1/31 2003更新 

だれが希望したわけでもないけれど、詞書、解説などつけてまとめました。


ムー和尚

あけましておめでとう。

今年も楽しくやりたいね!

我が大徳寺派中興の祖師一休禅師の

 門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

の精神に則ったわけでもありませんが、昨夜から少しひねってみました。

初笑いしていただけば、幸甚です。

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  我らが親の若かりしころ、普段は男女席を同じゅうせづの戒め厳しけれど、
 僅かに正月には歌留多取りとて、同席し親しく睦遊ぶを許されむとなむ聞き及べり。
 されば、我らも幼きみぎりよりこれに親しむ。長じても、耳に親しき小倉山百首、
 年の瀬ともなれば自ずと口の端にのぼるは若きころよりのならひなり。

  すぐる年の暮れ、合い知る芳乃嬢の鹿島槍に登らんとて、重き荷に耐ゆる訓練を
 なせるなむ聞ききしに、ふと「思い絶えなむ」の「重い耐えなむ」に通づるに思い至る。
 されば、励ましになればやとて次の歌を掲示板に寄す。

一 今はただ 重い耐えなむ とばくちと 人ごとならで 泣くよしのかな
(今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな 左京大夫道雅 六十三)


  また、大つごもりのこと、速見なる背短かの友ありしを思いいづ。されば、

二 背が速見 云わせりゃ少し 足りぬとて 我余りても やれんとぞ思う
 (瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ 崇徳院 七十七)


  もとより、歌道の学びもせず、文章の道に志しを挙げたるものにてはなけれども、
 右の二首のさほど労せずして浮かびしをもって、さらに戯れ歌をつけんと思い立つも愚かなりし。
 さるにても、支度とて小倉山百首、あるホームページより取り下ろしワープロ文書となして、
 ためつすがめつす。しこうして一両日にて次の九首を得、併せて十首をお年玉とて発表す。
 
 今こんと云ったばかりの 魔女はもう ポルシェで来り 待ちいでざるに
(今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな 素性法師 二十一)

 パリの街 思ふ風吹き こそっと行きゃ いであきさんと 人は呼びけり
(有馬山 いなのささ原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする 大弐三位 五十八)

 あまり風 我妻ばらに 吹いとおせ(土佐弁) 乙女の姿 今もとどめり
(あまつ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ 僧正遍昭 十二)

 陸奥で しのぶ仮の名 駄才ゆゑ 人乱れさす 我なら小寒
(陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに 河原左大臣 十四)
 
 あのときは デジカメもちて 通天橋 紅葉の錦 人の間に間に
(このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 菅家 二十四)

 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし文  ひとり書くかも
(あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ  柿本人丸 三)

 深吉野に櫻かきわけ 行った春の 思いでたどる 秋(とき)はうれしき
(奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき 猿丸大夫  五)

 我が宿は 都のいぬい 犬も住む 四人鳴滝 人も住みけり
(我が庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり 喜撰法師  八)

十一 素っとぼけ 耕士詠む歌 絶えだえに 息なりわたる ぜぇぜぇとなむ
(朝ぼらけ 宇治の川ぎり 絶えだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 権中納言定頼 六十四) 


  右の歌寄するにつけても、止めよ、阿呆、馬鹿などの罵声もなかりせば、
 一人勝手に「拾遺」など銘打って次の十首を掲示板に載するもまた恥知らずなり。

十二 人を今 創っとります ドンあきら ハザマぞ昔 かに勤めける
(人はいさ 心も知らず 故郷は 花ぞ昔の かに匂ひける 紀貫之 三十五)

十三 薄すぎて 頭剃り毛らし 白妙の 髭かわりてふ 読みの売り広
(春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山 持統天皇 二) 

十四 志賀の戸を 渡るハルさん 舵をとりゃ 行くへはきまり 島迴る途
(由良の戸を 渡る舟人 かぢを絶え 行くへも知らぬ 恋の道かな 曾禰好忠 四十六)

十五 人も好し 人もうべなう 悪気なし 狂言ゆゑに ものぐるう身も
(人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は 後鳥羽院 九十九)

十六 雨の日も なにがなんでも 那珂川で 焼くやおいもも 身もこがしたし
(こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ 権中納言定家 九十七)

