リワキーノの関東行き・その5
孫娘との再会 11月22日
娘婿が沖縄に出張するので乳飲み子と二人きりになる娘の要請を受けて、夫婦で関東に行ってきま
した。
家内は11月21日から、私は京都での調律師仲間との忘年会がありましたので翌日の22日に行きま
した。
着いたその日に娘の買い物に付き合うため、青葉台駅で家内と娘と待ち合わせ。
昼食は駅ビル内のカフェレストランで済ませました。
娘は子育てでいささか疲労気味。
青葉台東急スクエアのクリスマスデコレーション。
青葉台駅は庶民向けの店から高級店も揃っているとても良いターミナルですよ、とYokoさんがメール
に記されてました。
Yokoさんの親友が青葉台におられるため、よく来られるそうです。
と言うことは、いつかYokoさんと家内と娘と4人で青葉台で会食なんてことも可能なのです。
娘の買い物に付き合って一通り店内を回ってカフェで休憩。
そのうちにお腹を空かしたももこがむずかりだしたので私がミルクを与え、その間、娘は銀行に行き
ます。
お腹が一杯になるとももこは機嫌良く、いつまでも私に抱かれたままで過ごします。
久しぶりに一人で街中を歩いた娘はかなり気晴らしになったようで、晴れやかな表情で戻ってきました。
R-Juneさんとの再会 11月23日
私のホームページを訪れる常連さん及び、小春ページの古くからの注意深い読者でしたらR-Juneさ
んのことを覚えておられる方はいると思います。
15年前にアルバトロスクラブで知り合った時は立命館大学の学生でした。
親子ほど歳が離れているのに大変ウマが合い、一緒に行動することが多かったので同窓会仲間に
もよく紹介したものでした。
下記の写真などを見るとR-Juneさんのことを思い出す方は多いのでは。
彼女が就職して東京に行ったあと、私が上京したついでにハレルヤチョウのCho君(彼は当時まだ
東京に店を構えていた)やヤマシロ君、そして私のかつての顧客だったピアニストと。
2000年5月
いひゅう梅亭殿が京都に来たときに集まったよいよい会メンバーとの会食。
このよいよい会メンバーの組み合わせは非常に珍しいのではないでしょうか。
2002年12月
そして8年前に駄才さんの来阪時には京都で仕事をしていたR-Juneさんを呼んで会食。
2004年9月
とにかく頭がよく、感性が鋭く、美意識の高い彼女は、しばらく会話するとたちまち相手の心を惹きつ
けてしまうのです。
9.11のニューヨーク同時テロ勃発時には高校時代の留学のときにホームステイしていた、彼女自身
いつも”アメリカのパパ、ママ”と言っていたご夫妻を慰めにすぐさまアメリカに駆けつけるという義侠心
と行動力をも持っており、私はそんな彼女の資質を尊敬しておりました。
また、私は彼女が紹介してくれた本や映画でどれだけ恩恵を蒙ったか計り知れないものがあります。
そして、この駄才さんとの会食以来、私は彼女とはメールのやりとりはときたまするのですが、ずっと
会っていなかったのです。
今回の関東行きで私は彼女に会いたい旨をメールで伝えると、11月23日の夕方だったら時間が取
れるのでご都合が合えば是非お会いしたい、という返事をもらいました。
彼女の勤務する会社の特別セールが半蔵門であるそうで、高級時計にもし興味があるようだったら
その特別セールも見に来られませんか、と彼女は誘います。
そしてその特別セールというのが聞いて驚き!
カルティエ、ダンヒル、IWC、ジャガー・ルクルト、ピアジェというヨーロッパでも最高級レベル
のブランド商品ばかりを展示した特別セールなのです。
それらのブランドを統括する世界的なグループ会社の日本支社がR-Juneさんの勤務先であり、彼女
はIWCのPRを受け持っているとのこと。
実は偶然にも私は28年前に高級品ではありませんがIWCの時計を購入し、ずっと愛用しているので、
そのことを知らせると彼女は大変喜んでくれ、時計だけでなくモンブランの筆記用具も展示即売されて
いることを教えてくれます。
そうしたらピアジェの宝飾品も展示していることを知った家内も娘も行きたがり、「乳飲み子連れが行っ
てもいいのだろか」と尋ねると問題なしということなので、家族全員で行くことになったのです。
ただ、夕方になると電車が混むので昼間に行くことにし、見学を終えたらいったん家まで帰ってから
R-Juneさんとの食事会は私だけが再び出かけて行くことにしました。
展示会場は地下鉄半蔵門駅の真上にあるベルサール半蔵門というビル内の展示ホール。
青葉台駅から半蔵門駅まで乗り換え無しの直通で行け、所要時間は35分。
招待客のみの限定セールなので入り口のところでR-Juneさんの携帯電話に電話するとすぐさまR-Ju
neさんが現れました。
8年ぶりの再会です。
一緒に二上山に登ったこともあるので家内も娘も顔なじみなのです。
他のスタッフは男性も女性も黒の装いなのにR-Juneさんだけがこのような派手なセーター姿。
堂々としていてまさに大人の女性の雰囲気でした。
特別な存在なのだろうなと思わせましたが、私のこの感想はぴたりと当たるのです。
ルパンさん、
このR-Juneさんの風貌の雰囲気、Y.O嬢さんに似てません?
