熊野修験・大峯奥駈修行秋の峯入りのサポート(2)   by リワキーノ  2010.09.09〜12

傷んだ恐れのある弁当を前にして私は随分、迷いました。

塩鮭はいけるのではないか?天ぷらは大丈夫なのでは?
鼻を近づけて嗅ぐのですが変な匂いはしません。
しかし、29歳のときに胃の三分の一を切り取る手術をし、胃酸が通常よりも少ないので食中毒や消化
器系統の伝染病にかかる率は普通の人よりも大きいから気をつけるようにと医者に言われている身
としては躊躇せざるを得ません。
こんな携帯電話も圏外の山奥で食中毒にでもなろうものなら重大な事態を招きかねないので私はや
るせない思いで諦めることにしました。
とりあえず、缶ビールを空けて喉の渇きをとめ、日本酒を飲む段になって何かつまみが無性に欲しくな
ったとき、「そうだ。高橋さんが昼食時に封を開けなかったタクアンの真空パックを車の中に残していっ
たはず」ということに思いが至り、すぐさま、車に行ってトランクルームを調べたところ、太いタクアンの真
空パックとバナナが4本入っているではないですか!
「やったぁ!これで酒のつまみができたし、バナナで空腹を満たすことができる」と私は大満足でそれら
を持って意気揚々とテントのそばに戻ってきました。


いつもなら必ず入れているナイフがウエストバッグの中に見あたらず、私は車のキーでタクアンの真空
パックに穴を空けて破り、中身を取り出します。


一応、優雅な雰囲気で飲食するリワキーノの図でございます。


バリバリと音を立てながらタクアンを食べ、日本酒を飲むのですが、ところがこのタクアン、味付けがも
の凄く甘いのです。
最初はそう気にならなかったのですが、段々とその甘さが口につくようになり、やがて耐え難くなって
きました。
日本酒、特に出羽桜という銘酒にはこんな砂糖付けのようなつまみは到底合わないのです。
焼酎のような辛い酒だと合うかも知れないと思い、タクアンは焼酎を飲むときのために残しておくこと
にしました。
そしてそこで私は高橋さんが昼食のために家から用意してきたタマネギを薄く切ったものと、ネギのみ
じん切りの残ったものを容器に入れてクーラーボックスに入れていることを思い出しました。
あれだったら全然甘くないし、弁当に添えてある醤油を垂らせば立派な日本酒のつまみになる、と私
は再び車に戻り、クーラーボックスからガラスの容器に入ったタマネギとネギを持ってきました。

ところが何と弁当の醤油と思った小さな容器の中身はソースだったのです。
試しにタマネギに少し垂らして味見したのですが日本酒には全然合わないことが判り、以後、味付け
無しでタマネギとネギを口にしました。
美味いというわけにはいきませんが無いよりははるかにマシ、というくらいのつまみとなり、たいした
量ではなかったので全部片付けました。
日本酒を終え、焼酎の水割りを飲む段になって例の大甘のタクアンを再び口にするのですが、やは
り美味しくありません。
途中でやめました。
ブランデーとチョコレートは合うのに何で焼酎と甘い味付けのタクアンは合わないのだろうと思いまし
た。
酒の量は進んでも満腹にはほど遠い状態ですからときおり弁当のおかずを眺めると恨めしい気持ち
にさえなってきます。
おおかた酔いが回ってきたころ、バナナを食べることにしました。
バナナ2本。これが飲酒のあとのご飯代わりです。
実は私は明日の朝食も用意してきていなかったので4本のバナナのうち2本は明日の朝食のために
残したのですが、2本のバナナで十分空腹は解消されました。
これで私の今夜の夕食はおしまい。

ここで思い出すのがCapt.Senohの豪華ランチ。

これ、祖母山の無人小屋。


これ、浮岳の豪華ランチ。
嗚呼、ビーフステーキの肉とは言いません、そばのジャガイモとニンジン、もしくはスープのひとすくいでも賞味できたらと思いましたねぇ。
Capt.Senohとは4歳のときからの幼なじみなのに何でこんな差が出るのでせう。

それにしても明日の朝食も昼食も用意していないとはとんでもない大呆けぶりです。
登山から長いこと遠ざかっているとこんなちょんぼをしてしまうのですね。
ま、明日は和佐又山ヒュッテに行けば朝食にありつけるだろうし昼食の弁当も頼める、という思いが心
のどこかにあったのでしょうね。
疲れもあったので午後7時にテントに入ってシュラーフに潜り込み、すぐさま眠ってしまいました。

2日目
朝5時に起床。昨夜、0時くらいに一度トイレに行ったのですがそれからずっと眠り続けることができまし
た。
大峯山中でテント泊すると本当に熟睡できます。
隣には昨夜私がトイレを済ませた直後にやってきた野営組がテントを張っています。
5時半くらいになると昨夜から下の道路そばの駐車場で野営した登山家たちが次々と弥山へ登ってい
きます。
写真を掲載したのは皆、了解を得た人ばかりです。



