リワキーノの関東行きその1

娘の出産で関東に何度かにわたって長期滞在したおりに、こちらの友人・知人と色々会ってきました。

8月22日
アルバトロスクラブ及び、熊野修験仲間のshibataさんに電話すると、是非会いましょう、ということに
なり、娘の陣痛がいつ始まってもいいように、彼は娘宅最寄りの青葉台駅まで来てくれたのです。
彼の職場は押上で、地下鉄半蔵門線・東急田園都市線と直通で来られるのですが、それでも1時
間以上かかります。
9月7日からの奥駈秋の峯入りには娘の出産と重なりそうなので私は不参加を決めていたのです
が、こうして彼と会えて嬉しかったです。

普段酒を飲まない彼がビールと日本酒を飲んだら帰りがけにはこんなに顔が赤くなってました。
青葉台駅で

8月23日
ルパンさんからお会いしましょう、と電話をいただき、八王子市の彼のお宅にお邪魔いたしました。
青葉台からルパンさんのお宅の最寄り駅、京王堀之内まで50分ほど。

クレアちゃん亡き後にジジ君がルパン一家の寵愛を一身に受けております。
とにかく人見知りせずに、私にも何度もじゃれついてくれる愛らしいワンちゃんでした。


ルパンさんはお酒を飲まないのに私のために日本酒まで用意して下さり、大変ご馳走になりました。
澤乃井は青梅の銘酒で、私も私の亡父も昔から好物のお酒でした。
ルパンさんご夫妻と時の経つのも忘れるほど話し込み、とっても楽しかったです。
小春ページの伝言板で知り合ってから13年。ルパンさんの変わらぬ友情に深い感謝です。


8月24日
朝、浜松の研修生時代にお世話になった寮母さんのN.てつ子さん宅に電話するとお嫁さんが出ら
れ、転倒して骨折し、入院中とのこと。
早速お見舞いに行くことにしました。
江戸川区の一之江という駅から一時間に一本しか出ていないバスに幸運にも乗れ、病院に行くと、
ご長男が待っていてくれました。
「今日は体調が悪く、意識ももう一つはっきりしていなくて、しかもお袋は耳が遠いのです」と言われ
ながらベッドに横たわっているてつ子さんに「もりわきさんが来られたよ!」と大声で話しかけるとて
つ子さんは目を開き、そして嬉しいことに私を認識してくださったのです。
「おばさん!」と声をかけると
「もっちゃん、立派になったねぇ」
と研修生時代の私の愛称を呼ばれ、にこやかな笑顔を浮かべられたのです。
私は思わず、おばさんの手を握りしめました。
92歳というのに驚くほど表情がしっかりしており、上品で美しいお顔立ちは少しも変わっていないのに
私は感銘を受けました。
寝間着姿でなければ写真を撮りたかったくらいでした。
これなら骨折が治ればおばさんは退院でき、また会いにこられると私は思いました。
娘のところへ来る機会はこれからもいくらでもあるからです。
おばさんがまたうとうとされだしたのでこれ以上お邪魔してはと思い、私は15分ほどで辞去しました。

画像は10年前の2002年9月にかつての研修生仲間を集めて開いた会食会の時のものです。
てつ子さんの左隣はお嬢さん。


8月25日
小学校と高校が一緒だった多賀君と二十数年ぶりの再会をはたしました。
彼は酒を飲まないので昼間にお茶を一緒にと、青葉台から直通で行ける二子玉川の高島屋デパート
の喫茶部で会いました。
二子玉川はお洒落な街だよ、と娘が言っていたとおり、行き交う人も、店も何もかもが洗練されたとこ
ろで、若い人が多いのにみんなマナーが良く、エレベーターやエスカレーターに乗り合わせたときに年
輩者の私に礼儀正しく振る舞ってくれるのに感銘を受けました。

