8/22 2006掲載

             アンコールワットの夜明け

 夏休みを利用してカンボジア(アンコールワット)、ベトナムを回って
きました。我々団塊の世代にとってベトナムと言えば「ベトナム戦争」
カンボジアと言えばあの悪名高いポルポトのキリングフィールドを思い出す
一種独特の響きがあります。最初の訪問地アンコールワットでもガイド役の
青年が努めて明るく振舞っていましたが、時折ポルポト時代の大量虐殺に
触れ「知識を持つ人」が根こそぎ殺されて今でも医者の不足が大きな問題
となっている事を熱く話してくれました。この青年は自国の弱さも隠そうとし
ないで話してくれ、今から新しい国を創っていくのだという気概に燃えていま
した。
 明治時代のことはもちろん書物の上でしか知りませんが、坂の上の雲を
追い求める姿勢は正直言って羨ましさを感じました。我々にもその責任が
あるのでしょうが、「なんでもある安全な国ニッポン」になってしまい、日本の
若い人達が「豊かな国を造る」を人生の目標に置きにくい状況になってしま
ったことはかわいそうな気がします。
 アンコールワット始め数々の遺跡群は一見の価値があります。約600年
続いたクメール王朝のそれぞれの時代の王様がさまざまな理由で寺院
などを造ったそうです。ただ権力は実力で勝ち取るというのが原則だった
ようで、新しい権力者は前の時代の否定から始めますので、数々の遺跡は
大半が未完成のままだそうです。完成された石造建築寺院という印象のアン
コールワットも、建築を命じた王様が30年の在位の後亡くなると次の王様
は建築中止を命じそのまま放置され数百年後「再発見」されたとのことで、
権力者というのは今も昔も変わらないようで面白さを感じました。
 ただ、遺跡群を回っているとお土産売りがしつこくまとわりついて大変で
した。小生、多少マンハッタンの香りはあるものの基本的にはパリの雰囲
気漂うフランス紳士に見えると自負していましたが、どこへ行っても「オニイ
サン、コレヤスイヨ」「オニイサン、コレカウヨ」の連続で誰からも「ボンジュー
ル」の声は掛かってきませんでした。フランス人も数多く来ており彼らには
ちゃんと「ボンジュール、おもちゃヤスイヨ」と言っていたのに・・・
 ベトナムではサイゴン(現在はホーチミン市と呼ぶそうですが、レニングラ
ードと同じように何十年後かにはまたサイゴン市に戻ることでしょう)近郊の
クチという所でゲリラのための地下トンネルを歩く(這う)体験をしてきました。
アメリカ兵が入れないように特に狭く掘ってあるとのことで確かに真っ暗な中
での敏捷な移動は大きな武器だったと思われます。
その後は民族村で少数民族の歌と踊りがあり小生も指名がありましたので、
張り切って一緒に踊りましたがさすがに最後の方はうまくステップが切れませ
んでした。息はすっかり切れたのですが・・・
 雨季の割には短時間のスコール以外は本格的な雨にも遭わず、多少の蒸し
暑さを除けばおいしい食事と快適胃腸の5日間でした。先回のバングラデシュ
では生水に中ってしまい丸一日身動きができなかったので、今回は注意深く
行動したので大丈夫でした。
 アンコールワット周辺は全世界から観光客が押し寄せてきていますので、
ものすごいホテル建築ラッシュで数年後には遺跡に登ったり触ったりができなく
なるような事を言っていました。もし興味がある方は早めに計画された方が良い
と思います。
 たくさんの人に紹介してもらって、たくさんの人がきてくれることが明日のカン
ボジアの国づくりの基だと言っていたあの青年の思いを適えるためにも、皆さん
時間をつくってどうぞアンコールワットの夜明けを見に行ってください。
では又・・・

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