十七 君がため 浄水の野に 料理だす 我学びしは 工科なりしも
(君がため 春の野に出て 若菜つむ 我が衣手に 雪はふりつつ 光孝天皇 十五)

十八 住吉に 手と手つないで 初詣 夢はなさじと 人めありても 
(住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ 藤原敏行朝臣 十八)

十九 ほそかりし 人不渡りも 豚寝ゆえ ふとれかしとは 祈らぬものを
(うかりける 人をはつせの 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬ物を 源俊頼朝臣 七十四)

二十 華やかな ブランドスーツ 着込みても へりゆくものは その毛なりけり
(花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふり行くものは 我が身なりけり 入道前大政大臣 九十六)

二十一 わすれもの 行き過ごすなど かたければ 四合かぎりと 命ず友かな
(わすれじの 行末までは かたければ けふをかぎりの 命ともがな 儀同三司母 五十四)


  些か褒むる人のありければ、気を良くし「後拾遺」などとほざいて次ぎなるをいだす。

二十二 逝にしとも 奈良の我が家の やよハニー 今日この頃も 憶いいるかな
(いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな 伊勢大輔 六十一)

二十三 いつみても ひかりこどこか 顔を出す しづ心なく 脳天気かい?
(ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ 紀友則 三十三)

二十四 誰をかも 知る人にする 宝石商 彼も昔は 友なら少な
(誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに 藤原興風 三十四)

二十五 もろともに 遊びに行かむ ××桜 花より団子 知る人ぞ知る
(もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 大僧正行尊 六十六)

二十六 名にしおはば 逢坂山を 越えて来む 定めて直に 今日の宴に
(名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな 三条右大臣 二十五)

二十七 牛と別れ 稲戸は山で 花つくる 欲ししときかば すぐ送りこむ
(立ち別れ いなばの山の 峰におふる まつとしきかば 今帰りこむ 中納言行平 十六)

二十八 ながらへば またこのごろは 花法師 牛とみし夢 いまは恋しき
(ながらへば またこのごろや しのばれむ うしと見し世ぞ いまは恋しき 藤原清輔朝臣 八十四)

二十九 糸の山 峰の開墾 心あわせ 今ひといきで パラダイスかも
(小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ 貞信公 二十六)

三十 詠めよとて 人等はわれに ものもうす かこちがちなる 我があたまかな
(嘆けとて 月やは物を 思はする かこちがほなる 我が涙かな 西行法師 八十六)

三十一 よもすがら ホームページに 書物読み 閨のひまさへ つれなかりけり 
(よもすがら 物思ふころは 明けやらぬ 閨のひまさへ つれなかりけり 俊恵法師 八十五)


  さらにまた、次ぎなるを”歌詠みは下手こそよけれ、、、”などと謙遜しつつ表ざたにす。
 此のころにはいくらか病みつきになりて、何をするに付けても脳中言の葉を弄びし故、
 時に読経を誤ることもありし。

三十二 長からむ ふさふさとなす 黒髪の 乱れも今朝は 夢とこそしる
(長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ 待賢門院堀河 八十)

三十三 契りごと させるがかなし 社命にて あはれことしも 東奔西走
(契りおきし させもが露を 命にて あはれことしの 秋もいぬめり 藤原基俊 七十五)

三十四 余もこめて 京の鳴滝 思ふtomo げに学生の 責はゆるさじ
(夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 清少納言 六十二)

三十五 あふみ路を かよふてうちの さびしさに いく夜ねざめぬ 奈良の歌華人
(淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜ねざめぬ 須磨の関守 源兼昌 七十八)

三十六 小戸と聞く 妹尾はるさん 健太郎 介二も泊むる その持ち船を
(音に聞く たかしの浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ 祐子内親王家紀伊 七十二)

三十七 金の鯱 いただく街の夜 さすらえば もててるようよ そうでないかもね
(きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかもねむ 後京極摂政太政大臣 九十一)

三十八 ことしまた 寄らばや寄らむ 初雪に 行きまどわされても 寿司にありつき
(心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 凡河内躬恒 二十九)

三十九 よいよいの まわりの民も おほふかな 我が建つサイト くがの涯まで
(おほけなく うき世の民に おほふかな 我が立つ杣に 墨染めの袖 前大僧正慈円 九十五)