多賀君とは積もる話しが山とあり、


その中でも特に興味深かったのが彼が認知症予防のためにとった4つの方法です。
一つは俳句をつくること。


一つは書道。


一つは色鉛筆による絵描き。


一つは本来彼の大好きな数学の勉強。
これらについてはまた別のところで紹介します。
あっと言う間に3時間が過ぎ去ったような感じでした。
仕事がある私は家内を残して8月26日にいったん大阪に戻りました。

9月3日
娘の出産がいつ始まっても不思議でない状態になったので、9月2日に私は再び関東に行きました。
私が靖国神社に行きたいと言うと家内と娘が一緒に行くと言います。
二人は私ほど靖国神社に関心があるわけではないのですが、都心に出て気分転換をしたかったの
でしょう。

地下鉄九段下駅から地上に出てたどり着いた靖国神社の参道。
「靖国神社ってこんなに大きな神社だったの!」
と家内も娘もビックリ仰天。
娘が結婚式を挙げた西宮神社も甲子園球場の広さに匹敵する敷地を持ちますが、こんな壮大な鳥
居と参道はありません。
いや、私もCapt.Senohに連れて来てもらったときは本殿のすぐ近くの駐車場から入ったのでこの参
道は初めて見ました。


参道を行く娘


本殿


遊就館


私が今回靖国神社に行く目的だったのは遊就館の奥深いところに陳列されているこの6体の花嫁人
形を見ることでした。
太平洋戦争で独身のまま戦死していった息子や弟を憐れと思う母親、姉たちが妻として奉納した花
嫁人形の存在を月刊誌Willで知り、是が非でもこの目で見たいと思ったのです。


この花嫁人形はそんなに古い時代に奉納されたものではありません。
きっかけは84歳になるご婦人が沖縄戦で戦死した独身だった息子のために”桜子”という花嫁人形
を作り、息子への手紙を添えて靖国神社に奉納したことからでした。
その”桜子”という花嫁人形が遊就館に展示されたことによって5人の遺族が次々と花嫁人形を奉納
したのです。
桜子

清楚な花嫁人形を見ていて戦死した息子、弟を想う母親と姉の想いを想像すると私は胸が詰まる思
いでした。


そうやって花嫁人形の前で沈思にふけていたとき、携帯電話が鳴りました。
U.しのぶさんからでした。
以前にも紹介したことのある、私ら家族が魅了される帰国子女のキャリアウーマン。
今年年初に、英国の某銀行に転職したことを知らされていたので、今関東に来ていることを知らせて
いたところ、「今日だったらお会いできるのですが」と言って来られたのです。
即、遊就館の見学を打ち切り、私たちは彼女の職場がある丸の内に向かいました。

改装完成間近の東京駅


しのぶさんの勤務先は皇居のお壕端に面したところでした。


プライベートな用事なのに、某英国銀行の受付の人達は私たちをとても素敵な個室に招き入れ、そ
こにしのぶさんが颯爽とやってこられたのです。
積もる話しに盛り上がり、40分もここで過ごしました。
こんな応対って日本の銀行では無いのでは・・・


9月5日
いひゅう梅亭殿と久しぶりに会いました。
待ち合わせた場所は有楽町の海外特派員クラブのロビー。


そこのレストランでビールとバーボンを飲みながら歓談しました。

彼が特派員協会の準会員だからこそ、こんなところにも入れるのです。
ずっと以前、R-Juneさんがいひゅう梅亭殿にここに招かれたとき、「ドレスコードは何を用意したらよ
いですか?」と談話室で記されたことに、駄才さんがドレスコードの言葉に大変興味を記されたこと
を思い出します。
ちなみに特派員クラブの通常のドレスコードはノーネクタイ、ノー上着のいずれも可とのこと。
いひゅう梅亭殿の服装を見れば一目瞭然。
ただし、なにがしかの格式張ったパーティのときはそれなりに正装を求められることもあると思います。
レストランからの風景。


なかなか娘の陣痛が始まらないので仕事もある私は6日にまた、一人大阪に戻りました。
(続く)