吉田証言[編集]
1982年以降、吉田は戦時中に済州島などでアフリカの奴隷狩りのように若い朝鮮人
女性を軍令で捕獲・拉致し、強制連行したと著書や新聞や講演などで語った[27]。
その後、済州島の新聞「済州新聞」が追跡調査で当時そうした「慰安婦狩り」を住民
が聞いた事がないという証言を得て吉田証言は事実ではないと報道。
その後、秦郁彦らも追跡調査を行い、同様の結論にいたった[28]。また吉見義明も
吉田本人から創作を交えたことを聞いたため、吉田証言は資料としては用いること
ができないと確認した[29]。
1983年以降、吉田証言を16回にわたって記事にしてきた朝日新聞は、2014年8月5日
に吉田証言を虚偽と判断して、すべての記事を取り消した[2][30][31]。共同通信も
7回にわたって吉田証言を記事にしていたが、1992年頃より識者らの間で信ぴょう性
に疑問を呈する声が出だしたため、1992年を最後に記事としての取り上げるのを止
めている[32]。
2014年11月17日には、北海道新聞が朝刊1面に「『吉田証言』報道をおわびします」
と題して社告を掲載し、1991年11月から1993年9月にかけて8回(うち1回は共同通信
配信の記事)を掲載したがそのすべてを取り消すとしている[33]。
2014年12月23日、朝日新聞は8月の検証紙面で16本を取り消して以降、再調査でほ
かにも虚偽証言に基づく記事が見つかったとして吉田清治への取材から「2回ほど
朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」と報じた記事など追加で2本取り消し、
朝日新聞の一連の記事取り消しは計18本となった[34][35]。
2014年に朝日新聞が記事を取り消したことで日本国内では吉田証言を史実とみな
す向きはなくなったが、しかしこの間、吉田証言は、1992年の韓国政府による日帝
下軍隊慰安婦実態調査報告書や1996年の国連人権委員会のクマラスワミ報告や
1998年のマクドゥーガル報告書でも慰安婦強制連行の証拠として採用された[36][37][38][39]。
また、これら報告はその後も修正していない[36]。2006年の米下院が慰安婦問題で
対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会調査局の報告書でも「日本軍に
よる女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」が明記された[37]。
その後、日本側の批判を受けて、2007年の改訂版では「吉田証言」が削除された[37]。
しかし、2007年2月25日の決議案審議のための公聴会の時点ではこの吉田証言に基
づいた資料を判断材料としたうえで、2007年6月26日にアメリカ合衆国下院121号決議
が可決した[37]。
さらに2011年8月30日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が日本軍慰安婦被害者の賠
償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは憲法違憲」と判決した際に
も事実認定としてクマラスワミ報告、マクドゥーガル報告書、アメリカ合衆国下院121号決
議が根拠とされ、吉田証言も事実認定の有力な証拠のひとつとして用いられた[40][41]。