激しくなり、汗が吹き出してくる。堂田さんも予

想外だったようで、「すごい重さですね」と言っていたが、それでも若い彼は私より早

いピッチで登っていく。

 十五分ほど登った急な段差のあるところで最初の休憩をとるが、荒い息がしばらく

収まらず、タバコを吸う気にもなれない。五分ほどしてやっとタバコに火をつける有

り様である。この先、小屋まで持っていけるか自信さえ失いかけてきたが、ある程度

回復したところで再び出発する。しかし、直ぐさま重圧感は猛然と襲いかかり、激し

い息づかいと吹き出す汗がぼとぼと地面に落ち、今度は十分も持たなかった。幸い堂

田さんから言ってくれて二度日の休憩。後で聞くと、堂田さんは急に心臓の動悸が激

しくなってきたのでこれはまずいと思って休憩をとったそうだ。ここでも十分以上休

むが、この一袋は私の体力には過ぎた重荷であることをつくづく実感し、下で半斗缶

に分けて量を減らすべきであったと後悔するが、今さらどうしようもなく、とにかく

この一袋だけは何とか持ち上げようと再び腰を上げる。相変わらず続く急坂道をひた

すら地面だけ見つめながら亀のようにのろのろと登っていくが苦しさは増すばかりで、

日ごろ持論としている、ゆっくりと登れば疲れも薄らぐという理屈も、こんな立って

いるだけでもすごい負担を感じる重さの荷物のもとにはまったく役にたたなかつた。

 やっと急坂が終わり、平坦なところに来たのにそれほど楽にはならず、肩の手前の

細い丸木の束が置いてあるところ目前では意識がやや朦朧としてくる感じで、自分が

夢遊病者のように歩いている感じがした。先に着いて休憩していた堂田さんは、私の

歩行をまるで高齢の老人がふらふらと歩いている感じで家族には見せられないなと思

ったそうである。尻餅をつくようにして腰かけ、ここで初めて背負い子から体を離す。

これはもう袋ごとの二度目の荷上げは不可能だということで、次は半斗缶に二つに分

けて荷上げしようと話し合う。私らの印象ではこのバラスの袋は三十キロは優に越え

ており、下手すると四十キロ近くあると思えたので、山彦の人達の皆がこの一袋を一

気に荷上げしているとはとても思えず、一部の人を除いて多くの人は半斗缶に分けて

いるのではないかと堂田さんと語り合ったのである。

 それにしてもこの苦しさ、古代の中国やローマで強制労働に従事した奴線や、ナチ

ス・ドイツ支配下のユダヤ人、北朝鮮の強制労働所に送られた人達の悲惨さをかいま

見るような思いである。そして、九年前、知り合って間もない私の奥駈縦走のために

玉置山駐車湯から頂上まで、ビバークに必要な物資一切を背負って、あまりの重さの

ために五分おきに休憩しながら運びあげて下さつた玉岡さんの苦労が今さらのように

堆し量られ、その有り難さが解るのであつた。

 二十分ほど休憩した後、出発。ここから坂道がゆるやかになったのに体は少しも

楽にならず、七分ほどでダウン。上の方を行く姿の見えない堂田さんに休憩する旨を

伝え、先に行って私が着くまでゆっくり休んでくれと言う。背の低い潅木林の斜面に

もたれかかるようにして倒れ、出すつもりでもないのに「ひぇ−、ひぇ−」と情け無

い声が吐く息と共にほとぼしり出る。十五分休憩後、さあ出発と起きあがろうとした

ら背中の背負い子が持ち上がらない。ベルトの肩のところを両手でしっかり握って背

負い子を背中に密着させようとしてもびくともせず、うーんと踏ん張ると私の両足が

ずるずると滑り出すのである。えらいところで休憩してしまったものだと思って何度

も挑戦するがまったく起きあがれず、ばたばたもがくだけで、仰向けになった黄金虫

や亀になった姿を連想してしまった。これはいかん、と思って、とりあえず背負い子

から体を離し、しばらく休憩して、そして両手で背負い子を持ち上げるようにして斜

面の上へ上へと僅かずつ移動させていき、そしてもう一度背中に通して、踏ん張るが

やはり駄目なのである。一時は堂田さんが戻ってくるのを待つしかないのではないか

と思ったが、ふと、このまま横にくるっと寝返りをうつようにしてみたらどうだろう、

と思って試してみると、最初は動かなかったが渾身の力をふりしぼってやると、ゴロ

リと回転し、そのまま勢い余ってずるずると道に這いつくばってしまった。森脇久雄、

バラスの下敷きになるの図である。情け無いやら腹立たしいやら、山崎礼子さん(注)

