塩川正十郎さんの告別式

  投稿者:リワキーノ  投稿日:2015年 9月25日(金)01時05分30秒
編集済
  塩川正十郎さんの葬儀に行ってきました。

驚いたのが、御堂筋線桃山台駅からの送迎バスで公益社千里会館に着いた時、バスを
降りる人たちを報道陣がカメラを構えて一斉に見守っていること。
著名人たちを写すためなのでしょうね。

1500人が参列したと言われる葬儀ですが、これが大物政治家のものかと思われるほ
ど飾り気の極度に少ない簡素なものでした。
葬儀委員長を務めた福田康夫元首相が挨拶の中で「個人の強い意志のためにこのよ
うな簡素な葬儀となりました。個人の意志をどうかご理解くださいますようお願い
いたします」と言われてました。

小泉元首相が友人代表として弔辞を述べましたが、これが紋切り型なところがまっ
たくない、故人への切々たる哀悼の気持ちのこもったものでありました。
自分を政治家として教え導いてくれるよき大先輩であり、自分が首相を務めた時は
閣僚の一人として精神安定剤的存在であったことを語り、皆に親しまれた「塩爺と
呼ばれ」と言うくだりに言及したときは絶句し、しばし言葉が発せなかったほど、
感極まる様子がモニター画像から伝わってきました。
最近の小泉さんの言動に対してはいただけない思いでいた私ですが、このときの弔
辞には深く感動したものでした。

この故人への深い思い入れは葬儀委員長を務めた福田元首相の挨拶にも表れており、
「今日は多くの国会議員も参列くださいましたが、大島さん(現・衆院議長)、
伊吹さん(元・衆院議長)、細田さん(元・小泉内閣官房長官)、扇さん(元・参
院議長)」と名を挙げて「自分を含め、故人とは同僚といった間柄の人たちです」
と紹介されたのですが、長老的存在だった塩川さんを失った仲間内の哀しさが伝わ
ってくるような表現でした。
福田元首相は冷ややかな醒めた人というイメージがあるのですが、内面は情の深い
人では無いかと思ったものでした。

弔電は3つ披露されましたが、安倍首相と中曽根元首相に続いて「訃報に接し、妻
と共に在りし日のお姿を思い浮かべ、心からの哀悼にひたりました」の文言に一瞬、
誰だろうと思ったら、マレーシアのマハティール元首相からのものでした。

そして、もっとも印象深かったのが、焼香です。
最初に葬儀委員長の福田氏、次が親族代表の喪主・塩川さんご長男、その後に親族
の焼香が続いたあとの止め焼香、友人代表として小泉氏の4人のみが単独焼香であり、
それ以外は複数の焼香台に序列もなにも関係なく、一般焼香が始まったことです。
一般の焼香に交じって衆院議長や元・参院議長などの国会議員も複数の焼香台に別
れて焼香し、回廊でモニターを通じて葬儀を見守っていた私たちも、順次塩爺さん
の遺影の前の焼香台に案内され、焼香できたのです。
おかげで私は三度身近にお会いしたことのある塩川正十郎さんに実感のあるお別れ
ができました。

そして私には深い感銘を与えたこの葬儀は1時間できっちりと終えたのです。
このような虚飾の少なく、清楚で品格のある葬儀を私は一般人の葬儀でもそう見た
ことは無いと断言できます。

塩爺と親しまれた政治家、塩川正十郎さんの遺徳のなせるところの何もの以外でも
無いと私は思いました。

添付画像の2枚目は新宮山彦ぐるーぷの仲間たち。
左から川島現・山彦世話人代表、玉岡さんのご子息、山彦顧問・玉岡。
 


塩川正十郎さん、死去。

  投稿者:リワキーノ  投稿日:2015年 9月22日(火)00時43分16秒
  塩爺の愛称で親しまれた政治家の塩川正十郎さんが昨日死去されました。
私の所属する新宮山彦ぐるーぷにとっては大変ご縁の深い恩人とでも言うべき方で、
山彦の行事で三度もお会いした方でした。
長文になりますが、以下は1996年6月に行われた行仙宿山小屋建設10周年祝賀会のと
きの私のレポートの一部です。

午後6時に主賓である塩川正十郎ご夫妻が拍手の中で登場。
塩川さんは運輸、文部大臣を歴任した自民党の政治家で、新宮山彦ぐるーぷの小屋
建設の情熱に深く共感され、いろいろな便宜を計らってくださった方です。
当時、宇野首相の女性問題スキャンダルでテンヤワンヤの騒ぎにあった政局の中、
自民党官房長官という超多忙な立場の状況下、玉岡さんに励ましやアドバイスの毛
筆の手紙をたびたび送ってこられたことを私たち新宮山彦ぐるーぷの者たちは決し
て忘れることができません。
主賓としての長い祝辞は紋切り型とはおよそ縁の無い感銘深いものでして、玉岡さ
んから送ってこられる数多くの建設レポートをすべて読んだこと、そしていつも感
銘を受けており、今日、新宮駅に降りたときに改札口に立っている老人が一目で玉
岡さんであることが判ったこと、千数百年もの昔から続いてきた宗教的伝統の火を
絶やさぬよう手弁当で努力されてきた皆さんのボランティア活動の崇高なこと、皆
さんのやってこられたことは皆さんの子供たちや孫たちに語り継がれていき、必ず
や良い影響を世間に及ぼすこと、山登りが好きな自分は完成当初から行仙宿小屋に
行きたく思っていたが、多忙なため、長年その夢が果たせなかったがやっと暇な身
分になったので、いつか玉岡さんに案内いただき、行仙宿小屋に泊まってみたく思
っていること(このとき、会場が大きくどよめきました)、のようなことを話され、
私は感動のあまり目頭が熱くなってき、隣席で塩川さんを見上げるようにして聞い
ていた玉岡さんの眼は真っ赤になっておりました。
東大阪市が選挙地であり、熊野の人たちの心を捉えても何の票にもつながらないの
に田舎の無名の団体にこのような損得抜き勘定で自分の政治家としての力を利用し
て協力してくれる政治家がいることも皆さん、どうぞ、知ってください。


塩川正十郎さんのご冥福をお祈りします。
(添付画像は2006年、箱根で行われた塩爺さんの米寿の祝賀会のもの)
 


「釜石の奇跡」の片田教授の講演

  投稿者:リワキーノ  投稿日:2015年 9月12日(土)18時29分51秒
  サロン便りで案内をしておりました「釜石の奇跡」の片田教授の講演会
を今日、聴いてきました。
感動の連続の素晴らしい内容で、1時間15分の予定が2時間にも及んだの
ですが、スライドと動画を伴ったそれはただの一度として気持ちがだれ
ると言うことの無い密度の高い講演内容でした。

片田教授の指導によって培われた釜石の小中学生の震災直後に、保育園
児やお年寄りをフォローしながら逃げる連携プレーの様子には感動のあ
まり涙が止まりませんでした。
今も陸奥の国には白虎隊や二本松少年隊の気骨を秘めた少年少女たちが
いる、と私は日本の未来に希望を見いだせたのです。
我が孫マサカゲには本当に聴かせたかった講演でした。

特に片田教授の謙虚な人柄には深く惹かれ、講演やテレビ出演の依頼が
目白押しの渦中にいる人とはとても思えない清々しさでした。
講演が終わると慌ただしい別れの挨拶の中、片田教授は新大阪駅に向か
う車中の人となりました。
今夕7時半から放映されるNHKスペシャル「緊急報告 列島大水害」にゲ
ストとして出演されるためです。

写真左はたまごビルの院長夫妻。