10/20 2005掲載

by 渡辺耕士

台風も過ぎ去り爽やかな朝を迎えました。
いつもの通りまた駄文を作ってしまいました。

「童謡」
 秋が深まると感情の振幅が大きくなるのかいろいろなことを考えます。

皆さんもそうだと思いますが、「童謡」を聞いて子供時代のいろいろなシーンが
目に浮かん来るのも不思議とこのシーズンです。

「夕焼けこやけで日が暮れて・・・」の歌詞を聞くと、兄の友人の家で日が暮れ
るまではしゃぎ回ったあの日の事を思い出します。
小学校に上がる前の時だったと思いますが、その日は兄から誘われて家から少し
遠かった兄の友人の家にくっついていきました。約束だったらしくその家には何人か
の子供達がすでに集まっていて、さっそく鬼ごっこです。
こう見えても小生、当時も今も人見知りをするタイプですが、そのときばかりは6〜
7人の子供達とすぐにうち解け、それこそ思い切り大声を出して遊びました。
鬼ごっこ・隠れんぼ・缶けりで広い庭を息が切れるまで走り回ったことを覚えています。
そして少し疲れた頃、その家のお母さんが麦茶と「はったい粉」を出してくれました。
そのおいしかったこと。

やがて陽が傾き楽しい時間もそろそろ終わりです。「楽しかった」「面白かった」という
思いはみんな同じだったらしく帰るときには「また明日遊ぼうね」「約束だよ、絶対な」
と口々に言いながら家路についたものでした。
兄と一緒に家に帰る道すがら、紅い夕焼けを眺めがら明日も絶対あの家でみんなと
遊ぶんだと幼な心に強く思ったことも覚えています。
そして夕焼けを見上げながらなぜか悲しくなったことも思い出します。
しかし、一期一会とはよく言ったものです。あんなに堅い約束をしたみんなも私も、
翌日はまた別の所で別のことをしていました。

「また明日、絶対だよ」の約束は50年経った今もまだ果たされていません。いろいろな
所でいろいろな友達と出会いそして遊んだ私ですが、あんなに楽しく心の底から楽しめ
た時間はなかったようにも思います。当日初めて会った友達ばかりなので今では名前も
わかりませんし、顔も思い出せません。しかし「もう一度人生のある日を経験させてあげ
る」と神様にいわれたら、間違いなくこの日を選ぶような気がします。
 実はこの日からすぐ、小生「肋膜炎」を発症し、大学病院に半年入院することになり
ました。このため余計にこの日が今も深く印象に残っているのかも知れません。
(したがって、昭和22年3月生まれですが、1年遅れて小学校に入学し、皆さんと同級
になりました)

 蛇足ですが、神様から「この日だけはなくしてあげる」と言われたら、いっぱいあって迷っ
てしまいそうです。
一日に役満を同じ人間に2回打ち込んだ日、ダンスパーティーで全然女性に相手にされ
なかった日、丹沢で秋の日にハイキングして道に迷い腹ぺこになって夜遅く麓までたどり
着いた日、うーんそれでも「結婚式当日」とはいくらなんでも書けませんよね・・・

では又・・・

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