7/28 2008掲載
ローマ到着・・・・・Part1
風呂桶にお湯いっぱい張って、、、ああ、身を浸される喜びよ!!!!!
さっぱりして、休んだら出掛けましょう。
初欧州
MORI君の興味は・・・・・此処か!?
福岡ドーム
程の直径の円形競技場コロッセオ、工事のし易さからか湿地に穴掘って地下室を設置・・・・・初期においては競技場に水を張り、海戦もやったとか。
此処に
ライオンはじめ野獣など飼育していたのでしょうか? 向こうに見えるオレンジの鉄骨、あのレベルに木製の床が一面に張られ
約5万の観客が
「もっとヤレ!」 と声援していたのでしょう。 直射日光から身を守るテントの設備もあったりして、市民は終日愉しむ事が出来たはず。
古代ローマの象徴コロッセオ・・・・・あの頂上部見てください。 大理石構造のこの施設、後の世にはとんでもない使われ方が、、、
中世を通じてコロッセオに使用されている建材は他の建築物に
流用され続けたそうで、一時期は”採石場”と化してしまい、あの有名なサンピエトロ寺院にもこの大理石が使用されています。
「そこまでやる?」
幸いその後此処は聖地となった為、採石禁止となり現在外周は半分程度が残っています。
創建当時(西暦312年)そのままの 「コンスタンティヌス帝の凱旋門」、フランスのエトワール凱旋門のモデルにもなっているので有名です。
凱旋門の左手には 「サンタ・フランチェスカ・ロマーナ教会」
ではお隣、フォロ・ロマーノへ・・・・・
紀元前6世紀から約900年間、国家の政治・経済の中心地であったこの地は現在我々の享受する西洋文明のベースとなった場所。
シーザーも
オクタビアヌスもこの道路を闊歩していたのでしょうか?
有名な
元老院、預言者のアドバイス聞かずに出掛けたカエサルは
紀元前44年3月此処で暗殺されました。 生前に死に方を問われた際に「思いがけない死、突然の死こそ望ましい」と答えたというから
この日の来ることは予測の範囲内だったのかも知れません。
何と侘しいお墓なんでしょう。
オクタビアヌスと比べると天と地の差、あの英雄にしてこれが現実!?
二千数百年以上前からこのパラティーノ丘の上には多くの民が住み着いて、埋蔵物から判るように結構豊かな暮らししていたのです。
此処は商店街!? 何だか当時の活況聞こえてきそうな、、、そんな気になりそう。
全ての道は、、、正に此処ローマに通じていたのであります!
フォロ・ロマーノを後に広場へと出てきました。
重厚な感じのする、バランス感覚抜群の広場!
ここを降りてゆけば・・・・・
お隣は、占領米軍兵士がウェディング・ケーキと名付けた、現在は無名戦士の墓であるところのヴィットリオ・エマニュエル2世記念堂。
MORI君にはフォロ・ロマーノよりコンドッティやろとやって来ました。
随分前に
小春ママと宿泊したハスラー・ヴィラ・メディチ
これがトリニタ・ディ・モンテ教会。
振り返ると
このように並んでおりますが・・・・・もう皆さんお気づきですよね?
そうです、ヘップバーン宜しく、アイスクリーム食べて眺めるべきでしょう。
年中、世界中からやって来るツーリスト。
MORI君の
お買い物は、コンドッティー通りで!
振り返ると、、、スペイン広場!
私には
此処がヨカ!
美人のチーフと
仲良くなって 「他の皆さんにはやってないけど、免税手続きとってあげるわね」 「グラッツエ!!!」
思わずまとめ買い、、、敵の思う壺!?
ディナーは
どれもこれも美味かった! 米が沁みるよニャ。
今日はぐっすり寝れそうです。