Re: 南阿蘇村へのオスプレイ投入への毎日新聞コラム記事

  投稿者:リワキーノ  投稿日:2016年 5月21日(土)23時14分18秒
  私の投稿を小春ページにも同時掲載したのですが、それへのはるさんという人から
の投稿をいただきました。


毎日新聞の「政治的利用」にあふれた記事ですね。
今度の沖縄の元海兵隊員の事件にからめて、改めてオスプレイ叩きをしているので
しょうね。
わざわざ「操縦不良の不具合を起こしたヘリがあり・・・」という文章を忍ばせているあ
たり、手が込んでいますね。

@A
自衛隊機は本来の目的があるため配備されているもので300機のうち100機を投
入るのが限界だったのでしょう。
オスプレイが最大積載量を搭載できるのは滑走路から滑走路まで飛行機としての利
用のときです。
垂直に離着陸するヘリコプターとして運用するときは既存のヘリと積載量は変わりま
せん。
だから南阿蘇村のどこかの空き地に着陸する運用で「最大積載量の割には輸送量
が少ない」と言われればそのとおりです。

B
オスプレイは開発初期には事故があったみたいですが、現在は安全に運用されてい
るみたいです。

C
アメリカ海兵隊は輸送ヘリとしてはオスプレイしか持ってないので、国が海兵隊に協
力を求めた時点で運用ヘリはオスプレイしかありません。
だから、本来なら、毎日新聞の主張は、
「オスプレイしか持ってない米軍に協力依頼などするべきでない。」
であるべきです。ここまでは言えないのでしょうね。
卑怯ですね。
自衛隊にオスプレイの配備を決めているので、自衛隊としても運用ノウハウを知りた
いとの思いはあったでしょう。

C
国が国境警備の貧弱さを痛感したのは1997年2月に鹿児島県下甑島に多数の不
法中国人が上陸したからです。
このときは就労目的の中国人でしたが、もし武装漁民だったら、なすすべはなかった
でしょう。
もし、興味があるなら「下甑島事案」で検索」してみてください。
僕はこの年の夏、ヨットで下甑島を訪れました。
そのとき、島民たちの恐怖を生の声で聞きましたし、自衛隊の対応を批判した朝日
新聞と毎日新聞への怒りの声も聞きました。
国境警備のあり方を一変させるこの事件は、不思議なことに自衛隊でもタブー扱い
されてほとんど知られていません。

尖閣諸島など国境国境警備には航続距離やスピード、積載量などでオスプレイは
欠かせません。

国際情勢の状況把握から始まって、国防のあり方、軍備や手法
など段階を踏んで考えるべきなのに、偏った情報、虚偽の事実で記事(不利な事実
は報道しない自由を駆使)を書いて読者を誘導する手法が、まだ通用すると思って
いるのでしょうか?

新聞記者や報道記者と同じくらいの第一次情報が読者側にあって判断できる時代
です。(読者が興味ある事項ならネットで簡単に情報が手に入り、多分、記者よりも
多彩な情報を持っていることもあり得ます)

そんな時代に、こんな情報操作をする新聞はじめマスコミが不思議で、「なんでだろ
う?」と、それが疑問です。

南阿蘇村へのオスプレイ投入への毎日新聞コラム記事

  投稿者:リワキーノ  投稿日:2016年 5月20日(金)23時08分1秒
  今日の毎日新聞に載っていたコラムの記事です。
オスプレイの投入に対する論評としてはかなり客観的立場で論じているように思え
ます。
しかし、私は下記のいくつかの論旨に対して質問したいです。

@4月18日からの5日間で、のべ12機が派遣され、南阿蘇村に食料は水など計36トン
の物資を届けた。輸送量そのものは多くはない。

A自衛隊は輸送用ヘリを約300機持っており、当時、投入されたのは約100機。操縦
系統の不具合を起こしたヘリがあり、稼働率は下がっていたものの、自衛隊には余
力があったと見られる。

Bだからといって、今回のことでオスプレイの安全性や有用性が証明されたわけで
もない。

C米軍の支援には感謝したうえで、配備の問題点はやはり分けて考えるべきだと思
う。

@とAの主張で記者が言いたいのはオスプレイを導入するまでもなく、自衛隊のヘ
リで輸送はできたということでしょうが、私の知りたいのは果たして自衛隊にその
余力があったのかどうか。
そして5日間で36トンの物資の輸送の量は多くないとは何を持ってそう言えるのか
その客観的証明を知りたいです。

Bについては、では日本に配備されている米軍基地の軍用機、ならびに自衛隊の軍
用機についてはオスプレイを上回る安全性や有用性が証明されているというわけな
のでしょうか。