四十 行きぬれば 帰るものとは 知りながら なほうらめしき 山ぼらけかな
(明けぬれば くるるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな 藤原道信朝臣 五十二)
 付けたり 「かえってこいよ〜 かえってこいよ〜 かえって〜こーいよぉ〜」


  右を投稿するに鳴滝の魔女のあずまの安がことを詠めよかしとて、

四十一 ハートフル 神もおそれぬ 珍扮装 勝つはヴァレーに 水もぐる安
(ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くぐるとは 在原業平朝臣 十七)


  もともと、この戯れ事を思い立ちし時は、我初めんには余の人も真似びてかたらむと思いしが、
 案に相違して次の一首のみ作り寄せ来るなり。この詠み人いまだに名を明かさずままなり。
 嬉しき同好の士なれば、内々にても我にのみにてもとく教えたまえ。

四十二 鳴滝は 冬ぞ賑わい まさりける 人目も犬も 増えぬと思へば
(山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば 源宗干朝臣 二十八)

 衛藤の慎治が兄君、長年の独身に別れて目出度く妻帯したりと聞きて

四十三 くにじゅうの みめよきおみな 忍ぶれど 新妻なれば 妹ぞ恋しき
(浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき 参議等 三十九)

  さて、かたる人のなければ誘い水にもならむとて、次の数首は本歌を伏せて問ふかたちにていだせり。
 しかれども、効なしとはかなし。

四十四 かたくるし ただの人並 俺お前 くだけて物ば 云うちゃってんない
(風をいたみ 岩うつ波の をのれのみ くだけて物を 思ふころかな 源重之 四十八)

四十五甲 やすらはで こね打つ蕎麦の さよ側で 半ばうっとり 半ばはらはら
四十五乙 安ならで ようやる物と みな吹けど マジに真似るも たまにおりけり
(やすらはで ねなまし物を さよ更けて かたぶくまでの 月を見しかな 赤染衛門 五十九)
 
四十六 りんとらん こぞはいぶきに 登れるが 登るおみ足 も草燃やすや?
(かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを 藤原実方朝臣 五十一)

四十七 これよこれ こねては打って 切って茹で 汁のも盛りも 十割の蕎麦
(これやこの 行くも帰るも 別れつつ 知るも知らぬも 逢坂の関 蝉丸 十)

四十八 百道原 ふりさけ見れど かすかなり 祖原の山ぞ かげ残したり
(天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも 阿倍仲麻呂 七)

四十九 あいびきと 昔は心 クラクラす 今はかなしや 「ミンチおいくら?」
(あひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物も 思はざりけり 権中納言敦忠 四十三)

九乙 億劫など 何処吹く風と 往きしかば ひかりこ時代 珍道中よ


  よせばよいのになどと自嘲しつつもなかば意地にてさらにまた載する

五十 寝屋川の 酒の仮寝の 人よ彼 身をつくしけり コート買う妻に
(難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ 身をつくしてや 恋わたるべき 皇嘉門院別当 八十八)

五十一 ニューヨーク 行くてふ娘 ウッドマン まだ居るならば 天の助けだて
(大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 小式部内侍 六十)

五十二 君はたれ 推し量りても いぶかしき 違う会とは 思わざりける
(君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひぬるかな 藤原義孝 五十)

五十三 いざさらば 門出の娘 送りだし 儂楽隠居 いつのことやら
(夕されば 門田の稲葉 おとづれて あしのまろやに 秋風ぞ吹く 大納言経信 七十一)

五十四 契りやる かたみに胸の 第2ボタン そんなやりとり なきぞ悲しき
(契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは 清原元輔 四十二)

五十五 百道原 旧き学舎 偲ぶれば 廻りの木々ぞ よすが残せる
(百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 順徳院 百)

五十六 歌う音を 皆で聞きたり 皆思う 流行り(歌)のつもり オペラなりける
(つくばねの 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりける 陽成院 十三)

五十七 たこクラス 打ち出の小づち 振ったごと 多士済々で 仲もよしよし
(田子の浦に うち出てみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ 山辺赤人 四)

五十八 我々も 五十路の半ば 過ぎにけり 人さまざまに 余生のふりかた
(和田の原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人にはつげよ あまのつりぶね 参議篁 十一)

五十九 ほてからに かの先生の 癖なれば むべあだ名をば 布袋さんといふらむ
(吹くからに 秋の草木の しほるれば むべ山風を 嵐といふらむ 文屋康秀 二十二)


