2/28 2003掲載
「デコバン支配人とアラ喰い」
の積もりであったが・・・「ここ二三日の不漁でアラは高いばってんどうする?」
「デコバンに任せる」
「坂口さんがたまたま帰省するらしかけん、予定通りにしょ!」
前菜三品
平目の昆布しめ
鶏肉レア焼き
穴子の雲子
いずれものなかなかの出来栄え。
なかんずく、まるでつき立て餅を炙ったような舌触りの鶏は出色!
福岡空港から
地下鉄で到着の坂口さん「美味しかねー、博多はやっぱりよかー」といつしか博多弁に。
デコバンお勧めだったのはもしかしたら
私かしら?
さて魚だ魚、驚くのはまだ早い。
わー凄い! |
見事な海の幸盛り合わせ |
アラにはお目にかかれなかったけど、一歩手前のアオナ(写真右下)は抜群の味だった。
3人揃えばいつしか話は50年前頃の話題に・・・・・
大濠公園傍の貯金局(当時米軍が使用)の階段をあの
「マリリン・モンローが下りて来たとよ。今でも鮮明に覚えとう、それくらいショック受けたと思う」
と坂口さん、父親の手を引かれわざわざ見に行ったらしい。
1950-1951朝鮮戦争の頃といえば物心ついた時分で・・・
被弾受けたF84GかF86Fが板付に帰還目前、自宅近くの鳥飼・草ケ江地区に墜落した。
印象的だったのはその機体の一部(ボルトナット)が庭に落ちてきて触ると熱かった事だ。
近所のガキ連中(リワキーノ含む)スワッとばかり駆けつけたもんだが、何と坂口さんも来ていたとは。。。
そういえば当事マリリンは夫ジョー・ディマジオとの新婚旅行で博多に立ち寄り、ここから戦地へ慰問に
出掛けていたんだろうね。日航もオークラ、ニュー・オータニも無かった当時、日活ホテル(今の城山ホテル)
と帝国ホテル(旧大丸デパート内)はえらく洒落た社交場、二人は帝国に宿泊し毎晩お気に入りのロイヤル
(エクセル東急ホテル)で食事していたらしい。オーナーの江頭社長は先見の明ある経営者でいち早く航空
時代の到来を予測し機内食業界に参入、その後各地の空港にROYALの看板を目にするようになったのは
皆さんご承知の通り。
一級後輩、空港ビルの大石次長も同席 |
「そんなあ〜、よう覚えてありますね」って驚いていたが
昨日のランチは忘れても附中のトイレは鮮明、そんなもん人間の脳ってのは!
満席の中、大将一人で厨房仕切ってるもんだからなかなか次へ進まないなあーの頃
グッドタイミングで登場のアオナのモツ
お次
カリカリから揚げに一番のお気に入り茶碗蒸し。
ウニの下にはアワビの床、ほかほか卵とともに食す幸せのひと時。
仕上げは
あおな鍋とその雑炊、もう満腹って言っていたわりに結局空にした皆さん
それほどの食材と調理の技だったんでしょう。
ご馳走様
すえ岡
早良区室見1-2 202号に面すSHELLガソリンスタンド前