が見たらどう思うことだろうと思いながらゆっくりと腰の方から持ち上げ、次に手の

方をふんばり、何度か交互にしてやっと起きあがれたが、もう気力もプライドも無く

し、もう何とでもしてくれ、とふてくされてのろのろと歩行するのであつた。

そうして五分も経たぬうちに小屋に着いた堂田さんが戻ってきてくれ、彼が荷物を

持つと言ってくれたのである。そんな悪いよ、と口では言いながら心では「助かつた

ー!」と万歳をし、きっちりと彼に甘えてしまった。

 小屋に着いたとき、一時間ほど休憩しなければ無理ではないかと思ったが、二十分

ほど休憩するとまた元気も出てき、昼食前にもう一踏ん張りしようと再び出かけてい

く。肩を過ぎて急板を降りていくとき、よくこんな急なところを登れたものだなと思

う。下へ降りると、バラスの袋をほどき、半斗缶に分けるが二つでは入りきれず、も

う一つに半分ほど入る容量であつた。堂田さんがその半分の缶も持ってくれ、出発す

る。「さすがに軽くなりました」と堂田さんが元気よくはしご段を登っていくが、軽く

なったのは勿論実感するが思ったほど楽な感じではなく、やはり最初の荷上げのダメ

ージが相当に尾をひいているようである。それでも辺りの景色にも眼がいくようにな

り、肩のところまで休憩無しで行くことができた。初回は小屋まで二時間もかかった

のに今回はわずか四十分で着く。十二時半であった。

 小屋に上がり込んでビールを飲み、小田さんの奥様が差し入れして下さったお寿司

をいただく。食事しながら小屋備え付けのノートの記録を読むと、前川さんや榊本さ

んが四十キロの物資を何度もかつぎ上げていることが記されてあり、この人らは人間

か、と我々は怪しむのであった。アルコールが入り、お腹もふくれると何かもう動き

たくない気分になり、もう一度の荷上げは勿論のこと朝食のときからそのままにして

ある食器類や散らかしている食べ残しの後かたづけもうとましくなり、「もう、このま

まずらかろうか」と半ば本気を交えながら冗談を堂田さんと言い合う。正直言って、

荷上げ作業に行くことを玉岡さんに知らせていなかったら、我々はこの二度日の作業

で打ち切っていたかも知れない。

 ずいぶん長いことだらだらしていた後、午後二時過ぎ、最後の荷上げに出発する。

下りは空身なのに、この三度日の下山は今までになく体がだるく、下の方の水場から

林道に降り着くころにはかなり疲労がたまっていることが実感され、下山後もただ立

っているのもだるい感じで、三度日の荷上げは、重さは軽くなっていてももう一つ自

信が無かった。今度選んだ袋は中身が多く、三つめの缶はほぼ満タンに近い状況にな

り、それはもう置いていくようにと堂田さんに勧めるが、「いや、何とか持っていける

でしょう。もし途中で耐え難くなっても肩のところまで持っていけば後の人達が楽で