  鳴滝が邸の愛犬ルナの産の長引くにつけ

六十 疾くルナよ 安らかに産め ながらへば 産を待つ身の 疲れもぞする
(玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする 式子内親王 八十九)


  苦しきときの友だのみ、らんらん女史の言葉尻をとらえて

六十一 恋したし 私まだまだ 現役よ ひと温泉浴びて お肌ツルピカ 
(恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか 壬生忠見 四十一)


  なかだるみにてかなり苦吟しつつも、なんとか百まで漕ぎ着けんとてまた数首

六十二 恨むまい ほったらことを 云われても まだ人面と 付けられるだけまし
(恨みわび ほさぬ袖だに ある物を 恋にくちなん 名こそ惜しけれ 相模 六十五)

六十三 華歌人の ならのお宅の 全電化 みっちゃん優しの しるしなりける
(風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける 従二位家隆 九十八)

六十四 立山や 剣の峰の 見えにける 富山の仮住み 誰れおとずれむ
(高砂の 尾上の桜 咲きにけり とやまの霞 たたずもあらなむ 前中納言匡房 七十三)

六十五 我がの腹 張り出てみれば ダイエット プールにかよふ 週に2,3度
(和田の原 漕ぎ出てみれば ひさかたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣 七十六)

六十六 あら!私服 自営業とよ 今日よりは たった一字の 違いなりけり
(嵐吹く 三室の山の 紅葉ばは 龍田の川の 錦なりけり 能因法師 六十九)

六十七 友垣の 我らが蔬菜 箸とりて 喜ぶ見れば 年ふりにけり 
(かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける 中納言家持 六)

六十八 夏の日の 麻涼しげに 見ゆるとも 我が墨染めは 汗でグズグズ
(秋の田の かりほの庵の とまをあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ 天智天皇  一)

六十九 紫野 祇園の明けの 氷雨ゆえ 思ひ知らさる 京の底冷え
(村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ 寂蓮法師 八十七)

七十 御山寺 縁の下より 咲く牡丹 夜昼なしに 侍べらんとてか
(みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ 大中臣能宣 四十九)


  あとは遮二無二、無理矢理にてなんとか百首に漕ぎ着けたり

七十一 葉山葵の とても辛きは 旨しもの 研修所長 また賜えかし
(思ひわび さても命は ある物を うきにたへぬは 涙なりけり 道因法師 八十二)

七十二 世の中は 案に相違も 多きこと 山の畑生り 猪に荒さる
(世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成 八十三)

七十三 行かざらむ あの世のことも 法に説く いま一枚の 舌も方便
(あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふ事もがな 和泉式部 五十六) 

七十四 はなてふ犬 あちらこちらに おりにけり 我が家が一と 眺めるやるらむ
(花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに 小野小町  九)

七十五 難波方 少ない人の そのわりに 家族ぐるみで よく睦みけり
(難波がた 短き葦の ふしの間も 逢はでこの世を 過してよとや 伊勢 十九)

七十六 有明や さくら、はやぶさ あさかぜに あかつきもありし 帰省特急
(有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり うきものはなし 壬生忠岑 三十)

七十七 来てみれば 千々に物こそ 云いにけれ 我はひとりで 呆れかえれり
(月みれば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど 大江千里 二十三)

七十八 みなが腹 かかえて笑う 根治苦笑 今度いつの日 心待つらむ
(みかの原 わきて流るる 泉河 いつ見きとてか 恋しかるらむ 中納言兼輔 二十七)

七十九 白赤に 青と黄色の 秋の空 連ぬスタンド 玉の汗散る
(白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける 文屋朝康 三十七)

八十 わびやさび 今は判れり なんとなく 身のおとろえに 合うもかなしや
(わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ 元良親王 二十)

六十乙 新玉に 絶えることなく 続きけり 新年会の 余所もはじまる
(玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする 式子内親王 八十九)

八十一 見せ場よな 紋付き袴 能舞台 にぎにぎしくも 付けの祝言 
(見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず 殷富門院大輔 九十)

八十二 飽きもせず 書き込む文の 合間より もれいずるメールの 陰のやりとり
(秋風に たなびく雲の 絶え間より もれいづる月の かげのさやけさ 左京大夫顕輔 七十九)

