7/5 2007掲載

想い出の映画スター

エバ・ガードナーの代表作
 
 
エバ・ガードナーは18歳の時、姉を訪ねてニューヨークに旅行した際、
姉の夫が写したこの写真を送ったことからMGMと契約することになりました。
強い南部訛の矯正と演技を学びながら、機会を待つうちにアーネスト・
ヘミングウエイの「殺人者」にバート・ランカスターと共演したことが
転機となりました。これが映画デビューとなったバート・ランカスターと
それまで端役に甘んじていたエバ・ガードナーは、この作品での好演がその後の
大スターへの道ヘのスタートとなりました。
 
 
 
1949 「パンドラ」左ジェームス・メイスン
パンドラはジュピターがヴァルカンに命じて作った最初の女性で、
ジュピターから与えられた玉手箱を開けたために、人生の災害が
四散して地上に満ちて、ただ「希望」のみが残ったと言われている
神話「パンドラ」と、神を呪ったために永遠に死ねないオランダ人船長の
伝説、「さまよえるオランダ人」をミックスして現代に蘇らせた
ラブストーリーで、私が初めて見たエバ・ガードナーの作品です。
 
 
 
 左ハワード・キール 
1951年「ショウボート」はミシシッピ川に浮かぶショウボートを舞台に
繰り広げられる人間ドラマで、ブロードウェイの人気ミュージカル三度目の
映画化作品です。奴隷制時代のアメリカ南部(ミシシッピー川)を舞台に、
エバ・ガードナーが演じたショウボートの主演女優ジュリーは、混血の身で
白人男性と結婚したためにショウボートを追われ、落ちぶれて行く役で、
初めはレナ・ホーンやダイナ・ショウなどの素晴らしい黒人歌手の名が
ハリウッドでは黒人と白人の恋を描くのはご法度でエバ・ガードナーに
なりました。
 
1927年の第一回の「ショウボート」では、伝説的な黒人バス歌手
ポール・ロブスンによって歌われた「オールマンリバー」は、三度目の
映画化でも別の歌手によって歌われ、何度聞いても胸がゆすぶられる名曲です。
 
 

 
 右グレゴリー・ペック
1952年「キリマンジャロの雪」は、ヘミングウェイの原作で、
キリマンジャロの麓で死にかかった作家の、過去の女遍歴の回想を
描いたもので、パリで知り合った女性(ガードナー)との恋とその
破綻を描いていますが、いくつかのエピソードで綴られた一種の
オムニバス映画になっています。
 
 
 
1953年 「モガンボ」
モガンボはアフリカの猛獣狩を背景に大人の辛口ロマンスを、「駅馬車」や
「荒野の決闘」のジョン・フォードが描いた作品です。それまでのアフリカを
舞台にした単なる冒険物語にならなかったのは、西部劇などで男性を描いて
きたジョン・フォードが、性格の異なる女性二人を中心に三つ巴の恋を
描いたことで作品に厚みが出てきたからでした。
 
 
 
 左クラーク・ゲイブル
アフリカの奥地で動物園用の野生動物を捕獲するハンターのもとに
突然元ショーガールが現われ、二人は反発しあいながらも惹かれて
いきます。エバ・ガードナーの扮した元ショーガールは、いわゆる
教養のかわりに人生修行できたえあげた実際的教育を土台に、
頭のひらめきも良く、口をついて出る言葉は辛らつで相手の心を
えぐることもあるが憎めないという女性です。当時のハリウッドで
こういう女性が全篇に活躍するのは珍しいことでした。
 
 
 
左グレイス・ケリー
そこへ英国からやってきた生物学者の妻が、猛獣に襲われようとした時
ハンターに助けれたことから、彼に好意をいだくようになります。
デビュー作「真昼の決闘」につぐ2回目の作品となるグレイス・ケリーは、
知性と見識だけは誇りたかくても世間知らずの学者の妻を演じて、エバ・
ガードナーと対照的な存在になっています。
 
 
 
野獣の捕獲を仕事とする男と、ショーガールと、生物学者の妻との
間に複雑な恋愛関係がうまれ、恋のさやあてが展開していきます。
グレイス・ケリー扮する学者の妻の四角四面な歯の浮くような発言を、
胸の中ではせせら笑いながら、余裕を持って聞き流すエバ・ガードナー
の元ショーガールとのやりとりはユーモアがあり、この作品の魅力に
なっていました。
 
 
アフリカの雄大な自然、躍動的な動物たちを背景に、緊張した3人の
恋模様を描いたこの映画は、これまで逞しい男の世界を描き続けて
きたジョン・フォードが、女をこれほど見事に描いたことはなかった
と言われました。「モガンボ」の面白さは、エバ・ガードナーと
グレイス・ケリーという女優の使い方にあると言われています。
エバ・ガードナーはその年のアカデミー賞の主演女優賞の候補に
グレイス・ケリーは助演女優賞の候補にあがりましたが、残念ながら
二人とも賞を逸しました。全盛期ハリウッドの総力をあげた良質の
娯楽大作といえます。
 
 
1954年「円卓の騎士」
「アーサー物語」の中の王妃グイネビアと円卓の騎士ランスロットの
ロマンスを描いた映画ですが、ランスロットのロバート・テイラーに
エバ・ガードナーの王妃グイネビアは、美男、美女の組み合わせの
魅力はあっても、それぞれの柄ではなく、当時はそれなりの面白さは
ありましたが、ハリウッド製歴史絵巻の限界を示した映画でした。
 
