学芸員とのやりとり

「古代地中海にミノア文明があったことは御存知ですよね?」
「はい。クレタ島を中心とした文明ですね」
私の応えに、これだったらこの客には説明は多く要しない、とその女性は思ったのか顔
を明るくし、
「そのクレタ島で発掘された塑像なのです」
と言い、持参してきた洋書を開いていくつかの写真を示しながら
「ご覧になって下さい。この中にも同じような塑像がありますでしょう?」
と話します。
なるほど、そこに同じような末広がりのスカートを履いた婦人像がいくつも載っているの
です。ただ、そこに載っている画像はスカートが末広がりであることでは展示された塑像
と共通するもの、上半身は裸のものばかりで、一部服を着ているように見えるのもあるの
ですが、それも乳房を剥き出しにしているものでした。それらは全部クレタ島で発掘され
たものとのこと。
「驚きです!しかし、これらが紀元前2000年のものという根拠はどういった理由から判
るのですか?」
「はい。古代地中海においてはクレタ島は洪水が定期的に襲ってきたことが考古学的調
査で判っているのですが、その都度、都市は破壊され、土砂に埋まってきた経緯がいくつ
もの地層を成して残っているのです。その中で正確には紀元前1500年頃(解説には紀
元前2000年紀、というミレニアム表示だったことをこのとき初めて気付かされた)の地層
にこれらの塑像群があったのです」
「よく解りました。私はギリシャ・ローマ時代に強く惹かれるときがあって色んな本や画像も
眼にしてきているのですが、こんな末広がりのスカートを見たことが一度もありませんでし
た。特にこの塑像なんかまるで近世のヨーロッパの婦人の服装そのものですから不躾に
も解説文に疑問を述べてみたのです」
するとその学芸員はニッコリして話されます。
「この塑像は特別なものでして発掘されたときは上着を着ているかのようなその近代的服
装がヨーロッパでも一大センセーションを巻き起こし、『パリジェンヌ』とあだ名されたのです。
お客さまがそう思われるのが当然ですよ」
と言い、そして
「実は私はこの塑像に対してそのような疑問をお客さまから呈されるのを秘かにお待ちして
いたのです。ですから係の者からお客さまが疑問視されていると報告があったとき、ご説
明できる機会がやっとやって来たと、思わず嬉しくなりました。」
輝くような笑顔で言われるのです。

平日のせいもあるでしょうが、ミホミュージアムはあまり世には知られてないのか、そのコ
レクションの素晴らしさとは不釣り合いなくらい客は少なく閑散としており、職員たちも手持
ちぶさたのように見受けられていたのですが、この学芸員もきっと退屈をかこっておられた
のかな、と思いました。
なにしろ、ミホミュージアムができて9年経つというのに誰もその疑問を呈した人が居なかっ
たのですから。いや、いたのかも知れませんが私のように質問することまでしなかったのか
も知れません。