八十三 さすサラの 浜松町の 楽しみは いつも眺むる 小僧のゆばり
(寂しさに 宿を立ち出て ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ 良暹法師 七十)

八十四 心にも あらぬ悪口 ちょと見れば 思いますバイ よせばよいのに
(心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな 三条院 六十八)

八十五 また変て? 見せてんなっせ 判ったバイ こげんすりゃよかと ようあるこったい
(めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月影 紫式部 五十七)

八十六 mitikoさん 山吹く風に さそわれて ふらり出かけむ そこここの山
(み吉野の 山の秋風 さよ更けて 故郷寒く 衣うつなり 参議雅経 九十四)

八十七 忍ぶれば ついにバレざる かの仮名 今西行の 人の悪さよ
(忍ぶれど 色に出にけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで 平兼盛 四十)

八十八 逢う事の 絶えて無いでは ないけれど 友に逢う日の 嬉しからずや
(逢ふ事の 絶えてしなくは 中々に 人をも身をも 恨みざらまし 中納言朝忠 四十四)

八十九 忘れざる 顔やかたちは 憶ゆれど 人の名前の 惜しくも出ず
(忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな 右近 三十八)

九十 たれかれの 頭べ飾れる 白ら髪は 過ぎ来し方の 勲章なりけり
(山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり 春道列樹 三十二)

九十一 家の中は 常になんでも ドイツ風? 余りおのこの フォンクニさんち
(世の中は 常にもがもな なぎさ漕ぐ あまのをぶねの 綱手かなしも 鎌倉右大臣 九十三)

九十二 八重グルメ しばしば見せるの かんにんな 人うらやませ 飽きは来ぬかえ
(八重葎 しげれる宿の 寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり 恵慶法師 四十七)

九十三 今日の夜も また余所の地に Eguchiどん 世界のいづく 彼宿るらむ
(夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ 清原深養父 三十六)

九十四 誰知らぬ 沢山のこと 汝はまた 名前並べて なに謎かけむ
(滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 大納言公任 五十五)

九十五 我が責務 同窓名簿の 管理なり 人こそしらね かなり煩わし
(我が袖は しほひに見えぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし 二条院讃岐 九十二)

九十六 ふさふさ毛 老い行く父に 見せんとて 那珂川の屋に 植ゆる桜木
(朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 坂上是則 三十一)

九十七 妻が風邪 ひとりぬる夜の 明くるまで たまによきもの 手足延ばせる
(嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかはしる 右大将道綱母 五十三)

九十八 あわぬとも いふべきことの わかりあう meとyouとは 長きともがら 
(あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな 謙徳公 四十五)

九十九 春の夜の 夢ばかりなる 遊びゆえ 揶揄った人よ 我ゆるしたまえ
(春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ 周防内侍 六十七)
 
 ほとほとと 九十九首 戯れど この有明の 一首残れる
(ほととぎす 鳴きつるかたを ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる 後徳大寺左大臣 八十一)
 

  我が戯れ歌の前に書きし数は発表順にして、下に書きし本歌の作者の後に付したるは、
  小倉山百首での順番なり。また、一々説明するも愚かなれども、よいよい会掲示板での
  ゆくたてにうときひとのために、いささか言葉を足さむ。

三番   近ごろとみに活躍、愛車にて京都博多を往復、時ならぬ時に現れる魔女りんこと平野真理を詠む。

四番   年の瀬、こそっと思い立ちてパリに遊ぶ、編集長が弟君ひであき氏を詠める

五番   われらよいよい会永遠のマドンナたる彼のひとを、小倉百首中随一の乙女の歌にて詠むは当然なり。
     さりとて異議あらんには、こは我が独断偏見の戯れなれば口挟むを許さじ。

六番   仙台にて一人駄才小寒の筆名をもって気を吐く佐竹教授にはこの歌しか無し

七番   しばしば近畿の風光を我らに紹介する、はなパパこと炭谷なり

八番   長文魔なるかの寝屋川の住人リワキーノ森脇を想ってのものなり。決して自らを歌うにはあらず。
     この歌、主旨たる冗長なる前置きは生かし末尾の僅かなる文字を替えるのみにて成れり。
     自らはなかなかの手柄に覚ゆれども、世の人いかに思わむ。

