2/3 2005掲載

「人情の機微」 by 渡辺 耕士
 
最近たくさん舞い込んでくるダイレクトメールが「お墓」の
案内です。
どこかで年齢がはいったリストが流出したらしく、対象は
ずばり小生で、首都圏でお墓を作る場合のいろいろな
ケースが事細かに記されています。正直言って「もうアン
タも先はそんなに長くないんだよ。そろそろ準備する頃
だよ」と言われているようで、あんまり嬉しいDMではあり
ません。
 しかし不思議なモノで、40台の時はまったく無視できた
ものでも、齢50台半ばを過ぎると一応目を通してしまい
ます。お墓から連想して、自分がどのような死に様を迎え
るのだろうと考えることもあります。そんな時にいつも頭に浮か
ぶのが、家内の祖母「まつのバンチャン」です。もう亡くなって
25年以上も経つのに、今でも家内の実家(岩手)に帰る
と近所の方が「まつのバンチャンがこう言ってたっけね」と噂を
します。残念ながら岩手の訛のきつい言葉は小生、半分も
理解出来ず、家内の通訳でかろうじて会話ができるだけ
でしたが、それでもきらきら輝く目と回りを楽しくさせる座談は
よく覚えています。
人生の機微に触れた言葉も数多く残した人でいつかその言
葉を編集したいと思っています。
「旦那さんが酔っぱらって帰ってきたら、よそのお酒も楽しいで
しょうが、まあ家でも一杯、と言うんだよ」と家内に教えていま
した。
「それをまあこんなに酔っぱらってと言うと、うるさい早く酒を出
せとなるんだよ」「酔っぱらって帰ってきた時、まあもう一杯と言
われたら、今日は飲み過ぎたからもういい、それより水をくれと
なるからね」(標準語に翻訳)
 このできた祖母の不肖の孫(家内)はこの言いつけが守れず、
酔っぱらって帰ってきた小生に「まあご機嫌ですね。まあもう一杯
如何」とは一度も言ってくれません。そう言ってくれたら「そうか
そんなに言うんだったらもう一杯」と言おうと待ち構えているの
ですが・・・
 まつのバンチャンの死に様も印象に残っています。非常に
お金にきれいな人で近所の祝儀・不祝儀に惜しみなくお金を
遣う人でしたのでみんなどうしてそんなにお金を持っているのだ
ろうと噂をしていたそうです。しかし亡くなって遺品を整理した所、
通帳残高はきれいさっぱり限りなく「0」に近かったそうです。
お見事としか言いようがありません。
まさに「お金は必要な人が必要な時に持てば良い」という生前の
哲学そのものでした。
では又・・・
 
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