熊野修験・大峯奥駈修行秋の峯入りのサポート(1)   by リワキーノ  2010.09.09〜12

熊野修験の大峯奥駈秋の峯入りは下記のコースをたどります。

9月10日
十津川村旭登山口→釈迦ヶ岳→孔雀岳→仏生ヶ岳→八経ヶ岳(近畿最高峰)→弥山小屋(泊)
9月11日
弥山→行者環岳→七曜岳→国見岳→大普賢岳(女性陣は和佐又山へ下山、ヒュッテ泊)→阿弥陀森
→山上ヶ岳(泊)
9月12日
山上ヶ岳→五番関(女性陣合流)→大天井岳→二蔵宿→四寸岩山→吉野山

奥駈サポート隊の任務は下記のとおりです。
@10日、修験団一行を旭登山口まで送り、車で来たメンバーの車を吉野まで回送。
A11日に弥山で落後する者あれば連れて降りるために行者環岳トンネル口から登って奥駈尾根上で
待機。
B大普賢岳で水補給をし、女性陣を連れて和佐又山ヒュッテまで下山。
C12日に女性陣を五番関まで送り、奥駈本隊に合流させる。
D二蔵宿(百丁茶屋)でお茶の接待。
E吉野奥千本の金峰神社で一行を待ち、足腰の弱った者を車に乗せ蔵王堂までの歩行に2台の車で
 併走。

初日
午前10時、吉野山下千本駐車場に到着。


茨木市の藤本さん、寝屋川市の高橋さん、池田市の京子さんらとここで合流。
今回はサポート隊要員が少ないために回送できる車に限りがあり、彼らの乗ってきた車はここに置い
て私の車で十津川を目指します。

十津川村風屋ダムで昼食休憩。


左から藤本さん(ロンドの会仲間)、高橋さん、京子さん

高橋さんと京子さんは私が先達をする最後の奥駈修行のときに初参加、以後9年間継続参加してきて
おります。
二人は夫婦でもないのに常にカップルで参加。どちらも所帯持ち。修験団の中でもいったいどんな間柄?
と噂されております。
そこでリワは単刀直入に尋ねたことがあります。
「どいう間柄?」
「幼なじみです。同じ町内で育ったの」と京子さんの弁。
子供がそのまま大人になった高橋さん(本人と京子さんの表現です)を常に見守る妹といったところな
のでしょうか。
もちろん、両家族の公認のもとのカップルでの活動だそうで海外にもよく行き、敦煌から四川省までロ
ードレーサーで旅行したこともあるとか。
※調べたら甘粛省の西端の敦煌から四川省の一番北西の端っこまででも優に800キロはあり、これは
私の聞き間違いかと思ったのですが、しかしロードレーサーの1日の走行距離を調べたら100キロから
200キロ走ることは可能だそうですから1週間あれば完走できるかも知れません。
しかも二人は中国政府の協力の下で団体で参加したとのことですから。(リワキーノ注)


ダムの堤体頂上


底を覗くと・・・


今日は十津川村の温泉に泊まるだけの予定なので時間はたっぷり。
まだ訪れたことのないという藤本さんのために日本百名滝の一つ、笹の滝に行きました。





「こんな素晴らしい滝とは知らなかった。連れてきてもらって本当に良かった」と藤本さんが大感激。
私もお連れした甲斐がありました。

藤本さんらを十津川温泉一の湯の旅館に送ったあと、私はR168を再び北上し、旭口から釈迦ヶ岳登
山口に通ずる旭林道を
旭ダムまで行きます。
今夜はここの駐車場で野営するのです。
嬉しいことに一人での野営は淋しかろうと松本良アニキ夫妻が新宮から駆けつけてくれました。
旭ダム駐車場は公にはキャンプ禁止なのでこのように樹林の中の隠れたところにテントを張ります。


酒を飲むとひどい鼾をかく私は良アニキより離れたところにテントを張りました。


テントを張って寝る支度をすますと、3人で星空の下、楽しい宴を始めたのですが、あまりにも話に熱中
してしまってこのときのショットを撮らずじまい。
久しぶりのテント泊は最高。熟睡しました。

二日目
午前6時には第一陣がやってき、6時半には全員旭ダム駐車場に集合、順次釈迦ヶ岳登山口に向かい
ます。
国道旭口からダムまでが8キロ、ダムから登山口までが12キロ。
ダムから先は曲がりくねった崖の上を走る地道の林道。
昔は本当に緊張したものでしたが世界遺産に登録されてから全道舗装され、見違えるように走りやすく
なりました。

