太平記巻3「笠置軍事付陶山小見山夜討事」から抜粋
いざや殿原(とのばら)、今夜の雨風の紛(まぎ)れに、城中へ忍入て、一夜討して天下
の人に目を覚まさせん。」と云ひければ、五十余人の一族若党、「最(もつとも)可然。」
とぞ同じける。是皆千に一つも生きて帰る者あらじと思切つたる事なれば、兼(かね)て
の死に出立(でだち)に、皆曼陀羅を書てぞ付けたりける。差縄(さしなは)の十丈許
(ばかり)長きを二筋、一尺計(ばかり)置いては結合(むすびあはせ)々々して、其端
(そのはし)に熊手を結着(ゆひつけ)て持たせたり。是(これ)は岩石などの被登ざら
ん所をば、木の枝岩の廉(かど)に打懸(うちかけ)て、登らん為の支度(したく)也。
其夜は九月晦日(つごもり)の事なれば、目指すとも不知暗き夜に、雨風烈しく吹いて面
(おて)を可向様(むかうべくやう)も無(なか)りけるに、五十余人の者ども、太刀を
背に負ひ、刀を後ろに差(さい)て、城の北に当りたる石壁の数百丈聳(そびえ)て、鳥
も翔(かけ)り難(がた)き所よりぞ登りける。二町許(ばかり)は兎角(とかう)して
登りつ、其の上に一段高き所あり。屏風を立てたる如くなる岩石重なりて、古松枝を垂れ、
蒼苔(さうたい)路滑(なめらか)なり。此(ここ)に至(いたり)て人皆如何んともす
べき様なくして、遥かに向上(みあげ)て立つたりける処に、陶山藤三、岩の上をさら/
\と走上(はしりのぼつ)て、件(くだん)の差縄を上なる木の枝に打懸けて、岩の上よ
りをろしたるに、跡(あと)なる兵共(つはものども)各(おのおの)是(これ)に取付
いて、第一の難所をば安々と皆上りてげり。其(それ)より上にはさまでの嶮岨無かりけ
れば、或(あるひ)は葛の根に取付き、或は苔の上を爪立てて、二時計(ふたときばかり)
に辛苦して、屏際まで着(つい)てけり。此(ここ)にて一息休めて、各(おのおの)屏
を上り超え、夜廻(よまは)りの通りける迹に付いて、先(まづ)城の中の案内をぞ見た
りける。