9/5 2001掲載

9月1日、アルバトロス・クラブ代表のエタニさんが久しぶりに休暇が取れたので大

好きな熊野に行き、紀勢町のナカセコさん宅に2日間逗留することになりました。

「森脇さんも良かったら来られませんか。上湯温泉で夜営して宴会をしましょうよ」

と誘われ、6日には奥駈で熊野入りするにも関わらず、家内の許しを得ましたので、

夜営用具一式をトランクに放り込んで出かけていきました。

エタニさんの誘いで急遽参加することになったカナコさん(奈良女子大院生)をJR

関西線王寺駅で拾い、一路、熊野を目指しました。

カナコさんと会うのはこれで2度目なのですが、ドライブ中いろいろ話を聞いたとこ

ろ、何と福岡の出身で高校は福岡高校、大学は西南学院、卒業後奈良女子大で修士課

程を学んでいるとか。関西に来てからまだ一年だそうです。アルバトロス・クラブメ

ンバーのナガシマ教授が指導する院生です。

明るく芯のしっかりした実に感じのよいお嬢さんです。

 

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写真@谷瀬の吊り橋

十津川村も熊野も初めてという彼女のために当然谷瀬の吊り橋を案内したところ、た

いへんなはしゃぎようで全然怖がりません。

このときの印象が私をして予定していた山登りの強引なルートを選ばせることになっ

たのです。

 

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写真A高時山

熊野に来るのに山に登らないという手はありません。

なにしろ野趣あふれる山ばかりなのですから。

最初はブナ林の素晴らしい尾根が続く釈迦ヶ岳登山を思ったのですが、国道から登山

口まで悪路の林道を往復2時間近くも車を走らせなければならず、エタニさんたちと

の待ち合わせに大幅に遅れそうなので国道そばにそびえる高時山(1050m)を登るこ

とにしました。

(10数年前に一度登ったことがあるのです)

国道沿いの空き地に車を停めて登山装備に着替え、国道沿いの擁壁に付けられた金属

製の階段を上がって山道を登っていくとすぐに墓場に出くわしました。

こんな墓場あったけ?と私は戸惑いながらさらに墓の横を登っていくと道は無くなっ

ているのです。

う〜む、登るところを間違えたかな?と私は腕組みをして考え込みましたが、車を置

いたヘアピンカーブとトンネルの間に擁壁を登るところといったら今登ってきた金属

製階段しか無かったので、墓石も新しいし10年の間にいろいろたたずまいが変わっ

たのだろう、道は無くなったのかも知れない、と考え、よし、この斜面を強引に登ろ

う、と決めたのでした。

な〜に、すぐに上の方で踏み跡がでてくるさ、と彼女に説明して私たちはぼそぼそと

シダ類の生える樹林帯の山腹を這い上がっていったのでした。

やがて斜面が急傾斜になり、樹木に手をかけて登らないと上がれないようなところが

どんどん続きます。

「降りるときもここを通るのですか?」と不安そうにカナコさんが言います。「大丈夫、

大丈夫、ちゃんと降ろしてあげるから」と私は答え、10分ほど行ったところでやっ

と踏み跡を見つけました。

「ほら、ごらん。踏み跡が出てきたでしょう?」と私が得意気に言いながら振り向く

とカナコさんは何とも言えぬ複雑な表情を見せます。山登りは時々すると言う彼女の

イメージするものとはおよそかけ離れた、山道とは言えぬような代物にその踏み跡は

映ったのでしょう。

踏み跡はジグザグについていて急激に切り立つ山腹を登っていくのでした。

後から聞いたのですが、彼女は登りながら下を見たときその急さぶりに怖くなってき、

こんなまだ1度しか会ったことのない人についてきたことを後悔しだす気持ちが湧い

てきたとのこと。大声をあげても誰も気付かないようなところに連れ込まれ何か変な

ことされたらどうしよう、とも思ったみたいです。(失礼な!)

 

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写真B

40分ほど密集した樹林の急斜面を登りに登ったところでやっと緩やかな山腹になっ

てきました。

家内が喜びそうな密林地帯でしたが、こんなところ一人ではよう来ません、とカナコ

さんは言い、下山の時にこんなだだっ広い所で道を間違えることはないんでしょう

か?と尋ねます。

「大丈夫、大丈夫」

私は伊達に18年間も大峯を徘徊したのではないのです。

 

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写真C

そしてついに尾根に辿り着きました。登りだしてちょうど1時間。

明るく広々とした雰囲気にカナコさんは歓声をあげます。

「あんなすごい登りの後にこんなところがあるなんて信じられない!」

 