しょうから」と二つの缶を背負い子にくくりつけた。下山時に感じた体のだるさから

今度の登りは自信がなく、私は極力ゆっくりと行くことに決め、段差も一歩上がると

片方もそろえ、それから次のステップを踏むという具合に用心深く登っていったが、

これは非常に功を奏し、激しい息づかいになることもなく、徐々にリズムに乗ってい

くことができ、自分のいつもの体調を取り戻して今回初めて楽に登っていくことがで

きたのである。多分、食後でエネルギーが充満したことも原因だろうが、ゆっくり登

ることの功徳も多きいように思えた。

 山小屋着三時半。今回の荷上げ作業はこれで終わったのである。玄関外のコンクリ

ートの土間で二人並んで腰掛けて一服しているとき、我々が今日持ち上げた資材がい

かに微量なものであり、それでもあんなにしんどい思いをしたことを考えると、この

小屋の建設に携わった多くの人の労力の膨大さにしみじみと想いがいく。私のような

非力な軟弱者とは違う、山彦の猛者たちがやつれ果てた表情で作業をしていた深仙宿

の水場のコンクリート打ちの光景を今再び思い出すとき、圧倒される思いである。「山

彦の男女はみなさん本物の大峯行者だ」と言われた林谷諦心さんの言葉を実感する。

他人の労苦を推察はできても自分が実際に経験しなければ本当の実感は解らない。今

回の荷上げ作業は苦しかったけれど、玉岡さんを初めとする山彦の人達の苦労が実感

できたので、やってみて本当に良かったと思う。新宮山彦ぐるーぷのモットーどおり、

まさに「体験を通してものを考える」であった。

 

(注)山崎礼子さん:下北山中学校の教師、スリムな体型にも似合わず、35キロの

バラスを行仙宿小屋まで荷上げしたことで山彦ぐるーぷでは有名な女性。

 

 

大峯の山小屋維持作業その2

持経宿小屋での宴会及び平治宿資材荷上げ     実施日1997.6.14〜13

 

今回の平時宿への荷揚げ作業の仕掛け人は、小田敏郎さんである。川崎市の佐藤一

男さんからのリクエストで、これこれしかじかの宴会と荷揚げ作業を計画しているの

でよろしければご参加を、とのファックスが入ったので、かねてから山彦の活動に興

味を抱いていたアルバトロ・スクラブの若者達を誘い、総勢四名で持経宿小屋まで出

かけていったのである。

 ところが出会ってみた佐藤さんの話では、「僕はただ、渓流釣りに連れていってくれ、

と要望しただけなのに、随分話が大きくなっちやって面食らっているんだよ。完全に

小田さんにだしにつかわれたみたい」とのこと。さすがは山小屋と山道の整備に情熱

を燃やす小田さん、しめたとばかり、楽しい話にはほいほい乗ってくる森脇とその一

党をも誘い込んでやれ、と持経宿小屋での宴会を目玉にして私らをその気にさせ、一

挙に平治宿への資材荷揚げをやってしまおうと企まられたわけである。

 