登山口での結団式。

例年ですと80名くらいになるのですがサポートの人数やその他の事情があって今年は30名に絞り込ま
れました。

鈴掛装束姿になって張り切る高橋さん。装束姿で奥駈するのは今回が初めて。

初めて参加したときはサングラスをかけてベンツで乗り付け、口も悪いものですから高木導師が「あぶ
ない世界の人かな」と思ったとか。
それが今では導師に勧められて装束をつけるまでに修験団に溶け込んでます。

午前7時20分、出発。修験団は二泊三日の奥駈修行に出かけていきます。
高橋さんは団旗を任せられ、背中のザックにくくりつけています。


嬉しそうな藤本さん。彼も初参加から十数年、皆勤を続けております。元、伊丹空港の管制塔のお偉
さんです。



一行を見送ったあと、吉野まで3台の車を回送します。
3人が回送し、私がその3人を乗せて戻ってくるのです。
回送する一台のこの軽自動車は岩手ナンバー。岩手県の大船度市からやってきたのです。
その青年のことは後の方で紹介します。

林道からの大峯山系の眺め。遠くにポコッととんがっているピークが七面山。その右隣は仏生ヶ岳。
七面山は奥駈ルートから外れており、ルートは仏生ヶ岳の巻き道を行きます。

空は雲一つ無い快晴。ただ、奥駈修行には快晴はあまりよい条件ではないのです。尾根上には水場
が無く、かんかん照りの中の9時間の歩行は水不足なることが往々にしてあるからです。
曇り空で湿度が少ない、これが一番奥駈に適した天候です。

林道から見る大峯の谷。(昨年の同じころに撮影したものです)

吉野山下千本駐車場に着いたのは午前11時40分。
駐車場の休憩所で朝配給された弁当を食べて昼食休憩。
しばらく談笑したあと、運転手3人を私の車に乗せて再び釈迦ヶ岳登山口へ。
往復148キロ、所要時間4時間はさすがに疲れます。
私以外の3人は他人の車を片道運転したのですからもっと疲労は強かったと思います。
これが回送する車が多いときは2往復したというのですから大変なことだったでしょう。
旭口で熊野方面に帰る山上、赤井、大井の3氏と別れて私は今日の野営地、行者環トンネル口を目指
します。

大塔村(現在は五條市大塔町)の坂本からR168から天川川合への県道に入りますがこれが狭くて長い
のです。
でも十数年前、K-O-B-U-Nさんの運転で通ったときに比べたら全道舗装され、ところどころ広い道もあ
り、だいぶ通りやすくなってました。
天川川合から女人禁制の山上ヶ岳登山口、洞川に向かう道と川迫川(こうせがわ)沿いに行者環トンネ
ル口を抜けて大峯山系の東側に出る道とに分かれますが私は行者環トンネル口への道へ行きます。

画像は弥山から派生する枝尾根に盛り上がる鉄山のピーク。

昔はここはダムの貯水池となっていて湖面の向こうに鉄山が見えるという美しい景観だったのですが、
何の河川工事なのでしょうか、川原は掘り返されていてご覧のような有様。
川迫川沿いの道はR309という一応国道なのですが、狭いことこの上なし、という道で途中の渓谷美で
有名な御手洗渓谷のところまでだったら問題ないですが、それよりも奥の方は離合できる幅はなく、カ
ーブの連続を要所にある離合できる広いところまでスムースにバックできる技量が無ければ乗り入れな
い方がよい道です。

さらに奥に乗り入れると行者環岳のピークが行く手の左側に姿を見せます。


道が登りになってから北に見える峰。
一番奥のピークが女人大峯の異名をもつ稲村ヶ岳。
関西の中学校で大峯登山をするとき、男子は女人禁制の山上ヶ岳に登り、女子は向かいの稲村ヶ岳
に登ります。
一番手前のピークはバリゴヤ谷の頭という奇妙な名前を持っています。

今夜の宿泊地、行者環トンネル口に着いたのは午後4時。
車から二度にわけて野営用具などを弥山登山口の台地に運び、テントを張ります。

そして私はそのとき夕食用に取っておいた弁当をクーラーボックスに入れずに外に出したままにしてい
たのに気がついたのです。
朝、全員に配られた弁当が余ったからと余分に貰った弁当を、「しめしめ、これを夕食代わりにしよう」と
途中、吉野山でも何も食料は買わずに来たのに、唯一の食べ物の弁当がまる一日保冷もされずに残
暑厳しいこの時期に車に積んだままになっていたのですから、食中毒の恐れがあり、食べることができ
ないのです。
「え?今夜はお酒だけの夕餉?」(ビール、日本酒、焼酎とお酒だけは豊富にあるのです)
私は愕然としました。
空腹で今夜眠れるだろうか?
(続く)