12/2 2004掲載

「我が西鉄ライオンズの思い出」
 
 稲尾投手、中西3塁手、豊田遊撃手・・・福岡市に住んだ我々
にとってこれらの選手名を口にしただけであの平和台球場へ向かう
上り坂の雑踏とするめを焼いた匂いの思い出が甦ってきます。誰か
の随筆にチーム名で「我が」と形容詞がつくのは西鉄ライオンズだけ
だと書いてありましたが、まさにその通りで「我が西鉄ライオンズ」が
与えてくれた興奮と失望はまさに青春時代の宝物だと思います。
 その頃(昭和36年〜37年頃)天神町近くの新天町に、ある
スーパーマーケットがオープンしました。その名も「主婦の店 ダイエ
ー」、福岡の繁華街の人の流れを変えたとまで新聞に書かれ大い
に繁盛していたことを覚えています。ミーハーの小生も早速その店
に出かけましたが、店の中央に若き日の中内功社長の写真が大
きく掲げられていたのがなぜか一番の印象です。
 ご存知の通り我が西鉄ライオンズは勝ち運に恵まれず、何社かを
経て西武ライオンズになり、今回また名前が変わろうとしています。
そしてまた、長くプロ野球チーム不在だった福岡に乗り込んだのが
西鉄ライオンズの宿敵であった南海ホークス改めあのダイエーホー
クス、そしてそのダイエーも往事の繁栄いまいずこで、今日の新聞
報道での孫社長の笑顔。我々齢50有余年、人生においてかず
かずの転機があり変化もありましたが、これほどの有為変転はな
かったように思います。本当に面白さを感じる今日の新聞記事で
した。
 我々の人生にもまだまだ変化がありそうです。同期生の皆さん、
健康で長生きしてこの変化を楽しみましょう。
では又・・・
 
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