リワキーノ家に伝わる鎧
わが家には亡父が骨董屋で求めた鎧があります。
関ヶ原の戦のときに西軍についた戦国大名、立花宗茂の家来のものであり、関ヶ原の戦場には出
陣しませんでしたが、大津城の攻防戦で立花勢が徳川勢と戦い、武功をあげた鎧です。
この鎧を亡父から譲り受けた時はわが家の玄関に飾っていたのですが、不吉な感じがするという家
内の忌避感を尊重して鎧櫃に長い年月収納していたのを、大河ドラマ「平清盛」に熱中した孫のマサ
カゲがその存在を聞いた鎧を見たい、と言ってきたので20年ぶりに日の目を見ることとなりました。
五百年の歳月を経た鎧を鎧櫃から取り出し、組み立てるのは大変な作業でした。
実家の客間にこの形で常に存在していた鎧姿を見てk.mitikoさんは感慨深いものがあるでしょうね。
兜のひさしの左側についている裂け目は真っ正面から敵の刀傷を受けた痕跡であり、その勇者傷に
よって主君、立花宗茂から五十石の加増を得たとのこと。
その感状も一緒に譲り受けることを我が父は望んだのですが、鎧の持ち主が家名が判明するのを恐
れて最後まで手放さず、わが家にはありません。判りますね、その当主の気持ちは。
戦後の混乱の中、このように家宝を手放した名家が多かったのでしょうね。
元日に鎧を着たマサカゲは、兜は大丈夫だったけれど、胴体はもの凄く重かったと言いながら、実戦
に使われた鎧を着たことに大変な満足感を示しておりました。
鎧を組み立てたときは大丈夫だったのに、マサカゲに着せようとして鎧を外す作業をしている時に、紐
や糸が次々と切れ、このように側から支えないと鎧が着れないような状態でした。
5年後のマサカゲが13歳になった端午の節句のとき、鎧全部を着られるよう、それまでに鎧を修復
修理に出すつもりです。