リワキーノの関東行き・その3 「五木の子守歌」

9月28日
娘の婿が出張で家を空けるのを不安がる娘のために、私は一人で横浜の娘のところに行きました。
そして乳児を育てる母親の労苦というものをひしひしと感じました。
2時間から3時間おきに授乳しなければならず、慢性的睡眠不足の状況に母親は置かれるのです。

娘が母乳を与え始めると同時に私が哺乳瓶に粉ミルクを入れる用意をし、娘の授乳が終わると私が
ももこを抱き取ってミルクを与えるのです。
明け方などは、ももこを私に託したとたん、娘はベッドの上にグタッと延びてそのまま眠ってしまいます。
私が起きている間はいつも私がミルクを飲ませ、眠りにつくまでももこを抱っこしますので、ももこに対
する愛おしさが日増しに深まっていきます。
ももこは耳が敏感なようで、ちょっとした物音にも耳を澄ますような目つきをします。
ぐずついているとき、私が五木の子守歌を歌ってやると、ぐずつくのをやめてじっと聴き入るのです。
しかし、この五木の子守歌の歌詞はなんとも切なく、哀れなものですね。

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと
盆が早よくりゃ 早よもどる

おどまかんじんかんじん あん人たちゃよか衆(し)
よか衆ゃよかおび よか着物(きもん)

おどんが打死だときゃ 誰が泣(に)ゃてくりゅか
裏の松山ゃ せみが鳴く

せみじゃござらぬ 妹(いもと)でござる
妹泣くなよ 気にかかる

おどんが打死んだら おかん端(ばちゃ) いけろ
人の通る数 花もらう


辛(つら)いもんだな 他人の飯(めし)は
煮(に)えちゃおれども のどにたつ

おどまかんじんかんじん、のかんじんは勧進という字だそうで五木村では本来の意味と違って乞食を
指すそうです。
おかん端とはメイン通り、つまり人の行き交いの多い通りという意味だそうで、そこだったら身寄りの
ない私の墓は通る人の数ほど花をたむけてもらえるだろう、という意味だそうです。
こんな暗く哀れな歌を孫のために歌っていいものかとためらいの気持ちも生じるのですが、私は五木
の子守歌以外には子守歌を知らないのでこればかりを歌っています。
もっとも私が覚えている歌詞は三番までですが。