私の山仲間たちが・・・ 紀伊半島に120年ぶりの規模の大洪水
紀伊半島は台風12号の影響で記録的な大雨に襲われ、私の山仲間たちが多く住む那智勝浦町、
新宮市が大きな被害を受けました。
大峯の登山や修験道に深く関わる人なら誰もが知っている十津川大洪水が起きたのは明治22年。
河畔に建つ熊野三山の一つ、本宮大社が洪水で流され、壊滅的な被害を受けた十津川村村民の
六百所帯二千数百人の人が先祖代々の土地を捨てて北海道に移住し、そこに新十津川村を作っ
たという明治22年の大洪水でも新宮市を流れる熊野川は氾濫しなかったのですが、それが今回は
川岸を乗り越えて川の右岸新宮市と左岸の三重県紀宝町を水浸しにしてしまったのです。
R168で新宮に来られるドライバーだったら誰もがこの熊野川の橋をご存じだと思います。
川面からかなり高い位置にあるこの鉄橋がこの有様なのですから如何にその水位の高さが実感さ
れると思います。
Googleが公表した熊野川の氾濫写真。
幸い、私の友人たちは全員無事のようでしたが、紀宝町に住まわれる新宮山彦ぐるーぷの副リーダ
ーの山上皓一郎さん宅が2階まで水に浸かるという被害に遭いました。
画像は山上さん宅近くの熊野川左岸の地域で撮られたものです。
水が引いたあと、片付けの手伝いに行った松本良さんの話しでは二階は目線の高さまで水が来た
痕跡が残っており、家財道具の大半が使い物にならなくなり、廃棄処分にしたそうです。
以下は9月26日付けで頂戴した良さんの手紙の一部です。
次の十五号台風は再浸水しませんでしたが、輪中となった扉も閉められ、これで決心されたのでしょう、
もう此の宅を簡易に補修しておくだけとし、新宮市内のカメラ店跡に新居を建てたいと申しています。
氏は既にと言っては失礼ですが八十二歳。こころは妻の昌子様が安心、便利な生活を営むようなと、
優しい気持ちを募らせております。
(中略)
特に山上さん宅の片付けに行って、モノに対する考えに揺らぎを持ちました。氏は文化人であり、写真
家でもありましたから、蔵書や写真は沢山有り、メモリアルの品々も同じくありましたが、濁水に汚れて
一部を除いて全て捨てられました。勿論、衣服や日用品もそうです。
本人や昌子様は思い入れが強く、廃棄は出来ぬでしたでしょう。代わって娘さん、お孫さんが処分して
いました。
つい先々月の7月16日に、四条畷市まで親族の墓参りに来られた山上さん夫妻を囲んで大阪の仲間た
ちが集まって日頃の新宮山彦ぐるーぷおよび熊野修験団への貢献に対する感謝の想いを含めて寝屋
川市で慰労会をやったばかりでしたので、本当にお気の毒で言葉もありません。
山上邸は大きなお家でK-O-B-U-Nさんやカツラさん、マホさん、マスミさん等、アルバトロスクラブや修
験道仲間らと共に何度も泊めていただいた、たくさんの思い出が残るお宅でした。
寝屋川市にて(2011.07.16)。前列左から一人をおいて昌子さん、山上さん。
この週末の10月1日に塩爺さん、こと塩川正十郎さんの卒寿を祝う新宮山彦ぐるーぷの集いが吉野山
であり、そのときに山上さん夫妻と会う機会がありますが、是が非とも励ましたい気持ちで一杯です。
山上さんを除くと私の新宮市での友人、知人達は大きな被害は無かったようでして、k.mitikoさんやハ
ナパパさんらもお馴染みのウツボ料理の店「やはま」も熊野川に近いのに床下浸水程度で済んだそう
です。
熊野修験団の総帥、高木亮英師が住まう那智山青岸渡寺は那智川の氾濫で車が入れなくなり、消
息を確かめに修験団の奉行の生熊清瀧さんが台風の過ぎた翌日、徒歩で那智山入りをし、高木導師
ご一家の安否を確かめられたそうですが、停電と電話の不通で大変な不便を強いられているそうです。
その後のニュース報道で那智大社の裏山が崩れ落ち、その土砂が那智大社に大きな被害をもたらし
ましたことは映像で紹介されていますが、隣接する青岸渡寺も床下に大量の土砂が流入し、大変だっ
たことを良さんは手紙で記されています。
那智川の氾濫で沿岸に住む町長の奥さんと娘さんが濁流に流されて娘さんは昨日遺体となって発見
されたという傷ましいニュースがありましたが、同じ沿岸に住む仲間たちは全員無事ということでした。
町長の娘さんは結納の日に災害に遭われたとか。同じ娘を持つ親として胸が締め付けられるような
思いです。
熊野修験団のメンバー。
後列左端が山上さん、一人おいて山上夫人、右から4人目が生熊清瀧さん。(2003年撮影)