8/30 2007更新

やっと秋の気配がしてきました。
そこで猛暑の夏とお別れにまた駄文を作ってしまいました。

「かばん」

皆さんの家庭でもそうだと思いますが、ぐうたら亭主の小生、モノを
長く所持することができないという欠点を持っております。
失くしたり、壊したり、すぐ捨てたりで、身の回りにものをきちんと
整理して置くという習慣がなかなか身に付きません。それと比較して
我が家の山ノ神、実にたくさんの品々に囲まれて暮らしております。
「もったいない、まだ使える、いつか使える、何かに使える」が口癖で
この前も小生がこっそり捨てようとしてビニール袋に入れたポロシャツ
も目ざとく見つけて、いつのまにかまた小生の洋服箪笥の隅に掛けられ
ている始末です。
 そんな中最近、桑田佳佑のコンサートや高級車フェアで人気が再燃
してきた横浜赤レンガ倉庫街に行った時のことです。
いろいろなお店が並んでいますが、その中にオールドファッションの
カバンを売っている店がありました。かびの生えたような古いカバンが
「9万円」「12万円」の値札をつけて堂々と飾ってあります。その中の
一つのカバンを見て思わず家内と目を合わせました。
 小生の亡父は満州からの引揚者ですが、その満州から帰国するとき
身の回りのものを詰め込んできたカバンがありました。私が就職して
東京へ出て行くとき病床から「そのカバンば持って行け」と渡されたカバン
です。バイタリス、シャツ、洗面用具、買ったばかりのネクタイなどそのとき
の全資産を入れて人生のスタートを切った思い出の品です。
 それとそっくりなカバンがなんと「10万円」もの値段がつけられ並べて
あるのです。何回かの引越しのときには役に立ったカバンですが流石に
「よる年波」には勝てず、あちこちガタが来て、先回の引越しが終わった
時に小生がこっそり捨ててしまったものと同じようなアンティーク品がなんと
「10万円」、家内の悔しがることしきりです。
「だから何でもとっておいたら役にたつのよ。何の役にも立たないあなた
もいつかは役に立つかも知れないと思うから、捨てたりしないでしょう。」
「ほっといてくれ!」と言えないのが小生のつらいところです。
皆さん頑張りましょう!
では又・・・

8/17 2007更新

蛸壺会の宴楽しそうですね。
こちらも猛暑日が続き、毎日冷やし素麺を食べています。
今日は短編の駄文を作ってみました。

「小さな親切運動」

「小さな親切運動」というものが昔ありました。
昨日猛暑の中、ホームでボンヤリ電車を待っていた所、列の一番前でベビーカーと大きな荷物を抱えた
若いお母さん(とその時は思いました)が少し疲れたような顔で佇んでいます。
おりから電車が到着しましたが、ベビーカーを電車に乗せるのにてこずっている様子です。「小さな親切
運動」これだ、小生、大変ですね手伝いますよとベビーカーの前を持ち上げ電車に乗せるささやかなお
手伝いができました。ただしゃがんだとき動物のにおいがしたのが少し気になりましたが、きっと元気の
いい赤ちゃんで新陳代謝が激しいからだろうとその時は思った次第です。

「本当に助かりました、ありがとございます」
「いや困っているときはお互い様ですから、ハッ、ハッ、ハッ・・・」
そんなに混んでなく若い美人の母さんも腰掛けることができ一安心です。
どんな赤ちゃんだろう、男の子かな、女の子かな、小生ベービーカーの中を覗き込んだら・・・
なんとワンちゃんです。ブルドッグ系のがっしりした体格の犬で、小生と目が合うと少々照れくさそうな顔を
していたのがご愛嬌です。こっちはすっかり赤ちゃんだと思って一生懸命手伝ったのに肩透かしをくった気
分ですが、赤ちゃんもワンちゃんも同じかわいい生き物だからまあいいか。 では又・・・

5/2 2007掲載

「30周年に寄せて」

つくし野剣道育成会の仲間に入れて頂いて、1年半が過ぎました。
58才で初めて竹刀を握りましたので、勝手が判らず諸先生初め皆様
にご迷惑ばかり掛けておりますが、これからもよろしくお願いいたします。

 今日は、つくし野剣道育成会30周年に寄せて、小生の30年前を振
り返ってみます。その頃に出会い人と接する上で大きな影響を受けた
我が敬愛する先輩をご紹介することといたします。この4月末に82年
の生涯を閉じられた方で名前を壱岐さんとおっしゃいます。

 私が前に勤務していた会社の宮城県にある子会社(組み立て工場)
の社長をされていて、そこでいろいろと教えて頂きました。
「己に厳しく、他人にやさしく」を地でいく日頃の立ち居振る舞いで、小柄
ながらも眼光炯炯として、背筋がしゃんとしたその立ち姿は惚れ惚れと
するような威厳がありました。鹿児島の大学で剣道部の主将をされて
いたと伺ったことがあります。想像ですが、多分その生きる姿勢は剣道
での経験が大きく投影されていたように、今感じます。

 その壱岐社長が、本社へ転勤のため会社の食堂で送別会を開いた
時のことでした。車通勤が多かった関係で、お茶とお菓子だけの送別会
でしたが、当時数十人いたパートタイマーの方も全員参加してくれて、
最後は「社長行かないで・・・」と皆さん手を握りながら全員涙で送りました。
一番弱い立場の人間に対していつも気を配っておられた結果が「涙の送別
会」につながったと思います。その光景を思い出すと今でも胸が熱くなります。

 60才を迎えた今、己に厳しかった壱岐さんの足元にも及ばない自分が
少し情けなくなりますが、せっかく同じ剣道の世界に入門させてもらいました
ので、一歩でも壱岐さんの領域に近付けるよう稽古に励む所存です。
では又・・・

From: "渡辺 耕士" <k-watanabe@keio-up.co.jp>

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