それで、何もかも、ふっ切れたんです。それから、食うや食わずの修行が始まりました。初め、お賽銭をあげていましたが、考えました。例えば、二千万、持っている人が、五十万のお賽銭をしないですね。私、二万円しかありません、最後のお寺で、五十円、お賽銭
して、あとは、勘弁して下さい、盗みはしませんが、一銭も用意出来ません、堪忍して下され。
それから、やっと、托鉢、托鉢の真似事が始まりました。托鉢と言うのは、どうするかと言いますと、般若心経、一巻を唱えて、終わったら、貰うても、貰わなくても、とにかく立ち去るんですね。この作法が大事なのです。物欲しげに、いつまでも居てはいけないんです。で、寒いからと言うて、ぱっぱっと、はしょっても、いかんのです。貰っても貰わないでも、心経一巻、心を込めて、唱えさしていただく。
そうしますとね、最初、十円、二十円、一円の時もありました。一円は使えませんから、次の番へ行った時に、すいません、これでも、お賽銭にと上げさせてもらいました。
時々、百円あるんです、嬉しいですな、パン買えるんですよ、一個、そのパンが買えたその時、食べる、買えなんだら食べない。
道、歩いていたら、時々いただくんですよ、パンかなんか、おにぎり、それを、リュックサックに詰めて、今日の晩ご飯、それ迄は、昼は食べない。それから、家もあるから、自分で、托鉢タイム、ここからそこ迄は、托鉢時間として、お願いします!と決める。
実は私、時計は持って行かなかったんです、そうするとね、お日さんの沈む方向によって、ああ、そろそろ宿をとらなければいかんな、と考えるんです、と言うのは、次の町まで行って、すぐに、宿が無い時あるんです。そのもう一つ先にある時があるんです、最高、九時まで歩いたことがあります。大体、冬の夜は五時半位で暮れるでしょう、暮れて、歩き続けた事が何度もありました。
で、土佐へ、だんだん近付いて来ると、峠を越えて、これが長いんですよね、そして、二十三番薬王寺さん、ここで泊まらしていただきました。薬王寺さんは、ちょうど縁日で賑やかでした。
石段の両端にびっしり、一円、十円、百円が置いてあるんです、これいただいたら大分助かるが、とふっと、考えました、勿論、手も出しませんでしたが、後で聞いた事ですが、このお寺さんは、御本尊が薬師如来で、厄除けのお寺だったんです。そのお金を拾うと厄を拾った事になるんです。妙な気、起こさんと、良かったとつくづく思いました。
宿をとろうと、縁日の回りを歩いていたら、勿論、土産物を買う気は全然ありませんでしたが、蛸焼き屋の小母さんが、そろそろ、店仕舞いの所で、私の顔を見て「売れ残りですけど、お遍路さん、はいっ」と、ちょっと固くなりかけた蛸焼きを二十個程、舟に包んでくれました。助かりましたね、早速、その晩の食事に当てさしていただきました。
薬王寺さんから、土佐へ、二十四番最御崎寺まで九十八キロ。いよいよ、修行の道場に入って来る訳なんです。
高知
発心の道場から修行の道場、土佐へ入ってくると、阿波は山が多かったんですが、土佐は、海、海、海、海ですわ、最初は海が見えた時は、うわぁ、海だ、有り難いなと、感激しました、それに、私、坂本龍馬に憧れてましたから、余計嬉しかったですね。
ところが二日も三日も海、海、海、海を見せられると、悲しくなって来るんです、成程、お遍路さんは、土佐で飛び込んだな、業の深さをはかなんで、身投げする、意味が分かっ
て来たんです、海を毎日、見て歩きますとね、もの悲しくなって来るんですよ。よし!俺も、海に飛び込んでやれ、又、すっ裸になって、大の字になって、泳ぎました、気持ち、よろしいな、潮水を冬のさ中に浸っていると、何か甦ったような気持ちになります。