昨夜隣で野営したグループです。

彼らは沢登りに来ているのでそれらしい装備をしています。
沢登りは普通、谷の入り口から上を目指すのですが、彼らが行く奥剣又谷は取り付き口が3時間も歩行
を強いられる林道(一般車は入れない)の奥なので、ここから尾根に登り、弥山手前で水晶谷に降りて
そこから谷沿いに奥剣又谷と合流する地点まで行き、そこから奥剣又谷を遡行して奥駈尾根まで登り、
弥山経由でここトンネル口まで戻ってくるそうです。
聞くと尾根から降りる谷、水晶谷は初めてだそうで、色々な情報を聞いて安全に降りられそうなのでこ
のコースに決めたとのこと。
道に迷っても大峯では知らない谷には絶対に降りない私やK-O-B-U-Nさんでは考えられないコース
選択です。
沢登りは日本独自の山行形式ですが、ロッククライミング、ザイルワーク、早い水流を渡る水泳術、地
形図を読み取る読図力において熟練していないとグレードの高い大峯の谷には入れません。
私が一般道路を走るドライバーとすると彼らはF1レーサー並のドライバーと云えるくらい隔絶した技術
の差があると思います。
谷中で一泊するそうです。

彼らが出発したあと、私は奥の方の水流があるところまで顔を洗いに行ったのですが晴天が続いて水
流が極端に少なくなってました。


奥の方からみたテント地。いい雰囲気でしょう?


私はバナナ2本と水だけの朝食を取ってテントをたたみ、午前6時20分にここを後にして和佐又山に向
かいます。
弥山小屋でリタイアする人については生熊さんが昨日からこのトンネル口に車を置いて弥山まで登っ
て弥山小屋に泊まっており、彼が責任をもって降ろしてくれます。

トンネル口を抜けて大峯山脈の東側に出るとこんな風景です。
沢登りグループが目指した水晶谷と奥剣又谷は一番奥とその手前の尾根の間にあります。


和佐又山ヒュッテには30分後の6時50分に到着。
和佐又号君が木につながれております。

「リワさん、早い到着ね」とヒュッテのオーナー岩本さんの奥様が暖かい声で迎えてくれますが、入り口
から入ったところの食堂に朝食の用意が全然できていません。
朝はどんなに早い時間にでも出発できるよう、朝食は前夜からお膳が用意され、泊まり客は味噌汁の
鍋を温め、電子ジャーのご飯をよそって食事できるようになっているのですが、その用意がまったくさ
れて無いのです。しかも普通だったらテーブルの上に積まれている弁当の山も無い。
「夕べは泊まり客は無かったのですか?」と尋ねるとそうだ、とのこと。
週末に和佐又山ヒュッテに登山客が一人もいないなんて考えもしませんでしたから、味噌汁でもよば
れようかなと思っていたのに味噌汁どころか昼食の弁当も手に入れられないことを知って暗澹たる気持
ちになりました。
心臓カテーテル手術直後でしたから大普賢岳への登頂は無理だろうなとは思ってましたが弁当なし
では大普賢岳頂上はもちろんのこと、笙の巌までの歩行も断念せざるを得ないと思いました。昼食は
後生大事に残して置いておいたあんパンをあてることに決めました。
でも岩本夫人が豆を轢いて入れてくれたコーヒーは本当に美味しかったです。ここ二日間、コーヒー
を全然飲んでませんでしたから。

コーヒーを飲んだあと、和佐又山の頂上まで散歩に行ってくることにしました。

頂上まで180メートルの標高差で、道はゆるやかなのですが、これが歩き始めた当初から大変なしん
どさを感じ、ゆっくりとした歩行でないと登れないのです。こんな調子ではいよいよ大普賢岳なんて無
理と思い知りました。

やっとの思いで到達した頂上は立木が切り払われ大峰山脈の展望所となっておりました。
以前は木立で見晴らしがまったくきかない頂上だったのです。
後で岩本夫人に聞いたら、世界遺産に登録されてから環境省が切り払ってくれたとのこと。
正面に大普賢岳と奥駈尾根。


望遠にすると下記のように。
大普賢岳右下の岩場は笙の窟あたり。中央やや左の大きな崖は水太覗きの絶壁。


奥駈尾根上の水太覗き。(過去の写真から)


大普賢岳より右手方向。中央に阿弥陀の森が見えています。ここにも女人結界門があります。
大峯ではピークの名前にも森の文字が使われます。


左方向。遠くに孔雀岳と仏生ヶ岳の奥駈尾根が見えます。


弥山の方向は望遠にして写しました。左の三角形のピークが近畿地方最高峰の八経ヶ岳(1950m)


行者環岳も望遠での撮影です。


7時半に良さん夫妻が到着。
左は和佐又山ヒュッテのオーナー、岩本さん。大峯登山で色々なことを教えてもらった私の山の師匠です。
27年ものお付き合いをさせてもらってます。