九番   数年前の春、妹尾、森脇、佐竹、柴田らんらん、市山(森)りんりんの一行にて
     吉野山桜探訪を為せるを詠む。無理詠みにてさほど上出来にはあらず。

十番   「たつみ」の正反対、「いぬい」なる鳴滝に魔女が住みたるは格好なり。
     民宿と自ら称するを以て”宿”とせり。短き間に再度の登場は如何ともおぼゆれども、
     それだけしばしば掲示板に出没するによっていたしかたなし。

十一番  これも近ごろ登場の渡辺耕士、ほのぼのとした筆致をもってファンの多ければかく詠める。
     「絶えだえ」を「息絶えだえ」とし、それに引きつけて「瀬々」を「ぜぇぜぇ」としたところ、
     いささかの自慢なり。

十二番  云うも愚かなりけるが、我らよいよい会のドン渡邊の章なり。初めは「ハザマぞ昔の 勤めなりける」
     としておりしが、この度かく改めぬ。

十三番  読売広告社に勤める小柳延彦がことなり。かしこくも天皇御製をかくふざ毛歌に使うもおそれおおしとも覚ゆ。

十四番  よいよい会の人にはあらざれども、この掲示板によくご登場の先輩はるさん氏の船乗りの趣味は島巡りとの
     ことなりと聞こゆ。「〜おしゃれサルさん、まりつけば〜」に似るもおかし。

十五番  人柄の篤実なることたれ異をとなうもの無き篠原太一が唯一の道楽とする狂言をかく歌いき。
     本歌がうらめし、あじきなしとて、さかしらにかく褒め歌にせり。

十六番  年来のよき友柴田らんらん、那珂川なる進藤ふさふさの別邸にあそべば、雨風いとわず決して芋焼きたがるなり。
     本人もまだ身を焦がす想いにあくがれむとか云ふ。

十七番  浄水茶寮主人は早稲田の理工学部を卒業せり。編集長折々特別料理を注文する由にて、
     その意を「君がため」の句に込む。

十八番  はなはだ琴瑟相和す炭谷夫妻の住吉神社に初詣でせんとて。後にしばしば使う時事ネタ戯れの嚆矢なり。

十九番  右の炭谷夫人、細かりし昔にくらべての今を不渡りと自称するをかく詠めり。からかいて後心配しけるが、
     案に相違して、ご本人のうち喜べるを見てその後の戯れに大いに心強し。

二十番  某眼科医なり。

二十一番 彼の寝屋川の住人、度々の酒の失敗を偉(そうな)友Eguchiが諌めるを詠める。

二十二番 奈良の井上道弘夫妻が愛犬を失いしを詠む。悲しみに鞭打つがごとき情なしのしわざにてありけり。
     あいすまぬとおぼゆ。ゆるされたし。

二十三番 黒宮時代の妹ひかりこ姫、様々に筆名を使い分けとりわけ近くは能天気会など結成して活躍しおれば、
     詠まざるべけんやと思いおりしに、”光のどけき”に想いあたるなり。これも些か無理詠みにて上出来にはあらず。

二十四番 説明の要なし。下の句不出来なり。こぞのいろはかるたの「名刺なら宝石よりも品ぞろえ」の
     強烈なインパクトには遠く及ばず。

二十五番 らんりんコンビがことなり。下五を初めは「らんとりん」と詠みけるが、折角の山桜の語を生かしたく、
     さりとて「うば」とも「あだ」とも、のちのちを考ゆれば怖しとてえつけられず、××とせり。

二十六番 滋賀に居る定直の京都の新年会に出席するやいなやのとりざたを小耳にはさんでの歌

二十七、二十八番 えびのの熊こと稲戸は、旧くは牛飼いしけるが、近来花作りとなれる。前後して、
     ふさふさ研修所、ばかたれ国に球根千箇を送り来るもおかし。

二十九番 転身で思い出しける、吉田興平がことなり。糸島郡の山中を家族で開墾しおり。人よんでばかたれ共和国とぞ。

三十、三十一番 自らのことどもを詠むの初めなり。本歌の作り手ともに法師なるはたまたまにしてわざと為したるにはあらず。
        もとより、さほどの力量これ無し。

