能楽ワークショップ 2009.08.29
娘が友人達と計画した能楽ワークショップ見学に私も参加してきました。
能楽ワークショップとは金剛流能楽師宇高竜成氏が能楽を一般の人たちに多く親しんでもらうために
定期的に開いているワークショップです。
下記のサイトを参照ください。
http://www.geocities.jp/tatsushige3/
場所は京都市下京区富小路通仏光寺下ル筋屋町にある「京都町屋の庵」
そこのホームページに下記のように記されてます。
京都のまちから年々減りゆく美しい町家を庵が借り受け、誰もが利用・滞在できる貸家として改修・再
生しています。
内外の観光客に、町家の価値と京都の文化に触れていただける機会を提供、新しい旅「暮らすように
旅する」を提案しています。
「京都町屋の庵」については下記のサイトを参照下さい。
http://www.kyoto-machiya.com/origin.html
特に会長アレックス・カー氏の
「こどものころ、日本は『夢の国』でした。日本独特のデリケートな木や草花、霧が形作る自然の表情、
陰影の美しい伝統家屋。所作も美しく着物をまとい、住まいする人々。」
で始まる”庵のコンセプト”の記述を是非、ご覧になってください。
娘は前回、初めて参加してとても良かったので今回、能楽に関心のあるフランス人、オーレリーさんとピエ
ールさん、そして娘の友人Y.Hさんを誘って今回の参加となり、それを聞きつけた私も相伴となった次第
です。
娘たちと四条新町のジュンク堂前で待ち合わせたのが午後1時半。そこから富小路通りを300メートル
ほど南下して「庵」に着きます。
京都の町屋らしく奥行きが深く、中庭のようなところがあってその向こうの大きな建物は元は何に使って
いたのだろうと思うほど内部が広々としていました。
一階でお茶の接待を受け、接待をされた若い女性も能楽師で今日のワークショップを主催する宇高さんの
奥様だそうです。
二階が今日のワークショップの会場なのですが、素晴らしい衝立や屏風があります。これは庵所有のもの
です。
用意された席は全部で15席。予約が必要なのですが、その分だけ用意されているようです。
私たちは正面の席に陣取りました。左からピエールさん、オーレリーさん、娘、Y.Hさん
オーレリーさんについては私のホームページをご覧の人たちは皆さん、ご存じですね?
一週間前に富士山登頂から戻ってきて「風邪を引きました」と言ってました。いやはや日本で有名なとこ
ろはどこにでも行くようで、これは別のときですが、日光東照宮にも行ってきたそうです。
娘の知人のピエールさんは日本に留学してまだ3ヶ月ですが、オーレリーさんが感心するほど日本語をマ
スターしています。
Y.Hさんは娘と大変気の合う親しい友人で素敵なお嬢さんなのですが、顔の掲載は遠慮したいとのこと
ですのでお顔はぼかせてもらいました。
顔をぼかす代わりに能面を被せてみようかと彼女と相談したのですが、能楽関係者の能面に対する深い
崇敬の念のこもった対応を拝見したのでそんな不遜なことはすべきでないと思い留まりました。
面白ければ何をやってもいいというものではありませんからね。
まだ時間前だったので能楽師たちが準備をしているところでした。
打ち掛けのような着物は勿論西陣織りなのでしょうね。素晴らしい色彩でした。
今日のワークショップの最後に演じられる演目「猩猩」に使われる装束一式です。
この後、いくつかの演目の衣装を実際に着て見せてくれるのですが、左右に羽根みたいなのが付いてい
るのは「高砂」に使う冠、その左横は「敦盛」に使う烏帽子です。
烏帽子は先端が源氏だと左折れ、平氏は右折れだそうです。
(対面する側から見ると源氏は右折れ、平氏は左折れに見えます)
そろそろ開演の時間かな、と腕時計を見ているのが今日のワークショップの全てを取り仕切る能楽師、
宇高竜成さんです。
ワークショップが始まりました。
能面についての宇高竜成(うだかたつしげ)さんの講釈は大変判りやすく、興味深いものでした。
置いてある面の左端から順番に面を取り上げて説明をされます。
能楽の世界では面のことを「おもて」と言うようです。
手にしている翁の面は顔の部分と顎の部分が分離しているので能面には分類されないそうです。
展示されていた翁の面
左端が顔が上下に分離されている翁の面です。右側3つの面の名前は聞き損ない知りません。
白色尉、黒色慰、三光慰、と翁の面には「慰」という文字が付けられるそうです。
慰は”じょう”と読みます。
鬼、怨霊の面の説明は一番興味深かったですね。
特に右から二つ目の女性の面(右横の画像はネットから得たものを掲載)。泥眼(でいがん)と言う面だ