すると、私の泳ぐのを見ていた、おンちゃんが、坊さんカメラ持って無いんかと聞くんです。生憎、持ってませんわ、このおンちゃんカンザシと間違うとるんとちがうか?と思いました。惜しいな、惜しいな、と言って缶ビールを飲んでいました。 そうして、土佐へ、だんだん入って行きました。そして、托鉢して廻っていますと、初めは、居る家ばかり托鉢して廻ってしまうんです、例えば煙草屋さんとか、お菓子屋さんとか、心経を唱えさしていただき、中から出てきて、何がしかの‥‥‥中には、ぴしゃっと、閉められる事もありますが、最後になりますと、いや、そんな事、貰うために、お前は心経一巻あげてるのか、もういいやないか、貰おうと貰わんでも、お前の托鉢タイムには、やれ、と、よし、やると、決めた限り、軒並み、居ても居なくても、やり出したんです、するとね、‥‥‥‥高知へ入りますとね、自転車でね、おンちゃんが、追い掛けてくるんです、血相変えて。
「おまんか、うちの家、拝んでくれたのは」宗旨が違って、どつかれると違うかと思ったんです。「おまんか」「私です、どうも」「どうぞ、やる」百円銀貨を鷲掴みにして、私の手の中にそっくりくれるんです。
今度はね、自分は、お金はいいやと考えるとね、お金が追いかけてくるんです。呉れ呉れ坊主には、何も無いの、どっちだって好いや、只、自分は御参りして、そして、番に来て、般若心経を唱える、それを拝んでいるのとは違う、本当の拝むと言うのは、その道中を拝んでいく、そして、そこの家の業を次の番へお預けして行く。その私は一つの渡し人やと、こう思い返して来たんですね。そうしたら、気が楽になりましたわ、それからね、お金、頂けるようになってきたんです。
不思議です、ある時なんか、バスが突然、止まるんです、「お遍路さん」と運転手さんがバスから降りてきて、はい、お接待、と、お札、一千円下さるんです。それはね、私が歩いているでしょう、バスは何回も往復しますわね、何時見ても、あいつ、歩いてると、あっ、今度の時、千円持って行ってやれ、と‥‥‥‥で、頂けたんではないかと思うんです。
そんな訳で、お金の方から、追い掛けてくる、有り難いご縁やな、これやったら、行ける、その代わり自分は三食、食べようとは思うまい。だから、私は、必ず、素宿り、宿では食事無し‥‥‥‥初め、私は、寝袋を持って来ていたんです。そうするとね、寝袋持っていますと、それに頼るから、恐らくこんな冬、寒い所で寝たら、凍え死んで終うなと、送り返しました。ある所でお接待を受けている家で送り返して貰いました。だんだん、荷物を軽くしていったんです。
三十一番竹林寺では、大発見しました。空海、この地に於いてヨガ行法を修したと書いているんです。これは私にとって、驚きでした、又、感激もしました。お大師さんはヨギだったのだ、
それから、三十三番雪蹊寺に着きました。雪蹊寺さんの御本尊は薬師如来です、拝ましていただき、お寺の横に、小さな茶店があるんですが、その前を通りますと、小母ちゃんが、お茶飲んで行きなされ、と接待してくれたんです。この小母ちゃんが、なかな立派な方で、思わず話し込んでしまいました。
私はお遍路さしていただいて、ここ迄来さして貰いましたが、御参りしたと言う証拠は何一つありません、と申しましたら、自分がよく知っている、何より、お大師様が知っている、それだけで、良いじゃありませんかと言われ、そうだ、その通りだと思いました。そこを出てから、私はぽろぽろ、涙をこぼしながら、歩きました。しかも、この雪蹊寺は私の師匠の平井先生の師匠、山本玄峰老師のご縁のお寺でもあるのです。
和歌山県、熊野のご出身で、無們関提唱と言う立派な本をのちに出されるのですが、若い時に、熊野川で船頭をしていて、道楽が過ぎ花柳病にかかり、盲くらになったしまいました。家族、親戚から愛想をつかされ、追放同然の扱いで、お四国遍路へ行かされ、裸足で何回も八十八ケ寺を巡って御参りしてたんです。
たまたま、この雪蹊寺の門前で行き倒れてしまいました、七回目の時だったそうです。そこで、助けられ、非常に感銘を受けて、私を坊さんにしていただきたい、私のような者でも、坊さんになれるでしょうか、とお寺の住職に尋ねたんです。そしたらその坊さんが偉かった。「普通の坊主にはなれんやろ、しかし、本当の坊主にはなれる」と住職、玄峰老師に諭されて、それから、一意発心して、坊さんの修行を積んで、後には偉い坊さんになられるのです。これは若い日の山本玄峰老師のうちらから発した声だと思います。
奇しくも、私は、この寺で、お神さんを通して本当の声を、お大師様の声を教えていただいたと思います。