2/12 2003掲載

渡辺耕士

さて、またまた「駄文」を作ってみました。

今回のテーマ:「差別と人権」

今回はテーマの性格上、少し固い話になることをお許しください。
 最近、スーパーに買い物に行くと、やたら目につくのが、「手作り(造り)」
という言葉です。やれ、「手作り餃子」「手造りウィンナー」「手作りカレー」・・・
なんでも手でつくれば、お客が飛びつくといった趣きの「手」の洪水です。
こんなコピーを考えた人は、「足」の気持はどうなんだろうと頭が回らない
のだろうかと、私は「足」のために憤慨の気持を押さえることができません。
一方ばかりをほめそやして、片一方を無視する。これこそまさに差別です。
「足」の人権はどうなっているのだと私は叫びたい。
 このような理不尽なことがまかり通っていいものだろうか。
くやしかったら、「足作り饅頭」という名前で売り出してみろと私は主張したい。
 しかしこれだけ差別を受けても「足」はただじっと耐えて、静かに微笑んで
いるだけです。寒い北風に身をさらしながら「ボクはこれで幸せなんだから
これからもしっかり生きていくんだ」とけなげに立つその姿を思い浮かべると
涙が滲んでくるのを禁じ得ません。
 
差別といえば、「背」と「お腹」の関係もそうです。
「背に腹は代えられない」なんという暴言でしょうか。
「お腹」のためなら、「背中」なんてどうなってもいいという魂胆がみえみえ
で、実に不愉快なエゴ丸出しの言葉です。
そういえば、「背中」にはどうも「背中」を軽く見ようとする差別的な発言が
多くあるような気がします。
「背中を丸めてトボトボと・・・」。
それに比べると「お腹」は随分優遇されています。
「腹も身の内」これは、「腹」だけが身内で背中は外様大名だというまさに
封建時代の権化のような言い回しで断じて許せません。
背中のつらい立場に対する心配りはどこにもありません。
 私はこのような「差別」に対しては、背中の底から(腹の底から)怒りを
覚える人間なのです。

そこで一句。

春梅や 素足で歩く 心地よさ

長かった冬も終わり、公園で擦り切れた靴下を脱いで、萌え始めた芝生
の上を素足で歩くホームレス。
 冬は嫌だ。一足しかない靴下をこの前トイレで洗ったらなかなか乾かずに
すっかり足が冷えてしまった。もう冬の洗濯はこりごりだ。最近、世の中
不景気で、「洋服の青山」の裏手のゴミ置き場もすっかりしけている。
昔は疵物が捨ててあったものだが、ここごろは、とんと掘り出しものがない。
噂では、売れなくなったものは刑務所などに寄贈しているらしいが、
ホントに欲しい人間はオイラ達なのに、何を考えているのだろうか。
 遠くで家族連れが遊んでいるが、俺にもそういう時代があったよなー。
別れた女房は「すみれ」と言ってたが、えらく気の強い女だった。
今ごろどこでどうしているのやら。いつも叱られてばかりだったが元気で
いるのなら後一回くらい会ってみたいな・・・

公園で春を感じながら、素足で歩ける喜びをかみしめるホームレスの男。
名前は確か「耕ちゃん」でしたよね。就職しても長続きせず、仲間からも
嫌われとうとう奥さんともケンカ別れ。
決してあなたが悪いんじゃないんですが、人生どこかで歯車が狂って
しまったのでしょう。
しかし、春の暖かい陽射しが巡ってきたように、またあなたを必要と
する舞台がきっときますよ。そう、背中を伸ばし、素足で芝生を歩けば
勇気が湧いてくるじゃありませんか。

世の中に受け入れられない男の苦悩と、「いつかは」という男の夢をあます
ところなく描き切って、独自の俳句の世界を作っています。
 名句です。

では又・・・

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