そうですが、嫉妬に狂った高貴な女性を演じるときに使われる面とのこと。
宇高さんの解説が上手なものですから、この面がとてつもなく怖かったです。
ワークショップを終えた後の夕食会の席で「夜中に古い日本家屋の家でトイレに言ったとき、廊下の端っ
こにこの顔の人が現れたら相当に怖いですよね?」と言うと「怖いです!堪え難い恐怖です」と二人の
フランス人は口を揃えて言いました。
「怒っているのが判りやすい般若よりもそれがよく判りにくい泥眼の方が遙かに怖い」とオーレリーさんは
言います。
「映画リングのあの女性の亡霊にピッタリだと思いませんか?」と尋ねると「そうです、そうです、リングの
あの怖さです!」とピエールさんは叫びました。数学が大得意な理数系なのに幽霊は怖いみたいです。
私はこの泥眼の解説を聞いたとき、源氏物語の六条御息所の生き霊のことを連想し、休憩時間に宇高
さんに「能楽に六条御息所を扱った演目があるかどうかを知らないのですが、この泥眼は六条御息所に
ぴったしですね」と話しかけたのです。
そうしたら宇高さんはニッコリされ、「『葵の上』に六条御息所は登場し、この面を付けます」と答えられるの
です。
やっぱり!と思った私は「そうですか。それは凄い迫力でしょうね?」と言うと、「六条御息所は最初は泥
眼を付け、次には般若を付けます」と宇高さんは言われます。
ひょえー!光源氏と睦み合っている葵の上を嫉妬の思いで見守っているときは泥眼で、取り殺すときは
般若の顔なのか!と私は絶句しました。
(※原作の源氏物語では葵の上は六条御息所に取り殺されますが能楽では違うようです)
般若の面も宇高さんの解説と角度を変えて様々な表情を現してくださるとき、凄みのあるものを感じさせ
ます。
口のところを手で覆って鼻と目だけがうつ向き加減の角度で見せられると悲哀のこもった恨めしさを感
じさせられ、それがパッと手が離されて裂けた口の部分が現れると途端に怒りの表情となり、そしてその
面の角度を天を見つめるかのように上向きに変えた瞬間、カッと眼を剥く恐ろしい鬼の形相と化するので
す。凄い迫力でした。
「葵の上」は是非とも見なければならないと思いました。
ちなみに、能面はすべてお歯黒が施されているのですが、怨霊の面はその上に金泥が塗られているそ
うです。
次は男性の面です。
左端は「十六」という面で、16歳の少年を演ずる役割の面です。
平家物語から題材を得た、一ノ谷の合戦で非業の死を遂げる16歳の平家の公達平敦盛を扱った「敦盛」
という演目で使われのですが、ほぼ「敦盛」専用の面と言っても差し支えない面のようです。
真ん中の面は名前を聞き漏らしました。青年貴公子を現す「中将」の面に似ているのですが、別物のよう
です。
右端は「猩猩」という精霊物に使われる面で、お酒を愛してやまないため、顔も紅顔となっているそうです。
愛飲家の私がつけるとふさわしい面でしょうか。
女性の面です。
左から小面(こおもて)、若女(わかおんな)、増女(ぞうおんな)
小面を説明する宇高さん。
能面を能楽師が手に取るとき、付け紐の通し穴のある耳の部分だけを持ち、それ以外のところは絶対に
手を触れません。
それは能面の表面は塗料の上にコーティングがなされていないため、手で触れると塗料を痛ませ、汚す
からです。
このことについては私は苦い経験があります。
私の父は能楽を大変愛好していたのですが、高価な物ではないと思いますが、本物の小面の面を持って
ました。私が小学生の高学年だったとき、壁の高いところに飾ってある小面の面を必要あって一度外し、
もう一度付ける作業をすることになり、私に手伝うよう頼んだのです。
父は椅子に乗って面を外し、私に受け取るよう命じるのですが、その前に面を持つとき、髪が描かれてい
るところを必ず持ち、他の部分には絶対に手を触れないようにと言いつけたのですが、受け取った私はう
っかりして白い肌の部分を掴んでしまったのです。
そのときの父の怒りは凄まじかったですね。
「あれほど念を押して頼んだのにそれを守れない者には二度と能面はさわらせない」と即座に私の手から
面を取り上げてしまいました。やたらに家人に怒りをぶつける父では無かったのですがこのときの父の怒
った様は50年経った今も私はよく覚えております。そしてこの経験のおかげで能面というのはそれほど神
経を払って扱うものだということを私は骨身に染みて学んだのです。
皆さんも能面の展示会などに行かれたとき、まかり間違っても能面に手を触れるということはしないように
ご注意ください。
画像は父所有の小面の面です。現在は私の姉、k.mitikoさん宅に飾ってあります。