 十四日午前十時に近鉄生駒駅で、海上英治さんと西野良子さんを拾い、通る道すが

らの平群町に居住する坂田信子さんを拾ってお天気も好い中、大峯へ向かっての快適

なドライブとなる。

 ここで山彦の人達には初めての人であり、今後もお会いする機会があると思うこれ

ら三人のアルバトロス・クラブ会員をご紹介したい。アルバトロス・クラブというの

は説明すると長くなるので端的に言えば、海と山の自然と人間の関わりを語り合うサ

ロンという集まりである。 海上英冶さん(三十二歳)は三菱商事勤務で数ヶ月前に

関西に赴任してこられ、東京での友人の紹介でアルバトロス・クラブのリーダー恵谷

洋さんと知り合い、その縁で今年四月の熊野修験奥駈に初参加され、それ以来親しく

おつき合いをさせていただいているが、教養豊かな人なのに控えめで謙虚な人柄は接

する人にたいへん爽やかさを感じさせる方である。坂田信子さんは伊藤忠エクスプレ

ス社勤務のかたわら、アルバトロス・クラブ関西支局の世話役を一手に引き受け、事

務連絡や様々な催しの手配をてきぱきとこなす有能さと何事にもひたむきで向上心に

あふれ、フェアな精神の高さを感じさせる素晴らしく高潔な女性で、アルバトロス・

クラブに多くのファンを持つ。しかもフランス語と英語が堪能なのである。西野良子

さんも坂田さんと同じ伊藤忠社勤務で、外大で中国語を専攻し、英語も達者で、先月

仕事で一人中国の上海に出張し、現地事務所の中国人社員相手に一週間、実務レベル

の指導にあたったというばりばりのキャリアウーマンである半面、明るくデリカシー

にあふれ、彼女が居るところはいつも湯気がたっているようなホットさがある。剣道

二段の女剣士でもある。なお、三人とも独身です。念のために。

直前になつて風邪を引かれた玉岡さんと、クラブ活動の指導がある榊本真仁さんが

不参加なのと、渓流釣りで谷に入ったままの小田さん達は夕方まで戻ってこないと思

い、あまり早く行っても時間を持て余すので、大台ヶ原ドライブウェイに寄り道した

り前鬼の不動の滝、明神池界隈を見学したりしてたら結構時間を食ってしまい、おま

けにでこぼこ道の白谷林道は超スロースピードに減速しなければならず、やっとの思

いで持経宿小屋についたのは五時半にもなっていた。

 すでに先着の皆さんは勢揃いして宴の準備にとりかかっており、何と、榊本さんも

いるではないか。部活が急きょ中止になったのでやってきたとのこと。来るときの車

中で私の話す榊本さんの人柄に興味を抱いた坂田さんが会えないことを残念がり、池

原を通るときに、部活をやっておられるのなら中学校に行けば会えるのではないかと

提案され、それで下北山中学校まで行ったのであるが、学校も運動場も森として静ま

り返っていて誰もおらず、ガッカリしてきただけに一同の喜びもひとしおであつた。

 宴会のメニューは豪勢なもので、湯豆腐、牛タンの薫製、榊本さん差し入れの刺身、

小田さん達が釣ってきたアマゴにワイン、日本酒、シャンペンなどがならび、それら

を見るだけで圧倒されるようなものがあった。ただ残念なのは、今日は小田さんの釣

りの師匠である清水義雄さんがいるからアマゴの料理が期待できると話していたのだ

が全くの不漁だったそうで、アルバトロス・クラブの面々にかろうじて一匹ずつしか

アマゴが渡せなかったことで、清水さん、小田さんとしてはさぞかし不本意なことだ

ったろう。しかし、アマゴの骨酒はおいしく、海上さんは、この骨酒と小田式タマネ

