11/26 2004掲載
関西の風景(もみじの里は滋賀の里)・・・byはなパパ&はなママ
2004.11.23
いやぁ京都のもみじは見事でしたね。
九州人があれだけ京都に精通するとは、負けてしまいます。
さて、私たちのもみじ散歩は歴史の散歩道です。
1. 比叡山のふもと坂本の地は古代、といっても古いですよ、
弥生時代から古墳時代の手前まで、当時の表日本だった若狭へ
朝鮮半島から逐次人がやって来ました。
ツヌガアラヒト、アメノヒボコ伝説などそれらの人たちは多く
は海洋人なのですが、琵琶湖周辺に住みました。
この日吉大社(古くはひえたいしゃと呼びました)は全国の
山王社の総本宮なのです。
2. 上に比叡山が見えますね、開祖の伝教大師最澄はこの坂本
で生まれ比叡山に延暦寺を開いています。
3. 大社のもみじは約6000本あるといわれ、もみじの名所
として良く知られています。(ということでもみじの里だと)
4.5. 私とはなママとでこの広い境内を巡ってみましょう。
6.7.8.9 ちょうど見ごろとの情報もあり赤いのを探して奥に
行きます。
10. 西本宮は国宝、ご祭神はオオナムチノカミ(別名大物主、
大国主命、本当はスサノオの命の系譜です)。
壬申の乱をご存知ですよね。
実は大津からこの坂本までは古代渡来人系の大友氏地盤なのです。
湖の向こうは息長氏、そう大友氏は壬申の乱で敗れた大友皇子
(弘文天皇)、息長はそう息長帯姫(神功皇后)の系譜で共に
日本海を間にはさんだ海洋民族で、大和を地盤とする国津神族と
は系譜が違い、よって天智、天武は兄弟ではなかったのだ、と私
は勝手に想像しています。
奈良の大神神社から大物主を持ってきたのはおそらく天武天皇で
壬申の乱で敗れた天智天皇(先に亡くなっていますが)、大友
皇子鎮魂のためだとこれまた勝手に思っています。
11.12.13 それはさておき奥へ行きましょう。
14. 天王祭の神輿のひとつです。全部で7社あるようで、織田
信長の頃、比叡山の僧兵たちがこれを担いで京の街を暴れまわっ
たのかはともかく信長に焼かれて当時のものはありませんが、江
戸初期のもののようです。
15. 東の端、東本宮これも国宝です、ご祭神はオオヤマクイノカミ
こちらが大友氏本来の祖神で、今はにぎやかな東本宮と比べ少し
ひっそりしています。
16. 東本宮からはすぐ外に出てしまいます。
17.18 この本宮前のもみじがとてもあざやかだった。
19. もう一度比叡の山を眺めて、
20. この人はまだしつこく写真を撮っていますね。
ということで、第2部に続く。
閑話休題
1. 留守番のはなももみじ狩り
2. 桜の紅葉もきれいですよ
3. ハハ、私の足でなに遊んでんの
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