小面は目鼻口の造りが顔の中央に集中しており、若女はそれがいささか緩やかになっているそうで、そ
れだけで初な少女と恋を知る成熟した女性の差を表現しているらしいです。
角度によって表情が様々に変わることを示しながら、小面と色香を漂わせる若女の面とを比べながら両
者のもつ雰囲気の違いを説明されます。
面の後ろの布のようなものは面の袋です。
増女は比較的若くない年代の中で品格の高い女性を現す面だそうです。高貴な女性の役や、女神や菩
薩といった超人間的な役に使われているとのこと。増とは作者とされる増阿弥から取ったものだそうで、
名前の由来は年増の女性の意味と思った私はとんでもない勘違いをしておりました。
15分間の休憩時間のあと、次は実際に能面をつけ、衣装を着る手順を公開してくれます。
まず、最初に能面を付ける体験を実際に味わってもらおうと観客に呼びかけがなされ、一人のご婦人が
応じられ、小面の面が付けられました。
女性の感想は、両目にあたるところは五円玉の穴のような小さな隙間で真っ正面の狭い視野しか見えず、
閉ざされた世界だったとのこと。
能楽を演じるとき、役に浸り切るにはこの閉ざされた閉塞感が必要であることを宇高さんは話されます。
能面を被ると能楽師は方向感覚が麻痺しやすく、それを防ぐ目印になるのが能楽舞台の四隅の柱だそう
で、それを視界に入れながら自分のいる立場を見極めるそうです。
それでも立場を見失うことはあるらしく、宮島の厳島神社で奉じられた能楽で能楽師が方角を見誤って海
に転落したことがあったそうです。
不自由、不便きわまりなさを強いられる中で演じられるからこそ、能楽はあの格調高さ、奥の深さを醸し出
す芸術表現となっているのかな、ということを考えさせられた話です。
衣装の解説となります。
能楽に使われる衣装の重さを知っていただくために誰か着ていただけませんか、という宇高さんの呼び
かけにオーレリーさんが応じました。
裾のところは普通の着物とは違った鋭角の切り込みを見せる裁断がなされていて能楽衣装独特のシル
エットを作り出すことを示す宇高さん
戻ってきたオーレリーさんは「凄く重い!」と眼をまん丸くして言いました。
この後、プロの能楽師による衣装の着付けの過程が公開されるのですが、何と、
私のデジカメのメモリーがいっぱいになってしまいました。
仕方なく、この後の画像は携帯電話のデジカメで撮ったものとなります。
ストロボが使えないので不鮮明な画像となりますが、雰囲気を感じ取っていた
だければ有難いです。
モデルになる能楽師は宇高さんの弟さんです。最初に「高砂」の衣装を着ます。
「高砂」のできあがりです。
そしてこの後、上の方の衣装を片っ端から脱いだあと、途中から「敦盛」の衣装を着付けします。
ご本人が話されるのですが、衣装をつけると凄く暑いそうで、衣装を脱いだあとの開放感はこの上もない
ものがあるそうです。
それは鬘を付けたときも同様だとのこと。
私たちは場内の冷房はかなり強く効いていると思ったのですが。
薄い、鶯色の衣装が「敦盛」のような悲劇の若武者を表現する衣装のようです。
”十六”の面をつけ、平家の公達ゆえ右折れの烏帽子を被せ、弓矢をあやつる武将を表すために右側は
鶯色の袖を脱がせて片袖姿の装いにします。
後ろ姿はかくのとおり。
これはピエールさん撮影のデジカメ画像です。
何と凛々しく、美しく、気品に溢れた日本的美の象徴のような画像とは思われませんでしょうか。
敦盛の手にする太刀は江戸時代の侍が腰に差す日本刀とは違って逆そりに腰帯の下から上に差します。
日本刀は差すと言いますが太刀は佩く(はく)と言います。
宇高さんの説明によると、鍔(つば)先が下になるので演技中に太刀が鞘から抜け落ちてくるのを防ぐた
め、紙を寄り合わせた物を刃と鞘の間に挟むそうです。
そして画像の敦盛のように太刀を抜いたとき、この滑り止めの紙の寄り合わせはそこらに転がるそうです
が、画像はその様子を見事に捉えてますね。
敦盛の白袴の右側に白いものが落ちているのがそれだと思われます。
敦盛の役柄を終えると、今度は狂女の役柄の衣装の着付けとなります。
能楽衣装は形を整えたり、固定させるために針糸を頻繁に通すのですが、針は普通家庭で利用するもの
の3倍の太さはあり、糸も寄り合わせた凧紐のような太さのため、衣装は段々と傷んでいくそうです。
高価な衣装なのに消耗品でもあるのです。痛みが激しくなると色んな用途に再利用され、最終的には能
面の袋になるとのこと。
能楽師は紐結びの熟練を要求され、裁縫の技術をも問われるのです。