「リワさん、朝食は?」と良さんに聞かれたので実はかくかくしかじかの理由でバナナ2本だけ、と話す
とバターと蜂蜜を塗った分厚いトーストと言うより食パンの焼いた塊を出してくれたのです。
二人が荷揚げの用意をする間、私はそのトーストをむしゃむしゃ食べたのですが、まあ、美味しいこと!
ボリュームもあるのでこれでスタミナの問題は解決、と心まで満たされていく美味さ、有り難さでした。
同じ甘い食物なのに昨夜のタクアンと何でこうも有り難さが違うのだろうかと思いましたね。
おかげで腹は満腹感一杯でこれなら笙の窟までは行けそうという気になりました。
本当に良さんはいつも頼りになるアニキです。

良さん夫妻は2リットルのお茶のペットボトル6本、バナナ30本、クーラーボックスに入れたブドウなど
を背負子にくくりつけ、大普賢岳まで荷揚げするのです。

その準備が終わりかける9時頃、shibataさんが自動二輪車でやってきました。


東京から700キロを駆けてきたのです。(途中、名古屋の友人宅に泊まったようです)

かつらさんの結婚式で会って以来まだ2ヶ月ちょっとしか経っていませんが彼と会えるのは私たちにと
ってはいつも喜びであります。

荷物が重いのでゆっくり登っていくと言って良さん夫妻は先に出発していきました。


良さん達の出発と入れ替わりに生熊さんと赤井さんが到着しました。

左側の生熊さんは昨日から弥山小屋に泊まって待機していたのですが幸い、落伍者はいなかったと
のこと。
奥駈隊を見送ったあと下山してこの和佐又山に駆けつけたのです。
赤井さんは昨日吉野山まで車を回送した3人の中の一人です。
生熊さんも2リットルの水のペットボトル4本を持って赤井さんと一緒に大普賢岳を目指しました。

Shibataさんも用意が調うと出発します。


写真を撮ったあと、「少し太ったんじゃない?」と言うと
「そうなんですよ。仕事がデスクワークに変わってから極度の運動不足で6キロも肥えたのです。
ヤバイなと思いながらサポートに来ました」とのこと。

行けるところまで着いていこうと思って彼と一緒に出発します。
ブナとヒメシャラが植生するなだらかな尾根までは談笑しながらそれほどしんどさも感じずに登れたの
ですが、傾斜が強くなってくると急にからだが重くなってきたのでそこでShibataさんには先に行って
もらうことにしました。
「せいぜい行けたとしても笙の窟までだと思うので頂上ではみんなによろしく」と言いました。


心臓カテーテル手術後、大峯登山のことを相談したとき、「強い疲れを感じるような登山を避ければ大
丈夫です」と担当医師が答えてくれたので私は背中を上下させながらハーハー深い呼吸をするような
ハードな登り方さえ避ければ良いのではと思い、極力歩幅を縮め速度もうんと落とした歩行で一歩一
歩前進するというやり方で登っていきました。

朝日の窟


おかげでそれほどしんどい思いもせず、笙の窟までやってくることができたのです。
笙の窟では先行した生熊さんと赤井さんが休憩していました。
Shibataさんは先に出かけたとのこと。
ここからは彼らの後をついていくことになります。
奥駈尾根。遠くの弥山から手前の尾根へと蛇行しながら奥駈道は続くのです。
中央は行者環岳。アップダウンの激しいコースです。




急坂やハシゴ場は亀のはい上がるような遅さで登ります。生熊さんは荷物が重いこと、赤井さんは運動不足でどちらも私とそう変わらぬピッチで登っていくので大きく引き離されることは無いです。


この後、生熊さん、赤井さんのあとに少し送れる程度のピッチで登り続けることができ、ついに12時半、
大普賢岳の頂上に到達したのです。
良さん夫妻もShibataさんもひどく驚き、「リワさん、無理したらあかんよ!」と言ってくれるのですが、
「ゆっくり登ったから身体には負担は無いはず。ほら、呼吸が全然乱れていないでしょう?」と言うと
「本当にケロッとした顔をしている」とみんなも認めざるを得ませんでした。
標高差は640メートルですが、大峯でも有数の険しい崖坂の連続する大普賢岳に登れたことは本当
に自信に繋がるものがありました。
もっとも私は我が身が飲む水のみを持って行っただけでサポートとしては全然役にたってはおりませ
んが。

大普賢岳からの西の方角の眺め。
右側の尖ったピークが大日山、そしてその左側の山が女人大峯の稲村ヶ岳。ずっと左手にあるギザ
ギザした尾根の山がバリゴヤ谷の頭。昨日、野営地に行く途中、左端の方角、つまり縦方向からから
見た景観を今度は横方向から見るわけです。


右端、奥にこんもりとしている山が女人禁制の山上ヶ岳。肉眼で山上の蔵王堂の屋根が見えます。
Z上に刻まれている真ん中の谷は美しいことで有名な神童子谷。昔、はなパパと一緒に遡行したことが
あります。


南方向には奥駈尾根が蛇行しながら大普賢岳に繋がってきています。
遠いところの大きな山塊が弥山。写真真ん中の山腹左側が崖になっているようなところが水太覗き。
孔雀覗き、伯母谷覗きと共に大峯三大覗きと私が呼んでいる崖です。


この大普賢岳の頂上で奥駈本隊の到着を待ちます。
(続く)