三十二番 「長き黒髪」とあらば進藤ふさふさを誰か思い出さざるべけんや。

三十三番 Eguchiの年来国の内外を問わず出張の多きを、我は社の契約などの法務が為と思い居ればかく詠む。或はしからずか。

三十四番 平野魔女を慕いおるtomoなる子(まさかに魔法使いの弟子なるや)東京にて学生なるが故に鳴滝の新玉の宴に
     侍られぬを嘆くを詠める。これも時事ネタなり。

三十五番 井上てうち庵越中にも務めありて週のなかばは淡海路を上下するとてなり。

三十六番 小戸なる船だまりがことなり。

三十七番 名古屋のさす(らいの)サラ(リーマン)こと内田利博、単身赴任なれば羽伸ばしけむ
     しばしば夜の巷の美女と同席の写真を寄するなり。

三十八番 ふさふさ研修所の旗頭、柴田らんらん今年の初寄りとておもむくに雪にあいて行きおおせずやむなく引き返し、
     同行のおのこどもに「喰いてぇー」と連呼して寿司をおごらせるとなむ聞きけり。

三十九番 このホームページのオーナー妹尾編集長が歌なり。「くがの涯まで」に「海の内外」の意も込めたつもりなり。

四十番  この戯れ事のきっかけとなりし、岡田芳乃無事下山の報に接して詠む。「山ぼらけ」はもとより正しき言葉にては
     あらじ、「山ほうけ」程の意にて使う。我もまたつけたりなどしてほうけおり。

四十一番 八王子の安こと堀部なり。以前ハートフル某とかにかかわりありと憶ゆ。まことに格好の本歌のありしものなり。
     落語になり世の人の広く知るところなるが、その落語にても最後の「とは」を千早の本名と云うをオチとするがごとく、
     この戯れ歌にてもピタリと安なる名をあてられしは手柄なるべし。

四十二番 余人の歌なればとやこう云うべきにはあらず。恰も鳴滝にて宴のありけるを詠まるるなり。

四十四番 日頃親しき我らにも「です、ます」調で話すは浄水主人或は寝屋川の住人なり。
     後者など掲示板にてまんが調の擬音を多用するは、その反動ならんや。

四十五番甲 妹尾さよ夫人を何とか詠まばやとて詠む。
四十五番乙 前の歌をつくりたるを忘れて後にまたつくりしが、まずまずの出来にて捨つるも惜しければ、かく並べおく。
      四十一番でも詠みし安の珍なる扮装を魔女一家が真似ぶなり。
 