 
 
 左ロバート・テイラー
エバ・ガードナーは美しさの絶頂期で何を演じても、その美しさは
際立っていました。現代劇はともかく、数多く作られたハリウッド製
歴史映画を見てきて、歴史映画はハリウッドには馴染まないように
私には思われ、歴史映画は、その国の歴史や伝統、そして風土のなかから
生み出されるものではないかということを感じました。
 
 
 右ハンフリー・ボガード
1954年「裸足の伯爵夫人」
ストーリーのあらすじは、マドリッドの小さな酒場で踊っていたマリアが、
映画監督ハリーらに見出され、身の回り品ひとつ持たず裸足のままローマへ
飛んで映画に出演します。ハリウッド・スターとなった彼女は、やがて
イタリアの伯爵と結婚しますが、戦争で性的不能者となったことを伯爵から
知らされ、不倫の恋に走って妊娠し、その相手ともども伯爵に射殺されて
しまいます。
 
 
 
映画は伯爵夫人マリアの葬式から始まり、式に参列している友人の映画監督
ハリーの言葉がナレーションとなって、マリアの数奇な人生を、映画会社の
宣伝担当、夫の伯爵の3人の思い出として、短くも波乱に満ちたヒロインの
生涯が回想されていきます。マリアは子どものころ裸足で走りまわり、
戦禍(スペインの内戦)をさけて父母と放浪し、靴をはいて歩くことが
憧れだったと言いながら、靴をはける生活になると発作的にはだしに
なりたがる矛盾をもった女性でした。
 

 
 
 左ロッサノ・ブラッツィ
エヴァ・ガードナー自身を思わせる女性が、女優として成功し、伯爵と出会って真実の
愛を求めて必死で生きていくことを願いながら、伯爵の性的不能をしると他の男と
密通し、不倫の子を伯爵の後継者にと考えるマリアの愚かさが悲劇を生みます。
マリアにとってはスクリーンの出世も、富も、芸術も、名声もものの数では
なく、打算も思慮も超越した本能的と言える行動から、周囲をまきこみながら
破滅せざるを得ない女性でした。
 
 
 
それまでのハリウッドの映画史上では類をみない女性像を、エヴァ・ガードナー
は深みある存在として表現して、彼女の代表作となりました。このメロドラマを上質な
娯楽大作にしたのは監督、脚本のマンキウイッチの力量とハンフリー・ボガードの好演、
そしてなによりもエヴァ・ガードナーの美しさでした。当時ハリウッドの名のある女優たちが
こぞってこのマリヤを演じることを願っていましたが、エヴァ・ガードナーを選んだマンキウイッチ
の選択が、この作品の成功をもたらしました。エヴァ・ガードナーはこの作品でもアカデミー賞の
主演女優賞の候補になりましたが、今回も賞を逸しました。テーマ曲「裸足のボレロ」も大ヒットしました。
 
 
 
1956「ボワニー分岐点」
イギリスの支配を逃れ独立の道を歩むインドを舞台に、エヴァ・ガードナー
扮するイギリスとインド人の混血児をめぐって、同じ混血児の婚約者、
独立運動を抑えようとするイギリス軍の将校の、恋の行方を描いた作品です。
原題の”ボワニー分岐点”は鉄道と同時に、愛情や宿命、人生、思想の
分岐点を意味しているようでした。
 
 
 
右スチュアート・グレンジャー
混血児に扮したエヴァ・ガードナーの黒いメイキャップに、インドのサリー姿は
エキゾチシズムの美そのものでした。
 
 
 
1957 「陽はまた昇る」
アーネスト・ヘミングウエイの出世作を映画化したもので
第一次世界大戦を経て、ヨーロッパの荒廃と絶望のなかを
さまよう1920年代の若者たち、いわゆる”失われた世代”の
群像をオールスターキャスターで描い作品です。
 
 
 
右タイロン・パワー 左メル・ファーラー
未来への希望を模索する若者たちのマドンナ的存在を演じる
エヴァ・ガードナーはヘミングウエイの作品は3回目ですが、この映画
では”失われた世代”の一人として登場していますので、「モガンボ」や
「裸足の伯爵夫人」のような鮮やかなスポットを浴び続けるという
わけではありませんでした。ヘミングウエイとは個人的にも親しかったようです。
 
 
「陽はまた昇る」の後も「渚にて」「北京の55日」と作品に
出演しますが、次第にそれまでの主役から重要な脇役としての
存在感をしめす作品が多くなりました。初期の「殺人者」や「パンドラ」
「裸足の伯爵夫人」など男性を破滅に追いやるファムファタル(宿命の悪女)を
やらせては、ハリウッド女優は多しといえどもエヴァ・ガードナーの右にでる女優はなく、
実人生も多くの男性を虜にして、最後は肺がんでなくなりました。
 
晩年の病気治療のための費用100万ドルを負担したのは、30年以上前に別れた夫フランク・
シナトラでした。私は代表作の「モガンボ」と「裸足の伯爵夫人」はエヴァ・ガードナーの人生を
象徴しているように思えてなりません。50年たった今もエヴァ・ガードナーは忘れえぬ女優です。
 

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