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写真D釈迦ヶ岳

樹木の隙間から南部大峯の盟主・釈迦ヶ岳(1799m)が見えます。

この高時山は大峯主稜の釈迦ヶ岳から枝分かれした長大な枝尾根の先端に位置するの

です。

しばらくプロムナードのような尾根を北上し、さあ高時山のピークと思った急な登り

のところに来ると、何と、登り口にロープが張られており「入山禁止」という木札が

ぶら下げてあるのです。

監視している人がいるわけじゃなし、マツタケのシーズンでも無いのだから、と一瞬

無視して先に進もうかと思ったのですが、そこは根が真面目な私、自分に長い年月恩

恵を与え続けてくれた十津川村の掟を破ってはいけないと思い返し、そこから引き返

すことにしました。

来た道を忠実にたどって降りていきましたが、急斜面のジグザグを降りるとき、こん

なに切り立っていたのか!と私もその急傾斜ぶりには驚かされました。(う〜む、私も

ちょっぴり怖い・・・)

途中、雨が降り出しましたが樹林の中なので国道に降り立つまでほとんど濡れません

でした。

車のところで靴を履き替えながら「どうでした?」と尋ねると、最初すごく不安にな

ったこと、降りるとき急傾斜の斜面が怖かったこと、でも尾根の美しさが素晴らしく、

やはり来て良かった、などとカナコさんは言ってくれました。

 

下山口から車を走らせること30分で十津川温泉に着き、そこから国道168から離

れて上湯川沿いの狭い道に乗り入れ、エタニさんたちと待ち合わせている上湯温泉を

目指します。道は舗装されていますが、谷と絶壁に挟まれてクネクネと続き、途中離

合できないようなところが何ヶ所もあるのです。

やがて前方をがっしりした体格の男性がジョギングしながら行くのを見つけ、「エタニ

さんだったりして」と私が冗談を言うと、車が追い越すとき、「本当にエタニさんです

よ!」とカナコさんが声をあげます。

車を停めて「いったいこんなところで何をしているのです?」と声をかけると温泉場

に着いてから国道168まで往復して戻ってくる途中とのこと。「ちょっと汗をかかな

いと温泉が美味しくないですからね」とすました顔で答えましたが、山登りで汗をか

いてきた私たちはその気持ちが良く理解できました。

しかし、8キロの傾斜のある山道をよくも走るものです。

そのまま私たちは車を走らせ、露天風呂の所に来るとナカセコさんが待っていました。

 

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写真E上湯温泉の露天風呂

この露天風呂は私も初めてでしたが素晴らしいものでした。

そばの清流を間近に見ながら涼しい風が吹く中、湯船に浸かるのは最高でした。

左がナカセコさん、右がエタニさん。

女湯は左側の上にあり、カナコさんの話ではそこからは清流の流れは見えなかったと

のこと。それでもこんな本物の露天風呂は初めてと彼女はご機嫌でした。

 

当初の予定ではここ上湯温泉で夜営するつもりだったのですが、天気が思わしくなく、

雨が降り出したら外で宴会ができなくなるので、蛍見の会をやった紀州松煙工房に厄

介になろうと私は提案しました。一同大賛成ということで工房に電話したところ、あ

いにく堀池さんは工房を留守にしていたのです。

田辺市の家の電話番号は控えていなかったので、それなら同じ田辺市のカツラさんに

連絡を頼もうということになり、彼女の携帯に電話すると、「今からすぐ堀池さん宅に

電話します。もし、堀池さんの都合が悪く工房に行けないようだったら母屋の鍵を預

かって工房に向かうからそのまま皆さんは上湯を出発してください。私も今晩泊まり

ます。食料やお酒で入り用なものがあったら用意していくので言って下さい」と言う

のです。

魚類はナカセコさんが大量に用意してきており、日本酒も缶ビールも十分にあるので

豆腐と野菜類を彼女に調達してもらうよう頼みました。

それにしても私の大好きなカツラさんが宴会に加わるという思いもかけぬ展開に私は

有頂天になり、大塔村までの1時間半のドライブをルンルン気分でぶっ飛ばしたので

した。

 

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写真F紀州松煙工房での宴会

工房に着くと堀池さんも待ちかまえていてくれ、「有名なアルバトロス・クラブのエタ

ニさんとは一度お会いしたかった。本当に良く来てくださったものです」と大歓迎の

様子で迎えてくれました。

雨が止んでいたので、ベランダで川のせせらぎを聞きながらの優雅な宴会となりまし

た。

 

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写真G活けタコ

田辺市の地方紙の記者であるカツラさんは本当に何でも配慮の行き届いた素晴らしい

女性です。

生きたタコを求めてきて自ら塩もみをし、エタニさんも手伝って見事に8本の足を広

げた茹で蛸に仕上げてくれました。

 