ギサラダがいたく気に入ったようで、控えめで慎み深い人なのにその両方を自分の手

元に引き止めておいてしきりに口にされ、「こんなおいしいお酒は初めてです。タマネ

ギサラダも私の肴はこれだけで十分なくらいおいしいです」 とサラダを全部片づけ

てしまったのである。

enkai.jpg 宴会写真

 宴もたけなわとなったころから、めいめい自己紹介を始めるのだが、何か話すたび

に質問や茶々が入るものだから遅々たる進行で、全員終わるのに一時間以上もかかっ

てしまった。その分、中身の濃いものとなり、特に普段寡黙であまり表情を変えられ

ない前川勝巳さんがすごく陽気になられて誰にも話していない失敗談の披露までされ

るほど多弁になられたことと、榊本さんがアマゴを串刺しするのに使ったスズタケを

ネタにして次々と即席のさえたギャグをとばす様が印象的で、女性達は腹を抱えて笑

い転げ、実に宴は盛り上がつたのであった。榊本さんは吉本興業でも十分使ってもら

えるのではないかしら。

 前川さんが自宅で栽培しているユズのことを色々話されたが、ユズの種をあぶって

飲むとリューマチに薬効があるという話は、私の顧客の中にリューマチで苦しみ、現

在松葉杖の助けを借りなければ歩行にも困難をきたしてきている婦人がいるので是非、

教えてあげたいと思い、そのことを記されている健康雑誌の記事をコピーして送って

いただくことをお願いした。多くの人と知り合うと色々な知識を得られるものである。

 もう一つ私がたいへん感銘を受けたのが、この大峯の山奥で様々な年齢、職業の人

達が集まり、中には初対面の間柄の人もいる中、このように何十年来の仲間のように

和気藹々と心を許し合って歓談する有様で、毎日顔をつきあわす職場の人間関係では

決してこのような間柄ができにくいその落差の不思議さである。海上さんが東大出の

エリート商社マンであることを紹介し、その青年が大学を出ていないしがない一自営

業者の私の誘いに喜んで応じてくれたこと、また、坂田さん、西野さん達がアルバト

ロス・クラブの活動や奥駈で知り合った佐藤さんや小田さんと一緒できることを楽し

みにしてやってこられたこと(西野さんなどは他の用事があったのだが、ぎりぎりま

で調整してやっと参加にこぎつけたのである)などは彼らが我々山彦ぐるーぷのメン

バーの生き方に深く共感し、そのような人達との出会いを望んでいるためだというこ

となどを話したのである。そうでなければ彼女らのように若くて魅力的な娘さん達が

何が悲しくてこんなおっさんばかりの集まりに風呂もない山小屋まで嬉々としてやっ

て来るだろうか。今の世の中でもこのようなひたむきな気持ちを持った若者は多く、

心の通じる交流というのは可態なのだな、と深く勇気づけられる思いであった。前川

さんも多分この若者達の清々しさに深く感銘を受けられたから普段になく酔われたの

だと思う。

 やがて前もって私が目論んでいた漢詩の朗読を、中国語がぺらぺらな西野さんにお

願いした。「今夕はまた、何の夕べぞ、この燈燭の光を共にす」の詩句で有名な杜甫の

「贈衛八処士(えいはちしょしにおくる)」 の五言古詩で、林谷さんとお酒を飲むと

き必ず彼が口ずさむ詩句である。私が差し出す漢詩集に記されているこの詩を西野さ

んは初めて目にするだろうに、たいへん流ちょうな中国音で朗読されたのである。し

かしその後にこの詩の解説をするころの私は完璧に酔っぱらっていて、解説したこと

も覚えていなくそのまま沈没してしまっていた。

 