展示会場内での撮影ははばかられましたのでここに載せる各ブランド商品はすべてネット上から借用
したものです。
ピアジェの時計
時計の性能もさることながら、装飾品に使われている宝石の品質が凄いらしいです。
右の時計の文字盤はダイヤモンドで埋め尽くされています。
ヨーロッパの高級時計を買うことで相談したCho君から聞いた話です。
「ピアジェの時計はヨーロッパの王侯貴族の中でも皇族、王族、公爵、侯爵クラスが身につける時計で
あり、財力に物言わせて庶民がそれを身につけたらヨーロッパでは確実に物笑いのたねになる」
そこでピアジェの売り場の日本人男性スタッフにそのことを言ったところ、
ピアジェは製品のすべての部品を自社でまかなっており、当然、制作に時間がかかり、出荷数も限ら
れているため、30年前にはそのようなステータスの人達の手にしか渡らなかったようです。しかし、今
はカルティエと同じく、一般の方々にも愛用されるようになりました」
とのこと。
30年ほどでそんなにも変わるものなのですね。一見さんお断りを標榜していた京都の老舗の料理屋
が軒並み、一般にも開放されるようになったのと同じ現象なのでしょうか。
このピアジェの40代前半と思われる男性スタッフ、中肉中背のがっしりしたスタイルでしたが、洗練さ
れた物言いと言い、端正そのものというべき美しい風貌に、薄くはやした顎髭を綺麗にそろえるという
見事な男ぶりで、私との会話を側で見守っていた家内が「さすが、ピアジェのスタッフという感じ!」と
その男性スタッフの格好良さにうっとりとしたそうです。
う~む・・・
このような眼福も味わえるのも一流の店ならではですね。
カルティエの時計
ダンヒルの時計
そしてIWCです。
私のIWC時計のイメージは私が持っているこの時計のデザインです。
クロコダイルのバンドに銀色のフレーム、白い文字盤。
IWCに決めたのはCho君の下記の言葉。
「IWCは車で言えばメルセデス・ベンツのように機能重視で頑丈。孫子の代まで使える」
しかし、展示されているモデルはみんな大ぶりでデザインも私のイメージを完全に払拭するものばかり。
このモデルはまだ私の持っている物の原型を留めますが展示会場には無かったのです。
展示会場にあるのはこのようなものばかり。
これがIWC?と私のIWCに抱くイメージがガラガラと崩れ落ちていく思いでして、ショックでした。
私の所有しているモデルはもう製造していないのですか、という問に、担当のスタッフは
「いいえ。勿論現行モデルです。今日の展示会ではそのモデルが一番人気が高く、全て売り払ってし
まったのです」
とのこと。
安堵しました。
ま、20万円ほどの値段ですからお買い頃価格だったのでしょうね。
今日の特別セールで、一千百万円のIWCのプラチナ製時計、四百数十万円のピアジェ時計などを見
ました。
後に私の時計のバンド交換をしに京阪百貨店の時計売り場に行ったとき、スタッフに一千百万円の
IWCのことを話したら「そういうモデルがあることは知ってますが、実物は見たことがありません」との
ことでした。
どの商品も市販よりも安価であり「時計に関してのお求めはお一人様、3個に限らせていただきます」
との案内を見ると、投機的に買いに来る人も結構いるのでしょうね。
各ブランドのスタッフは尋ねたことについては丁寧に答えますが、全然商売気が無く、淡々としていま
す。
40数年前に家内がヨーロッパで買い求めてきたモンブランの万年筆を私は若いころ愛用していたので
すが、それを失って以来、またモンブランの万年筆が欲しいなと思っていたので2万9千円のモンブラン
を購入しました。定価はここには公表しません。
ボールペンも欲しかったのですが、あっと言う間に売り切れたそうです。
精算のときに3万円以下はカードが使えないと知って私は困惑しました。
私の財布の中身は4万円しかなく、R-Juneさんとの会食に彼女が予約している店が万が一カードが
使えなかったら、私の懐具合は不如意この上ない状況だからです。
家内に懐具合を聞いたら家内も5千円しか持ち合わせていないとか。
展示を見終えて家内と娘を連れて帰るときにR-Juneさんに今日、案内してもらえる店はカードが使え
るかどうかを尋ねたら、彼女は「リワさんには本当にたくさんご馳走になってきましたから今日は私の
招待をお受けください」と言うのです。
きっぱりとした彼女の物言いに、これは辞退しても彼女は受け付けないだろうなと思いながらも、「そ
れでもその店がカードが使えるかどうかだけは教えてよ」と言うと「教えません!」と彼女は言うのです。
R-Juneさんの決意は固そうで、私は今日は彼女の好意に甘えようかという気になりました。
夕方再び半蔵門に戻ってきて展示会場の外のロビーで待っていると、午後7時に「お待たせです!」
とコートを着たR-Juneさんが颯爽として出てきました。