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写真Hアルバトロス・クラブ代表・エタニさん

元伊藤忠グループの商社マンでしたが、現在はドイツの民営化された郵便事業の組織

(国際版宅急便のような会社らしい)に勤務し、世界中をまたに飛び回っております。

日本と外国の滞在比率は五分五分だとか。

博覧強記で思索家、スポーツ万能、世界各国どこでも友達を作ってくるという際だっ

た社交性に我が息子がモンスターのような人と形容しております。

12年前、26歳だった彼に初めて会ったとき、劉備元徳や関羽が若き諸葛孔明に出

会ったときこんな驚きをしたのではないか、というくらい私はその才能と人柄に感嘆

したものでした。

 

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写真I

紀州松煙工房のオーナー・堀池さんと三重県紀勢町の役場に勤務するナカセコさんで

す。

お二人については6月の蛍見の会レポートで紹介しておりますのでここでは省きます。

 

 

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写真J

宴会が盛り上がってくるとギターの伴奏に合わせてみんなで肩を組んで歌い出すのが

アルバトロス・クラブ流なのです。忘年会で40人くらいの数でこれをやると凄いの

です。

歌うことが嫌いな私はただ酒を飲むばかり。

 

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写真K

カツラさんとの出会いは彼女が奥駈を取材しに来たことが縁でした。

私の拙記『修験道の山・大峯奥駈道縦走記』(400字詰原稿用紙300枚)を読んで

共感してくれ、A4、9ページの手紙を彼女がくれたことから私たちは兄妹のような

仲良しになったのです。

 

Woodman君、お気づきですか?

私の着ているTシャツは貴兄がプレゼントして下さったものです。

今日が二度目です。この前は六甲登山で有馬温泉に入った後、着させてもらいました。

女性達から可愛いTシャツと言われますが、似合わないと言われてるのかも知れませ

んね。

でも、私はとても気に入っているのです。

 

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写真L兄妹?

親子ほど歳が離れていて兄妹とは厚かましい、とのたまわれますな。

私がやめてくれ、と言うのにも関わらず彼女は人前でもアニキ、アニキ、と言ってく

れるのです。

「アニキは痩せてて脂肪分が無いから身体を冷やしちゃダメです」と長袖を着るよう

迫るのです。

彼女を大好きになってしまう私の気持ちがお解りでしょうが。

 

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写真M湯峰温泉

朝7時半起床し、堀池さんが作ってくれた茶粥の朝食を食べた後、用事がある堀池さ

んが去っていった後、11時半まで雑談をし、昼から仕事のあるカツラさんと別れて

て私たちは湯峰(ゆのみね)温泉に向かいました。

湯峰温泉は熊野の数多くある温泉の中でも最も有名であり、私が初めて行くというこ

とを知ったエタニさんとナカセコさんはこれだけ頻繁に熊野に来ている森脇さんが行

ったことが無いとは、と驚いていました。

主要国道からそれて辺鄙な在所に通じるかのような狭い道をくねくねと走って行くと

いきなりこの湯峰温泉に行き当たるのですから、外部の人間はなかなか気が付きにく

い面があるのだと思います。

 

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写真N

水路を流れるのは熱い温泉の湯なのです。

このため、温泉街にほのかな硫黄の臭いが漂います。

 

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写真O小栗判官の壺湯

湯峰温泉を有名にしているのは泉質と小栗判官の伝説でしょう。

長い物語なのですが、簡単に記すと下記のような伝説です。

室町時代、常陸の国で妻・照手姫の一族に殺されて餓鬼の姿になった小栗判官は偉い

僧侶によって命を蘇らせてもらい、照手姫によって引き車に乗せられてはるばる熊野

本宮の地までやってき、湯峰温泉の壺湯に付かったところ餓鬼から人間の姿に戻った

という内容です。

この壺湯は男女混浴ですが、4人入るともう身体がくっつきそうになるくらい狭いそ

うで、家族連れや恋人同士でないと入りにくい雰囲気があるそうです。

通常の混浴のように勘違いされる御仁がいるといけないので念のために。

 

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写真P公衆浴場

寺右横が公衆浴場で我々はここに入りました。

一般の温泉(\160)と薬湯(\300)の二つの湯殿があり、薬湯の方は石鹸、シャンプー

を使うことを禁止されていて体を湯船に浸けることしかできません。

しかし、浸かってみてすぐに気が付くのですが、全身にじわーっとした刺激があり、

如何にも薬湯という感じです。

長距離のドライブを控えているので私はわずか5分ほどで出てきたのですが、涼しい

気温だったにもかかわらず、外に出てからずいぶん長い時間、体が火照りました。

相当にきつい温泉のように感じました。

 

湯峰温泉は温泉街のたたずまいも清潔で風情のあるところでした。

一度、よいよい会の皆さんと熊野を旅行することがあれば、是非ご案内したいところ

です。

 

午後3時ころ、西宮に帰るエタニさんを私の車に乗せ、紀勢町に帰るナカセコさんと

別れて湯峰温泉を出発し一路奈良を目指しました。

JR王寺駅でエタニさん、カナコさんを降ろし、寝屋川の我が家に帰り着いたのは午

後9時でした。