 十五日、六時頃に目が覚めると小田さんや前川さんはすでに起きていて朝食の支度

に励んでおられた。五時に起きたとのこと。昨夜私が酔いつぶれた後のことを聞くと、

坂田さん、西野さんは最後まで起きていて代わる代わる歌を歌い(かなりの数の歌を

歌ったそうである)、それを前川さんが最後までつきあって聴かれたとのこと。若い娘

が歌うのをニコニコしながら見守る年金生活者の前川さんの姿、想像するだけでも良

い光景であり、ほのぼのとしたものを感じる。

 朝食後、雑談にちょっと時間をとりすぎ、荷揚げに出発したのは十時ごろであった。

清水さんと私が二十キロの砂、海上さんが十五キロのバラス、小田さんは三十五キロ

ぐらい、そして前川さんと佐藤さんは四十キロ余りを担いだのである。女性二人には

標識の板束を交代で持って行ってもらうことになったが、坂田さんの要望で小屋から

登山口まで小田さんの三十五キロの荷物を担がせたところ、「おもーい!」と言いなが

らも何とか登山口まで運んだのだからたいしたものである。榊本さんは釈迦ヶ岳近辺

のシロヤシオを撮影に行くので食事もせずに帰っていった。本当に神出鬼没の中学教

師である。

niage.jpg 荷揚げ写真

 霧雨も止み、雨具をつけることなく尾根に入っていく。この尾根の最大の魅力であ

るブナやミズナラ、ツガの巨木の林立の中、道々その名前をアルバトロス・クラブの

面々に教えながら行くが、彼らにもこの自然林の素晴らしさは理解していただけたも

のと思う。

一時間ほどで平治宿につく。清水さんが、「楽ではなかったが、これで僕も山彦の

正会員になれたかな」と言うので、「もう立派なメンバーの一人です」と小田さんが太

鼓判をおされる。四十キロ担いだ佐藤さんは、朝、ワインをコップ三杯飲んだのがこ

たえたのか、予想していたよりはきつかった、とのこと。それでもへばることなく運

び込んだのだからすごいパワーである。まあ、前川、小田、佐藤、榊本の四氏のパワ

ーは別格の規格品外であり、こんなのと張り合っていたら体をこわすので相手にしな

いことである。

heizisyukukoya.jpg 前列左から、小田、坂田、西野、佐藤
後列左から、森脇、海上、前川、清水

平治宿小屋の清潔でこじんまりしたたたずまいはアルバトロス・クラブの面々の賛

嘆を誘い、また、この小屋は山彦の素人大工で建設されたことを話すと感嘆の声をあ

げていた。小屋の中に上がって一同記念写真を撮り、十一時五十分頃に小屋を後にす

る。霧雨が降り出して一同雨具をつけたが、帰りは空身でおおむね下りなのでお喋り

に花を咲かせながらピッチをあげて降りていく。この尾根は、持経宿から来るよりも

平治宿から行く方が樹木のたたずまいの景色がいいように思えた。

sennenhinoki.jpg 千年ヒノキ

 持経宿小屋、十二時半到着。さっそくフカヒレスープに炒めたウインナーソーセー

ジ、フランスパン、おにぎりの昼食を取る。このおにぎりは朝、板田さんと西野さん

が結んでくれたのだが、四角形、三角形、六角形と様々な注文が出る中、「森脇さんは?」

と西野さんが聞くので「ハート型」と答えると一同どっと湧いたが、驚いたことに彼

女は本当にハート型のおにぎりを作ってくれたのである。パンを食べる人の多い中、

私はただひたすらそのハート型のおにぎりをパクついたことは言うまでもない。

 食事を終えた後、後かたづけと掃除をし、午後二時、楽しい一晩を過ごした持経宿

小屋に別れを告げ、一路池原のきなり湯に向かう。途中、白谷林道に入ったところで

すぐに前を走っていた清水さんが、車を停止して、私の車から海上さんと西野さんを

清水さんの車に移るようにと指示し、それに従った後の私の車は路面の石をこするこ

となくスピードもアップできてスムーズに林道を抜けきることができたのである。清

水さんの適切な判断に感心する。

 浦向で前川さんとお別れし池原に着いてみると、きなり湯は随分の人で混雑してい

たが洛室は広く、露天もあり、ゆったりと湯につかることができた。当初の予定では

入浴後どこかで食事もする予定だったのだが、大幅に時間もオーバーしており、今日

中の新幹線で川崎市に帰らなければならない佐藤さんのこともあって食事は中止して

一路、橿原を目指して走る。

 吉野でたいした渋滞にもあうことなく大淀バスセンターを過ぎたところで時間に余

裕ができたのでレストランに入り、軽い食事とコーヒを飲む。食後、ここでお別れを

ということで、アルバトロス・クラブのメンバーは私の車に乗ってもらい、小田さん、

佐藤さん、清水さんと尽きぬ名残を惜しんで別れる。

 そこからも道路は渋滞することなく、平群町で坂田さんを降ろし、生駒駅まで海上

さんと西野さんを送って帰宅したのは午後九時十五分であった。

 私にとつて夢のように楽しく充実した二日間であつたが、帰りの車中でも海上さん、

坂田さん、西野さんらも本当に素晴らしい人達とお会いできて充実した週末であった

こと、是非また誘って欲しいと口々に言っておられたので多分、同じような思いであ

ったことと堆察するのである。

 

 海上さんと坂田さん、西野さんからいただいた電子メールの一部を終介します。(段

落はスペースの関係上つめました)

 

[坂田さんからのメール]