お待たせも何もピッタリの時間に出てくるのですからびっくりします。
後片付けとか打合せなどもあるだろうから10分や15分はかかるだろうと思っていたのに、そういう雑
務から彼女は解き放たれているようでした。
「予約している店は渋谷から歩いて10分のところなのでここからタクシーで行きましょう」
慣れているのでしょうね、タクシーに乗り込むとよどむことなく行き先を簡潔に説明します。
目的地に着いたとき、タクシー代くらい私がと思って財布を手にしていたのですが、彼女は素早くパスモ
を運転席横のカードリーダーに押し当てるのです。
幸運にも彼女のパスモがチャージ金額不足のため、¥2600のタクシー代は私が払うことができました。
しかし、このように万事が素早く、スマートで格好いいR-Juneさんに改めて惚れ惚れする思いでした。
タクシーの運転手も彼女と私の会話を聞いていて惹かれたのでしょうね、「海外にお住まいなのですか?」
と尋ねます。
明後日はロンドンに発たなければならない、と会話の中で彼女が口にしたことを聞いたからでしょう。
その初老の運転手も現役のころはエンジニアとして欧米に滞在していたとのこと。
道理で品の良い話し方をするのだな、と納得でした。
「並木橋なかむら」という店で、着いたらほぼ満席状態。R-Juneさんが予約したときは最後の2席だっ
たとか。
前もってR-Juneさんから店の名前を聞かされていた私はiPhoneで調べたら「食べログ」で¥6.000~
¥7.000とあり、評価もそんなに高く無いので大した店ではないだろうと高をくくっていたのですが、来て
いるお客は若きも熟年もみなお洒落。
メニューを見ると単品料理はどれも千円以上でカツオのたたきが¥1.200。
日本酒がこれまた驚きで、ずらっとある銘柄の中で私が知っているのは浦霞だけ。
どれも千円前後。
これは暢気に飲んで居られる所じゃないぞ、と思ってお酒を注文すると何と2合入り。
と言うことは一合が\500前後。これは全然高くないです。
これは嬉しい誤算でしたね。
そして最初に出てきた一見味噌汁のような和風スープ。
これが滅法美味しかった。
この刺身の盛り合わせがどれも美味しかったのです。
後の料理はR-Juneさんとの話しに熱中してしまって撮らずじまい。
しかし他の料理も、食べログの評価なんか当てにならないと思わせる美味しさでした。
R-Juneさんは今の会社に勤務してから2年になるそうで、実際に彼女の面接をし、採用を決めたの
はIWC社で、社員として所属するのはグループ会社らしいです。
IWC側のディレクターや本社の人間が最終的に適正を見極めて彼女を受け入れたとのこと。
PRについては彼女は下記のように語ってくれました。
PRとは通常、自社の商品や自社の活動を公に広めることが一般認識で、メディア(雑誌社やテレビ)
の窓口「広報係」のイメージが強いです。
そのなかで、IWCはチャレンジ精神にあふれ、ブランドとして勢いを感じさせる「仕掛け」を多く成して
いることから、各界での実力者でIWCを愛用くださっている方は多く、そういった著名人と真の意味
でコミュニケーションをとり、転じてそれがブランドにもそしてその著名人にもプラスになるよう取り計
らう、というような特異な仕事も私の責任範囲です。
その他、出版社(メディア側)とデザイン事務所(モノ作り側)での経験をもとに、IWCの技術者や時
計師、デザイナーの意図を読み取り、さらに日本の皆様のために情報をとり、編集者の心をつかむ
ご提案をして、結果、媒体として読者の皆さまに魅力的な内容をお伝えするのが、私の仕事です。
如何です?R-Juneさんの能力の高さ。私は呆れる想いで聴き入りました。
他にもIWCが「しでかす」(R-Juneさんの表現です)大小のイベント企画、実行も仕事範囲で、販売店
でお客様へトークイベントを開いたりという小規模のものから、千人のディナーショーなどにもスタッフ
として関係するそうです。
俳優の真田広之とケイト・ブランシェットのトークも手がけたことがあるそうで、他にも中井貴一、サッ
カー全日本のザッケローニ監督と仕事を一緒ししているとのこと。
当然、彼らと一緒の飛行機で行動し、食事も一緒するのでその人柄をよく知ることができ、いずれの
人も非常に謙虚な人柄という印象を受けたことを話してくれます。
しかし、このような有名人と一緒するIWC主催の欧米におけるパーティははかなりレベルの高いもの
もあり、ドレスなども用意しなければならないので衣装代が結構出費になるそうです。
会うたびに職業を変えている彼女のことを不安に思ったこともありましたが、こんなにもステータスを
高めるとは彼女自身語っているように様々な職種が彼女のこやしになったことを実感します。
8年間の間にまばゆいほどに成長したR-Juneさんとの会話は本当に楽しく、魅惑的なものでした。
渋谷駅で別れるとき、彼女のさらなる飛躍を私は願ったものでした。