これらの点を明確に傍証してくれた上だったらオスプレイの配備の問題点を震災と
は分けて考えることは私もできます。
 


Re: 蜷川さんのこといくつか 

 投稿者:リワキーノ  投稿日:2016年 5月20日(金)21時59分33秒
  もしやと思ってましたが、貴兄が蜷川幸雄さんとも個人的おつきあいがあったとは
驚きでした。

>蜷川さんとは、その後のゲネプロはフリーパスで観劇したり、劇場で会うたびに、
>いつも最敬礼でご挨拶をいただいてました。義理堅いひとでした。

蜷川さんのゲネプロがいつもフリーパスで観劇とは何と羨ましいことでしょうか。

ところで貴兄が所有の蜷川さん作品のVHSビデオを私は借りることができません。
なぜなら、我が愛する孫娘(ゆみこの長女)がDVDレコーダーのVHSプレーヤ
ーにDVDを挿入してしまってそれを取り出すことができないため、以後、VHS
は見られないのです。
 


蜷川さんのこといくつか

  投稿者:いひゅう梅亭  投稿日:2016年 5月17日(火)09時16分31秒
編集済
  1) 王女メディアの映像は、未だ海外ではまったく無名だったおりに、はじめてギリシャの
   円形劇場で演じられて、海外進出の第一歩となったものとなったもののVHSと、
   その後、東京・芝の増上寺境内で演じられたもののVHS2本が、部屋の隅っこで
   眠っていると思います。

2) その他「タンゴ冬のおわりに」ほか、数本の作品の映像が捨てた記憶はないので

   整理したら出てくると思います。

3)「近松心中物語は」映像はもってないと思いますが、名古屋の御園座の演出室で蜷川さんと
   椅子を並べて観劇し、終わってから近くのメシ屋で食事をした記憶があります。

4) なぜ、そんな交流があったかというと、初めてのロンドン公演「マクベス」のおり、
   舞台一杯の仏壇セット(大道具)の船便の確保/高額の運搬費用に苦労して、一時
   公演をあきらめてたた蜷川さんたちと、偶然、東宝演劇部で知り合って、三菱商事の
   ロンドン定期船便の空きスペースを格安で斡旋してあげたからです。

   ちなみにこのロンドン公演の大成功が、一躍、世界のニナガワへのきっかけとなった
   ことは、いまでは周知の事実でしょう。

5) その後、蜷川さんの要望に沿い、「テンペスト」の主役の田中裕子さんのキャスティング
   にも協力するなどもしました。

6) 蜷川さんとは、その後のゲネプロはフリーパスで観劇したり、劇場で会うたびに、
   いつも最敬礼でご挨拶をいただいてました。義理堅いひとでした。

長くなるので、この辺で。 ご冥福をいのるばかりです。 合掌。
 


イーハトーブ交響曲と初音ミク

  投稿者:リワキーノ  投稿日:2016年 5月16日(月)00時05分12秒
  初音ミクを起用したイーハトーブ交響曲の映像ですが、もっとその魅力を出
している映像を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=3Owyz1rmOU0&feature=youtu.be

人工音声とヴァーチャル画像でしか登場できない初音ミクの歌が醸し出す不
思議なファンタジーと微妙に感じられるエロスは、84歳の人が作った作かと
ただただ驚き入りました。

もっともこんなことを記す私はロリコンと間違えられるかも知れませんね。
 


Re:もろもろ

  投稿者:リワキーノ  投稿日:2016年 5月14日(土)08時26分40秒
編集済
  いひゅう梅亭殿

我が姉は勿論、このページで楼門の写真を見ていますよ。

ところで蜷川幸雄さんが亡くなりましたね。5日には冨田勲さんが死去。
長年眺めていた大きな星が次々と落ちていくような喪失感を感じます。

蜷川作品の実演は「近松心中」しか見たこと無いのだけれど、あの舞台の迫力には
圧倒されたものでした。
「王女メディア」を見たく、アマゾンで調べたらDVDの中古が何と45000円!
TSUTAYAでおいてないか調べてみるつもりです。

冨田勲さんは最近では初音ミクを起用したイーハトーブ交響曲の映像付き演奏をテ
レビで見て深い感銘を受けました。
こんな音楽家は他には類が無いのでは。
https://www.youtube.com/watch?v=QYJ1sW6RgdQ

 


もろもろ

  投稿者:いひゅう梅亭  投稿日:2016年 5月12日(木)09時58分27秒
編集済
  妹も王立音楽院はもう定年で、いまは王立アカデミーというところで教えてるそうです。

弟とは、その 西洋魔術博物館 サイトを主宰している之隆です。

楼門の写真は、もしご希望があればお姉上にも転送していただいて構いません。