今、私は大変興奮しています。(物凄い出だしで始めてしまいましたが)と、いうのも、

今日帰宅途中の電車の中で「今日は森脇さんにメールをお送りしよう!」と決意を固

めていたのです。そして、メールを開けると森脇様からのこんなに素敵なお誘いのメ

ールが入っているではありませんか。とってもびっくりしたと同時に大変嬉しく思い

ました。本当にありがとうございました。さて、たくさんお話する事があって、どれ

からしようか迷ってしまうのですが、まずは、小田様の今週末の企画に是非参加させ

て頂きたいのですが宜しいでしょうか。ただ、十三日からの出発は少し無理かと思い

ますので十四日からの参加とさせて頂きたいのですが、ご検討頂けますか。勝手な事

を申し上げて申し訳ありませんが、森脇様、小田様、佐藤様とご一緒出来るかと思う

と今からとても楽しみです。(中略) しかし、本当に私達が皆さんとご一緒させて頂

いて宜しいのでしょうか?先日小田様にアルバトロスの会報十六号を送付させて頂い

た際、お礼のお手紙と共に小田様の今年に入ってからの山に行かれた記録を拝見させ

て頂きましたが全く頭の下がる思いでした。小田様をはじめとしてその様な素敵な

方々と自然の中で二日をご一緒させて頂ける機会を与えて頂けるとは本当にありがた

い事です。もし、私にもお手伝い出来る事があれば何なりとお申しつけ下さい。

 

[海上さんからのメール]

週末は、大変に楽しい企画に参加させて頂きありがとうございました。今こうしてメ

ールを打っていても手よりほのかに炭のにおいがしていい気分を思い出したりしてい

ます。それから長時間のドライブも、自分は森脇さんから色々な話をお聞きすること

ができてとても楽しかったです。コミックや音楽や本やこれからの楽しみをたくさん

教えて頂けたなあと思っております。蒸し暑い日が続きます折がらお体御自愛下さい。

今後共宜しくお願い申し上げます。

 

[西野さんからのメール]

 開放と感動の二日間を終え、何だか一抹の寂しさを覚えつつ、大いに盛り上がった

持経宿での余韻に浸っている西野です。昨日は大変お世話になり、有り難うございま

した。森脇さんはずっと運転されていたので、かなりお疲れになったのでは、と心配

しております。私などはうつらうつらしてしまって、申し訳ない限りです。今回はぎ

りぎりまでスケジュールの調整に苦しんでしまいましたが、参加させて項いて、本当

に良かったです。私は、木の緑が小さい頃から大好きで、写生の時間などに自由テー

マだったりすると、よく森や林の木々を様々な緑を使って描いておりました。やはり

性に合うのでしょうか、木のなかにいると、とても落ち着くのです。ヒメシャラ、ブ

ナ、ミズナラ、鈴笹、今まで山に登っても漠然と眺めていたのが、山のエキスパート

の方々に色々ガイドして頂いて、ますます身近なものとして感じられ、雨の中でした

が、道中ずっと感動の宝石箱、という感じでした。明神神社で餌を求めてバタパクパ

クッと大きく口を開けていたフナたちでさえもとってもいい思い出です。それにして

も、新宮山彦ぐるーぷのメンバーの方はアルバトロスに負けず劣らずのパワフルな御

仁ばかりですね。運動神経抜群の格好いい小田さん、笑顔の素敵な佐藤さん、少林寺

拳法をやっていてグルメな清水さん、とても澄んだ目で生き生きとお話しをされる前

川さん、ギャグ百連発の榊本さん、皆さん、本当に素敵なので、ますます男性を見る

目が肥えてしまって、私の結婚は一層遠のいてしまいそう(笑)。次回は是非玉岡さん

や河村さんにもお目にかかりたいです。(途中略) 恵谷さんにももっと仕事や自分の

興味のある事だけでなく広く勉強しなさい、力をつけなさい、と言われていますので

私はまだまだ不勉強ですが、遊びから学問まで広く教示頂ければ幸甚です。

 

後記:同僚同士だった文中の2人の女性はその後、相次いで会社を辞め、今は海外に

おります。

西野さんは3年前から中国に渡り、最初の一年間は信用で中国の高校国語教師を勤め

た後、2年前から青島の全日空社現地スタッフとなっており、坂田さんはワインの貿

易会社に転職した後、今年の1月からフランスのヴォーヌで現地日本人スタッフとし

て活躍しております。