画像を撮り得てないのが本当に残念なのですが、ここで頭につける鬘(かつら)の細かい細工があります。
普通、鬘といえば適当なのを持ってきて役者の頭にすっぽり被せるというのを多くの人は想像するでしょ
うが、能楽の場合は、だら〜んと長く延ばされた黒髪の鬘を役者の頭にあてがい、役者の頭の大きさ、形
に応じてそこから髪を結うように形を整えるのです。
このあたりから私の記憶が定かでないところがあり、宇高さんの説明を正確に伝えられないような気がす
るのですが、記述を続けます。
宇高さんは鬘を細工するとき、役者の後の変貌を予測して一つの念入りな手の入れ方をしました。
それは一房の髪の塊を他のとは独立させて結っておき、それを鬘の髪の中へ紛れこませたのです。
そして女が狂女となったとき、先に細工をしておいた髪の一房のみがだらっと前に垂れます。
これが宇高さんが細工した一房なのです。
ワークショップも終わりに近づきました。
最後に宇高さんの弟さんが装束をまとい、猩猩の演目を実際に演じられました。
宇高竜成さんを含む、3人の能楽師の地謡が朗々と謡われる中、猩猩が静々と動きを進め始めるとそこ
はまさに能楽の世界が出現し、その真っ只中に我々観客は引きずり込まれて、しばらく微動だにさせない
状態にしてしまうのです。
素晴らしい迫力であり、美しさであり、つくづく伝統芸能の凄さ、底の深さ、奥行きの広さをというものを感
じさせられ、自分が日本人であることを誇りに思うような気持ちにさせられるのです。
曲を終えると能楽師は静かに退出していき、その後に地謡が続きます。本格的舞台で
は囃子方も退出していきます。
オペラや歌舞伎、バレエ、ミュージカルなど他の舞台芸術と違って能楽は終演のときに
観客の拍手がありません。
初めて能を見たとき、これには戸惑いましたが今は、如何にも抽象化と抑制の芸術、能
楽らしい終わり方だと思い、この方がいいなと感じます。
2時に始まって終わったのは4時半。長いようで短いようなひとときで、緊張しながら見た
ために多少疲れも感じましたが、素晴らしい体験をできたという大いなる満足感、充実感
が身体を覆うようでした。
これは二人のフランス人もY.Hさんも同じ感想で、誘った我が娘も嬉しかったことでしょう。
自宅が遠いY.Hさんとは四条通で別れ、残り4人は木屋町の大衆居酒屋での飲み会へ。
オーレリーさんが大の日本酒党であることは知ってましたが、ピエールさんも日本酒が大好きだそうで
「熱燗大好きです!」と言われたときは本当に嬉しかったですね。
今日のワークショップのこと、二人のフランス人がピアノ音楽が大好きなこともあって音楽論と話は尽きる
ところ無かったです。
そして私が大変驚いたのが二人の実家にあるピアノのこと。
「実家のピアノはとてもいい音がします」と言うオーレリーさんに「どこのメーカーですか?」と尋ねたら、「ベ
ヒシュタインのアップライトピアノです」と答えるのです。
「ベヒシュタイン?それは名器と言われるピアノですよ!さすがはドイツ国境に近いアルザス地域圏に住ま
われるオーレリーさん。ピアノはドイツ製ですか?」と言ったら「いえ、英国に居るときに買いました」と仰る。
笑いながら「英国で買おうとピアノはドイツ製ですよ」と言うのですが、別にドイツ製にこだわって買ったよ
うでもなさそうでした。
娘が「ピエールさんの実家のピアノはグランドピアノだって」と言うので、同じ質問をしたら「ベーゼンドルフ
ァーです。でも中古です」とのこと。
しょえー!という声が上がりそうなくらい私は驚きましたね。
スタインウエイもそうですが、ベヒシュタインやベーゼンドルファーなどは中古でも桁違いの値段がつくピア
ノなのです。
ピアノ調律師の私が仕事とは全然関係ないところで知りあった二人のフランス人が調律師だったら誰もが
憧れる世界の名器、ドイツのベヒシュタインとオーストリアのベーゼンドルファーを持っているのですから。
こんな偶然ってないと思いました。
この二人は是非、ピアノ工房KYOTO PIANO ARTに連れて行ってあそこのスタインウエイを弾いてもらわ
なければと思い、そのことを話したら是非是非、と言われました。
来日してからピアノが身近にないピエールさんは弾きたい気持ちが抑えがたくなったらJEUGIA楽器店に
行って店頭のピアノを弾くそうです。
いつかこの二人をKYOTO PIANO ARTにお連れしようと思ってます。
午後5時から始まった飲み会は8時半をもってお開きとしました。
今日は素晴らしい一日でした。
この企画を提案した我が娘に感謝の思いです。
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