四十六番 かくべつ云うことなし

四十七番 井上てうち庵よりして妹尾、興平などそば打ち愛好者の増ゆ

四十八番 いよいよ誰それを詠むに窮して風景を詠みだすなり

四十九番 誰を詠むとても無し、秘すれば花なり

九番乙  黒の宮時代御前姉妹あちこちに旅するを詠む。これも四十五番乙と同じなり。ただ、本歌あての紛らわしになりけり。

五十番  彼の人酒席で居眠るを得意とす

五十一番 我が娘がこと、紐育に在るWoodmanこと下川次郎にことよす

五十二番 数年前、東京忘年会でこれを為し、隣の会場でしばし歓談したる人のあり 

五十三番 我れ妻帯の余人より遅ければなり

五十四番 我らが時は斯様なならはし無しと覚えしも、我のみならばまたなお悲し

五十五番 現今修猷館を尋ぬればこの歌のままなり

五十六番 よいよい会唯一のプロの芸人森田澄夫はオペラ歌手なり

五十七番 卒業担任がタコこと中山先生の九組。下の句駄作なり

五十八番 このあたり連想と云うべきか、斯様な歌ばかり出来しなり

五十九番 ホテさんこと伊東先生も名物教師の一人なりし

六十、六十一番 かくべつなし

六十二番 寝屋川の住人、人面爬虫類なんぞと揶揄さるるに例によりて「ほったらこと云々」と常ならむ言葉を使いことあげせり

六十三番 手打ち庵夫人華歌人はいまだに夫をば、みっちゃんと甘きこわねにてよびけるとぞ聞こゆ

六十四番 霞と仮住みの言い換えのみ手柄なり。さるにてもいつか行きたし

六十五番 「我がの腹」の句を得ただけのことなり

六十六番 長年自衛隊に奉職したる芹田浩道このたび定年退職す。二度目の務めを為しければ、こは歌のうえの遊びなり

六十七番 渡邊章ドクターストップにあい蔬菜料理を食べたしとて我が家に来たり始めて早十年すぎぬ。

六十八番 一番歌を我に充つはおそれおおしけれど、他に思い浮かばず

六十九番 これも早や十年近く前のこと、高校時代には無かりし修学旅行を為さんとて如月に数人にて京都に遊ぶ。
     前夜の祇園に比べて雨の紫野は寒かりし

七十番  御山寺とは常照皇寺がことなり。音韻で戯れず、歌全体の意味あいを本歌取りす

七十一番 進藤ふさふさが以前葉山葵を呉るるを思い出して

七十二番 これも研修所ネタなり

七十三番 さぞや地獄で舌ぬかるる坊主の多からむ

七十四番 掲示板に登場する二,三の家に「はな」なる犬のおれり

七十五番 「潟」と「方」の言い換えのみなり

七十六番 ありあけとあかつきの連想で列車の愛称まで持ち出すなど、いよいよネタに窮するなり

七十七番 近ごろ登場の秩父在なる新井女史の心境をおもいてなり 

七十八番 根治苦笑は児玉俊史の面白コラムなり。原と腹の言い換え二番せんじなり 

七十九番 高校の運動会まで持ち出してはいよいよ見苦しききわみなり

八十番 「わび」から「わさび」、さらに「わび」と「さび」の連想。後は頭韻を合わすのみなり

六十番乙 これも再戯れなるが、捨つるは惜しとてはさもしきことなり。年忘れは東京、
     新玉祝いは福岡とふたととせ以上の習わしなるが今年より難波にても始まるらし

八十一番 能、狂言興行の千秋楽、付祝言なるものなすなり。さりとて、鹿毛女史と太一がことを詠めりとなさむ

八十二番 掲示板上でのやりとりのうちに、その他に直にメールを取り交わすさまの窺えればなり。
     これも苦し紛れの歌なりけるが、望外のお褒めをいただくは嬉し

八十三番 さすサラ内田しばしば小便小僧が写真を投稿す。
     下の句にてなんとか僅かに韻をふめり。「ゆばり」に思いあたり助かる心地を覚えり。

八十四番 このあたり苦し紛れの歌続くなり

八十五番 編集長や興平師匠、駆け込みのうったえにかく応えむと想像したるなり

八十六番 森脇の姉君がことなり

八十七番 彼の陸奥の教授、吉野桜狩りの後、今西行の仮名にてしらを切り通したり。
     されど、教授についての歌ふたつともに仮名を材にするは些か気の毒なり。ゆるされよ。

八十八、八十九、九十番 自ら締め切り日と心積もりし、新年会の愈々近まりての歌なり

九十一番 これも、ドイツの事どもを再三再四寄せ来る von Koenigswertこと船津邦比古を詠まばやとてなり。
     僅かに「をぶね」の語にことよせてなんとかおさめたり。
     かの人いづれもうるわしき妻君とふたりの姫君なれば、「あまりおのこ」と云いけり。


九十二番 「八重葎 」を如何にさばかんと苦心惨憺しけるがふと「八重グルメ」の着想を得たるは我ながらめでたし 

九十三番 いづくに宿ると云えばEguchiどんにほかならずなり。
     さりとて、章とEguchi、おなじどんでもあとさきの付き様でがらりと語感の変わるもおかし

九十四番 彼の寝屋川なる人の出題する智の雨にこと寄すこれも時事戯れなり。
     本歌の頭韻を全て押さえ、しかも下の句本歌よりも「な」の一音多しはわれながら殊勝の出来なり

九十五番 この本歌にも苦吟させられけるに、なんとか「人こそしらね」を生かしければ手柄に覚ゆ 

九十六番 これも苦しきときの友だのみなり、さるにても過ぐる年逝きたもふ父君に哀悼の意をささぐ。
     実はこの歌が最後に出来し歌なれどあえてこの辺りにおく。

九十七番 「ひとりぬる夜の 明くるま」にこれも苦心しけり

九十八番 いよいよ如何ともしがたく泥縄にて作りし駄作なり

九十九番 この歌、実は七十番頃に作りおりしが、歌の意をもちて終いに置かんとして取り置きたるものなり。
     されど次の歌が後に出来るによりひとつ前に移しけり。 

百番   前の歌同様、九十番台なかばに出来たれども、ここに置かざるをえぬなり